第八話 月夜の葛藤


 その日の夜。俺は月の光に照らされながら、一人剣を振るっていた。

 身体は疲れているはずなのに、頭の中の整理が追い付かず眠れなかったのだ。もう何も考えられる余裕がなくなるまで剣を振るうつもりで、夜風に身を晒しながらひたすらに実剣で空を斬り裂く。

 だがそれでも、あの時の言葉が脳裏に焼き付いて離れない。


 ──王都で騎士になる気はないか?──


「はぁ!──」


 その言葉を薙ぎ払うかのように、一際鋭く横薙ぎに剣を振り抜く。絶え間なく剣を振るっていたせいで息も随分と上がっていた。だがその努力も虚しく、彼の言葉は薄れる気配がまるで無い。


「……。どうして王都なんだよ……」


 口をついて出てきた言葉には、少しばかりの苛立ちの色が含まれているのが自分でも分かった。

 俺は剣を振るのをやめ、身体の力をゆっくりと抜きながら、夜空に浮かんだ月を眺めながらあの時の事を思い出そうとした。




 ✱✱✱




「タクマ、王都で騎士になる気はないか?」


 ロランの眼差しは真剣そのものだった。だが、それが逆に俺の心をざわつかせた。それに気が付いていないロランは言葉を続ける。


「ここ数年で、魔族による周辺地域の被害は拡大の一途を辿っている。いずれまた、あの時のような大侵攻があるのではないかと王国は懸念しているんだ。そうなればより強く、多くの力が必要になってくる」


 その話はモント伯爵からも聞いたことがある。魔族が北から溢れてきているのではないかと。だからこうして、この街の周辺でも被害が多くなってきている。いずれ大きな侵攻が始まるのかもしれない。モント伯爵も対策を考えているらしいが、未だ形にならないらしい。


「王国は今、を求めている。いつか訪れるであろう災厄に立ち向かう為に。民と国を守る為に、勇気ある同士を集めようとしているんだ。そのために今王国では──」


 力という単語が、ロランの口からはみ出してきた当たりから途端に、彼の言葉は途中から頭に入らなくなってきていた。話が大きすぎた訳では無い。ただ単に気に入らなかったのだ。多分この先聞かされる言葉は、あまり聞きたくないと思ってしまったからだ。俺たちを助けてくれた恩人でもある彼からは尚更だ。


「だからこそ、お前達の力は必ず必要になる。お前達は特別だ。剣の腕も上達してきた。このまま上達していけば"中位騎士"ハイナイトに匹敵する。しかもお前達は、魔法が使える。これは王都の誰にも真似できない。お前達だけの武器だ。必ず戦力になる」


 やはり思っていた通りだった。どうにも裏切られた様な気分になってしまった。今まで親切にしてくれていたのは、俺達に特別ながあったからだろう。


 ──"魔導石"まどうせき──


 この世界で人間が魔法を使う時に必ず必要になる希少鉱石だ。だがこの魔導石は、魔導書とは違い持っているだけでは魔法は使えない。ある二つの条件が必要になってくる。


 一つ。魔法を扱う素養のあるものでなければ、魔導石を持っていたとしても、魔法を扱う事はできない。

 一つ。魔法の素養があるものは、己が身に宿るを知らなければならない。その上でその色に適した魔導石を使わなければ、魔法は行使できない。


 前者は簡単だ。魔法を使える才能と言えばいい。ロランやギャレットが魔法を扱えないのは、単純にその素養が無いためだ。二人がどれだけ訓練し学んだとしても、魔法を扱うことはできない。

 後者は、一言で言えば"属性"に当たる。火、水、風、土、雷、光、闇、この七属性のうちどれか一つが己が身に宿るという事になる。

 ちなみに数にも偏りがあり、火>水>風>土>雷>光>闇、の順番になっている。ヒザマルはピットと同じ雷属性、そしてヴァニラは光、カナデと同じく治癒を得意としている。と言っても、絶対数が少ないので、魔法が使える騎士自体が既に優秀のような風潮にあるらしい。

 そしてこの色は魔導石にも存在する。自身の扱える属性に対応した魔導石を持って始めて魔法が使えるのだ。なので、ヒザマルがいかに魔法に関する知識が深く、雷以外の魔法のことまで知っていたとしても、彼が炎を操ることは絶対にできない。


 そんな限定的な条件でなければ発動できない魔法を、俺達は魔導石無しで行使できる。一件それだけのように思えるかもしれないが、"魔導石"そのものが希少なために、素養あるものに全てが行き渡るわけではない。特に雷や光は、人の数も少なければ魔導石の数もまた例外なく少ない。その逆に、炎や水といった比較的多い属性を扱う者達はより素養の強い者に魔導石が分配される。そんな過酷な条件を無条件で通過することができる俺達は、王都でも必ずや必要とされることだろうと、ロランはそう言っている。

 だが、俺が一番気にしていたことはそこではなかった。


「王都ならここよりも魔法について学ぶことができるし、剣技をより磨くことが──」

「ロランは?」


 ロランの言葉を遮るように、俺の口が動いていた。本当は最後まで聞くつもりでいたが、どうにも耐えられなかった。


「ロランは行かないの? 王都……一緒じゃないのか?」


 ロランの視線とぶつけるように、まっすぐ向き直る。その真剣な眼差しには一遍の曇りもなかった。


「ああ。俺は一緒には行けない」


 ロランは真っ直ぐな視線を揺らがせることなく短く言い放つ。その辛辣とも取れる言い方に少しばかり腹を立ててしまった俺は、ロランに食ってかかるように、声を挙げた。


「なんでだよ! ココじゃダメなのか? まだロランから一本しか取ってないし、ギャレットさんやジャビスさんにも及ばない。魔法だって、今でも十分なくらいだ。伯爵の書庫からまだ魔導書が見つかるかもしれないし、それに──」

「タクマ──」


 ロランの静かな言葉で我に返る。俺を見つめるその瞳は、真剣さをおびたものからいつものような暖かいものへと変わっていった。そして鮮やかな緋色が徐々に、蒼く染まっていく空を見上げながら、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「ここの空はな。俺の故郷に似ているんだ。まぁ、空なんてどこから見ても似たようなもんなんだが。この街の空気はな、似てるんだよ……だから護りたいと思ったんだ。あの時護れなかった故郷の様にしたくないんだ。この街も、この世界も……」

「なら俺も──」

「違うんだよ」


 そう言ってロランはもう一度俺に向き直る。今度は暖かい視線そのままに俺を見つめる。


「最初に託したいって言ったろ? 俺がお前に託したいのはこの街じゃない。この世界の方なんだ。それに──」


 ロランは一呼吸おいて、静かに言い放った。


「お前達は、来たんだろ?」




 ✱✱✱




 汗ばんだ頬を冷たい夜風が撫でていく。それと同時に、熱くなった頭も冷静さを取り戻していく。ゆっくりと息を吸い込み、内側に残っていた淀んだ思いと共に吐き出す。


 結局、俺は何も言えなかった。


 確かに俺達は世界救済を託されて、この世界に呼ばれたはずだ。だがそれはロラン達にも話していない。助けられた時に、リエラ達と話し合い、俺達の素性に関してはなるべく隠し、誤魔化してきた。今思えば最初から無理があったと思わなくもない。だがそれでもロランは、この街の人たちは迎え入れてくれた。『困った時はお互い様』だと言って居場所を用意してくれた。だがそれも、最初から仕組まれていたのだとしたらどうだろう。


 最初にロランに助けられたあの丘で、ロランはカナデの魔法を見ている。恐らくあの時からこうすることを決めていたのだとしたら? この街の住民総出で、俺達を王国に忠実な兵士に仕立てあげようなんてことを考えていたのだとしたらどうだろう。このご時世に、素性もろくに分からず得体の知れない人間相手にここまで優しくする理由としては十分なのではないだろうか。とても考えたくはないが、どうにも嫌な方向にしか考えが及ばなくなっている。これは良くない。


「タクマ?」


 背後から声がかけられた。凛とした耳に心地よい声音を受けて振り返ると、そこにはその声音にふさわしい凛とした佇まいのリエラの姿があった。


「眠れないんですか?」

「ああ、ちょっとね。リエラも?」

「ええ、ちょっと夜風に当たりたくて」


 夜風がリエラの艶のある青い髪を揺らしながら吹き抜ける。その髪を抑える仕草一つをとっても自然と目が吸い寄せられて思わず見蕩れてしまう。街の男達が言いよるのも無理はない。


「あの、タクマ? もし嫌でなければ……少しだけお話、しません?」


 リエラは軽く自分の髪を手櫛でとかしながら、何故か落ち着かないといった面持ちで俺に話しかけた。


「ん? ああ、それはもちろん構わないけど」

「良かった。なら立ち話もなんですし、あそこ、座りませんか?」


 そう言いながら指さした先には、 リアド大河の支流から誘導して街の中まで通した水路の傍に置かれた長椅子があった。

 リエラは一度だけこちらに視線を送り、一足先にその椅子へと向かい腰掛けた。


「ほら、タクマも早く」


 そう言いながら、自分の横に座れと椅子を軽く叩く。それに従うようにリエラの横に腰掛けた。


「「……」」


 なにか話があったのではないかと思ったのだが、二人の間には沈黙が訪れていた。風が木々を揺らす音と流れる水の音が二人の沈黙をより一層意識させる。


「あの……」


 沈黙に痺れを切らしたのか、リエラがようやく口を開くも、なにやら口ごもっている。いつも歯切れよくものを申すリエラにはらしくない光景だ。


「何か、悩みがあるなら私達にもちゃんと言って下さいね?」

「え……」

「あ、いえ、その……今日はなんだか元気がなかったというか、難しい顔をしていたのが気になってしまって……それで夜も眠れず……」


 どんどん声が小さくなっていき最後の方はよく聞こえなかった。それでも心配をさせてしまったということだけは理解できた。


「その、私が言うのもおかしな話かもしれませんが、一人で悩まないで下さいね? その、何だかんだで皆、貴方を頼りにしています。もちろん……私も」

「そうだね。リエラみたいに寝込むのは俺もちょっと嫌かな」

「うっ……その説は大変ご迷惑をお掛けしました……」


 今度は声だけでなく身体まで小さく、縮こまってしまう。少し意地悪が過ぎただろうか。

 この街に来てすぐの頃、リエラは高熱で倒れ寝込んでしまったことがある。リエラ自身が一人で色々と抱え込んでしまった事による過労や精神的な負担が原因だった。だからリエラは、俺がそうならないように気にかけてくれたのだろう。


「ありがとう。リエラ」


 リエラに感謝を込めて、精一杯の笑みを返す。それを受けたリエラも上品な笑顔で返礼してくれた。

 確かに今俺が抱えているものは、俺一人の問題ではない。同じく救済を託された俺達全員の問題でもある。なので俺はリエラに、見張り台でロランに言われた王都の一件と最後のあの言葉と、俺の懸念を包み隠さずリエラに話した。


「そう……なんですね。ロランがそんな事を」

「うん。どういう意図で話したのかは分からないけど。結局、俺達に選ぶ権利なんて初めから無かったんじゃないかって考えちゃってさ……」


 アイツ声の主は世界を救うかどうかは自分で選べと言っていたが、結局のところ何か大きな流れの中で泳がされているだけなのではないか、結果的には世界を救ってしまうのではないかと……。俺達には最初から、選択肢なんて存在しなかったのではないのか。そう思えてならない。


「私は、無くてもいいと思います」

「え?」


 リエラから帰ってきたのは、俺の思っていたものとは違うものだった。彼女なら、流されるままの生き方は好まないと勝手に思っていた。リエラは夜空の星を見つめながら言葉紡ぎ始める。


「もちろん彼、もしくは彼女声の主ですけれど、あの声の思うがままという訳ではありませんよ? 結局、最後にたどり着く場所が決まっているのであれば、それまでは私たちの好きなようにしていてもいいと思うんです。寄り道だってしてもいいと思いませんか?」

「え、まぁそれはそうかもしれないけど、それってつまり……」


 リエラは瞬く星から俺に視線を移し苦笑しながら答える。


「はい。屁理屈ですよ。タクマの大好きな屁理屈です」

「いや、俺だって好きってわけじゃないけど……。リエラは?」

「昔は嫌いでしたよ……でも今は、そこまで嫌いじゃなくなりました。たとえ屁理屈でも、無意味ではありませんから──」


 そしてリエラは静かに立ち上がり、俺に向き直り、優しく微笑みを向ける。


「ですから、タクマのやりたいようにしていいと思います。ロランの気持ちも大事にしたいですけれど、決めるのは私達ですから」

「うん。確かにその通りだよな」

「ちなみに、もしタクマが王都に行くなら私も一緒に行きますから、安心して下さい」


 リエラは上品な微笑みそのままに俺に告げる。腕を後ろで組みながら、顔を覗き込むようなその姿勢は、彼女の女性特有の曲線美を艶めかしく際立たせ、俺の鼓動を不自然に速めてしまう。


「っ!? う、うん。その時はよろしく──ん?」


 目のやり場困り視線をさ迷わせていると、建物の屋根の上に不自然な影を発見してしまう。その影は隠れるようにしながら、軒を連ねる住宅の屋根の上を滑るように渡っていき、屋根の向こうへと消えていった。


(なんだ、今のは? 猫なんかじゃない──)


「? タクマ?」


 途端に険しい顔をした俺を目にして不思議に思ったのだろう。リエラも少し不安げな様子だった。


「もう随分遅いから、リエラは寝た方がいいよ! おやすみリエラ。話聞いてくれてありがとう!」

「え、ちょっと! タクマは!?」

「少し走ってくる!──」


 そう言いながらも既に歩を速めている俺の手には剣が握られたままだった。あの影はどうにも嫌な感じがしてならなかった。どうにも胸がざわついて仕方がなかった。


(それに……や、考えすぎかもしれないけど……あいつの消えた先には──)


 先ほどの影を探しながら、ある場所へと向かう。ロラン達が宿として住んでいるモント伯爵邸へと。


(ロラン──)


 速まる鼓動に合わせるように、走る速度も増していく。


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