花は怒りに震える
次の日、森野は図書館を訪れていた。
朝方、寮のポストに『貸し出し中の本が至急必要になりました。申し訳ありませんが返却してください』と手紙が入っていた。
森野は覚えも無かったため、レテルに確認すると、明後日まで借りていた本が一冊あるという。
期限はあと二日あるはずだが、大学の研究者も利用する図書館である。レテルも読み終わっているとのことなので、返却しに図書館まで出向くことに成った。
現在レテルは、窓口で本を返却している。一緒に行動を共にしたかったが、「たまには自分の時間も作ってください!!」と半ば強引に追い払われ、森野は当ても無く館内をぶらついていた。
この学園の図書館と言うのは、アムテリアの誇る国内最大の図書館である。学園特区と呼ばれるこの区域において、アムテリア学園内に所在してはいるが、他の研究機関や学び舎の所属の人も利用する。しかしこの図書館、どうにも広大かつ整理が行きとどいていない為、本以外の物品から旧文明の遺産まで、あり得ない物がポロポロ出てくることが多いという。
それでも、最近は少しばかり整理が行きとどいてきたようではあるのだが……。
「……暇ね」
森野としては特に目的も無い。そもそも、落ち着いて本を読むと言った性格でもないのだ。
それでも一応、自分に必要と思われる情報を求めてさまよった。
今自分に必要なのは、自分に合った仙機術の戦闘技術。森野は、そう考えていた。
そもそも、仙機術に触れたのが数年前。アムテリア学園の学生には、入学してから初めて仙機術を学ぶものも多いが、それでも昔から関わっていた人物も多い。森野は精々入学前に少しかじった程度、幼少のころから関わっていた生徒と比べればその差は歴然である。
まあ、別にそう言う人物と競い合いたいわけではない。しかしこのままではレテルを守るにも力不足なのは否めないのだ。
今森野が使う戦闘技法は、短縮術式による弾丸の連射である。「撃て」と唱えるだけで、小威力の弾丸を発射することができるのだ。短い間隔で、相手を追いつめる戦いができる。
だが、やはりこれだけでは中途半端。短縮術式を唱えるために、他の術式を唱えるのに余計な時間がかかったりする。もっと効率のよい術式の構成が必要なのだ。
と、偉そうなことを考えているが、森野は本に頼る気はそこまでなかった。あくまで、自分の感覚や直感を頼りに戦闘技法を組み立てるつもりである。
なので、結局はやはり森野がこの場に居ることに大きな意味はなかった。
「……やっぱり、こっそりレッテちゃんの近くに居ようか」
自分の時間と言われても、今の自分にはレテルを守ることしか考えられない。森野としては、それの何が悪いとも解らなかった。
「別に悪い事じゃないわよね。仕方ないじゃない、他に用も無いんだから」
誰に言い訳をしたわけでもないが、そんな言葉が口から洩れた。
森野はため息をつきながら、その場を後にしようとする。
「あ、やっぱりそう思う?」
不意に、声が響いた。
森野は振り向く。しかし、そこに人はいない。
きょろきょろと周囲を見回す。すると、再度声が聞こえた。
「だよねー。クルスならそう言うと思ったよ」
本棚の向こう側、そちらから声が聞こえる。
若い、と言うよりは幼い女の子の声。一人の声しか聞こえないという事は、通信機か何かで話でもしているのだろうか?
森野としては図書館内で堂々と通信機を使うのはどうかと思ったが、周囲には人はいない。森野もそこまで厳格にルールを守る考えの持ち主ではない為、特に気にも留めなかった。
と、そこで一つの事に気づく。
(……クルス。……はて、どこかで聞いたような)
彼女は首をかしげる。最近聞いた名前のような気がするのだ。別に珍しい名前と言うわけでもないが、彼女の交友関係にそういう名前の人物はいない。そもそも友人なんてレテルくらいしかいないのだが。
森野が頭をひねらせていると、少女のこんな話が聞こえた。
「でもアレだよねぇ。今度戦う相手がよくも解りもしないのに、『所詮遊び半分で学園に来ている人物。どうせ仙機術も大した実力じゃないだろうし、護衛と言うのも中途半端なのだろう』とか、結構なことを平気で言うよね、クルスも」
ピクリと、森野の動きが止まる。
(………言うじゃない、随分に)
思い出した。レテルが昨日教えてくれた、模擬戦の相手である。
そして、森野は会話の内容もつかんだ。どうやら、森野の事を話しているらしい。
(どんな奴かは知らないけど、碌な考えじゃないわね)
「え? 今から町のカフェテリア? 良いけど、なんていう店? OK、『フェルーグ』ね」
不意に、声の主がそんな話をした。
(……この後、落ち合うのか)
フェルーグ。森野も何度かレテルと利用した事があるカフェテリアである。繁華街にありオープンスペースもある、使いやすい店だ。
「うん、わかった。今から行くのね!!」
ピッと電子音が聞こえた。どうやら会話は終了したらしい。
そのまま、パタパタと足音が遠ざかっていく。
再び訪れる静寂。
森野は、無言で空を見つめた。思わぬところで自分の相手の情報が流れてきたものだ。特に興味も関心も無かったのだが……。
(……聞いた感じ、割とクソ野郎か、クソ真面目ちゃん?)
今のところ、相手がとどういうキャラかは解らないが、どうやら少々舐められているようである。
そのこと自体には、さほど気にはしていないのだが。
(バカか真面目かは、気になるわね)
本当に、本当に小さなものであったが、森野の心に芽生えてしまった。
興味という感情が……。
「森野ちゃーん、ごめんなさーい」
不意に、通路の向こう側からレテルがパタパタとこちらに向かってきた。
「少し手間取っちゃいました。なんか、係の人が返却の件を聞いていなかったみたいで……」
「ふうん。まあ無事返せたなら良いんじゃない?」
「じゃ、この後どうしましょうか? せっかくですし、町にでもよりましょうか?」
レテルが提案してくる。確かに、このまま寮に帰るのも、少し味気ないような気がする。
そう、ついでに町に寄るのも、別に不自然ではない。そんな風に彼女は考える
「そうね、お茶でもしていきましょうか」
そう、別に『フェルーグ』の席が空いていたら、そこに入ったって何の問題も無いはずなのだ。
「マスター、急いで指定の席を空けといてー」
「――――――――――!!」
「ごねないのー。ごねると、昨日本屋で買った本のことを奥さんにばらすのねー」
「―ッ!?」
「はいはいー、素直にねー。じゃあお願いなのね」
~図書室廊下、通信機使用にて~
フェルーグは学生の中では人気のあるカフェテリアであった。
駅から離れているも、アムテリア学園を含めるいくつかの学園や寮から近く、席も多い。なによりもコーヒー一杯の値段が学生でも安く感じる程度であるため、朝から夕方まで常に席は8割が埋まっている。
しかし、その日はいつにもまして混み合っていた。森野とレテルも、ギリギリあいている席を見つけて座れたが、入店をあきらめて帰っていく客もちらほら見えた。
森野とレテルは、ダージリンティを飲みながら、とりとめのない話をした。
話をしながらも、森野は周囲を観察する。
さまざまな客……と言うよりは、やはり学生だらけである。
女性が若干多い気もするが、男性もそこそこだ。例の相手がどの人物なのか、そもそもこの場に本当に居るのかなど、解るはずもなかった。
レテルに気付かれないように、森野はため息をついた。
全く何をやっているのか。こんなくだらないことに意識して、振り回されるなんて自分らしくない。
気を取り直した方が良いかもしれない。
「……レッテちゃん、この後の予定は?」
とりあえず、森野はレテルに今日の予定を尋ねる。
レテルは、感上げるそぶりを見せながら答える。
「ええとですね。そろそろ、予習を始めないといけないかなぁって思うんです。わたしって、早めに始めないとすぐ追いつけなくなっちゃいますから………」
「……そっか。確かに、遊んでばかりはいられないものね」
レテルもまた、優秀な生徒とは言えない。何せ容量の悪いところがあり、何かを達成するのに人の数倍時間を要する節がある。
予習をこなし、授業を受け、さらに復習する。そこまでやっても、平平凡凡な成績しか残せない。
まあ、平平凡凡な成績を確実に収めるだけ、直感や勘で何事もこなす森野よりは、だいぶ優秀と言えなくもないであろうが……。
しかし、森野も多少は反省している。確かに直感や勘がうまくハマれば、森野は試験でも悪い成績にはならないが、先日の試験が悪かったのはそれが見事に外れてしまったのが原因なのだ。
いつまでも、そんな不確かなものに頼っているわけにもいかないのだろう。予習など森野はすごぶる苦手ではあるのだが、同じ過ちを犯さない工夫も必要だ。
「……帰って、勉強しよっか」
「うん!」
森野の呟きに、レテルは嬉しそうにうなずいた。
「じゃ、わたしちょっとお手洗いに行ってきますね」
すっとレテルが席を立つ。
「あ、そう。行ってらっしゃい。じゃあ、先に私が支払い澄ませておくわね」
「後で金額教えてくださいね」
「解ったわ」
レテルはパタパタと、テーブルとテーブルの間を進んでいった。
「さてと、いくらかしら?」
森野は伝票を見る。まあ、値段は高が知れていた。この予算なら、ここは私が奢っちゃおうか、そんな事を考えながら、席を立とうとする。
「で、クルスは今度の模擬戦、どう考えているの?」
そんな声が、森野の背後から聞こえた。
ピタリと、しかし出来る限り自然を装って、森野は再度イスに着席した。
さらに自然を装って、懐から小さな手鏡を取り出す。
そして、そっと自分の背後を映した。
そこには、一人の幼い容姿の黒髪の少女と、自分と同じくらいの世代と思われる少年が対面で座っていた。
少女の表情はよく見てとれる。コロコロと表情の変わる、可愛らしい少女だ。帽子をかぶり、良く見ると白衣のような服を着ている。幼い容姿だが、もしかしたら何かの研究者かもしれない。
少年の方は表情がよく見えない。と言うよりも、背中合わせで座っている為、見えるわけがない。黒いジャケットを羽織り、ズボンも地味な色合いだ。ある種、軍人がよく身につける服装に近い。というか、どうやら学園の支給品で身を固めているようであるが……。
(……まさか、………クルス?)
森野は背後の会話に意識を集中する。
「相手は成績も下位者なんでしょ? 主席候補としては、思うところもあるんじゃないの?」
「………」
「去年までは、それなりに成績優秀者どうしで組まれていたのにね、適応者が居ないとか迷惑な話だよね」
「………」
「期待はずれだよねー。もうちょっとマシな選び方もあっただろうにねー」
「………」
少女が一方的に話し、少年は無言でそれを聞き流しているようである。
同意もせず、否定もせず。ただじっと席に座り、話を聞いているようだ。
(………寡黙。………もしくは、この手の下世話な話は元より興味がないか)
どちらにせよ、そうだとしたら森野としても印象は悪くない。
周囲に流されず、かといって過剰に反応せず。ただただ、静かに物事を見据える。なかなか出来ることではない。
(と言う事は、わたしとの戦いを騒いでいるのは、彼の周囲の人間のみってことかな?)
先ほどの電話も、例えばうわさが独り歩きしたとか、そんな感じでねつ造されたものではないのだろうか?
だとしたら、森野としてもこれ以上この話に興味はわかない。当事者同士が、我関せずと構えれば、当日の模擬戦もつつがなく終わるだろう。こちらが加減をすれば、相手もその空気を読み取ってくれるはずである。面倒なことにはならない。
森野は苦笑する。全く自分は、本当に何をこんなに意識しているのか。何をこんな無駄なことに、時間を費やしているのか。
帰ろう。そうすれば、彼と出会うのは当日だろう。そして、その後は大した関係も築かず、関わりも無く生きていくことに成る。
袖がすりあうだけの関係、それ以上にはきっとなる事はない。
森野はスッと席を立とうとする。今度はしっかりと立ち上がった。あとは、レジに向かって代金を払うだけである。
「……次の戦いか」
ぽつりと、男性の声が聞こえた。
「まあ、楽勝だな」
妙に、人を馬鹿にしたような声色。
今度こそ、本当に不自然にピタリと、森野は身体を止めた。
その森野の奇妙な動きは、きっと誰もが違和感を感じる程度のものだっただろう。幸いにもこのカフェでは、その雑踏さが誰の気も森野に向かわせなかった。
そう、だれも、森野の表情に気付かない。
故に、少年は発言を続けた。
「なんでも、卑しい戦災孤児の出らしいではないか。どこの生まれかわからんが、程度から察するに高が知れた民族の出だろう? 由緒正しい出の俺が、負けるわけ無いであろう?」
冷めた。森野は、本当に冷めた表情をしていた。
(ただの……うぬぼれだったか)
いったいどの程度の実力を持っているかは知らないが、発言からしてロクな思考の持ち主でない事はうかがえる。
ただのバカなら、なお良い。
適当にあしらって終わりに出来るだろう。
このような人物は、例え実力があったところで、油断と慢心ですぐに落ちる。
(花を持たせる必要はないか。当日は、とっとと叩きのめして終わりにしよう)
今度こそ本当に、森野は興味を失った。
人と人との合間を縫って、レジに向かう。
速く会計を済ませないと、レテルが戻ってきてしまう。
「しかもお笑いなのが、似たような境遇の良く解らん奴を守って、ナイトを気取っている所であるな」
そんなセリフが、森野の耳に入ってきた。
だが、森野は反応しない。平静を装って、レジで会計を済ませる。
レジと彼らの座る席はそれなりに離れている。その斜線上には、他の客も多い。
「まあ、ムシケラがゴミを守るというのは、ずいぶんとまあお似合いじゃないか」
だから声が鮮明に聞こえるはずはないのに、不思議と森野の耳には届く。届いてしまう。
お金を払って、店の扉を開け、外に出る。
「くっくっくっくっくっく………」
出る瞬間も、あの声は聞こえてきた。
キィッ……パタンと、扉が閉まる。
グシャリ!
瞬間、森野の足元の石畳が変形した。
仙気である。森野の仙気が、彼女の感情に呼応して発せられ、その衝撃で石畳が拉げたのだ。
「……全部、聞いたわよ」
腹の底から、どす黒い感情をあふれさせながら、森野はつぶやいた。
全部、奴の話していた言葉は、一字一句もれなくこの耳で聞いた。いつもの何十倍の集中力と意識で、あの雑踏の中奴の言葉を聞き拾ってやった。
「私のことをとやかく言うのは、別に良い」
それはただの戯言だ。何をどう言ったってそれが真実でなければ、真実になる事はないのだ。
彼女自身が気にしていないければ、そんな言葉は無意味なのだ。気に病む事はない。
だが………。
「レッテちゃんを侮辱したわね……」
それだけは、許せない。梨本森野は許さない。
自分と違ってレテルは心やさしいし、他人の悪意にも敏感だ。きっと悪口一つに対してもすごく気にすると思うし、傷ついてしまう。
そんな彼女を知らないで、好き勝手に言いたい事を言う者は放置できない。許す訳にはいかない。
だからこそ、森野はレテルをガードする。
森野はレテルのために戦う。
彼女を傷つける全ての敵に、刃を向ける。
だからこそ、森野は戦わなくてはならなくなった。
「最低のクズだってことは解ったわ。……良いわよ、その自惚れごとぶっ潰してやるわ」
そのつぶやきは、結局のところ誰の耳にも届きはしなかった。
「くぅおらああああああああああああああああ!! ユゥゥゥゥゥゥゥゥナァァァァァァァァァ!!」
「あ、クルス。おはよう♪」
「おはようじゃねえ!! なんだ、その不気味なマネキンは!?」
「よく出来ているでしょ? 『1/1スケールクルス君』」
「誰に許可取ってんなもん作ったんだ!?」
「いやぁ、エミィに相談したら、喜んでクルスのスリーサイズデータを教えてくれたよ?」
「なんでエミリアがんなこと知ってるんだ!?」
「私には解りかねるのね。それより、この音声機能どう思うのね?」
『ピーガー………ゴミめ!! ムシケラめ!! 俺にかなうと本当に思っているのか!? っくっくっくっく』
「クルスにそっくりな声だと思わない?」
「似てるが僕はそんな事絶対言わねえええええええええええええええええええええ!!」
「いやぁ、なんかお怒りモードみたいだし、私はここらで退散するのねー」
「くぉら!! 待てユーナ!! 逃さねええええええええええええええええええええええ!!」
~カフェテリア『フェルーグ』にて~
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