第9話 幼馴染の名

 シキへ久しぶりに父であるレンからの連絡があった。詳しい内容は機密事項なので話せないそうだが、どうやらレンは現在対天使用の兵器開発に携わっているらしい。

 本当は、魂をエネルギーに変換する技術を確立することを研究していたんだがな……とは父の弁である。レンとしては本来は兵器開発などしたくはなかったらしいが、とはいえ魂の研究を実用レベルまで進めていた研究施設は少ない。レンはその数少ない研究所の一員であったため、天使の降臨に伴って兵器開発へ研究をシフトせざるを得なかったらしい。

 実際、天使に対してなんら対抗策がないままでは、研究どころか人類の存続自体が危ういのだからそれについては仕方がないことではあるだろう。

 シキとしては、むしろ重大な機密事項に抵触しそうなことを自分に話していいのか気になって聞いてみたら、どうやら近日中に対天使用の兵器開発に関する進捗状況などを発表する予定があるらしい。

 大衆に天使への対抗策が実用化されつつあることをアピールすることで、大衆がパニックを起こすことを避けるプロパガンダの意図もあるのだろう。だから、まあ対天使用の兵器開発がある程度軌道に乗りつつある、といった程度の情報は流出したところでなんの問題にもならないらしい。

 政府としても、むしろ対天使用の兵器開発が進んでいることは積極的にアピールしておきたい事柄であろうから、確かにそれ自体は多少誰かに話したところで重大な問題にはなるまい。具体的な兵器の形状や性能などの話であれば、当然問題になるのだろうが。

「そんなことより、いつ家に帰ってくるの?」

「いや、だからこの研究が終わるまでは帰りたくても帰れないんだよ」

 父はそのようなことを口にした。つまるところ、彼としては自身の研究内容を口に出したのは、自身の研究内容を自慢したいだとかそういったことではなく、単に娘に対して家に帰らず父親らしいことが何も出来ていないことを弁明したかった、ということらしい。

「……確かに、重要な研究だものね……分かった。父さんも身体に気をつけてね」

「……すまんな……」

 シキはそれについて、父としてなすべきことをなしていない、といった糾弾をすることはしなかった。若干寂しい気持ちはあったが、シキは父親が今世界の命運にすら関わる研究に従事している、ということが分からないほど子供ではなかったし、それに実のところ父に頻繁に家に帰られると、それはそれで困る自分自身の都合もあったからだ。

 なにせ、今は魔人機エリゴールのパイロットとして、度々天使との戦いを行っている。父の話から類推するに、まだこの世界の人類は天使に対し、決定的といえる有効な策を有してはいないらしい。

 なにせ、対天使用の兵器がようやく実用化されようとしている段階だからだ。それがどの程度の物なのかはまだ不明ではあるが、天使に対して使用されたことが全くない兵器である。おそらくは、効果の程度の差こそあれ天使に対して本格的な対抗手段とするには、運用データを元にした改良が必要になるだろう。大抵の研究は、そうして理論上と現実の誤差をなくしていくものだからだ。

 であるなら、少なくともまだ当分はシキがエリゴールのパイロットとして各地で戦う必要がある。それなのに父が家にいる頻度が増えれば、天使が出現しているというのに外出をすることを、不審に思われかねない。そうでなくても、外出すること自体を止められてしまうこともありえる。

 だからシキは、父が家に帰ってこないことを糾弾するようなことはしなかった。



 むしろ気になったのは、この世界の人類が天使の特性について解析が進み、それに対抗する手段を獲得しようとしていることだ。これが意味することは……

「多分、今度から天使は更に強力になると思うわ」

「そうだろうね」

 エリーのその言葉を、シキも肯定した。今までの天使は、あくまでこの世界の人類の技術力に合わせた戦闘力で現れていた。だから、シキは被害を出来るだけ被害を少なくするべく、真正面からの突撃による迅速な排除を優先してきた。

 だが、この世界の人類が天使へ脅威を与えられるようになれば、自然と天使もその脅威度を上げて対抗しようとする。だからといって、天使に対抗するための技術開発を止めろと言うわけにはいかない。

 言ったところでそれを聞いてくれる保証もなければ、エリゴールだけで天使を排除しつづけるのは難しい。実際、何度か天使が別々の場所に現れることもあった。ほぼおなじ地点に現れてくれたのなら、エリゴールで迅速に対処も可能だろうが、流石に別の場所に現れた天使を一瞬で排除することは出来ない。現状の技術力を維持しようと、結局被害が出てしまうことに変わりはない。

「そろそろ、突撃一辺倒じゃ通用しなくなるんじゃないかしら」

 変化があるとすれば、エリゴールにとっても脅威となる天使が出現するようになるかもしれないことだ。

「そのときはそのとき……かな……」

 戦うことを選んだときから、いつか自分にも危険が生じることは覚悟していた。それに、脅威度が高い天使が出現すると同時に出現する個体数は減少する傾向にある。

 エリゴールで対処して被害を抑えるという観点でいうなら、むしろ脅威度が低い個体が複数で別々の場所に出現する方がよほど大変なのも事実だ。

「他の人への被害が少なく出来そうだ、と前向きに考えることにするよ」

「……シキにとっては、それが前向きな考えなんだよね」

 エリーは呆れた表情と声音でそれに答えた。ただ、その裏に隠された感情を最近はある程度察することが出来るようになってきた、とシキは思う。エリーは、あれだけシキにパイロットになるようこだわっていたわりには、シキが危険な目に合うことを極端に嫌っている。

 彼女にとって重要なことはシキの安全だったのではないか? エリゴールという人型機動兵器に搭乗させておいて、とは思うが……ただ、同時に現状エリゴールの内部より天使に対して安全な場所が存在するのか、と問われれば答えは否だろう。

 そう考えると、エリーの一見矛盾するような行動や言動にも説明がつく。

「まあ、他の人が傷ついていくのを黙ってみているよりはずっとマシだから……それより、いい加減私に妙なこだわりを持っている理由を教えてくれないか?」

 その問いかけに、エリーは若干ひるんだ様子を見せた。どう話すべきか、なんとか誤魔化そうかと悩んでいたようだが、エリーは結局シキの問いにある程度は応えることを選んだ。

「シキは、幼馴染の名前を覚えている……?」

 ただ、シキにはその問いが持つ意味が分からない。分からないが、エリーが思い詰めたような表情をしている以上、単にはぐらかすつもりでの問いかけとは思えなかったので、シキは真摯に答える

「……? いや……私たちがまだ小さかったときに彼女は死んでしまったから……ただ、とても大切な親友だったことだけは今でも決して忘れていないよ」

「……そう……彼女はきっと幸せだったでしょうね」

 その言葉の後は、エリーは口を閉ざしてしまった。おそらくこれ以上は聞いても答えは返ってこないだろう。だが、そのシキの幼馴染の名前がエリーにとって重要なことであることだけは分かった。

(今はそれでよしとするか)



 一方、エリーは自身の感情に困惑していた。

(変な話よね。もう死んだ、平行世界の自分にさえも嫉妬しているだなんて……)

 エリーには、シキの幼馴染の名前がエリであることなど、周知のことであった。自分のみならず、全ての平行世界においてエリーことエリは、シキの幼馴染であったのだから……

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