第三話 願いの瞳


(何処だ、ここは)


 何も分からない。立っているのか座っているのか、目を開いているのか閉じているのか、何も分からない。

 どうしてこんな所にいるのか、おぼろげな記憶を遡る。


(あぁ。俺は──)


 ぼやけていた記憶が、ゆっくりと色を取り戻していく。あの森の中で、ジルと呼ばれていた男と戦い、そして──敗れた。


(死んだのか──)


 ──この……聞いて……──


 声が、聞こえた気がした。


 ──どう……止め……い──


 何処か、遥か遠くの場所から、そんな気がする。


 ──私に……て……しい──


 誰かに向けたものではなく、囁くような、もしくは祈りのような


 ──私の……"世界"……為に──



 ✱✱✱


「……」


 虫の囁きと鳥の鳴き声が聞こえる。目を開ければ、見覚えのある天幕が視界に現れる。


「……夢……?」


 夢だったのだろうか、何かを聞いていたような、何処かを見ていたような気がする。しかし、思い出そうとすればするほどその記憶は霞んでいき消えてしまった。

 自分の身体の感覚もある。横になってはいるが、身体も動かすことができそうだ。


「……起きた?」


 頭の上の方から声がかけられた。体を少し起こして、小さくてか弱そうな声の主の方へと視線を向ける。そこには積荷に背中を預けながら、ミラーが本を読んでいた。視線をチラリとコチラに向ける。癖のついた茶色い髪が少しだけ揺れる。俺を観察するようにじっと見つめた後、直ぐに手元の本へと戻っていった。


「皆は?」

「外……ご飯……食べてる」


 頁をめくりながら、ゆっくりと答える。本を読んでいるついでにといった感じではあるが、それでも答えてくれる。最初の頃は終始無言を貫かれていたのだから、これはかなりの進歩と言ってもいい。


「どれ位眠ってた?」

「そんなに……でも……もう夜」


 途切れ途切れに答えながら、頁をめくる速度は変わらない。

 天幕の隙間から見える外は確かに暗くなっていた。


「皆……待ってる」


 本を読みながらではあるが、ミラーが自分から口を開いた。少し驚きはしたが、その言葉の意味を理解させるかのように、空腹感がこみ上げてきた。


「飯食ってこいってことか……」

「ん……」


 ミラーは短く頷く。きっとユーリアかリエラがそうさせるように頼んでいたのかもしれない。


「分かった。行ってくる」


 ゆっくりと立ち上がり、荷台から降りる。


「あ、それとミラー。看病ありがとう」


 今度は頷くこともしない。ただ手元の本に視線を向けて頁をいつも通りにめくるだけ。それを見てその場をあとにする。



 ✱✱✱


「あ! タッくん!」


 近くで焚き火を囲っていた人影に近付いていくと、コチラに気が付いたユーリアから声がかけられた。


「ごめん、ユーリア。お腹空いた」

「すぐに用意するわね。そこに座ってて」


 ユーリアに促されるまま、近くの木箱に腰を落ち着ける。


「全く、運の良い人ですね貴方は」


 座るや否や、正面に座っていた水色の髪の青年が声を掛けてくる。揺らめく焚火の灯りを怪しく反射させる眼鏡に手をかけていた。


「マコト!」


 その言葉を不謹慎だと捉えたのだろう。リエラが短く名を呼び自重を促す。


「失礼。いつも傷だらけになるわりに、中々死なないので感心しているんですよ」


 マコトは少し大げさに肩をすくめてみせた。


 確かに、戦う度にどこかしら怪我をしているような気はするが、今はそんな事はどうでもいい。他に聞かなければならないことが山ほどある。


「マコト」

「何でしょうか?」


 俺はマコトに視線を向けた。マコトも逸らすことなくこちらを向く。


「あの後どうなったのか教えてくれ」

「……分かりました」


 一呼吸分の沈黙の後、マコトはあの後起こった事を語り始めた。


 俺が刺されたそのすぐ後、リサとダリルが加勢に加わったことで、ジルと呼ばれていたあの男はすぐさま逃げていったという。そしてその二人の後を追いかけてきたカナデにより、その場ですぐに治癒魔法を受けた事で俺は死なずに済んだらしい。


「そうか……分かった」

「それとタクマ──」


 語り終えたばかりのマコトが、再び口を開く。


「あの男の言っていたことにも一理ありますが、人を殺したことがないのは当たり前です。剣を持つ理由なんて人それぞれ違います。それは理解しているでしょう?」

「あ、ああ──」


 急に何を話しだすかと思えば、珍しくお説教が始まってしまった。いつもなら軽口程度で済むはずなのだが、少しばかり気色悪い。


「なら話は簡単です。今の貴方に必要なのは──」

「くす……ふふ──」


 マコトの説教ももう少しという所で、隣に座っていたリエラが急に笑い始めた。


「リエラさん。今は真面目な話をしているつもりなのですが?」

「ごめんなさい。でも余りにもおかしくて、耐えられませんでした」


 リエラは深呼吸してから背筋を伸ばして俺に視線を向けた。


「タクマが来るまでは、今回ばかりは殴りかかる様な勢いで怒っていたのに単なるお節介だけだなんて、笑っちゃいますよね?」


 そう言い終えると、マコトに視線を向けた。その先にいるマコトは眼鏡にそっと触れ、そのまま動かなくなる。これまでに何度か目にしたが、反応に困った時などにはマコトはあのようになる癖があるらしい。


「そういえば、カナデさんは?」


 この場には俺とマコト、リエラとユーリアしか居ない。ダリル達の姿も無いが、男性陣は恐らく見張り、もしくは先に休んでいるはずなので気にしていなかったが、カナデが居ないのが気になった。


「カナデなら先に休んでいます。なんだか顔色が良くなかったので、リサがそばに付いているので何かあっても知らせに来るはずです」


 俺の疑問に答えたのはリエラだった。助けてくれた礼を言いたかったが、明日にした方がいいかもしれない。


「あ! ねえ、タッくん。コレをカナデちゃんの所に持っていってくれる?」


 渡してきたのは今日の夕食、蒸したプルーマの入ったシチューだ。マコトの話の間に食べたが、文句無しの味だった。


「もし起きてたら渡してあげてね?」

「あぁ、分かった」


 短く返事を返してこの場を後にし、俺が眠っていた方とは別の荷馬車へと歩を進めた。



 ✱✱✱



「リサ、入っていいか?」


 リサがそばに付いていると言っていたので、荷馬車の手前で中にいるはずのリサに声をかける。


「タクマくん? 入っても大丈夫だよ」


 しかし、返ってきた返事の声はリサのものではなかった。

 それでも入室の許可は得たので、天幕を手ではらい除けて中へと入る。そこには既に起きているカナデの姿と、その傍らで横になり眠っているリサの姿があった。ちょうどリサに毛布をかけようとしていた所だったらしい。


「傷は……平気?」


 カナデ自身で治療したのだから、この傷に関しては彼女も知っているはずだ。少し間を開けるように聞いてくるのは、もう心配いらないのを分かっているからだろう。


「うん。おかげで助かったよ。ありがとうカナデさん」

「……」


 俺の言葉への反応もそこそこに、カナデは少し俯き黙り込んでいた。


「カナデさん?」


 しばらくそのままだったが、顔を上げる。その表情は意を決したかのように真剣なものだった。


「タクマくん。お願いが二つあります」

「はい。何でしょう……?」


 余りに真剣なその瞳に圧され、敬語になってしまう。これほど真剣な眼をした彼女は見た事が無いかもしれない。


「まず一つ目です。マコトくんから全部聞きました。怪我した時のこと……」


 言葉が徐々に弱くなる。あの時の事を思い出してしまったのか、表情も少し暗い。


「私は剣を持って戦えるわけじゃないから、タクマくんがどんな思いで戦っているのかはよく分かりません。それでも……」


 言葉を一旦切り、一呼吸置いて続ける。


「それでも……私は、皆には怪我はして欲しくない……もちろん私は全力で治すよ。でも……」


 膝に置いた掌が握り締められる。


「だから……もう、死なないで──」


 真っ直ぐこちらに向けられたその瞳に宿った思い、あるいは願いそのものは彼女にとっての戦いだ。いつでも命を救えるわけではないことを、彼女は知っている。


「それで、もう一つは?」

「え……あ、その……」


 二つ目を促す。だが今度は歯切れが悪い。


「えーと。名前……私だけ、"さん"付いている」

「え……?」


 予想外の言葉に、うまく反応することが出来なかった。自分でもあまり意識していた訳では無いが、彼女は気になっていたらしい。


「なので、私もカナデって呼んで下さい……」


 どうにも居心地が悪そうにしている。こんな事を頼むのも恥ずかしいのだろう。そもそも頼むような事でもない。


「あ、そうだ。これ、ユーリアから貰ってきた。の分ね」

「っ──うん!」


 真剣な表情や、さっきまでの恥じらいもなかった事にするかのように、嬉しそうにシチューを受け取る。

 美味しそうにシチューを頬張る彼女はいつもの、誰よりも生命を尊ぶカナデの無垢な笑顔がそこにあった。

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