第二十六話 『大切な人のために』

「ピュリルーン! ピュリウェザー!」


 返事はない。

 いくらフェアリーシールドとは言え、この大質量では……


「ん?」


 ディプレスが首を傾げた。

 視線の先を追ってみると、倉庫がぐらぐらと揺れている。


 何だ、こりゃあ!


 着弾地点を挟んで対峙する俺とディプレスとの前で、倉庫はゆっくりと持ち上がり、張り付いた土をがらがらと落とし始めた。

 その下から、微かな光が見え始める。


「こ……この力は!」


 ディプレスがおののく。


 光は徐々に強さを増し、ついには閃光のように輝き始めた。光源は――ピュリルーンとピュリウェザーだ。たった二人で、倉庫を持ち上げている。二人の籠手は白金色の光を放ちながら、渦状の陽炎を纏っていた。


「想いの力が具現化する素晴らしい世界を!」

「美しきイマジナリアのバカンスを!」


 二人の両腕にさらなる力がこめられる。籠手の光は輝きを増し、周囲の空間を――おそらくウィルを――吸いこんでいることが肉眼でも見て取れた。


「……守ってみせる!」


 そう叫ぶと、二人は両脚を踏みしめ、倉庫を投げ飛ばす。

 不意を突かれたウノシーダは、飛ばされた倉庫の重量に牽かれてたたらを踏んだ。


 チャンス!

 正面ががら空きになったウノシーダに向かって、大きく右腕を振りかぶる。


「ぃぃぃよぉぉぉがぁぁぁっっっ!」


 そのまま渾身の力で、右腕を突き出す。そのモーションに反応して、腕に背びれのように並んでいた棘が、まさにカメレオンの舌のような速度で打ち出される。

 棘の鞭は狙い過たず、ウノシーダのフレイルを持つ腕を打ち据えた。


「ぐうッ!」


 フレイルを思わず手放すウノシーダ。崖下に落下した倉庫が凄まじい崩壊音を立てた。

 よし、まずはあの厄介な得物を引き離したぞ。


「召喚、クローセル!」

「ウェザー・アイシクルクラスター!」


 間髪入れず、ピュリルーンの高圧水流と、ピュリウェザーの氷柱が打ちこまれる。防御の想いをこめない瞬間に攻撃を打ちこめば、多少は効くかっ?


「ぐ……ご……が……」


 多重攻撃を喰らい、多脚によって何とか転倒を免れたウノシーダ。ディプレスの唸り声が四つの口から漏れている。

 身体が痙攣している。苦痛か……もしくは怒りか。

 突然、口の中に灰色の光が……!


「鬱陶しいィィィッ!」


 まずいと思った、ほぼ同時に吐き出された光弾をまともに受けた。負のエネルギーが全身を駆け巡る。自動車に轢かれたらこんなだろうという衝撃。それと同時に骨という骨、筋肉という筋肉が軋み、悲鳴を上げる。フェアリーシールドによる減衰が、現実の苦痛であることを際立たせた。


 気づけば、俺はベランダから落ちた濡れ雑巾のように、地面に這いつくばっていた。

 しびれの残る首を巡らせてみると、ピュリルーンとピュリウェザーも同じような状態で倒れ伏していた。


「ゥ私が……ヴォイダートの王である私が、この妖精界全体の王となるのだァ!」


 ディプレスの高笑いと共に、ウノシーダが身を反らせて四つの口を開く。


 だめ、なのか。

 ここまで来て、イマジナリアを救えず、ひかるも助けられないのか。

 身体が、思うように動かない。

 倒れたまま、喚き散らすディプレスを見上げた。

 まるで、映画か何かの一コマのようだ。


 映画……

 映画?

 そうだ。

 あの時――妖精界に来る前、ひかると約束した。

 俺の想い。

 ひかるの想い。

 二人の想いだ。

 そして、皆で人間界に帰ること。

 それは皆の想いだ。

 妖精界は、たくさんの人や妖精たちの、たくさんの想いでできている。


 倒れては……いられないな。

 掌で地面を掴む。

 脱力する腕の筋肉を無理矢理緊張させ、上体を起こす。


「ほほう、まだ動く気力があったとは!」


 ディプレスは、まるでこちらを敵と見なしていないような鷹揚な仕草で、俺を見下ろした。


「お前なんかにはわからないだろうな。人ってのは、大切なもののためなら何度でも立ち上がるんだ!」

「大切?」


 ディプレスがぴくりと反応する。


「大切なもののために立ち上がる……悪くない。それが打ち砕かれた時、大量の黒ウィルがまき散らされることだろう! その黒ウィル、ウノシーダと融合した私がいただこう! もはや何者も敵ではない最強の力で妖精界を虚無に染め、そしてフォンテフィーリアは私の物ォォォ!」


 私の、物……?

 妖精界を守護する女王様を手にすることが、こいつの目的……?

 女王様を自分の物にするために、イマジナリアは攻撃を受け、人間界にウノシーが溢れ、ひかるは祓魔姫ふつまひめに祭り上げられたっていうのか。皆の想いを踏みにじったっていうのか!


 心のどこかで、何かがプツッと切れた。

 考えの領域を飛び越し、反射的な部分で怒りが沸騰する。


「お前の身勝手な欲望に……ひかるを巻きこむなーっ!」


 全身の筋肉が、想いに反応して力をたぎらせた。

 策も何もない、四つん這いからの動物的な跳躍。そのまま脊髄反射的にハチドリの魂を解放し、右手なのか左手なのかもわからず拳を繰り出す。音が消えた世界で、俺はウノシーダに埋めこまれたカプセルを殴り続けた。

 カプセルは音もなく攻撃を受け続ける。だがひび一つ入る気配はない。


 約三秒ずつ遅れて耳に届いていた打撃の空気振動が徐々に重なり始め、耳障りな連続音へと変化していく。加速時間が限界を迎えようとしているのだ。

 最後に大振りの一撃を見舞う。反作用で俺の身体は後ろに跳ね、自動的に間合いを広げることになった。


 ハチドリの魂が強制的に解放される。

 一カ所に拳打の衝撃を積み重ねられたウノシーダは収束されたエネルギーによって跳ね飛ばされ、旧工場の瓦礫に激突して新たなクレーターを穿った。

 同時に、制限時間いっぱいに加速した反動が俺の身体に襲いかかる。


「くあっ!」


 俺の身体は脳からの命令を無視して、糸の切れた操り人形のように、くたりと転がった。全身を締め上げるような疲労とともに、喉から血の味がこみ上げてくる。

 ハチドリの魂による一点集中の攻撃は激烈だ。ウノシーダの巨体も吹き飛んだ。だが、カプセルにダメージを与えた感覚はまるでなかった。とてつもない硬さだ。俺の力が足りないのか、授かった魂が攻撃向けじゃないからなのか……


 座りこんで息を喘がせていると、旧工場の跡地に埋まっていたウノシーダが身体を起こし始めた。カプセルは……無傷だ!


「貧弱だなァ。そんなことでは祓魔姫ふつまひめは助けられんぞ!」


 怪物があざ笑う。

 四つの掌に、のたうつ灰色の光が生まれる。それは鞭のように振り上げられ、俺たちの立っていた場所に打ちこまれた。


 速い!

 だめだ。ハチドリを発動した直後の俺には、とても回避できない。

 フェアリーシールドの防御力を信じて、顔の前で両腕を交差させて身を庇う。

 ほぼ同時に全身を貫く衝撃。

 電撃なのか、熱なのか、それともただの打撃だったのか。全てがない交ぜになった感覚が全身の痛覚を叩き、次いで立木の梢が見下ろせるほどの空中へはじき飛ばされた。さらに追い打ちをかけるように砂塵と衝撃波が全身を叩く。


 まだこんなパワーが?

 四つん這いで着地し、何とか頭を打つのは避けた。

 あいつらは――無造作に投げ捨てられた人形のように転がっている。


 この状況が……ヴォイダートの王と俺たちとの力の差か。


「くははは! この祓魔姫ふつまひめは捕らえて以来、良質の黒ウィルを放出する。これなら余計な祓魔姫ふつまひめも、さっさと片がつきそうだ!」


 哄笑するディプレス。

 まずい。

 ここで食い止めないと、城外の将兵に被害が出る。俺たちがここまで侵入してきたことが無駄になってしまう。

 だけど……

 俺が授かった力でこれ以上の攻撃を繰り出すのは、正直なところ無理だ。

 何か手はないのか……


 ふとウノシーダに収められたカプセルを見ると、ピュリメックが眉根を寄せて呻いている。

 装甲を活性化させるために、ピュリメックからウィルを絞り出しているのか……


 ん?

 外からの攻撃でだめなら、中からの力はどうだ?

 さっきよりピュリメックの動きが大きい。これならいけるかも。

 洗脳された仲間を救うアニメの主人公みたいでちょっと恥ずかしいけど、やるしかない!

 筋肉が休息を要求するのを無視し、俺は無理矢理立ち上がった。


「ピュリメック、聞こえるか? 俺だ……守だ。ピュリルーンとピュリウェザーも来てくれたぞ……」


 言葉に反応して、ウノシーダががくん、と揺れる。

 反応してる!


「な……何だ。今、ウィルの供給が一瞬……」

「聞こえているんだろう、ピュリメック。俺はお前を、祓魔姫ふつまひめから解放するために助けに来たんだ。一緒に人間界に帰ろう……」


 ピュリメックの苦悶の表情が一層濃くなる。

 それに伴ってウノシーダの動きが、へたくそなマリオネットのようにぎこちないものになった。


「黙れ……やめろ!」


 ディプレスが呻く。

 よろめきながらも、ウノシーダから四本の拳が俺に向かって放たれる。

 単純な攻撃は簡単に受け止めることができたが、未だ衰えない衝撃に顔の筋肉が歪むのを感じる。

 だが今は痛みなどに構わず、俺は声を絞り出し続けた。


「聞いてくれ、ピュリメック! 俺は約束通り助けに来た。目を開けてくれ、ピュリメック――いや……ひかる!」


 ひかるの眼がうっすらと見開かれる。


「……ま、も、る……」


 ひかるの唇が小さく開かれた。


「ひかる! そこを出るんだ! 中から壊せないのか?」

「守……もう、いいの」

「え?」


 返ってきたひかるの言葉は、予想を裏切るものだった。


「何を言ってる⁉」

「いいの、私……このままで」

「わかったか、デジールの騎士よ。お前は要らないのだ!」


 ディプレスの揶揄を無視して、ひかるに話しかけ続ける。


「このままでいいって、どういうことだ!」

「……私、初めは祓魔姫ふつまひめなんか――正義のヒロインなんかやるのは嫌だった。でも私、ちっちゃい頃からテレビの中で正義のヒロインが捕まって、ピンチになって、痛めつけられるのが大好きだったの……」


 何を言い出すんだ。

 錯乱しているのか? 何で今更急に……


「それで、ある時気づいたの。祓魔姫ふつまひめになったら、いつか悪の組織に捕まって、痛めつけられるんじゃないかって……ちょっとだけ期待してたの。そしたら……」


 ひかるの瞳が喜悦に潤む。

 違う。彼女は本気だ!


「私は、みんなを助ける祓魔姫ふつまひめのはずなのに、敵に捕まっちゃって痛めつけられちゃって……今、最っ高に正義のヒロインって感じなの!」


 え?

 ひかる……?

 もっと小洒落た趣向を持った、輝く花のような人だと思っていたのに……結構身近な感覚の人だったんだな。ていうか、むしろ……変……


「私……祓魔姫ふつまひめになったおかげで、敵の虜にされて……嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて……今、とても……」


 ひかるの閉じこめられたカプセルの中から、黒ウィルが消える。


「ま……まさか! カプセルが白きウィルに!」


 今や彼女の全身からは、白い輝き――浄化されたウィルが燦然と放たれていた。


「い……言うな。それ以上は!」


 ディプレスが止めようとするが、もう遅い。


「私……今、とーっても幸せーーー!」


 ひかるの放つウィルが、叫びと共にカプセルの中を満たす。

 苦しげに痙攣するウノシーダ。

 そして、外からの衝撃ではびくともしなかったカプセルは、卵の殻のようにあっけなくひびが走り、くしゃりと割れた。


「あ、開いた」


 身動きすら封じられていたはずのひかるは呆気にとられ、サドルの上から下りることも忘れて自由になった自分の両腕を眺めている。


「ひかる!」


 ウノシーダが動かないうちに慌てて駆け寄り、ひかるを引きずり出す。失礼を承知で抱きしめたまま、敵の間合いの外まで飛び退く。


「ひかる……よかった」


 声を絞り出すのと同時に、眼前のひかるの顔が細波のように揺れて歪む。


「泣いてるの? ……バカ」

「悪いか。ひかるが……口が悪くても暴力的でも胸ぺったんでも変態趣味でも……俺にとって、最高に大切な人なんだ!」

「ホント、バカ。こんな奴のこと……になった私も大バカよね」


 ひかるが何か小さい声でつぶやいたが、小さすぎて聞こえなかった。とても大切なことを聞き逃した気がしたが、ひかるはずっと失礼されたまま――抱きしめられたままで暴れずにいてくれていた。


 何か……安らぐ……


 俺はそのまま、ひかるの温もりを堪能した。

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