第七話 護りたいもの


「凄い──」


 思わず声に出してしまう程の景色が目の前に広がっていた。


 今いる場所は、リアドの街を囲む外壁の北側その上に作られた見張り台だ。沈んでいく夕陽に照らされたリアド大河とその周囲にある田畑の豊かな緑が光に照らされて、一際輝きを放っている。


「綺麗だろ? ここで暮らしている人達の努力と自然が重なり合って、世界が一つになっているんだって、この景色を見る度に感じるんだ」

「うん。なんかわかる気がするよ、それ」


 思わず見蕩れてしまうほどの美しい景色だが、横にいるロランの瞳はさらに遠くを見ているようだった。何かを懐かしんでいると同時に、哀愁を漂わせるかのような表情を浮かべている。


「ロラン?」

「俺は北の生まれなんだ。ここよりも王都から遠い、正しく辺境と呼べるような一面雪と山だらけのド田舎だ」


 唐突に語り出したロランは、遥か遠く北の方角を指さした。


「いや、正確にはと言う方が正しいな」

「だった?……」


 ロランは指を下ろし、塀にもたれるように両肘を置き視線は北を向いたままゆっくりと口を開く。


「今はもう無いんだよ……。滅ぼされたんだ……魔族に」


 ロランは両手を強く握りしめながら、言葉を続ける。夕陽を浴びたその横顔は眩しそうに目を細めている。


「もう三十年近く前の話だ。突如として押し寄せてきた魔族の軍勢に一夜にして飲み込まれたんだ。王国も目を光らせていたが、あまりの辺境のために出兵しても間に合わなかった。魔族は退けることは出来たが、俺の村は跡形もなくなった。俺はその村唯一の生き残りとして、奇跡的にも生き延びた。辛うじて、ではあったけどな」


 ロランは体を反転させて塀に腰掛けて天井を見上げた。その瞳に映っているのは、天井板の木目や、松明の煤の跡でもない。もっと別のものだろう。


「そこで俺は王国騎士団に助けられた。瀕死の状態だった俺を助けたのは、当時の騎士団でも偉い人でな、随分と世話をしてくれたんだ」

「それでロランは、その人へ恩を返すために騎士になったの?」


 自分のことはあまり話さないロランがまさか昔話をするなんて思ってもみなかった。その事がなんだが珍しくて、ついつい口を挟んでしまったが、この問いに対して返ってきた答えは予想とは別のものだった。


「恩? ああ、今ならそう考えられる程に歳はとったがな、当時の俺はまだ十歳にもなっていない、おまけに家族と家族同然だった村人みんなを殺されたんだ。そんなふうに考えられる余裕なんてこれっぽっちも無かったよ。そんな俺に向かってその人はこう言ったんだ」


 ロランは自分の掌に視線を落として、当時の感覚を思い出すかのように握りしめた。


「『働かざる者食うべからず』ってな。笑っちまうよな。母親の愛情も、父親の背中も、友との思い出も、一夜にして失った子供にかける言葉じゃない」


 ロランは苦笑しながら、話が重たくならないように、身振り手振りでおどけるような仕草をする。


「それでロランは結局どうしたの?」

「そりゃもちろん働いたさ。何もしてなくても腹は減るんだ。こればっかりはどうしようもない。もっとも、仕事といっても力仕事や給仕のそれじゃなくてな。剣の修行や読み書きを習ってばかりだった」

「それって……」

「あぁ。どれも普通のの仕事だった。まぁ剣術は例外だったが、それもあの家では普通の事だった」


 そして再度、景色に目を向ける。夕陽はさらに傾き、大地は徐々に輝きを失いつつあった。


「俺はひたすら剣術と勉学を繰り返した。そして十五の時だ。騎士団に入隊できる最小年齢になった時に、その人に聞いたんだよ。なんであの時あんな事言ったのかって。そしたらさ、いきなり城壁の上まで連れてかれて今みたいに夕焼けを見せられて、こう言ってきたんだ。『約束したからな』って」


 その約束は、ロランの母親とのものだったらしい。ロランを庇い、死ぬ間際だった彼女の元に偶然居合わせた彼は、幼かったロランを託されたのだと言う。


「その時に気が付いたんだ。あの人が俺に言ったあの言葉、母さんがよく俺を叱る時に言ってた言葉だったって、その時に分かったんだ。俺は、母さんの意志に生かされていたんだって、この人は、母さんの意思を受け継いでくれていたんだって」


『働かざる者食うべからず』


 この言葉はよく覚えている。ロランが俺たちを自警団に招き入れる時にも口にした言葉だ。

 ロランは変わらず、遠く北の方角を見つめている。


「その時に俺は決意したんだ。今度は俺がこの人の意志を受け継ぐ番だって。そしたらな、その人が俺に向き直って言ってきたんだよ」


 そう言い終わると、ロランも俺に向き直った。今まで遠くを見つめていたその瞳が、逸らされることなく間近にいる俺を見据える。


「俺の護りたいものを、お前に託したい」


 その言葉が、ロランのものなのか、それともの言葉かは聞くまでもなかった。きっと同じ言葉を俺自身に向けて言ってきている。そう確信していた。ロランの言葉は続く。


「タクマ、王都で騎士になる気はないか?」

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