第十一話 託すべき背中


「大丈夫だ、ギャレット。俺一人でいい」


 そう言い放ち、ロランは剣を構える。剣先を上に向け、身体に寄り添わせるように両手で持ったその構えは、聡明な者の証。防御に徹し、最小の手数で敵を打ち倒す反攻の刃。ロランが最も得意とする剣術。


 ──賢者の型ヴァンガード──


 オークは誰も動かない。いや、一歩たりとも動けないのだ。まるで彼の周りを囲むように見えない壁でもあるかのように。


「タクマ? 聞こえてる? 矢の傷は大したことないわ。ちょっと顔貸しなさい」


 ヴァニラが俺の顔を半ば強引に引き寄せて首筋に指をあてがう。


「あの……背中…痛いんですけど」


 強引にこちらの姿勢を変えられたせいで、背中の矢が内側で動き、肉を少しばかり抉る。その小さな動きだけでも身体に伝わる痛みは、俺の顔を歪ませるには十分過ぎるほどだった。これの何処が大したことないのか、詳しく説明してもらいたいものだ。


「……うん。やっぱり何か塗られてたわねこの矢。タクマ、しっかり歯を食い縛っときなさいよ!」


 そんな俺の表情による訴えにはお構い無しに顔から手を離すと、今度は首根っこを強引に掴まれた。


「せーのっ!──」

「っ!?──」


 その合図とほぼ同時に背中に刺さった矢が、俺の身体から解き放たれる。


 一瞬、意識がどこかへ逝ってしまった気がする。苦しかった息が楽になり、塞き止められていた血の流れが再開する。そんな感覚が全身をくまなく駆け回っている。


「傷は塞いだわ。一応、毒の方も対処はしたけど、最後は貴方次第だからもう少しだけ頑張って」

「あ、はい。ありがとうございます」


 知らない間に傷の治療も終わっていた。身体の方も最初の時よりも動かせるようになってきている。毒も大したものではなかったようだ。


 光魔法の治癒は外傷には強いが、毒といったような内部に関わるものには弱く、魔法使用者の素養に大きく影響される。


「あの……ロランは……」

「大丈夫だ。心配しなくても負けはしないさ」


 そう答えたギャレットは剣のみを持っている。盾も鎧も着ていない。見ればロランも剣だけを持ったまま、未だ三匹のオークに囲まれたままだった。

 ロランはもちろん、オーク達も動く気配はない。ロランの揺れることなく天へと向けられている剣が月光を受け止め輝きを放つ。


 それを合図にしたかのように、背後を陣取っていたオークが膠着状態を破りロランに飛び掛り、曲刀シミターを振り下ろす。

 ロランは待っていたかのように振り向く。剣を水平に構えて襲いかかる曲刀を待ち受ける。

 刃が交差する瞬間、ロランの剣の切先が傾きオークの攻撃が剣の上を滑べらせるようにいなされる。

 その後、ロランは素早くオークの背後を取り横に一閃。背中を斬りつける。

 痛みに苦悶しつつも、オークが振り向きながら曲刀を横に薙ぎ反撃する。ロランはそれを下から鋭く打ち払い、曲刀を夜空へと舞い上がらせると同時にオークの体勢も乱れさせた。


「はぁ!──」


 ロランは一歩強く踏み込み、掲げた剣を振り下ろす。その剣閃は、右肩から斜めにオークの緑皮を命ごと両断する。


 これを好機と読んだのか、ロランはすぐさま弩を持っていたオークに狙いを定めて突進する。その勢いのまま左下から斬り上げようと距離を詰める。それを受け止めようとオークも剣を構える。

 しかし、それを見たロランは瞬時に体勢を変えた。斬撃から刺突へ、勢いを殺すことなくオークの胸元目掛けて矢の如く剣を撃ち放つ。

 完全に虚をつかれたオークは、身動き一つ取れずにロランの剣で胸を貫かれた。


 あっという間に、二体のオークが倒された。数で優位に立っていたオークも、後は曲刀シャムシールを構えている一体を残すのみとなっていた。曲刀を両手で強く握り直し、オークはロランに向き直る。

 ロランも剣を構える。いつでも走り出せるように腰を落とし、くの字に曲げた腕に剣を乗せ切先をオークに突きつける。


 ──王の型ウォーデン──


 かつて世界を救った建国王が使っていたという対人剣技。その身体その魂の全てを込めて敵を滅する、絶対攻勢の武の極点。


 両者の距離はおおよそ三メートルほど、仕掛ければすぐにでも刃が届く。一呼吸おいて、ロランが攻撃を仕掛ける。一気に間合いを詰め、オークの顔面目掛けて鋭い刺突を繰り出した。

 この攻撃だけでも勝負が決まってしまうかと思ったが、しっかりと準備していたオークは体勢を低くしそれを躱して、ロランの無防備な胴体に向けて曲刀を振りぬこうとした。

 だがこの刺突は本来、牽制目的で放たれる攻撃だ。避けられる事は最初から想定されている。

 ロランは前のめりになりつつあったオークの腕を、右脚で蹴りつけ妨害する。同時に一旦距離を取り、尻餅をついていたオークに再び仕掛けた。

 立ち上がろうとするオークに、ロランは容赦なく四方から剣閃を浴びせる。オークは避ける、防御する行動を余儀なくされ、体勢を整える暇がない。ロランがそれを許さない。


 一方的な展開の中、オークが防御よりも体勢を整えることを優先して、ロランの剣を背中に受けながら後退する。ロランもそれを追撃する。

 振り返りながら応戦しようとしたオークだが対応に一歩出遅れ、下から振り上げられたロランの剣に曲刀を弾き飛ばされた。


 一閃。ロランの剣がオークの首を捉えた。オークは力なく膝をつき、ゆっくりとその身体を地に横たえ動かなくなる。


「凄い……」


 その言葉しか出てこなかった。あっという間に、一太刀も攻撃を浴びることなく倒してしまった。完勝と言って差し支えない。


 ロランがゆっくりと近付いてくる。下級とはいえ三体のオークを相手にして息一つ切らしていない。圧倒的な強さを見せつけられた気がする。そんな彼が俺に、俺達に世界を託すなんて──


「無事だな? タクマ」


 ロランが膝を付き視線を合わせてくる。そこにはいつものロランがいた。見張り台で見せた真剣な表情ではなく、いつもの優しい眼差しのロランがそこに居た。

 その表情を見た途端に、見張り台での自分を思い出した。あの時の自分は、我が儘を言う子供のように思えてきて急に恥ずかしくなってしまった。


「ロラン……その、俺──」


 謝ろうとした。だがその言葉はロランが俺の肩に優しく手を置いて遮った。


「今はいい。それよりもこのオークだ。どういう経緯かは知らないが、よく見つけたな。大手柄だ」


 その言葉で、自分がある事を忘れている事に気がついた。俺が見つけたのはではない。あのはこんなに大きくなかった。


「ロラン違うんだ! まだ別のヤツが──」


 今度は、硝子が割れる音に言葉を遮られた。それは後ろにあった伯爵邸の方向から聞こえてきた。

 振り返ると、屋敷の二階にある小さな窓が破壊されていた。あの場所は確か書庫だったはず。その窓から視線を下に移すと、小さな影がこちらを見ていた。

 小さな体躯に細い手脚、長く尖った耳と鼻、力は弱いがずる賢い下級魔族"ゴブリン"がこちらの状況を観察していた。その懐には何やら本を抱えている。

 睨み合いが続くかと思ったが、ゴブリンは弾かれるようにその場を飛び退いた。


 ──雷槍ハルバ・ラード──


 ゴブリンが飛び退いた直後、頭上より雷が複数落ちてくる。破られた窓からヒザマルが身を乗り出して放った雷魔法だ。

 しかし、印なしの攻撃では的を絞ることが出来ない。既に回避していたゴブリンには一発も当たることなく、ゴブリンは闇の中へと消えていった。




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