第十二話 曇天


「……重い」


 オークの夜襲から一夜明けた翌日。俺は矢に塗られた毒のせいか、はたまた疲労のせいか、泥のように眠っていた。

 眠りすぎて身体は気だるく瞼も重い。


 それでも、身体を起こして部屋をあとにし食堂に向かったが、そこにはユーリア達の姿はなく、代わりにベルレ公爵家に仕える使用人の姿があった。


「おはようございます、タクマ様。とはいえもうすぐお昼ですけれど」


 俺に気がつき、優しい笑顔とともに出迎えてくれたのは、使用人の中で一番若手の女の子カーシィ。まだ幼さの残る顔立ちと、茶髪のお下げ髪が印象的な彼女は、炊事場から食事を持ってきた。


「ごめんね。手間を取らせてしまって……」

「どうかお気になさらず。昨夜の事は聞き及んでおります。さぞお疲れだったのでしょう。ですのでこちらを、昼食用に作っていたスープと、朝食のより合わせになってしまいますが、お召し上がりください」


 笑顔でそう答えながら、近くにあった長く大きな食堂机の片隅に両手で持っていた盆を置いた。

 透明なスープ、薄く切られた肉を挟んだ柔らかそうなパン、それと何かの果物だろう。軽食といった雰囲気の残る食事が並べられていた。


「ありがとう。他のみんなは?」

「はい。ロラン様達はそれぞれ城壁外へ巡回に向かわれました。お昼時までには戻ると仰っておりましたので、もうすぐお戻りになるかと。ユーリア様とリサ様は、馬達の様子がおかしいと厩舎に向かわれております。カナデ様とミラー様は公爵様の書庫へ向かわれました」

「そう、わかった。ありがとうカーシィ」

「本日は一日こちらにおりますので、何か御用があれば何なりとお申し付けください」


 そう言い残し、炊事場に向かっていった。それを見送り、俺も食事に手をつけ始める。


 結局のところ、昨夜どうやってオーク達が侵入してきたのかはあの時は分からなかった。見張り台に人がいなかった訳でもない。ただ死角がない訳では無い。運が悪ければ見落としてしまうこともあるだろう。


 そしてゴブリンも同様だ。おまけに何の本を持ち出したかも正確には判明されてない。モント伯爵は、魔導書なのではないかと懸念していたが、ミラーが見つけた魔導書は既に別の場所で保管し、折を見て王都に持っていくつもりだったらしい。それにゴブリンが書庫で魔導書を探し当てられるような時間的猶予はヒザマルが与えていないらしく、あの蔵書の中から短時間で魔導書が持ち出された可能性は低いという結論になった。


 あれこれ考えているうちに、食事も完食してしまった。ユーリアの料理も美味しいのだが、カーシィが作ったこのスープもたいへん美味だ。透き通った色合いからは想像のつかないコクと、ほのかに広がる香草香りが食欲を引き起こさせ、柔らかいパンと薄切りながらにしっかりと味のある肉の旨みがさらにそれを加速させる。気が付けば綺麗にたいらげてしまっていた。


「カーシィ、ごちそうさま。スープ凄く美味しかったよ」

「本当ですか! ありがとうございます! タクマ様に気に入って頂けたなら、きっとミセスカリファも今度こそ合格点を出してくれますね。良かったぁ……」


 食器を返しに炊事場に入りながら声をかける。カーシィは盆を受け取りながら嬉しそうに安堵する。きっと何か試験でもあるのだろう。伯爵家の使用人、主に女性使用人を統括しているカリファへ提出する予定だったのかもしれない。少しばかり厳しい印象のあるカリファだが、それ故に厚い信頼を寄せられている人物だ。だがこのスープならきっと大丈夫だろう。


「俺も厩舎に行ってくるよ」

「承知いたしました。いってらっしゃいませ」


 カーシィに笑顔で見送られながら、厩舎へと向かう。



 ✱✱✱



「雨降りそうだな……」


 空は分厚い雲に覆われていた。今にも雨が降り出しそうな淀んだ灰色。

 歩みを速めて厩舎へと急ぐ。


 厩舎はこの宿舎からほぼ向かいの位置にある。騎士団の地方勤務、または遠征隊の馬を収容できるようになかなかに立派な厩舎が建てられている。今では巡回や森への討伐遠征の為の馬が二十頭近く生活している。


「ユーリア! リサ!」


 厩舎の中も広い。巡回のために数頭駆り出されてはいるものの、仕切り等で彼女達を一目には見つける事は難しかった。少し声を張り彼女達を呼ぶ。


 すると声に反応して中程の仕切り壁から、ひょこりと長いポニーテールを揺らしながら、リサが顔を覗かせてきた。


「あ、タクマおはよー。随分ぐっすりだったねー」


 今度は手を振りながら挨拶をしてくる。あまり大きな声を出してばかりでは馬達に申し訳ない。しっかりとリサに歩み寄ってからそれに答えた。


「少しばかり寝過ぎたかな。マコトに小言を言われそうだよ」

「あ〜マコトは言いそうだなぁ……うぉっと──」


 先程から仔馬の頭を優しく撫でていたが、俺との会話で止まってしまったのがお気に召さなかったらしく、鼻先でリサを小突いていた。

 リサは動物によく懐かれる。シシ村の羊の時も、撫でられていた羊はとても気持ちよさそうにしていた。


「わーもうごめんってば。もう、今日はやけに甘えてくるなぁこの子」


 早く撫でろと言わんばかりに小突かれ、堪らず止めていた手を再開させる。次第に大人しくなっていく仔馬はどことなく気持ちよさそうだった。そんなにもリサの手は心地好くなるのだろうか、少し気にはなるが今は止めておこう。


「あら、タッくん?」


 背後から声がかかり振り返る。そこに居たのはカーシィよりも幼い顔立ちをした水色の髪の女性、最年長のユーリア。両手で水桶を抱えていた。


「おはようタッくん。身体はもう平気なの?」

「おはよう。まだ少し気だるいけど、問題ないよ」

「そう、なら良かったわ」


 ユーリアの愛らしい笑顔はまるで子供の様だったが、その声音には母親のような慈愛を感じた。一見少女のようにしか見えない彼女は、俺達の中で一番人の感情に敏感だと思う事が多々ある。


「その水桶持とうか?」


 抱えている水桶には、溢れんばかりに水が入っていた。小柄なユーリアには少しばかり重たそうだ。手を貸そうとするが、ユーリアは笑顔で首を横に振る。


「ありがとうタッくん。でも大丈夫よ。今日は私がお世話するって決めたから」


 ユーリアは笑顔を絶やすことなく、仔馬のもとへと歩み寄る。


「よしよし、もう大丈夫よ」


 水桶を仔馬の前に差し出し、リサに代わってゆっくりと頭を撫で始める。


「なんでかなー、今日はやけに落ち着かない馬が多いんだよねー」

「何か怖い夢でも見たのかしら。でももう大丈夫よ〜」


 子供をあやすように優しく、ただ優しく撫でるその姿は正しく母親のそれとよく似ていてる。この姿を見る度に、改めてユーリアが年長者なのだと再認識させられる。


「重役出勤なんて、いいご身分じゃないですか」


 またしても背後から声がかかる。今度は水色の髪の青年が怪しく眼鏡を光らせ、馬を引きながら近付いてくる。


「マコト……」

「ロラン達は巡回に出たというのに、アナタは馬の世話ですか。全く──」

「何でそんな言い方しか出来ないんですか、マコトは……」


 マコトの言葉を遮るように言葉を重ねてきたのはリエラだった。マコトの後ろからこちらに歩いてくる。


「もう身体は平気ですか? ロランも無理はしなくていいって言ってましたから、今日くらいは──」

「いや、もう大丈夫だから午後は俺も働くよ」

「そうですか。なら、みんなでお昼にしましょう」


 そう言いながら踵を返し、出入口へと向かう。マコト達もそれに続いていく。


「あ、リエラ」


 リエラは立ち止まり振り返る。


「なんです? タクマ」

「あー、えっと……おはよう、リエラ」


 リエラは驚いたように目を見開き、小さく笑いながら口を開いた。


「おはようございます。といっても、もうお昼ですけどね」

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