第十三話 警鐘


「ご馳走様でした。美味しかったですよ、カーシィ」

「ありがとうございます。リエラ様」

「凄いわ、カーシィちゃん! 今度私にも作り方教えてくれる?」

「はい。もちろんでございますユーリア様、宜しければ私にも何かご教授頂ければ」


 昼食も滞りなく終わり、リエラ達は談笑している。昼食もカーシィの作った力作が並べられ、みんな舌鼓を打っていた。


「それで、午後の流れは?」

「午前と同じです。外の巡回と街の中に異常が無いかの調査、主に城壁の調査です」

「巡回の組み合わせは決まってるから、タクマは、午後から私と壁調査ね」


 マコトとリサと午後からの話をしていた。働かざるもの喰うべからずだ。


「わかった。なら準備でき次第出発しよう」

「オッケー」


 リサは軽い足取りで二階へと上がっていく。


「では我々も行きましょうか、リエラさん──」

「ええ、では行ってきます。夕飯も楽しみにしておきますね、カーシィ」

「お任せ下さい。リエラ様、マコト様、いってらっしゃいませ」


 カーシィに手を振りながら、二人は厩舎へと向かっていった。


「あの、ユーリア様。一つお願いが……」

「? 何かしら、カーシィちゃん」

「夕食の食材の調達に行きたいのですが、こちらをお任せしても宜しいでしょうか」

「ええ! もちろん大丈夫よ。お夕飯は私もお手伝いするわね」

「ありがとうございます」


 カーシィが申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、ユーリアは対照的な笑顔で快諾した。


「俺も準備しないとな──」


 俺も立ち上がり二階へと向かう。



 ✱✱✱


「よぉし! いざ出発ー!」


 勢い良く腕を突き上げながら歩き始める。彼女はいつでも明るく元気だ。そばに居るだけで自分まで明るい気持ちにさせられてしまう。


「じゃあ、行ってきます」

「うん。頑張ってねタッくん」


 見送りはユーリア一人だった。カーシィは一足先に街の市場へと出掛けたらしい。こんな早くから夕食の準備をするとなれば、かなり手の込んだ料理になりそうだ。おまけに腕自慢のユーリアもいる。夕食の味は期待してもいいだろう。


「タクマー! 置いてくよー!」


 遠くでリサが手を振っている。その横には馬に跨るマコトとリエラの姿もあった。


「分かった! 今行──」


 返事をして、歩み寄ろうとした時だった。街中に早鐘を打つ音が響き渡る。

 リアドの街を囲む高い城壁には四方の門と見張り台があり、それぞれに鐘が設置されている。仲間の帰還を知らせるためのゆっくりと間隔をあけて鳴らす方法と、外の異常や脅威を知らせる為に激しく打ち鳴らす方法の二種類。今鳴っているのは後者だ。城壁外で何か異常事態が発生している。


「ユーリアは中に入って!」


 それだけ言い残し、リサ達のもとへ駆け寄る。リサは目を閉じ鐘の音の方向を調べようとしていた。


「リサさん。鐘はどこから?」

「多分西から!」

「では先行します。リエラさん」

「分かりました」


 マコトとリエラがそのまま馬で西門へと急行しようとした直後、今度は厩舎の方向が騒がしくなり、その中から緑色の物体が姿を現した。


「ゴブリン!? まさか昨日の!?」


 その懐にはしっかりと本が抱え込まれていた。昨夜のうちに逃げ出したと思っていたが、まさか厩舎に隠れていたとは予想外だった。ゴブリンは素早く民家の屋根へと登り、そのまま向こう側へと消えていく。


「私が追います。リエラさんは西門へ! リサさんはくれぐれも街中で飛ばないように!」


 リエラは無言で頷き西門へ、マコトはゴブリンの消えた方向へと馬を走らせる。


「俺達も西門へ行こう」

「むぅ。わかった」


 俺達も西門へ向かう。マコトに釘を刺されたが、リサが空を飛べる事は街の住民は知らない。いくら魔法の力とはいえ空を飛べるものは今まで見たことがないらしい。そもそも空を飛ぶ魔法はヒザマルも知らないという事で、混乱を招かないようにリサには人目の多い場所では飛ばないようにしてもらっている。現に今も後ろを走って付いて来ている。


「リサ! 西側の巡回って誰だか分かる?」

「たしかヴァニラさん! あとダリルとザック!」


 この三人ならある程度の敵でも対処できそうだ。未だ鳴り響く警鐘も念のためと言ったところだろう。

 走りながらリサと会話していたが、今度は爆音が耳に届いた。それと同時に警鐘が鳴り止み、立ち止まってしまった。


「今のは!?」

「タクマ! 見て!」


 リサが指さす。その方向からは煙が立ち上っていた。風に揺らめくその黒い煙は、その上に鎮座する分厚く暗い雲に飲み込まれていく。

 状況は依然として分からないが、とにかく嫌な予感しかしない。


「とにかく急ごう。っ──」


 一度リサに振り返り、走り出そうとした時だった。視界の隅に入った路地が何故だか無性に気になってしまった。

 何の変哲もない街の路地だ。今までだって何度となく通り過ぎているだろう場所が、俺の脚を掴んでいるように動かなかった。


(なんで……こんなに……何か)


 心臓の鼓動が次第に早くなり、今度は身体の中で早鐘が聞こえてくるようだった。

 この路地の先が気になって仕方が無いと同時に、身体が次第に震え始める。この先には行くべきではないと、本能が理性に訴えかけてきている。恐怖と動悸で、呼吸すら不安定になってきていた。


(この先はたしか水路があるだけだ……なのにどうしてこんなに気になる……)


「タクマ? どうした?」


 リサがこちらの顔を覗こうと近づいてきた。


「きゃあああああああ」


 悲鳴が聞こえてきた。すぐ近く、正面にある路地の先から。


「えっ!? 何──ってタクマ!? 待って!」


 悲鳴を聞いた途端、無意識のうちに駆け出していた。早鐘を打つ心臓の鼓動はそのままだが、恐怖心はどこかにいってしまっていた。路地の先を目指してひたすらに走る。

 それに、あの声には聞き覚えがあるような気がした。


「カーシィ! っ!?」


 そこに居たのは、紅い皮膚に覆われた魔族と、それに左腕の自由を奪われ、首筋を噛まれて青ざめた顔をしたカーシィの姿があった。


「ちょっと! いきなりどこ行くの──ってえ!? カーシィ?」

「リサ! 援護!」

「え!? ちょっとま──」


 リサの静止も聞かず、すぐさま抜剣し突撃する。悲鳴からそれほど時間は経っていないはずだが、首筋から流れる血の量は服まで濡らしている。もたもたしている暇はなかった。


 すると魔族はカーシィの首から牙を離しこちらに向かって押し飛ばす。


「カーシィ!」


 すぐさま剣を引っ込めて血まみれの身体を抱きとめる。首だけでなく背中にも裂傷があった。


「この野郎──っ!?」


 視線を魔族に戻すと、こちらに剣を向けていた。幅が広く短い刀剣グラディウスの先がこちらを向いている。華奢な身体のカーシィなら貫通して俺にまで刃が届くかもしれない。

 完全に出遅れた。今からでは防御なんて間に合わない。せめてカーシィだけでもと思い身体を反転させようとした。


「でりゃあ!──」


 その直後、後ろからリサが飛び出して飛び蹴りをくらわせる。完全に予想外だったのだろう。魔族はそれをそのまま受けて後ろに倒れた。


 ──風の刺突エア・スラスト!───


 リサがすぐさま魔法で追撃する。緑色に輝く粒子が即座に、刃の形に収束して紅い魔族に襲いかかる。しかし魔族はすぐさま身体を起こして刺突を避ける。リサも更に風の刺突を放つが綺麗に避けられる。


「リサ。空飛んでカーシィを早く伯爵の所に、血が出過ぎてる。カナデさんがいるから治療を──」

「え、でもコイツ──」

「いいから、このままじゃカーシィが死ぬ!」


 最後の言葉が刺さったのか、リサは警戒しつつもカーシィを背負う。それと入れ替わり剣を構えて前に立つ。


「すぐ戻るから」

「ああ」


 目の前の魔族が仕掛けてくるのか、姿勢が低くなる。それを受けてこちらも"賢者の型"ヴァンガードへ構え直す。


「死なないでね──」


 その言葉を残して、屋根の上まで飛翔していく。魔族は呆気にとられて、顔ごと動かしてリサを見ている。魔法知識の深いヒザマルでさえ知らなかったのだ、空を飛ぶ人間を魔族が見たことないのも不思議ではない。


 この隙は見逃せない。そう判断して、受け身の姿勢から突進した。それに気が付いた魔族が受け身の姿勢を取るが、そこで初めて気が付いた。コイツが持っているのは、刀剣だけではなかった。小型の円形の盾バックラーを右腕に付けていた。


 突進の勢いはもう殺せない。おまけに横は水路だが反対は壁が近い。大振りの攻撃は制限されてしまう。突進の勢いを乗せ、両手剣ロングソードを上から振り下ろす。

 魔族はそれを盾で受け止め、跳ね返す。それから左手に持った刀剣で刺突を放ってくる。

 その刺突は鋭く、正確にこちらの心臓を狙ってきた。その刺突を上体を無理やり逸らして回避する。刀身が短いのが幸いし何とか避けられた。


 飛び退き距離を取り構え直す。リサは恐らく感覚的に気がついていたのだろう。だから去り際に、「死なないでね」なんて言い残したのだ。縁起でもないと思いたかったが、どうやらそうもいかないらしい。


 目の前の魔族は盾を前に出し、受け身の構えだ。攻めてくる気配はない。


「コイツ……強いな」


 そう認識した途端に、心臓の鼓動が耳障りになり、肌を流れる汗が恐怖と不快感を一気に煽ってくる。


 どこか遠くで地響きのように雷が鳴り、頭上の雲が唸り始めた気がした──

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