第9話 告白
翌朝、由姫が目を覚ますとサクラが尻尾を振りながら由姫の顔を舐めていた。
「ふふっ、おはようサクラ。よく眠れた
?」
そう話し掛けた由姫は、サクラを抱き抱えるとカーペットのところへ下ろす。
由姫は自分の部屋へ制服を取りに行くと、その後ろをトコトコとついてくるサクラ。
部屋で制服と下着の着替えを持って一階へ行くために階段のところまで来た由姫。
階段はサクラにはまだ段差がきついため、下を覗き込むと恐怖のため後退りする。
「きゅーん。」
「ほらサクラ。こっちにおいで。」
サクラの鳴き声に由姫は笑いかけると、サクラを抱いて階段を降り始める。
「もっと大きくなったら外に散歩にいこうね。」
サクラの顔を見つめながらそう話し掛ける。「くーん、くーん。」
由姫に返事をするように鳴いたサクラを思わず抱き締める由姫。
「お母さん、おはよう。」
「おはよう由姫。それにサクラ。昨日は大丈夫だった?」
キッチンで朝食の用意をしていた母がそう問いかける。
「うん、よく眠れたよねー。」
そう言って由姫はサクラを見る。
「そうだ、お母さん。私シャワー浴びてくるからサクラのこと見ていて。」
「良いわよ。ほらサクラ、お母さんのところにいらっしゃい。」
母が由姫からサクラを預かると、リビングのソファーに座ってサクラと戯れ始めた。
「サクラ、すぐに戻ってくるからちょっと待っててね。」
そう言うと由姫は脱衣所に向かう。
由姫は毎朝必ずシャワーを浴びる習慣があるため、毎日六時前には起床している。
この日もシャワーを浴びながら、今日のお弁当のおかずについて考えを巡らせていた。
お風呂から上がると、由姫は自分の分と父の分のお弁当の用意を始める。
最初の頃よりは大分手際も良くなり、作成時間も短縮されていた。
そんな事をしていると、ふと足元に気配を感じ見下ろしてみるとサクラがしっぽを振りながら由姫のことを見上げていた。
「サクラ、もうちょっと待っててね。今サクッと作っちゃうから。」
本来ならすぐにでも抱き上げて頬擦りしたいのを我慢すると、由姫はさらに速度をあげるように料理を続けていた。
お弁当の用意が出来た由姫は、リビングのソファーに座ると膝の上にサクラを抱えて戯れ始める。
そんな事をしていると、父が起きてきて由姫とサクラに声をかけてきた。
「おはよう。由姫、サクラ。昨日は変わりなかったかい。」
「おはようお父さん。実はサクラが昨日不安そうにしてたから、つい一緒の布団で寝ちゃった。」
由姫がサクラを抱き締めながらいうと、父はしょうがないなぁというふうにサクラの頭を撫でて、「お姉ちゃんと一緒で良かったね。」と言っていた。
それからしばらくすると、ダイニングに朝食の用意を終えた母から声がかかり、二人と一匹は朝食をとることになった。
そして、朝食を食べ終えた由姫は遂に辛い決断を迫られる時がやって来た。
「サクラー、離れたくないよー!お母さん今日は学校行かなくても良い?」
「良いわけないでしょ!ほら、何時までもぐだぐだしていないでさっさと学校に行きなさい。」
母の残酷な宣言を聞いて、由姫の時間は止まった。
「く~んく~ん。」
その間も尻尾を振ったサクラが、由姫に甘えるように体を擦り付けてくる。
そんなサクラを母が腕に抱き抱えると、由姫を玄関の外へと追いやる。
「サクラ~。」
余りの絶望な叫びに、玄関前にいた通行人が由姫を見て固まっていた。
「バカやってないでさっさと行きなさい。ご近所から変に思われるでしょ。いい加減にしないと来月のおこづかい無しにするわよ。」
母の宣言に渋々といった様子で学校に向かうことになった由姫。
その沈んだ様子が、憂いを帯びたような何とも言えない雰囲気を醸し出しており、道行く人たちを魅了していたことなど由姫には気づけるはずもなかった。
「おっはようって、どったの由姫?」
電車に乗ると美緒が元気良く挨拶をして来たが、由姫の様子が変だと気付き聞いてきた。
「由姫さま、具合でも悪いのですか?」
真澄は心配な様子で聞いてくる。
「サクラが、サクラが。」
由姫は、スマホのサクラの写真を見つめながら壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返していた。
二人がスマホの画像を見ると、まだ小さい仔犬が可愛らしくじゃれついているところが目にはいった。
「おー、これが例の仔犬ちゃんか。うわー、ちっちゃくてかわいい。私も抱いてみたい。」
美緒は画像の仔犬に魅了されていた。
「本当に可愛らしいですね。由姫さまと一緒にいられてこの子は幸福者ですね。」
真澄も仔犬の画像に釘付けであった。
「そうでしょう。ホントにちっちゃくて可愛いの。サクラっていうのよ。」
由姫は気をとりなおすと、画像を見せながら自慢するように告げた。
まるで自分の子供を自慢する親バカのような様子であったが、見た目が可愛らしい女の子ではその笑顔に、男女問わずに何人もの人たちを魅了することになった。
そして、ようやく落ち着きを取り戻した由姫は、三人で土曜日の予定を話し合い盛り上がることになった。
学校に到着した三人は、教室の席でサクラの話で盛り上がっていた。
スマホの画面を見つめるいとおしそうな由姫の様子に、教室内がざわつき始める。
「おい、汐崎さん何かスマホをいとおしそうに見ているけど、いったい何があったんだ?」
「わからん。まさか彼氏が出来たんじゃないだろうな?」
「そんなこと合ってたまるか。誰か聞いてこいよ。」
男どもは相変わらず、由姫に話しかけることが出来ないなか、一人の男が由姫に話しかけていた。
「やあ、汐崎さんおはよう。なにやら熱心にスマホを見ているけどどうしたんだい?」
前の席の木坂文章であり、学級委員長を務める男だった。
「木坂くんも見る? 家で飼っている犬なの。サクラって言うんだ。」
まるで自慢するように告げた由姫の言葉に、木坂はスマホの画像を見るとそこに写っていた仔犬が目に入る。
「本当に可愛らしいね。」と木坂が告げると、満足そうに由姫は頷いていた。
「おい、あいつまた馴れ馴れしく汐崎さんと話しているぞ。」
「くそ、いくら学級委員と副委員長の関係だからって調子に乗るなよ。」
「そもそも、何で犬塚の奴はあいつにはなんにも言わないんだよ。」
ある生徒の言葉に、そう言えばというように話始めたが理由が分かるはずもなくその話はいつしか立ち消えになっていた。
由姫が一日中サクラのことで頭が一杯で過ごしていたら、いつの間にか放課後になっていた。
流石に新入生という事で、部活を休むわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いでテニスコートに向かう由姫。
そんな由姫に一貴が話しかけて来た。
「由姫ちゃん、今日家に寄っていっていいかな?」
「家に? 別に良いけどどうしたの?」
由姫が一貴に問う。
「ああ、勇樹に線香を上げにいきたくて・・・。」
その言葉に由姫は、そういえばというように気が付くと、「じゃあ、部活が終わったら一緒に帰ろう。」と告げると、「よろしく。」と言って練習に向かっていった。
由姫は今更ながらに、自分が死んでいることを思い出していた。
そんな二人の様子を見ていた美緒が、由姫をからかうように話しかけてくる。
「おやおや、一緒に下校なんてお熱いですな。」
「そんなんじゃないよ。ちょっと野暮用で。」
由姫が余りこの話をしたくないのか、乗ってこなかった様子に美緒も言葉が続かなくなってしまった。
「まったく、くだらないこと言ってないで練習。」
真澄が、この話を切り上げるかのように美緒を連れて行ってしまった。
由姫は助かったというように自分の練習メニューをこなしていく。
十七時半になり今日の部活を終えた由姫は、いつもの二人に一貴を加えた四人で下校することになった。
相変わらず真澄が一貴に対して警戒感を露にはしていたが、特になにも言ってくることはなく由姫と一貴は家の最寄り駅で下車する。
美緒からは「それじゃあまた明日。」と普通の挨拶をされ、真澄からは「気を付けてお帰りください。」と一貴を一瞥して告げられた。
一貴もそんな真澄の対応に慣れたのか、普通に別れの挨拶をしていた。
由姫と一貴が揃って歩いていると、美男美女だけあって周囲からの注目度は一人の時よりもさらに集まっていた。
一貴はそんな視線に、特に意識することなく由姫とたわいもない話をしながら歩いていた。
やがて、由姫の家に到着すると由姫が「ただいま。」と言って玄関を開ける。
家の奥からは足音が聞こえてきて、由姫のもと目掛けてサクラが駆け寄ってきた。
「サクラ、ただいま~。寂しかった?」
由姫はそう言うとサクラを抱え上げる。
「一貴くん、この子がサクラ。サクラ、この人は私の幼馴染みの一貴くんって言うんだよ。よろしくね。」
由姫が、一貴を正面で見られるようにサクラを顔の位置まで持ち上げる。
「由姫、お帰りなさい。あら、一貴君も一緒だったの? お久しぶりね。」
「お久しぶりです。今日は勇樹に線香を上げさせてもらいに来ました。」
一貴は、母に家に来た目的を説明する。
「それは、わざわざありがとうね。ゆっくりしていってね。由姫、お母さんちょっとおかずを買いにいきたいから留守番よろしくね。」
「うん、いってらっしゃい。」
母が買い物に出掛けると、家には由姫と一貴だけになってしまう。
「とりあえず上がって。」
由姫がそう促すと「お邪魔します。」と言って、一貴は靴を脱ぎ始めた。
由姫は一貴を仏壇の有る和室へと案内すると、お茶菓子を用意するためにキッチンへと向かった。
一人和室に残された一貴は、勇樹の遺影を見つめていた。やがて線香に火を付けて線香を上げる。
手を合わせた一貴は目を閉じると、長い時間何かを報告するように黙祷を続けた。
由姫がお茶の用意をし終えても、なかなかやってこない一貴に和室を覗きに向かった。
すると、由姫は涙を流しながら遺影に手を合わせている一貴が目に入ってきた。
「一貴くん・・・。」
由姫の呟きが聞こえたのか、目を開けた一貴は由姫の方を見ると、涙を拭いて由姫に話しかける。
「ごめんね。ちょっと感傷的になっちゃって。」
一貴の言葉になんと言って良いかわからずに、由姫はお茶が入ったからとダイニングに案内する。
「由姫ちゃん、あの時は本当にごめんね。もし俺が二人と一緒に帰っていればこんなことにはならなかったかもしれないのに。」
由姫がその言葉を聞くと、慌てて否定する。
「何を言っているの? 一貴くんのせいなんかじゃないよ。あの事件は犯人が悪いんであって、一貴くんが責任を感じることないよ。」
由姫の必死の言葉も一貴には届かなかった。
「でも、あの時もし一緒に帰っていれば勇樹が生きていた未来があったかもしれない。それなのに俺は、なにも知らずに自分の用事を優先してしまった。それが赦せないんだ。」
その事を聞いた由姫は、初めて気が付いた。自分が死んだことでこんなにも苦しんでいる親友がいたのだということを。
しかし、由姫である自分が何を言ったところでこの親友は自分を赦すことなど出来ないだろう。
不器用でお人好しな、勇樹の親友。
由姫はこの親友を救うには由姫のままでは駄目だと悟った。
「一貴くん、ちょっと来て。」
由姫は一貴の手を取ると、二階にある勇樹の部屋へとやってくる。
部屋はサクラの部屋へと改装されていたが、それでも勇樹の私物があちこちに残っていた。
「どうしたんだい、由姫ちゃん?」
一貴は混乱するように由姫へと尋ねてきた。
「まったく、お前は本当に不器用なんだから。気にする必要はないと言っただろうが。」
突然の由姫の口調の変化に、一貴の混乱は拍車がかかった。
「由姫ちゃん、あの・・・、一体どうしたんだい?」
「まったく、まだわかんないのかよ。俺だよ。お前の親友の勇樹だよ。親友の癖に気付かないなんて薄情じゃないのか?」
由姫の言葉が理解できないと言うように、一貴の時間が止まってしまった。
「お前が何時まで経ってもうじうじしてるから、ばらすはめになったぜ。誰にも言うなよ。こんなことばれたら色々大変な目に合うし、家族にも誰にもいうなって止められてたんだからな。」
由姫の口調が勇樹のそれと同じだと気付き、恐る恐る尋ねる一貴。
「あの・・・、本当に勇樹なのか?」
「だからそうだって言ってるだろ。お前は頭は良いが、理解力が低いな。」
ようやく事態が飲み込めてきた一貴が質問する。
「それはしょうがないだろ。いくらなんでもこんな突拍子もないこと着いていけるかよ。そんなことより、じゃあ由姫ちゃんは一体どうなってるんだ?」
「ああ、あの事件以降目を覚ましたらなぜか俺が由姫になっていて、由姫の意識はあの時から一度も戻っていない。まあ、何時由姫が戻っても良いように俺が由姫の代わりをしているのさ。」
これまでの経緯を粗方一貴に説明をする。
「勇樹もこれまで大変だったんだね。」
「そうだよ、男なのに料理はさせられるわ、話し方や仕草まで母親に指導されたんだぜ。やってらんないよ。しかもお小遣い人質に取られてるんだからな。」
ハハハ、と乾いた笑いをする一貴。
「一貴、この事は誰にも内緒だからな。お前にだから話したんだから、うちの親にもばらされたことは内緒にしておけよ。それと、外では今まで通りに接してくれよ。」
「分かってるよ。自分にだけ打ち明けてくれたし、親友の頼みだからね。」
一貴から確約をもらってひと安心の由姫。
「そうだ、実は今日はあの時に渡せなかった誕生日のプレゼントを持ってきたんだ。」
一貴が鞄から箱を二つ取り出すと由姫に見せる。
「二つということは一つは俺の分ということか。」
「そう、こっちが勇樹の分。本当は仏壇に供えようとしたんだけど。」
一貴が説明をする。
「まあ、本人がここにいるんだからな。」
箱を開けると中には男物の財布が入っていた。
「おお、かっこいいな。でも今の自分が使うには違和感があるな。まあ、ありがたく貰っとくよ。」
そう言うと勇樹の机の中に箱ごと仕舞うことにした。
「女の子にはちょっと使いづらいからね。こっちは由姫ちゃんの分なんだ。」
一貴がもうひとつの箱を渡してきたため開けることにする。
中を確認した由姫は、熊のキャラクターが付いた銀色のネックレスが目に入る。
「なんだよ一貴、お前にしては趣味の良いプレゼントじゃないか。お前が今まで由姫に渡してきたものは、こう言っちゃ悪いが趣味はあまり良くなかったからな。すごい進歩じゃないか。」
一貴がこれまで由姫に渡してきたプレゼントは、よく分からないキャラクターのぬいぐるみや部屋に飾るよく分からない小物等の、独特のセンスを思い出して言った。
まあ、由姫はそれでも喜んでもらっていたが。
それに比べれば格段の進歩に、感心したように告げていた。
一貴はしばらくの沈黙ののち、「流石にそれはひどいんじゃないか。俺だって一生懸命に考えていたんだから。」
少しいじけた一貴に「悪い悪い」と言うと、なんとかなだめる。
「まあ、でもこいつは由姫が戻ってきてから渡した方がいいな。今の俺が受け取ってもしょうがないだろ。」
「そうだね。また今度にするよ。」
そう言うと一貴は由姫のプレゼントを鞄にしまう。
丁度その時玄関から「ただいま。」と母の声が聞こえてきたので、由姫と一貴 は一階に降りることにした。
「おばさん、お邪魔しました。」
「あら、もういいの? 折角だから夕飯でも食べていけば良いのに。」
母が引き止めるが、一貴が「また今度ご馳走になります。」と言うと、玄関から外へと出る。
由姫は一貴を見送るために一緒に外へと出た。
「勇樹、今日は色々とありがとうな。」
「一貴もあんまり気にするなよ。こうなったことはお前のせいじゃないんだからな。それと、外ではくれぐれも由姫として接してくれな。」
由姫は一貴にそう告げた。
「分かったよ。由姫ちゃん、それじゃあまた明日。」
「うん。一貴くん、また明日ね。」
そう言うと、二人は今まで通りの挨拶を交わすと由姫と一貴の関係に戻っていくのだった。
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