第九話 月下の刺客


 独り、談話室に置かれたお気に入りの椅子に腰掛ける。特に豪華な意匠の施されたものではないが、一度腰を下ろせば全身を包み込むかの様な柔らかさがその日の疲れを癒してくれる。その感触を味わって以来、何か物思いにふける時は決まってこの椅子に腰掛けることが習慣となってしまった。今日はより深く体を沈みこませる。


 談話室は静寂そのものだった。外の音も遮断され、聞こえるのは自分の静かな吐息のみ。そのお陰で、あの時の彼の表情を鮮明に思い出すことが出来る。

 最初は驚いたような、それでいてどこか熱の篭った瞳だった。だが次第にその熱が消えていき、私を見てはいなかった。自分の誠意は示していたつもりだったが、どうにも言葉が違ったのかもしれない。


「俺も……人のことは言えないな」


 私を育ててくれたあの人が、言葉足らずだったからなのだろうか。この歳になっても、どうにも人に何かを伝えることには慣れない。剣を取り戦う道ばかり歩んできた末路とでも言うのだろうか。


 独りため息をこぼしていると、談話室の扉が静かに開け放たれる。先客に気がついたその者はこちらに近寄りながら声をかけてきた。


「何か悩み事ですかな? 様?」


 その冗談めいた口調と共に、色白で細身な背筋の曲がり気味な年配の男性が視界に入り、目の前の椅子に腰掛ける。この屋敷の元主、老君ダント・ベルレ侯。モント伯爵の父にあたる御方だ。未だ君主としてもやっていけそうな年齢ではあるが、早くして家督を息子に譲り、今では半ば隠居のような、時には相談役としてこの家に住んでいる。


「よしてくださいよ、ダント侯。俺、いや私はに過ぎません」

「ほっほっほ。そうでありましたな。忘れられよ。して、その元騎士である御方はいったい何にお悩みかな? この老いぼれに何か出来ることはありませぬかな?」

「ダント侯」


 老君はゆっくりと口角を上げ、その顔にシワをつくる。幾度となくその笑顔で、この街の民達を導いてきたのが、そのシワの深さから読み取れる。


「今は亡き貴方の父君、先代剣聖には、本当によくして頂きました。ですのでその恩を、せめて貴方に返したいと思う老いぼれの我が儘を、どうか聞いてはもらえませぬか」


 笑顔を崩すことなくそう告げる彼の言葉に誘われるように、私の口は悩みの種を吐き出していく。


「ふむ。つまりは、貴方の後継という事ですかな?」

「いえ、そこまで大それたことでは……いえ、結果的にはそうなるやも知れませんが」


 こちらの心配など知らぬように、目の前の老人は笑う。


「心配には及びませぬよ。ロラン殿」

「と、いいますと?」

「子というのは、いつも間にやら逞しく育っていくものです。今はまだ貴方の言葉が届くことはなくとも、いつか必ずその時は訪れましょう」

「いつかって……」


 正直、いつまた大侵攻が始まるかなんて分からない。出来るなら早いほうがいい。王都にいるアイツにも、もう話は通してある。アイツなら彼等を託してもきっと上手く育ててくれはずだ。


「今はただ、示せば良いのです」


 老人はゆっくりと口を開けた。


「ただ、貴方の意志を、その背中で示せば良いのです。子は親の背中を見て育つもの。貴方の背中を見て何も思わぬ者など、この国には居りますまいて」

「そういうものでしょうか……」

「年長者の言葉は素直に聞いておくものですぞ?」


 そう言ってあからさまに老人めいた笑い方をする。言葉でダメなら背中で語れと、そんなもので本当に良いのだろうかと、どうにも不安になってしまう。


「ん? なにやら外が騒がしくありませんかな?」


 そう言われて耳を澄ませる。確かに外から夜中にはふさわしくない雑音が聞こえてくる。


 静かに窓に近寄り外を確認する。月が隠れていてよく分からないが、屋敷の敷地の外側で剣を持った男が三つの影に囲まれているのが確認できた。


 そのままじっと状況を見つめる。やがて月が顔を出し、ゆっくりと四つの影を照らし出す。


「なっ!?──」


 確認するや否や、談話室から飛び出した。どういう経緯であんなことになっているのかは分からないが、背中に矢を受けたタクマが、三体のオークに囲まれていた。


(タクマ──)




 ✱✱✱




 伯爵邸はさほど離れてはおらず、歩いて数分といった距離だ。しかし随分と慌てて走ってきたために辿り着いた時には息が随分と上がっていた。


「さっきの影は……」


 肩を上下させながら周囲を探す。しかし月明かりが雲に遮られ、周囲が闇に包まれる。こうなってしまっては、さっきの影を探すことは困難だ。

 それでも必死に視線を巡らせて、暗闇の中を探し続けていた時だった。背後より何か鋭いものが空を斬る音がしたのと同時に、左肩に激痛と衝撃が走った。


「っ!?──」


 かなりの衝撃と痛みにより呼吸が遮られ、思わずその場に膝をついてしまう。背骨と肩甲骨の間辺りだろう。視線を送るだけでは何が起きたのか確認出来ないが想像はつく。この痛み方からすると、恐らく矢が刺さっている。おまけに結構深い。


「っ──はっ──」


 ようやく息ができるようになったのと同時に、矢を撃たれたであろう方角から、何かが近付いてくる気配があった。痛みに耐えながらそちらに視線を送る。

 そこにいたのは、三体の黒い影だ。近づくにつれて徐々にその姿が明らかになってくる。


 人間と同じような体躯で緑色の肌を晒している。その顔は醜く歪み、不揃いな歯と鋭い犬歯を剥き出しにし、真っ黒な瞳をギラつかせた異形の下級魔族"オーク"がそこに居た。


(魔族!?──)


 見るのは初めてだったが、聞きしに勝る醜悪さだった。魔族の大部分を占めていると言われているのがこのオークとゴブリンだ。こんな奴らが押し寄せてきたとあれば、村一ついとも容易く滅び去るだろう。そう思わせるほどの異様な姿だった。


 三体のオークは依然としてゆっくりとこちらに近付いてくる。手負いの猿などいつでも殺せるとでも言うような余裕を見せつけられているようだった。周囲を警戒しつつこちらを取り囲もうと立ち回っている。

 こちらもそれだけは回避しようと体を動かそうとするが、そこで異変に気が付いた。


(っ!? 身体が──)


 いくら痛みがあるとはいえ脚をやられた訳ではない。必死に身体を動かそうとするも、思う様に動かすことができない。


(もしかして……毒矢か!?)


 その結論に達していた時には、既に辺りを囲まれていた。正面に立ったオークの手にはクロスボウが握られていた。どうやらこれで撃たれたらしい。その弩を他のオークに投げ渡して、背中に帯びていた大きな曲刀シャムシールに持ち替えて、処刑と言わんばかりに俺の首にあてがう。

 しかし一息に首を飛ばそうとはしなかった。俺が恐怖に怯える様を見ようとしているのか、俺の顔を覗き込もうとしていた。黒く淀んだ双眸と視線が交差する。その瞬間オークの表情が変わる。俺が怯えてなどいないことに気がついたのだろう。一瞬にして興味をなくし、俺の首を飛ばそうと曲刀を振り上げた。

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