第四話 守る為に【後編】


「さぁ、ピット。俺達も仕事に戻ろう」


 そう言って立ち上がる。今いる場所へ石材を運ぶ作業は終了している。さっきの村人に次の作業の指示を仰ごうと探した。しかし先に見つけたのは彼の姿ではなかった。柵の外側、森へと続く方角の林の中から何かが現れる姿を──


 その姿は一見"熊"のような姿だった。大きさはそれほどでも無さそうだ。遠目からでも小さいと感じる。何より一番特徴的なのは、身体中を覆う長いモジャモジャとした白い体毛。あの立ち姿が熊のそれでなければ、なんの生物か分からなかっただろう。獣であればこの時期にあれほど長い体毛は抜け落ちるなりしているはずだ。ということは、ただの獣ということではないのだろう。魔獣として扱って然るべきだ。


「ピット。弓は何処にある?」

「え、リサのいる羊小屋の所に置いてきたけど、なん……分かった。取ってくる──」


 視線を熊から外さすピットに問いかけた。ピットも俺の視線の先の魔獣に気がついたのだろう。言葉を途中でやめてすぐさま柵を飛び越えて行く。いつもは面倒くさがりな彼だが、状況を把握して自分にできる最善手をすぐ選択できるのは彼の長所だ。おかげで指示を出す手間が省けた。


 すぐさま大地を蹴る。魔獣の視線の先にはあの若い村人がいる。まだ少し距離があるため彼はまだ気づいていない。しかし獲物として見られているだろう。その視線に割込み、剣に手をかけて出方を伺う。


「ん? どうした兄ちゃん? 仕事ならもう俺だけでも──」

「今からゆっくり柵の中へ……魔獣が来てる」


 魔獣と言われて驚いたのか、慌てるような物音が後ろから聞こえてきた。それと同時に魔獣の歩みが徐々に速くなる。村人を逃さないつもりなのか、狙いを俺に変えたのかは分からないが、どっちにしろ俺のやることは変わらない。

 一息に抜剣して、左手を魔獣に向ける。相手がどんな魔獣か分からない。接近戦はまだ危険かもしれない。距離もあるので炎で牽制して様子を見るのが最善だろう。魔法耐性のある魔獣なんてそうそういるはずもない。


 魔獣が本格的に走り出し距離を詰めてくる。俺は左手に意識を集中させる。イメージするのは焔の魔弾ファイア・ボール。牽制するにはもってこいの魔法だ。


 ──焔のファイア───


 魔法を唱えようとしていた時だった。急に背中に悪寒が走った。あの丘で初めてウィンガルに向けられた視線と同じものだ。獲物を狩る捕食者の視線。殺気とも呼べる冷たい感覚。


 ──死の予感──


 その視線を探す暇もなく変化が起きた。目の前で俺の左腕が歪み、激痛とともに血が溢れ出る。


「なっ──」


 何が起きたのか理解できなかった。いきなりの激痛とともに左手の自由を奪われた。左右に揺さぶられる。その度に激痛が全身を走る。まるで何者かがこの左手をとするかのようだった。

 こちらも必死に抵抗する。身体を左手に寄り添わせるように近づけて、揺さぶられる痛みを軽減させる。それでも左手を万力のように締め付ける強力な力は弱まることはなく、逆に力を強めてきた。状況はさらに悪化する。

 視界の隅に影が現れた。こっちに走り出していた魔獣が数メートル先まで接近していた。その視線が重なる。獲物を狩る捕食者の視線。目の前のにくに注ぐ熱視線。既に食うことしか頭にないらしい。流石に獣だ。人間舐めるなよ。


(この……まま、やられるかよ!)


 左手と身体はそのままに、右手に掴んだ剣を離してそのまま左手に食らいついているであろうに向ける。


 ──爆裂魔弾インパクト・フレア!──


 左手付近で赤黒い球体が発生してそのまま爆発した。衝撃と爆煙が拡がり、左手の自由が戻ってきた。その瞬間を逃すことなく、身体ごと後方に身を投げ出した。その直後にさっきまでいた場所へ真横から魔獣が襲いかかっていく所を視界に捉えた。

 間一髪で煙の中から脱出して、左手に視線を送りながら距離を開ける。軽装の革製手甲を付けていたが、この上から食いつかれ赤黒く変色していた。手甲なしだったらと思うと肝が冷える。おまけに爆発が至近距離すぎて主に左手、その他数カ所自身にもダメージを負ってしまったが、危機的状況は回避できた。


「リサ! 煙が邪魔、退かせて!」

「分かった!」


 ──烈風砲撃ゲイル・バズーカ!──


 ピットの要望に答えるために、リサが魔法を放つ。少し上に向けて砲弾を放ち、その風激で煙だけ吹き飛ばした。黒煙が晴れ、敵の姿が晒される。

 二頭の熊のような魔獣がこちらを睨む。一頭は先ほど正面にいたヤツだ。その横には顔に出来たばかりのやけど傷を負った巨大な熊型魔獣がいた。コイツも白く長い体毛で身体が覆われている。大きさはとにかくデカイ。隣にいる熊と比較すると一回り、いやそれ以上の体格差であることがすぐに分かる。

 あのやけど傷を見るに、噛み付いていたのは巨大熊なのだろう。いったいどうやって姿を隠していたのか分からないが、目を離すことだけはしない方が懸命だろう。


 暫くの間沈黙のまま睨み合いが続いたが、それを破ったのは巨大熊に刺さった一本の矢だった。


 ──閃光の弾丸ライトニング・ブリッド!──


 左手に弓を持ったピットが、その左手の人差し指を放った矢に向かって真っ直ぐに伸ばす。そして号令と共に一筋の閃光が一直線に巨大熊の胴体右側に刺さった矢へ向かい直撃する。その直後に巨大熊の巨体に紫電が走り、その膝を折らせた。


「当たった! タクマ! 今のうちに──」


 膝を折っていた巨大熊だが、すぐに持ち直してしまった。ピットの魔法も直撃したが、恐らく有効打にならなかったのだろう。無詠唱なら尚更だ。


 ピットの操る魔法の属性は『雷』だ。七つある属性のうち最も攻撃力の高い属性だが、その反面制御が非常に困難で、狙った場所に当てようとするなら何かの印が必要になってくる。その印として、雷を操る魔導師ウィザードは主に弓矢を扱うものが多い。ピットもその例に習い弓を扱うようになったが、まだその弓の練度も低い。その上、詠唱したがらないので魔法の威力も大幅に落ちてしまう。今回は的が大きく、矢自体は当たりはしたものの、その巨体のために無詠唱魔法では効果が薄かったようだ。しかしそれでもやつの気を引くには十分だったらしい。


 その眼光が柵のすぐそばにいたピットを睨みつけ、ゆっくりと動きだした。柵の向こう側にいるピット目掛けて突進するつもりのようだ。


「ピット! ちょっと離れてろ!」


 すかさず右手を柵の方向に伸ばす。補強はしたがあくまでロックウルフの為のもの、あの巨体で体当りされれば容易く突破されるだろう。それに、あんな怪物を村に入れるわけにはいかない。もう一つ、奴を阻む壁がいる。


 ──焔龍咆哮ドラゴン・フレア──


 右手の先から唸るような炎の波が呼び出され、柵と巨大熊の間に炎の壁を形成した。


 突如として現れた炎壁に動揺しているのが分かる。やはり炎は怖いらしい。小さい方も少しばかり後退したのが見れた。それを確認して即座に小さい方へと突撃した。距離を詰めながら右手の狙いをこちらの動きに反応した巨大熊へと向け、爆裂魔弾を足元に放ち、爆煙で牽制しすかさず小さい方にも動きを封じるために魔弾で牽制する。目的は一つ。さっき手放した武器の回収だ。残念なことに俺の武器は、両刃の両手剣ロングソードだ。流石にこの手では満足に扱うことは出来ないが、ないよりはマシだ。


 剣を拾いそのまま走り抜けようとしたが、横から小さい方が現れ噛み付こうとしてくる。すかさず応戦する。拾った剣を片手で振り払い、かろうじて剣先が当たる。それに怖じけたのか勢いがなくなる。その間に離れようとしたが、別方向から巨体が押し寄せてくる。

 その勢いに今度は自分が気圧され、すぐさま回避行動に移り難を逃れるが、状況は依然として劣勢だ。炎の壁を背にして剣を構えてはみるが、片手では流石に重い。


「タクマ!──」


 その声と同時に、炎の壁を乗り越えてギャレットが姿を現した。すぐさま盾を構えて抜剣し王の型ウォーデンの姿勢をとる。上下に長く伸びた特注品らしい騎士の盾カイトシールドの上を滑らせるように剣を乗せ剣先を巨大熊に向ける。


「無事……ではないが、生きてはいるな。まだ動けるか?」

「はい。 剣は振れませんが、魔法で援護は可能です」

「よし。なら小さいのは任せるぞ。なんとかして見せろ」

「はい!」


 自分に気合を入れるために力強く返事をすると、ギャレットは小さく笑った。


「な、なんです?」

「いいや。自慢の剣技、披露し損ねたなタクマ。代わりといってはなんだが……よく見ていろ。コレ王の型にはこういう使い方もある──」


 言い終わると同時に、巨大熊へと突進していく。それに応えるかのように巨大熊もギャレットに向かって走り始める。両者がぶつかる寸前でギャレットは足を止め盾で受け止める姿勢をとった。その盾目掛けて巨大熊が頭から体当りし、ギャレットごと吹き飛ばそうとするが、少し後ろに押し戻されるに留まった。依然として体格差はあるが、ギャレットは上手く力を否して受けきり、拮抗状態に持ち込んだ。


「力押しだけでは、私には勝てんぞ? はあ!──」


 盾に込めた力はそのままに、右手の剣で相手の左前脚に傷を負わせる。それにより均衡が崩れ、ギャレットが盾ごと前に出る。腰を落とし、盾を相手の首筋に添わせるようにして入り込ませると一気に押し上げて、巨体を傾ける。そして無防備になった胴体、心臓があるとされる箇所めがけて勢いよく剣を突き立てそのまま横倒しにしてしまった。以降、その巨体は一寸たりとも動くことは無かった。


「凄い……」


 ギャレットの戦い方を見るのは初めてだった。あの少ない手数で巨大熊を屠ったその動きは、ロランと同じく王の型を使っているのに、体捌きから全てが別物なようだった。


「何をほうけている! 小さいのが逃げるぞ!」


 ギャレットの声で我に返る。見れば小さい方は逃走していた。走っても追いつけはしないだろう。


「アレはインビジブルベアだ。世にも奇妙な姿を消すことの出来る珍しい魔獣だ。できればここで倒したい。できるな?」


 そう言いながら俺の近くまで来ていたギャレットはもう剣を収めている。本当に俺に任せるらしい。もっとも、ギャレットは魔法を使えない。遠距離攻撃はできないのだ。


「分かりました」


 そう答えながら右手を手刀の形にして、逃げゆく魔獣に狙いを定める。


 ──炎よ、敵を穿つ劫火の魔弾よ、その身に螺旋を纏い、万象貫く豪弾と成せ──魔焔甲弾フレイム・マグナム!──


 周りに帯びていた赤い粒子が手刀の先に収束していき一つの魔弾を形成する。さらにその魔弾は徐々に回転が加えられ、さらに小さくなり鋭さを増して魔獣に向かって放たれた。

 放たれた魔弾は凄まじい速度で魔獣を追い、その身体を穿つらぬいた。魔弾はその先の地面に刺さり爆発を起こし、魔獣は静かにその身を横たえた。


「見事だ──」


 遠くで倒れた魔獣が動かないことを確認してから俺に向き直った。


「魔法に関してはよく分からんが、いつ見ても凄いものだな。これもヒザマルから教わったのか?」

「えっと……これは魔導書にあったものをミラーから……でも基礎や簡単な魔法は全てヒザマルさんから教わりました。あの人なんで自分の属性以外の魔法も知ってるんですか?」

「ああ。アイツは物好きな魔導師でな。魔法そのものが好きなんだそうだ」


 仲間の話をする彼は笑みを浮かべていた。その表情はとてもロランに似ている。ロランも仲間の話をする時は同じような表情をしていたと思う。長い付き合いだからだろうか、仕草まで似てきてしまうのだろう。だがそれよりも、俺には気になっていたことが一つあった。


「あの、ギャレットさんの剣術……あれも王の型ウォーデンなんですか?」

「ん? ああ、そうだ。私は盾を使ってはいるが、あれもロランの使う王の型と同じだ」


 ギャレットは自分の剣を抜き、自分の顔の前に構える。


「確かに王の型は攻撃に重きを置いた剣技だ。倒される前に倒せ、攻撃こそ最大の防御と言わんばかりのな。だがなタクマ。これだけは覚えておけ。は"騎士"だ。守る為にこの剣を使う」

「守る……為に」

「民草を守れ、友を守れ、そして己の身を守れ。王国騎士団の心構えみたいなものだ」


 彼は剣を鞘に収めてさらに言葉を続ける。


「一人でこの二匹を相手にして、民草と友を守ろうとしたのかもしれんが、もしお前がここで敗れていたら、せっかく守った民草と友は、今度は誰が守るというのだ? ここにお前しか戦えるものが居なかったとしても、お前が死ねば、誰も守れなくなるんだ」


 力なく下を向いてしまう。言いたいことは分かった。しかしあれ以上はどうしようもない。そう思っての行動だった。どこか間違えているのかと考えていると、ギャレットがその疑問に答えてくれた。


「この炎は、村への侵入をさせない為にしたんだろうが、ここがあまり良くないな。自ら戦況を劣勢にしてしまっている。これでは仲間の援護も期待できない。柵は作り直せるが、お前はそういうわけにはいかない」

「ですけど……」

「友を守れか?──だがな、仲間は頼れ。私達は独りで戦っているわけではないんだ。それを忘れるなよ?」

「はい……っ──」


 思い出したように左手の傷が痛み出した。最初に見た時よりも黒くなっていた。心なしか身体も重い気がする。


「!? すまん。手当が先だったな。待っていろ。ピットはすぐに医者を連れてきてくれ! リサは魔法で、この炎の壁を何とかできないか?」

「わ、分かりましたー!」

「え!? これを? で、できるかなぁ……まぁやってみるけどさー」


 ギャレットの指示を受けて、ピットは村に戻り、リサは烈風砲撃で炎の壁を少しずつ剥がしていった。


 俺は傷の応急処置を済ませすぐさま街まで帰還し、カナデに治療してもらった。今回のような重症は初めてではなかったが、血だらけの腕を見るカナデの悲痛そうな表情は、やはり見たくないと思った。村人や仲間を守る為に、まずは自分を守る力を身につけなければならないと、それを改めて決意した。


 今回の被害は【シシ村】だけだったらしく、他の村は特に問題はなかったらしい。【シシ村】はさらに警備を厳とすることとなった。インビジブルベアが現れた事によってしばらくはどの村も忙しくなるだろう。とりわけ蜂蜜の管理は厳重にするようにと、モント伯爵の名で各村に命令が下されたそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る