転校生


 桜の花はとうに散り、若々しい緑の葉が木々を覆っている。

 お昼を過ぎた教室内はほどよい温かさに包まれ、先生の声が子守歌と化す。


 2年3組の教室も例外ではない。高校生活2年目ともなれば、学校生活にも大いに慣れるもの。授業中にもかかわらず舟をこぐ者や、机に突っ伏す生徒が大半を占めていた。


 そんな教室内の一番後ろ。窓際の席でぼうっと外を眺める生徒がいた。

 周りに比べ新しい制服は、この空間の中では少し浮いて見える。まるで2年の教室に新入生が紛れているようだった。


 彼はぼうっと窓の外を眺め、時折思い出したようにノートにペンを走らせる。周りで寝ている生徒に比べればまだまじめな部類に入るだろう。


 そんな時間が45分続き、チャイムを目覚ましに、寝ていた生徒が次々に起きだした。先生の授業終わりの言葉とともに、日直の終礼がかかる。授業担当と担任の先生が入れ違いになり、簡単なSHLの後、今日の拘束は解かれた。


 先ほどまでとは一転、元気のいい声が教室内を飛び交う中、白鳥渚しらとりなぎさはひとり静かに荷物をまとめる。彼を遠巻きに眺める女子や男子の姿に気づいているのか否か、渚はスクールバックを肩にかけ教室を出ようとする。


「白鳥くん」


 教室を出る寸前、誰かに呼び止められた。渚は立ち止まって声の主を見る。


「白鳥くん、もう帰んの? 今日校内案内するって朝言ったじゃん」


 人懐っこい笑顔で渚に話しかける男子生徒。渚は今朝そのような約束をしたことを思い出しながら、今話している相手の名前を必死に思い出そうとしていた。

「……ごめん、忘れてた」

「あぁ、忘れてただけならいいよ。もし実は用事とかあって早く帰んなきゃ……ってんなら、別の日に案内するけど?」

「大丈夫。特に予定とかないから」

「そっか、オッケー。じゃ、ちょっと待って」

 急いで荷物をまとめる彼を見ながら、渚はようやく朝一番で話しかけてきたクラス委員の高浜直人たかはまなおとだと思い出した。


 2人で教室を出て、いったん下駄箱へ。1階から順に直人は校内を案内してくれると言った。


 朝も思ったが、この学校は無駄に広い。

 直人の話いわく、この高校は昔、さまざまな科があったのだそうだ。そのため大勢の生徒が在籍しており、それに見合った広い校舎になった。今は特進科と普通科、探究科の3つに減ってしまったが、校舎は昔のままなのである。ちなみに、渚と直人は普通科に在籍していた。

「こんなでかい学校を広々使えるってさ、俺ら贅沢してるよな」

 言われてみればそうである。広くのびのびと学べる環境があるというのはありがたいことだ。


 校舎の1階から4階まで、加えて特別棟まで案内してもらうのに、実に2時間近くの時間を要した。そのくらい広く、教室の数も多いのだ。もっとも、本来ならもう少し早く済むのであるが、1か所1か所で渚が立ち止まる時間が長かったため、こんなにもかかってしまったのである。

 スタート地点の下駄箱に戻ってきたころには、外はもう薄暗くなり始めていた。


「ありがとう。こんな時間まで付き合ってもらって」

「いいって。今日は授業早く終わったし。俺も暇だったからさ」

 2人して外靴に履き替え、誰もいないグラウンドを通る。


「……高浜くん。まだ校内に残ってる人って多いの?」

 渚が校舎を振り返りながらつぶやく。教室棟の上の階に明かりがついている教室がちらほらと見受けられた。

「そうだな……特進科の奴らはだいたい残ってるな。遅い奴らなんか本当8時とか9時とかまで勉強してるから、あそこは」

 勉強好きの集まりさ、と直人はちらり校舎を見上げて言う。

「てかさ、俺のことは直人って呼んでいいよ。みんなそう呼んでるし。俺も渚って呼んでいい?」

「え、あぁ……うん。いいよ」

「これからよろしくな、渚」

 ニカッと笑う。渚もつられて少し表情を緩ませた。


 穏やかな春の夕方。薄暗い中、2人そろって校門を出ていくその後ろ姿を、影からこっそり見ていた者のことなど、誰も気づかない……。

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