第12話 バイト

 そして、時は流れ次の土曜日を迎えた由姫。


「由姫、履歴書はちゃんと持った? 忘れ物は無いわね?」

「大丈夫だよ、お母さん。それじゃあ行ってきます。」

「行ってらっしゃい。気を付けていくのよ。」

 由姫は母に出掛けることを告げると玄関から出ていく。


 今日は、由姫のバイト先の喫茶シャットブロンシュの面接の日であった。

 母が、知り合いに娘をバイトとして雇ってくれないか確認をとると、是非とも頼みたいと快く引き受けてくれたそうだ。


 そして、今日を迎えた由姫は朝から身だしなみのチェックや面接の事を想像してそわそわしていたのだった。


 由姫が向かっている喫茶店は、自宅の最寄り駅の側にある店で、軽食も食べられる喫茶店としては少し大きめのものであった。

 由姫は腕時計で時間を確認すると、九時五十分を指していた。

 面接は十時からなので、少し早いが中にはいることにした由姫。


「いらっしゃいませ。」

 店内に入ると女性店員がそう声をかけてきた。

「すみません、今日面接を受けることになっている汐崎由姫と言います。店長さんは居ますでしょうか?」


 由姫がそう言うと、女性店員が答えた。

「ああ、貴女が新しくバイトに来るっていう子? うわー、すごく綺麗な子だったんたね。私は駒村歩こまむらあゆみって言うんだ。これからよろしくね!」

「は、はい。こちらこそよろしくお願いします。」

 歩が手を出して来たので、由姫は握手をするとそう答えた。


「マスター! 新しいバイトの子が来ましたよ。」

「事務所まで来てもらって。」

 奥から男性の声が聞こえる。

「それじゃあ由姫ちゃん。着いてきて。」

 歩がそう言って奥の方に入っていったので、由姫はその後に続いた。


「マスター、連れて来ました。」

「ありがとう、歩ちゃんはホールに戻って良いわよ。由姫ちゃんはこっちに座ってね。」

 そう男性が告げると、歩はホールに戻っていき由姫は男性の前の椅子へと座る。


「失礼します。」

「はい。貴女が響子ちゃんの娘さんね。お母さんに似て美人さんなのね。羨ましいわ。」

 そう男性が言ってきた。


 由姫は思わず男性を観察してしまう。

 年の頃は四十代と母と同い年くらいで、髭を生やし結構ダンディーなおじさんであった。体型も筋肉質タイプであった。

 しかし、その外見とは裏腹に話し言葉がいかにもそっち系の方のものであり、思わず固まってしまったのはしょうがないことだろう。


 何とか正気に戻った由姫は、店長の言葉に答える。

「いえ、そんなことは・・・。」

「御免なさいね。いきなりだったから驚かせちゃった見たいね。でも、どうやらお母さんからは何も聞かされてなかったようね。相変わらずの性格みたいね。」

 店長が笑いながらそう言った。


(お母さん! 本当に性格が曲がっているんだから。少しは説明しといてよ!)

 由姫は心の中で母にツッコミを入れていた。

「由姫ちゃんも苦労している見たいね。それじゃあ、早速履歴書を出してもらえるかしら。」

 店長の言葉に、由姫は履歴書を取り出すと手渡した。


 履歴書の内容を確認する店長。

「あら、清流高校なんだ。流石は響子の娘さんね、頭も良いのね。」

「いえ、それほどでも。」

 店長が履歴書を見ては質問をしてくるので、由姫は姿勢を正したままそれに答えた。


「うん、分かったわ。それじゃあ由姫ちゃん、これからよろしくお願いね。」

 店長がそう言ってきた。

「はい、よろしくお願いします。」

 由姫はバイトが決まり一安心していた。


「由姫ちゃん、早速だけど今日からバイト入れるかしら。」

「はい、大丈夫です。」

「そう、良かったわ。それじゃあ隣の更衣室でこの制服に着替えてもらえる? ロッカーは名前のないところなら好きに使ってもらって大丈夫だから。それと、これから私のことはマスターと呼んでね。」

「分かりました、マスター。」


 そう言うと、制服を受け取った由姫は更衣室へと向かった。

 喫茶店の制服はメイドさんが着るような服に、フリルの着いた白いエプロンが付いているタイプのものだった。


(歩さんが着ていたのを見たときから思ったけど、着るのになかなか勇気がいるなあ。まあ、可愛いんだけど。)

 そう思いながらも制服に着替えた由姫は、身だしなみをチェックするとマスターの元へと向かう。


「あら、思った通り由姫ちゃんにとっても似合うわね。とても可愛いわよ。」

「ありがとうございます。」

 マスターにそう言われた由姫は、照れ臭そうにそう答えた。


「それじゃあ、早速だけど今日来ている他のスタッフを紹介するわね。歩ちゃんとはもう会っているから、まずは厨房に行きましょうか。」

「はい。」

 そうして、厨房に向かいスタッフを紹介された由姫は、挨拶を交わしていき次にホールの方へと向かう。


「今日のホールは歩ちゃんと博哉くんだったわね。博哉くんちょっと来て、新しいスタッフを紹介するわ。」

 そうマスターが言うと、ホールからひとりの男性スタッフがやってくる。


「紹介するわね。こちらは今度新しくうちで働くことになった汐崎由姫ちゃん。高校一年生よ。由姫ちゃん、こっちの男の子は八谷博哉やたにひろやくん。たしか、大学二年生だったわよね。」

 そう言われると博哉はマスターに「はい。」と答えていた。


「初めまして、汐崎由姫です。分からないことばかりで迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします。」

 由姫が頭を下げてそう博哉に告げる。


「八谷博哉、よろしく。」

 博哉は、それだけを言うとホールの方へと戻ってしまう。

「あらあら、ごめんなさいね由姫ちゃん。彼悪い人じゃないんだけどね。」

「相変わらず無愛想だなあ、博哉は。ごめんね由姫ちゃん、博哉は人見知りするタイプだから。慣れればそのうち打ち解けてくるよ。」

 マスターの言葉に歩がそう付け加えた。


「それじゃあ歩ちゃん。由姫ちゃんの指導の方お願いできるかしら?」

「はい、マスター。」

「よろしくお願いします、歩さん。」

 マスターは奥へと戻っていき、由姫は歩に着いて接客の指導を受けることになった。


「いらっしゃいませ。」

 ひとりの男性客が入店してきた。

「こんにちは、歩ちゃん。今日も可愛いね。」

「やだ、田中さん。いつも調子のいいこと言って、口がうまいんだから。」

 どうやら喫茶店の常連客のようだった。


「違うよ、歩ちゃんが可愛いからつい言葉が出ちゃうんだよ。ところで、隣の子は新人さんかい。初めてみる顔だけど。」

「この子は由姫ちゃん。今日から入った子なの。田中さんもよろしくしてあげてください。」

 客の質問に答えた歩。


「初めまして、汐崎由姫と言います。よろしくお願いします。」

「ああ、よろしくね由姫ちゃん。いや~、それにしてもこれまたべっぴんさんだね。最初は外国の人かとも思ったけど、ほっとしたよ。」

 客は大げさに胸を撫で下ろしていた。


「それでは席にご案内します。」

 歩はそう言うと空いているテーブルへと客を案内する。

「それじゃあいつものやつで。」

「かしこまりました。アメリカンとサンドイッチでよろしいですね。」

 客はメニューを見ずにそう言うと、歩も分かっていると言うように注文の確認をする。


 注文を取り終えた歩は、厨房に伝票を持っていくと客のテーブルにお冷やとおしぼりを持っていった。


「常連さんは、結構同じメニューを頼むことが多いから誰が何を頼むのかはだんだんと覚えていってね。」

「はい、分かりました。」

 そう言う由姫だったが、少し不安になってくる。


「大丈夫よ、由姫ちゃん。慣れていけば自然と覚えていけるものだって。私だっていつの間にか自然に覚えていたんだから、頭のいい由姫ちゃんなら大丈夫。分かんないことは何でも私に聞いてくれていいから。」

「ありがとうございます、歩さん。」

 由姫は、歩の事を頼れるお姉さんのように感じていた。


 それからも接客が続き、由姫も一人で対応することもあったが、何とか問題なくこなせていた。

「いらっしゃいませ。」

 また、一人客の来店があり歩が対応していた。


「由姫ちゃん、ちょっとこっち来て。なんか知らないけど、今来たお客さんが由姫ちゃんの事をキョロキョロ見ているの。しかも、サングラスにコートなんて怪しい格好で。」

 ホールからは見られない場所に由姫を呼び出した歩は、そう言って由姫に注意を促してきた。


 由姫は物陰からこっそりと教えられたテーブルを見て、思わず頭を抱えてしまった。

「どうしたの、由姫ちゃん? 知り合い?」

「父です。」

 歩の質問に力なく答えた由姫。

(もう、何やっているのよお父さんは~。)


 由姫は、お冷やとおしぼりを持って父のもとへと向かった。

「いらっしゃいませ、お父さん・・・・。」

 テーブルにお冷やとおしぼりを置くと、ジト目でそう言う由姫。


「何を言っているのかわからないなあ。私はただのお客さんだよ。」

 その言葉を聞いた由姫の額には、怒りのマークが浮き出ていた。

(この白々しい態度が余計に腹立たしい!)


 由姫がどうしてくれようかと思案していると、マスターがやって来た。

「すみませんマスター。」

 由姫は咄嗟にマスターに謝る。


「あら~、いいのよ由姫ちゃん。ご家族だもの、心配して見に来るのはしょうがないわよ。由姫ちゃんは可愛いから、お父さんなら余計に心配でしょうし。」

 マスターは由姫にそう言うと、父に挨拶をした。


「初めまして、娘さんをお預かりしていますこの店の店長の蓮尾幹也と言います。」

「ああ、これはご丁寧にどうも。由姫の父の汐崎真一郎と申します。娘がお世話になっています。」

 父はサングラスとコートを脱ぐと、マスターにそう答えた。


「あらあら、やっぱり男前の旦那さんなのね。響子ったら、こんなに素敵な旦那さんがいて羨ましいわ。これ、私の携帯の番号です。何時でも掛けてきてくれて構いません。今日の払いは私が持ちますので、好きなものを頼んでもらっていいですからゆっくりしていってくださいね。」

 そうマスターが言うと、父の体にすり寄るようにして、ポケットに電話番号と名前の書かれた紙を入れる。


 父は体を必死に離そうとマスターから距離をとると、「ど、どうも。」と言って顔を引きつらせていた。

「それじゃあ、由姫ちゃん。後はよろしくね。」

 マスターは父にウインクをすると、奥へと戻っていった。


「お父さん・・・。」

 由姫は軽蔑したような目で父を見る。

「ち、違うぞ。私はノーマルだからな。」

 父は、体が震えるのを必死に押さえるようにしてそう由姫に告げた。

(お母さんが知ったらどうなるのかな。また、お盆で頭を叩かれるかも。)


 父の注文を取り厨房に下がる由姫。

 その後も父は、コーヒーをお代わりしては一時間以上由姫の様子を伺っていたのだった。


 そして、一人の女性が店に入ってきた。

「いらっしゃいませ・・・って、お母さん!」

 店に来たのは母であった。思わず声をあげてしまった由姫を責めるのは酷だろう。


「お母さん、どうしてここに? サクラはどうしたの?」

「サクラは定期検診があったから、ちょっと笹本動物病院のほうで預かってもらったの。それより、お父さんがここに来ているでしょ。」

 由姫の質問にそう答えた母は、店内を見渡す。


 思わずテーブルの下に隠れた父だったが、それを見逃す母ではなかった。

 怒りのオーラを立ち上らせながら、父のテーブルに向かう母。

「あなた、こんなところで何をやっているの。お昼になっても帰ってこないと思ったら。娘の仕事の邪魔をする親がどこにいますか。」


 テーブルの下から引きずり出された父にそう告げた母。

 由姫はオロオロすることしか出来ずにいた。

「だって、心配だったんだもん。」

「だってじゃありません。『だもん』なんて付けても可愛くないわよ。」

 そんなやり取りをしていると、またマスターがやって来た。


「あら~、響子久しぶり。」

「ごめんなさいねミキ。旦那が迷惑をかけたわね。」

 母がマスターに謝る。

「良いのよ。娘さんが心配でしょうがなかったんですし。こんなに素敵な男性なら何時でも来てくれて構わないのよ。」

 そう言うとマスターが父に投げキスをする。


「ひぃ~。」と言うと、咄嗟にそれから避けるようにする父。

「相変わらずねミキは。」

 母は苦笑しながらそう言っていた。

「ほら、あなたは帰るわよ!」


 そう言うと母は父を引きずって連れていこうとする。

「いや、まだコーヒーが残っているから。」

 父がなおも抵抗しようとする。

 母は残っていたコーヒーを飲み干すと「ごちそうさま。」と告げた。

「そんな~。」


「あらもういいの。折角だからもう少し居ればいいのに。」

「家にまだ子犬が居るから、あまり家を空けてられないのよ。」

「そう、残念だけどしょうがないわね。代金は私の奢りだから良いわよ。」

「悪いわねミキ。また今度ゆっくり寄らせてもらうわ。」

 そう言うと母は父を連れて帰って行った。


「すみませんでした、マスター。」

「あら、あなたが謝ることはないのよ。それに、ご家族から大切にされているということだもの。いい親を持って良かったわね。」

 マスターの言葉に素直に認めたくない気持ちはあったが、「はい。」と頷いていた。


「おー、あれが由姫ちゃんのお父さんとお母さんか。二人とも美男美女の組み合わせ何だね。だからこんなに可愛い子が出来たのか。遺伝子は残酷だよ。」

 歩は自分の事を卑下してそんなことを言っていた。


「そんなことないですよ。それに歩さんだって美人じゃないですか。」

 由姫はそう歩に言った。


 その後は特に事件なども起きずに、由姫のバイト初日は終わった。

「お疲れ様、由姫ちゃん。もう上がってね。」

「はい、マスター。」

 マスターからそう言われて、どっと疲れが出てきた由姫は更衣室へと向かった。


「由姫ちゃん、お疲れ様。だいぶ疲れたようね。」

「はい、初めてで緊張しました。それに色々ありましたから。」

「ははは、まあその内慣れるよ。」

 歩は、そう言うと後ろにいた博哉に「ほらあんたもなんかいいなさい。」と言っていた。


「お疲れ様。」

 博哉はそれだけを由姫に言った。

「お疲れ様でした、博哉さん。」

 その様子を見た歩は、やれやれといった様子で博哉を見ていた。


 バイトが終わり家に帰ってきた由姫。

「ただいま~。」

「お帰りなさい、由姫。お疲れ様。」

「本当に疲れたよ。それよりお母さん、何でマスターのこと何も言ってくれなかったのよ。」

 由姫は母に文句をいう。


「驚いた?」

 そう言うと、母はしてやったりというような表情をしていた。

「驚いたに決まってるでしょ。まあ、いい人だってのは分かったけど。」


「ふふふ、まあミキのあのキャラは振りなんだけどね。」

「えっ!」

 母の言葉に驚愕する由姫。


「ミキは普通に奥さんも子供もいるわよ。あのキャラは、店でお客さんとトラブルがあったときに対処しやすいから演じているだけよ。あっ、お父さんには内緒ね。あなたも今日みたいなことは嫌でしょ。まあ帰ってきてから調きょ・・・、お説教はしておいたから当分は大丈夫でしょ。」


(今なんか不吉な言葉が聞こえたような・・・・・・。)

 由姫は何も聞かなかったことにした。


「それに、ミキの方も演じている期間が長すぎて、最近じゃあどっちが本当の自分か分からなくなってきたなんて言ってたけどね。」

「え・・・?」

 さらりと爆弾発言が飛び出していた。


 その日、父は何故か魂の抜けた表情をしてうわ言のように何かを呟いていたが、何があったのだろうか。由姫を見ても反応がなかったので、放っておくことにした。


 その夜、疲れた心をサクラに癒された由姫は、サクラを抱いて眠りへと就いていった。

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