第二十七話 『想いを受け止める』
「見て! ウノシーダがまた動き出すわ!」
ピュリウェザーの声で我に返った。まだ安らぐのは早かったようだ。
まだピュリメックに
怪物はガクガクとノイズが混じったような動きはしているが、運動能力を取り戻しつつあるようだった。
「フォ~ンテフィ~~~リア! 感じるぞォ、お前の気配がァ近づいているぞ……」
怪物と融合したディプレスの口調は調子が崩れつつあり、壊れたレコードのように気味が悪いものになっていた。理性的だった物腰も、何かに取り付かれたような危うい様子になっている。
「フォンテフィーーーリアァァァ! 私も立ち上がるぞォォォ!」
もはやディプレスは、俺たちの方を見てはいなかった。戦場のある方向に中央の顔を向け、俺たちとの闘いを放棄して走り始めた。
いけない。様子がおかしい。
三人に目配せすると、皆も同じことを感じ取っていたようで頷き返してきた。
最初に動いたのはピュリルーンだ。
「召喚、土星霊・弐の型!」
蜘蛛人間の足下に突き刺さる護符。
即座に地面が反応し、土が蔓のように伸びると銀色の八本脚に絡みついた。
もがくディプレス。アスファルトを剥がす重機のようにぶるぶると震え、渾身の力をこめているように見える。
「女王様が御出陣なら、こんな化け物を近づけるわけにはいかない! 一歩でも近づく前に破壊するんだ!」
ピュリウェザーの声には焦りが滲む。その切羽詰まった声色に、全員が立ち上がった。
「走れるか、ひかる」
「何とかね。だって私、ピュリメックだもん」
強がるひかる。だが、走るくらいはなんとかなりそうだ。
ディプレスは、何かに招き寄せられるように蠢いている。
早く射程に収めて、何でもいいから攻撃を仕掛けないと!
何とかディプレスとの差を縮めるべく走るが、さっきの一瞬で引き離された距離は、思ったより長い。
間合いに入る前に、ディプレスは大きく震えだした。
「フォンテ……フィーリ……アッッ!」
力任せに土の縛めをを引きちぎるディプレス。そのまま体当たりの一撃で城壁の残骸を蹴散らし、市街地へと飛び降りた。
「まずい!」
丘の端から市街地を見下ろす。
奴は大通りを蛇行しながら、さっき見たドーリア式石柱を薙ぎ倒し、フラフラと、しかし確実に戦場へと歩みを進めていた。
「追うしかない!」
俺の言葉に、三人の
そこは、先ほどの閑散とした様子が嘘のようにごたついていた。激戦で傷ついたヴォイダートの将兵がそこかしこにうずくまり、または寝かされていた。左手に伸びる道からは、新しいダリーの一団が行進してくる。そのまま戦場に向かうのかと思えば、非戦闘員と共に小集団に分かれて軍人たちを担架に乗せ、どこかへ運んでいっているようだ。
「フォンテ……フィーリア。わかるぞ……すぐそこにいるな?」
ディプレスはそんな様子は眼に入らないかのように、負傷兵たちを蹴散らし、ダリーを踏みつけ、戦場へと向かう城門棟へと進み続ける。
自分たちが主と仰いでいたディプレスの暴挙に、広場は一瞬で恐怖と混乱の渦と化した。
這うように脱出を試みる傷ついた兵士たち。逃げ惑う非戦闘員と、淡々と怪我人を運ぶダリーとがぶつかり合う。
くそっ!
味方まで巻きこんで、何が王だ!
惨状に目を奪われていると、ピュリメックが横に並び、顔を覗きこんできた。
「……とにかく今は、ディプレスを止めよう。そうしないと、あいつの欲望に巻きこまれる人がもっと増えちゃうから。それこそ、人間界全体が巻きこまれちゃう」
「あ、ああ」
表情が歪んでいたのを見られたかも知れない。俺は走りながら首を振り、頬を叩いた。
そうだ。
今やるべきは、ディプレスを止めること。そして女王様を守ることだ。
さらに走る速度を速める。
荒野へと通じる城壁を破壊し、空堀をかき混ぜるように進む異形のディプレス。
空堀に敷き詰められた杭をなぎ払う八本足を左方向に確認しながら、もはや城門の開け放たれた築城橋を俺たちは駆け抜ける。
必ず、奴より先に女王様を見つけ出し、守ってみせる!
戦場の大勢は決していた。
立っている者はほぼイマジナリア軍、立っている旗は全てイマジナリアのものだ。
ヴォイダート軍は、さっき広場で見てきたものが全てのようだ。ディプレスの命令では、戦線を死守しろとのことだったが、指揮官が戦闘中に姿を消したことによって士気を維持することができなくなり、最終的には撤退を選択したのだろう。もしかしたら、イマジナリアが何か呼びかけを行ったことによって、ヴォイダートは最後の一兵まで命がけで戦うという惨劇を免れたのかも知れない。
戦の疲労が気怠くのしかかる、イマジナリアの陣地。城壁の弾け飛ぶ音と巨大な銀色の甲冑に包まれた蜘蛛男の出現に、辛勝にほっと胸をなで下ろしていたであろう一同は、緊張の再来を余儀なくされた。
弾む心臓の抗議を無視して、一杯に息を吸いこみ、あらん限りの声を振り絞る。
「そいつはディプレスだ! 暴走しているぞ! みんな逃げろ!」
叫びながら陣地を駆け抜け、同時に女王様を探す。
そのままの速度で、比較的損害の少ない後衛まで駆けこむ。
俺たちの慌てぶりを見て、何事かと振り向く後詰めの将兵たちだったが、俺の警告を聞いて顔色を変えていく。
俺たちは叫びながら、旗が最も密集して、防御が固そうな辺りを目指してかけ続けた。
敵と接触していないのが明らかな、ひときわ煌びやかな様相の本陣。その中央に見えるのは――女王様だ!
女王様は、純白の膝丈ドレスに革のブーツという出で立ちだ。ご丁寧に繊細なデザインのティアラまで頭に乗せている。
「女王様!」
跪くのももどかしく、女王様の前に転がりこんだ。
咎めようとする側近を女王様が止める。
「ディプレスが暴走して、こちらに向かっています。狙いは……女王様です!」
弾む息で何とかそれを伝えると、女王様の片眉が吊り上がった。
側近たちが、輝く鎧をがちゃつかせて慌てふためく。
「奴はすぐそこまで迫っています。すぐに逃げてください☆」
「私たちが食い止めます」
ピュリルーンとピュリウェザーが言葉を継ぐ。
だが、女王様は片手を優雅に挙げ、皆を黙らせた。その威厳の籠もった動きに、俺たちもそれ以上説得の言葉をかけることができなくなってしまった。
女王様は、今までに見たことのないほどの気迫を身に纏い、口を開いた。
「私が相手になります。皆は離れていなさい!」
「し……しかし」
「離れなさい! 巻き添えを喰いますよ!」
有無を言わさぬ彼女の言葉に、俺たちは引き下がらざるを得なくなった。
本陣の中央で優雅に立つ女王様。
「妖精界の問題は、妖精が片をつける。時にそれも重要なことですね」
その目の前に、ウノシーダと融合したディプレスが姿を現した。その大きさの違いたるや、チョウを捕食しようとするカラスといった差だ。
「大丈夫かな」
ピュリメックが柄にもなく不安そうなつぶやきを漏らす。
「大丈夫。あの人は、
わずかに手の届かない先で、女王様とディプレスが対峙する。
「フォ~ンテフィ~~~リア!」
ディプレスの四つの口が、ざらついた声色で合唱する。
「私が繁栄の極みへと導いた虚無の帝国をやろう! 無限に湧き出る軍隊をやろう! 私のものになれ――私と添え!」
え?
帝国をやるから私と添え?
ということは、ディプレスは……女王様を嫁にするためにヴォイダートを栄えさせ、戦を始めたということなのか?
「さあ、何なら力尽くで奪ってやってもいいんだぞ!」
もはやディプレスの言葉に、今までの澄ました紳士然とした印象はなかった。身も心もウノシーダと融合したって感じだ。
しかし、恫喝する巨大なディプレスを目の前にしても、女王様は微動だにせず涼しい笑みを浮かべている。
一陣の風が吹き、彼女の豊かな金髪を揺らした。
同時に、柔らかそうな唇が、すっと息を吸う。
「そんなに離れていては、手が届きませんよ。あなたのものにしたいのでしょう? ならば、もっと近づかなくては」
うっすらと微笑みを浮かべながら紡がれたその言葉は、抗いがたい魅力――いや魔力を伴って俺の耳朶を撫でた。
横で聞いてる俺ですらこの有様だ。
真正面で直接語りかけられたディプレスは――
「うおおお、フォンテフィーリア! 私のものとなれィ!」
理性を失ったかのようなディプレスは弾かれたように女王様の方へ走り寄ると、四本の腕で抱きすくめようとした。
その時。
それはまさに一瞬の出来事だった。
女王様の身体がすっと低くなった。じゃりっ、と両脚が広げられた。白金の籠手を填めた右腕がコンパクトに引き下げられ――
「お断り、ですっ!」
ディプレスの腕は女王様の残像を空しく掴み――
彼女のカウンターがディプレスの腹部、カプセルのすぐ下辺りに叩きこまれた。
一瞬遅れて、金属の拉げる音。そして打撃音。
身長十メートルはあるディプレスの巨体は空き缶のように軽々と吹っ飛び、城壁に二つ目の穴を空けた。
その威力に、言葉を失う側近の面々。
穴を隔ててぽかーんと見つめ合う、イマジナリア軍とヴォイダート軍。
無論、俺たちもコメントのしようがなかった。
「ぐ……ぐおお」
瓦礫の中からディプレスが身を起こす。
「みんな、油断しないで! 安全な距離をとって包囲して」
呆然としているものが多い中、ピュリウェザーが的確な指示を出す。妖精たちは飛び散る瓦礫から身を守るべく、防御姿勢をとった。
ディプレスがゆっくりと瓦礫を押しのけ、立ち上がった。
「なぜだ……なぜだ……」
唸るディプレス。
剣を構えて突撃しようとする兵たちを、女王様が制した。
ディプレスから、先ほどのような狂気は感じられなくなっていた。
「なぜだ……我が占い師によれば、『物を贈るならば己が欲するものが吉』と助言があったはずなのに……」
ディプレスが、何やら悪の支配者っぽくないことをぶつぶつ言っている。
「そ……それって……」
俺の斜め後ろではピュリメックが、呆れたような表情のまま口を開いた。
「それって意訳すると『自分が貰って嬉しいものをプレゼントするのがベター』ってことよね……」
「バレンタインとかでは王道だけどね☆」
ピュリルーンも何だか納得したように頷いている。
真っ正面から殴られたディプレスは、至極真面目に、でも頭から血をだらだらと流したちょっと無様な格好で女王様の前に立つ。
「私の愛するヴォイダートの禍々しい帝国。私の安らぎである、たゆたう虚無。そしてこの、美しくも凶悪な姿となった私! 私と沿うのに何が不満だ?」
ぜえぜえと荒い息の音を立てるディプレスの前で、女王様は哀れみをこめた溜息を吐いた。
そして、彼女は無言のまま、一歩踏み出した。
次の瞬間、その純白のドレス姿が九つに分裂する。
残像か?
いや、それにしては存在感を持ちすぎている。
分身した女王様は一跳びすると、せわしなく周囲を確かめるディプレスを取り囲んだ。白金の籠手を振りかぶり、そして――
「ドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリ……」
な……殴っている!
しかも……拳の先が見えないほどの連撃だ!
そのパンチの一つ一つが、俺や、
「何て破壊力なの☆」
「私も見るのは始めてだ……」
ピュリルーンとピュリウェザーは、身動き一つせずに女王様の連続パンチを見守る。
その間も、女王様の攻撃は続く。
「……ドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリーム!」
最後に美しいアッパーカットを決めた女王様。
ディプレスは再び空中にはじき飛ばされ、城壁に三つ目の大穴を空けた。その姿はもはや、丸めた空き缶のようだ。
「ぶばあ!」
瓦礫の上で痙攣するディプレス。
女王様はそこに片足を乗せて、さらに白金の拳を向けた。
「ディプレス、あなたは贈り物をする時にもっとも大切なことを忘れています!」
「……な、何だそれは……」
女王様は、生死の境をさまよっているディプレスを気遣うふうも見せず、ブーツの踵をえぐりこみながら話を続ける。
「それは……『相手を思う心』です!」
「相手を、思う……」
ディプレスが血を吐いた。
女王様は眼をを閉じ、掌を胸元に当てた。
「どんなに広大な領土も、どんなに巨大な富も、心がなければただのゴミ!」
「ご……ゴミ」
ディプレスが虚空を見上げてつぶやいた。
今まで築き上げたものがゴミ呼ばわりでは、確かにがっかりもするだろう。
女王様は穏やかな微笑みを浮かべた。さっきまでの気合いは形を潜めている。
「ディプレス……私に、どんな心をくださるのですか?」
「……心……どんな……」
ディプレスは大の字に倒れたまま眼を閉じた。虚無に染まった脳内から、自分の心を表す言葉を探っているようにも見えた。
「あいつ……まさか……」
ピュリメックがつぶやく。
俺は自信をもって頷いた。
今ならわかる。
ディプレスは、女王様を……
「そう……そうだ!」
ディプレスが立ち上がった。
女王様は五歩ほど下がって、背筋を伸ばしてじっと待つ。
ディプレスがすっと息を吸う。両腕を広げ、そして……
「フォンテフィーリア、お前を好いておる! 心の底から、お前が愛しい! お前が欲しい! お前のためならば、帝国も、地位も、全て投げ打っても惜しくはない!」
おおー!
「言ったねぇ」
「言ったよ☆」
「言った言った」
女王様への思いの余り、己が満足できる帝国の建設、軍隊の育成、怪物の生産までしてしまうとは……何という男らしい生き様だ!
ディプレスが愛の告白を終えたその時、ウノシーダが眩しい光を放ち始めた。融合が解けようとしているのか。
チャンスだ。
「
女王様の凛とした宣言に、三人の
「メックピュリファイアー!」
「ルーンピュリファイアー!」
「ウェザーピュリファイアー!」
三重攻撃。ウノシーダは、その溢れかえる輝きの中に包まれた。
光が収まる。穿たれたクレーターの中央で、四面四臂の怪物はうつぶせに倒れていた。その背中が割れて、未だ光に覆われているディプレスが吐き出された。
光は、ディプレスの身体自体から放たれていた。
「ディプレスの身体から、黒ウィルが離れていく!」
光に圧迫されるように、ディプレスの道化師然とした紳士の姿が粉々に砕け散る。その中から膨れ上がるように、黄金の獣毛に包まれた筋骨隆々たる体躯が現れた。
丸太のような四肢。
つるはしのようなかぎ爪。
獅子の顔は威厳を湛え、力強い顎には鋭い牙が並ぶ。
そして黒々としたたてがみから伸びるビッグホーンのような角。
白きウィルに奉ずる妖精だった頃の、ディプレスの姿。それはまるで……
野獣――
それ以外の例えがあるだろうか。
何て、何て……
「何て凛々しい姿!」
女王様が感極まった叫びを上げた。
うっそ!
顎ががくんと落ちるのを感じる。
女王様のうっとりした声に、俺の思考は強制終了させられた。
白きウィルを司る王国の女王が、この姿を『凛々しい』って……どうかと思うぞ。
振り返れば、ピュリメックとピュリルーンが顔を見合わせてクスクス笑っている。ピュリウェザーはウンウン頷いてるし。
いいのか?
これでいいのか⁉
一人で慌てている俺をよそに、女王様はディプレスのごつごつした手を取った。
「ディプレス。王国も、地位も、支えにしていた黒ウィルさえも捨て、私と共に歩む道を選ぶのですね。ならば……このプロポーズ、お受けします!」
おお、と側近たちから声が漏れる。どよめきは波紋のように広がっていき、イマジナリア軍全体が歓喜の雄叫びを上げ始めた。
「戦は終わりだ! フォンテフィーリア女王、万歳! ディプレス、万歳!」
将兵たちは、地位も性別も関係なく抱き合い、歓喜を分かち合っている。
「……これで、いいのかな?」
歓声の中、俺は振り返って、
「いいのよ! 最高のハッピーエンドだわ!」
ピュリメックは女王様の幸せそうな姿を見つめながら、眩しそうに笑った。
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