第一話 リアドの街


「ん〜、ちょっと休憩」


 椅子に座ったまま伸びをして一息入れる。身体がかなり強ばっていたからかなり長い間本を読みふけっていたのだろう。窓からオレンジ色の光が射し込んでいる。


 書庫の窓際に設けられた小さな机と一対の椅子、読書をする為にここの主が用意したものだ。この書庫の主も読書が趣味で、暇があればここで本を読んでいるのだという。


「それにしても……」


 見渡す限り本だらけだ。書庫なのだから当たり前だが、ぎっしりと様々な本が敷き詰められた身の丈以上に大きな本棚が部屋中に置かれている。図書館と呼んでも差し支えない程の蔵書だ。本当に本が好きなのだろう。


 部屋中に広がる古ぼけた羊皮紙の匂いを嗅ぐと心が落ち着いていく。しかし、私の身体は新鮮な外の空気を欲していた。


「ミラー、窓開けてもいいかな?」

「……うん」

「ありがと──」


 小さな窓を目一杯に開け放つ。夕陽とともにまだ微かに涼しい風が私をすり抜けて、茶色いくせっ毛の少女【ミラー】の髪を優しくを揺らした。ミラーはお構い無しとでも言うように椅子の上でその小さな身体を器用に丸めて、両手で本を持ち膝を抱えるような姿勢で読書に没頭している。そのすぐ側にある机の隅には既に読み終わったものなのか、数冊の本が積まれていた。


「ミラーって、本当に本が好きだよね」

「……うん」


 昼食後に私と一緒にこの書庫で本を読んでいるが、いつも間にこんなに読んだのだろうか。私も本は好きだが、ミラーはいつも本を持ち歩いている。私も読書は好きな部類に入るが、彼女は私以上に読書好きだ。


 私は再び窓枠に手をかけ、外の空気を浴びながら緋色に染まっていく景色を眺める。


【エーデル・グリーン】

 朝日とともに起きて月とともに眠る日常、馬を引いて田畑を耕し糧を得る緑と生命に満ちた大地、そして魔法の存在するこの世界に足を踏み入れて四ヶ月と少しが経過した。


 最初に目覚めたあの真っ白な部屋で、姿なき声に『世界を救ってほしい』と言われその声に導かれるままこの世界へと来た私達だったが、この四ヶ月はそれどころでは無かった。


「……カナデも」

「え?」


 ミラーが顔を上げて、窓際の私に顔を向けた。


「カナデも……好き」

「えっ!?」


 珍しく話しかけてきたと思えば、思わぬ告白で面食らってしまった。夕陽のせいかどうか分からないがミラーの頬も僅かに朱に染め瞳を揺らめかせながら見つめてくる。私まで赤くなりそうだ。


「……本、読むの」

「あ、あぁ読書ね! 元々、本は好きだったから、この世界の文字が読めるようになって本当によかった……」

「そう……」


 そう言って彼女は手元の本に視線を戻す。彼女はあまり喋る方ではない。かといって会話自体が嫌いという訳では無いらしい。こうして時々話しかけてきてくれる。


 私達はこの四ヶ月、この世界に適応するので精一杯だったのだ。


 まず、文字が読めなかった。お互いの会話、そしてこの世界の住人達との会話は問題なく成立する。だがこの世界の文字だけは読むことが出来なかった。


 そして、衣食住の違い。最初にこの世界に招かれたのは私とミラーも含めて十二人。だが、この世界に足を踏み入れて早々に魔獣に襲われ一人が行方不明となってしまい、現在は十一人、その皆がそれぞれ異なる世界、様々な時代から呼ばれたのだと姿なき声は言っていた。そして皆、元いた世界との差異に苦戦を強いられていた。


 そんな苦難を乗り越えながら、私達は今此処に居る。


「今は何読んでるの?」


 椅子に座りなおしてミラーに声をかける。


 最初は、彼女の読書の邪魔をしてしまうと思い声をかけずにいたが、本の話題だと食いついてきてくれるというのを知って以来少しずつ、彼女との会話を試みている。


「……これ」


 読書の姿勢のまま腕を挙げて、私に表紙を見せてくる。


「えーと、女神の涙? どんな話なの?」

「童話……みたいに書いてある……でも」

「でも?──」


 続きを聞こうとしたが、書庫の扉がゆっくりと音を立てた。


「おや? 邪魔をしてしまったかな?」


 色白で細身、特徴ある口髭を生やした三十半ば程の容姿をした男性が現れ、こちらに近づいてくる。穏やかな口調と気品のある物腰。彼がこの書庫、ひいてはこの屋敷、このリアド街と近辺の集落を統治する領主、モント・ベルレ伯爵その人だ。


「い、いえそんな……私こそ入り浸ってしまって……」

「……すみません」

「いいえ、構いませんとも。長らく私以外に読者がいませんでしたから、この本達も喜んでくれているはずです、どうぞ気の済むまで居ていただいて構いませんよ」


 そう言って優しく微笑む。その親しみあふれるその笑顔は、この人が貴族だということを忘れてしまいそうになる。


 彼の治めるこのリアドの街は、大陸北西部に位置している大きな街だ。街全体を城壁に囲まれ、近くを大きな河【リアド大河】が流れてその支流から水路を作り、街の中のいたるところまで巡らせている。冬季になるととても寒いが、豊かな土壌と豊富な水のおかげで、様々な農業が盛んに行われており、その農作物を目当てに各地から商隊が頻繁に出入りしている。


「でも凄いですね、この本の量はとてもじゃないけれど全部は読めそうにもないです」

「私も全てを読んでいる訳では無いのですよ。この街を興した祖先の代から少しずつ増えていったものなのです。この前のように魔導書があるくらいですからね……」


 そう言って苦笑いをする。確かにこの間、ミラーが魔導書を持ってきた時には驚いていた。魔導書は、誰でも簡単に魔法が使えてしまうらしく、とても危険なものらしいので王国が一括管理しているのだそうだ。


「ですがこうしてこんなにも本が集まり、そして読書に勤しめるもの、領民達のお陰だと思うと頭が上がりませんね」


 そう言いながら伯爵は窓に近寄り、窓枠に手を置き、遠くを見るように目を細めた。


「だからこそ、皆の期待に応えていかなければ……」


 こんな辺境でこんなにも大きな街になったのは、土地や水源のお陰だけではない。この街を代々治めてきたベルレ一族が積極的に開拓に協力した結果でもある。この街の人達は皆逞しく、笑顔に溢れている。


 この四ヶ月で、この街の人達がモント伯爵をとても尊敬している事がよく分かった。モント伯爵家あってこその、このリアドの街なのだろう。


「あ、やっぱりここにいたのね〜」


 伸びやかな声が響いてきた。その声の方向には、片方のサイドで水色の髪を纏めた女の人が扉から顔を覗かせている。彼女は【ユーリア】私達と一緒にこの世界に来た人のひとり。


「皆が帰ってきたわよ〜。お夕飯の準備もできてるから、ちょっと早いけどみんなで食べましょう」


 今日はたしか、森でウィンガルの群れを討伐しに行くと言っていたが、どうやら無事に終わったみたいだ。誰か重傷者がいるなら、ユーリアがこんなにも穏やかでいるはずがないし、私を真っ先に皆で探しに来るはずだ。


「そうだわ! モントさんもご一緒にいかがですか?」

「これは嬉しいお誘いだ。ご相伴に預かると致しましょう」

「さぁ、カナデちゃんとミラーちゃんも早く行きましょ」


 談笑しながらモント伯爵とユーリアが部屋を後にする。


「私たちも行こう、ミラー」

「うん」


 二人も書庫を後にし、二人のあとを追いかける。


 私達も、この世界の人達と何気無く日々を送っているが、私達はこの世界に来る前の世界でその命を散らしている。そう、私達は──


 ──一度死んでいる──


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