第8話 新しい家族

 それから一週間が過ぎ由姫は授業や部活動にと、順調な高校生活を送っていた。

 今日も部活が終わり美緒と真澄と一緒に下校をしていた。


「いや~、今日のテニス部の練習も疲れたー。」

 美緒はテニス部に本入部してから、練習が仮入部の時よりも大変になったことに思わず言葉がこぼれた。


「仮入部の時よりも本格的な練習内容になったからね。結局、新入生部員も半数近くは入部辞退していたし。」

 由姫が美緒の言葉に答えた。


「あの程度で根を上げるようでは、所詮その程度ということでしょう。邪な動機だっただけでしょう。」

 真澄はどうでも良いというように言う。


「美緒や真澄ちゃんは本当にテニス部で良かったの? 今さらだけど別にやりたいことがあるんだったら、無理して私に付き合うことないよ?」

 由姫は気になっていたことを二人に尋ねる。


「ん~、別に他に興味がある訳でもないし、テニスもやってみると結構楽しいしね。それに由姫を一人にするのも心配だし。」

 美緒は結構面倒見の良いところがあるようだった。


「私は、由姫さまの居るところに居るのが私の望みですから。」

 そういつも通りに答える真澄。


「ありがとう二人とも。そうだ、今度の休み一緒に遊ばない?」

「いいね。折角だから郊外に新しくショッピングモールが出来たみたいだし、そこに行ってみない?」

 由姫が二人に言うと美緒がそう提案してきた。

「そうだね、真澄ちゃんはどう?」

「はい、是非ご一緒します。」


 真澄も同意をしたことから、今度の土曜日にショッピングモールの最寄りの駅に集合することになった。

「じゃあまた明日学校で!」

 由姫が電車から降りる。二人も「また明日」と答えると、由姫は改札口をくぐると家へと向かった。


「く~ん・・・。」

 住宅街にまでたどり着いたとき、由姫の耳には鳴き声が聞こえてきた。

「確かこっちの方から・・・。」

 鳴き声のした方へと進んでいくと、由姫の目には電柱の下に段ボールが置かれているのが見えた。


 由姫が中を覗くと仔犬が血を流して弱っている姿が目に入ってきた。

「そんな、しっかりして。」

 由姫は慌てて子犬の様子を確認すると、なんとか息をしているがかなりの衰弱しているように感じた。


 由姫の脳裏にはあの事件の光景がフラッシュバックしていた。

「しっかりして。すぐに病院に連れてくからね。絶対に助けるから!」

 由姫が仔犬を優しく抱え込むと、スマホの音声入力で近くの動物病院を検索して、その場に向かって走り出した。


 やがて由姫の目には笹本動物病院という看板が見えた。

 しかし夕方ということもあり建物の電気は消えており、診療時間が終わっていることが窺えた。

 それでも由姫は必死に入り口を叩くと中に呼び掛ける。


「お願いします、急患なんです!開けてください!」

 何度も必死に呼び掛けていると、明かりが付き入り口が開かれる。

「どうしましたか?」

 中からは二十代前半とみられる女性が姿を現した。


「この子を助けて下さい。お願いします。」

 由姫が懸命に懇願し、仔犬を見せると「とにかく中に入って」と通された。

 診療室に入るとそこには白衣を着た五十代位の男性がいた。


「どうした、美奈子?」

「お父さん、この子を診てもらえますか。」

 そう答えた女性は、由姫の抱えている仔犬を見せるとそう答えた。

「どれ、お嬢さん。少し診させてもらうよ。」

 そう言うと男性は由姫から仔犬を預かると、診察台にのせた。


 しばらく診察した男性は治療を開始する。

 その様子を不安そうに見つめる由姫。

「もう大丈夫だからね。」

 女性は由姫を安心させるように微笑みながら話しかける。

「ありがとうございます。」

 由姫はまだ心配な様子で仔犬を見つめながら答えた。


 やがて治療を終えた医師から告げられる。

「お嬢さん、もう大丈夫だよ。傷口は無事治療できた。おそらく鳥かなにかに傷付けられたものだろう。それほど深い傷ではなかった。あとは衰弱の方だが、しばらく栄養のあるものを与えて安静にしていれば良くなるよ。」

 医師からそう告げられてほっと胸を撫で下ろした由姫。


「本当にありがとうございました。」

 由姫は二人に頭を下げながらお礼をした。そしてふと思い出して尋ねた。

「あの・・・、治療代はいくらですか。」


 医師は少し考えてから由姫に質問をしてきた。

「この子は首輪をしていないが、君の犬なのかな。」

「いえ、家に帰る途中で捨てられていたのを見つけて・・・。」

 由姫がこれまでの経緯を説明した。


「そういうことならばお金は貰えないな。」

 話を聞いた医師が由姫に告げる。

「でも・・・」

 由姫がなおも引き下がらない様子を見て、医師が告げた。


「君はこの子のために十分なことをした。それは誰にでもできることじゃない。君のお陰でこの子の命は救われたんだよ。お金のことなら心配はいらない。この子を捨てた無責任な飼い主が見つかったらたんまりと請求してやるさ。」

 そう言って医師は笑っていた。


 由姫がもう一度お礼を言うと、女性が話かけてきた。

「そう言えば自己紹介がまだだったね。私は笹本美奈子ささもとみなこ、ここで看護師をしているの。この人は笹本太一ささもとたいち、動物医師で私の父なの。」

「私は汐崎由姫と言います。この近くに住んでいて、高校一年です。」


「由姫ちゃんっていうんだ。それにしてもきれいな髪だね。両親は外国の方なのかな?」

 美奈子が由姫に尋ねる。

「いえ、両親は二人とも日本人です。これは祖母の影響でして。」

 そう由姫が説明をする。


「ところで由姫ちゃん。この子はどうするつもりなのかな。」

「お母さんにお願いして家で飼いたいと思います。」

 美奈子の質問に答える由姫。


「二、三日はここで様子を見られるから、それまでにご両親と話し合うと良い。」

 太一の提案に「はい。」と答えると、由姫は家に帰ることにした。


 動物病院を出るときに美奈子から「がんばってね。」と励まされ、由姫が「はい。あの子のことをよろしくお願いします。」と言って動物病院を後にした。


 家に着いた由姫は、玄関前で深呼吸をすると「ただいま。」と言って玄関をくぐる。

「お帰りなさい由姫。今日は帰りが少し遅かったのね。」

 リビングの方から母が顔を出すと由姫を出迎えた。


 由姫はリビングに行くと、母に向かって真剣な表情で話し掛ける。

「お母さんお願いがあります。家で犬を飼いたいです。世話も躾も自分でやりますので飼わせてください。」

 由姫の言葉を聞き一瞬キョトンとした表情になった母だったが、正気に戻ると由姫に質問をする。


「由姫、取り敢えず順序だてて説明してちょうだい。どうしていきなり犬を飼いたいなんて言ったの?」

 母の質問に由姫は事の最初から説明をすることになった。

 由姫の話を聞き終えた母は由姫に話し掛けた。


「由姫、動物を飼うということはそんなに簡単なことではないのよ。動物だってひとつの命を持った存在なの。今日のように怪我や病気になったり、年を取れば歩くことやトイレだって世話をする必要になってくる。そして、人間よりも早くに天に召されることにもなる。それを受け入れる覚悟があるの?」

 由姫は母の言葉を聞いた後も、目をそらさずに告げた。


「あの子をこの手で抱いたときに誓ったんだ。絶対に助けるって。ここで見放したらその言葉が嘘になっちゃう。そんなことは絶対に出来ない。」

 由姫のその強い意思を目に見た母は、やがてため息を付くと答えた。


「分かったわ。お父さんにはお母さんも一緒にお願いしてあげる。試すようなことを言ってご免なさいね。貴方の覚悟が知りたかったの。でも、さっきお母さんが言ったことは全部事実よ。それだけは忘れないでね。」

 その言葉を聞いた由姫は目に涙を浮かべながら、「ありがとう、お母さん。」と言うと母に抱き付いた。


 その後、夕食の時間が近づく頃に父が帰宅した。リビングに入ると由姫が正座をしているのが父の目に入ってきた。

「いったいどうしたんだ由姫? そんなところで正座なんかして。」

 父が驚いて由姫の元まで行くと、由姫が頭を下げて父に犬を飼いたいとの旨を伝えた。

 母が補足として今日あった事実を説明すると、由姫と一緒になって父の説得をする。


 話を聞き終えた父は由姫を立ち上がらせると、笑顔を見せながら告げた。

「二人が決めたことならお父さんは別に反対はしないよ。それに、お母さんからも色々と言われても覚悟は変わらなかったんだろう? ならいいさ。お父さんもお母さんも出来ることは協力する。でも、由姫が責任をもって最期まで面倒を見るんだよ。いいね?」

 父の言葉に「ありがとう、お父さん。」と言って抱きつく由姫。


「さて、そうと決まったらいろいろと準備をしないとな。部屋とかも用意しとかないと。」

「それだったら私の前使っていた部屋にしよう?」

 由姫は勇樹だった頃に使っていた、今は使われていない部屋を使うように提案する。

 両親は少し考えた様子だったが、由姫がそれでいいならと了承する。


 まずは部屋を子犬が怪我をしないよう壁や角に緩衝材を付けたり、床が汚れてもいいように専用のカーペットなどを用意することになった。

「必要そうなものは明日お母さんが用意しておくから、由姫は明日は早く帰ってきなさい。一緒に子犬を引き取りに行きますからね。」

 由姫が頷くと話を切り上げて夕食を取ることになった。


 夕食を終えた由姫は、部屋へともどるとスマホを取り出してSNSで美緒と真澄に連絡を取った。

 そこで今日あったことと、子犬を飼うこと、明日の部活は休むことを伝えた。


≪りょうかーい、部長たちには伝えておくね。それより、今度の土曜日買い物が終わったら由姫の家に行ってもいい? 私もワンちゃんに会いたいよー。≫

≪もちろんいいよ。真澄ちゃんも良かったら来てね。≫

≪はい。伺わせていただきます。≫

 連絡を終えた由姫は、明日が早く来ないかと待ち遠しそうに過ごしていた。


 次の日、学校が終わった由姫はいそいで荷物をカバンに詰め始める。

「由姫、ワンちゃんによろしくね。」

「由姫さま、お気を付けてお帰りください。」

「二人ともありがとう。あとのことよろしくね。」

 そう言うと足早に教室を後にした。


「ただいま、お母さん。早く行こう!」

 家に帰ってきた由姫は母を呼ぶ。

「そんなに慌てなくても大丈夫よ。」

 母が部屋から出てくると由姫を落ち着かせるように話しかける。


 そんな制止もさほど効果がなく、母の手を引いて笹本動物病院へと向かっていった。

「こんにちわ。」

 由姫が扉を開くと中にはいる。病院内は夕方ということもあり他の人は居なかった。

「あら、いらっしゃい由姫ちゃん。」

 診療室から美奈子が出てくると声をかけてくる。

「どうも、この度は娘がお世話になりました。私は母の汐崎響子しおざききょうこと申します。」

 母は、頭を下げるとそう挨拶をする。


 美奈子も自己紹介をすると、とにかく奥へお入りくださいと診察室へと案内をする。

 診察室では笹本医師が出迎えてくれた。母と笹本医師がお互いに挨拶を済ませていると、美奈子がケージから仔犬を抱きかかえてきて由姫へと手渡した。

「元気だった?」

 由姫は仔犬に話しかけながら様子を窺っていると、昨日とは比べものにならないくらい元気な様子で、尻尾を振っているのを見ると笑顔がこぼれる。

「由姫ちゃんのことちゃんと覚えているみたいね。命の恩人だものね。」

 美奈子がそう言いながら仔犬をなでる。


 由姫と美奈子が仔犬の相手をしている間、笹本医師は母に仔犬についての説明をしていた。

 しばらくは免疫機能が弱いため室内で飼うこと。用紙を渡して狂犬病や病気の予防接種、飼い犬の登録について話していた。


「そうだ、由姫ちゃん。この子の名前はもう決めた?」

 美奈子の問いに由姫はうなづくと答えた。

「はい。女の子なのでサクラと名付けたいと思います。今日からあなたの名前はサクラよ。よろしくねサクラ。」

「サクラちゃんね。女の子らしくて可愛い名前ね。よかったねサクラちゃん。」

「く~ん」

 そう鳴くと由姫の手を舐め始める。

 そんな仕草に笑みが止まらない由姫は、思わずサクラに頬擦りしていた。


 由姫は母の元まで行くと、サクラに紹介する。

「サクラ、この人がお母さんだよ。挨拶して。」

 そう言うとサクラを母に抱っこさせる。

「これからよろしくねサクラ。」

 そう言うと母はしばらくサクラを撫で、サクラは「く~ん」と鳴くとしっぽを振って答えていた。


 その後、病院を後にする時に笹本医師は念を押すように由姫に告げた。

「くれぐれも体調管理には気をつけて、何か異常があればすぐに来るように。後、分からないことがあったらいつでも聞いてくれていいから。」

「はい。ありがとうございました。」

 由姫がそう答えると母とサクラと共に家へと帰っていった。


 家に着いた由姫は母に尋ねる。

「お母さん。部屋の方は大丈夫?」

「ええ、ちゃんと準備してあるわよ。」

 その言葉を聞いた由姫は、二階の勇樹の部屋へと向かう。


 ドアを開けると部屋は、サクラが遊んでも怪我をしないように緩衝材とカーペットが敷かれ、トイレと寝床、遊び道具もいくつかおかれていた。

 そして、ウイルス除去機能付きの空気清浄機とエアコンで温度調整もされていた。

「サクラ、今日からここがあなたの部屋よ。」


 由姫がサクラを床へと下ろすと部屋の中央へと向かう。

 サクラは部屋を見渡すと、由姫のところへと進んでいき足下でじゃれついてきた。

 その仕草に悩殺された由姫が床に寝転がると、サクラを胸に抱き締める。


「もー、サクラは可愛いんだから。」

「きゅーん、きゅーん。」

 サクラは由姫の顔をなめる。


「由姫、はしたないわよ。」

 母が由姫の様子を見に来ると、スカートが捲れているのも気にせずにサクラとじゃれついているところを窘める。


「ごめんなさーい。」

 そう言うと床に座り直した由姫は、部屋にあったボールを使ってサクラと遊び始める。

「じゃあ、お母さん夕食の用意をしてくるから。時間になったら降りてきなさいよ。」

 母は一階へと降りていく。


「そうだ!」

 由姫がそう言うとスマホを取りだし、ボールに一生懸命かじりついている様子を撮影する。

 やがてサクラがスマホを持っているのに興味を持ったのか、これなに?というようにスマホの臭いを嗅ぐように近づいてきた。


 そんなサクラに悶絶させられながらも撮影を続けた由姫は、母の「ご飯よー」と呼ぶ声が聞こえるまでサクラと遊んでいた。


「ただいまー。」

 父が帰宅してきたので、由姫はサクラを抱くと玄関で父を出迎える。

「お父さんお帰りなさい。サクラ、この人がお父さんだよ。」

 サクラを前に出すと父を紹介する。


「この子が新しい家族か。サクラよろしくな。」

 父がサクラの頭を撫でる。

「くーん。」

 サクラが父に挨拶するように鳴くと、尻尾を激しく振っていた。

「お父さん、もうご飯の用意はできてるよ。」


 由姫は父と共にダイニングへと向かう。

 その日は、サクラと共に家族揃って夕食を取ることになった。


 その後も、家族揃ってサクラとじゃれあう時間が就寝時間まで続いた。その間、写真や動画をたくさん撮った由姫は、明日美緒と真澄とに見せようと考えていた。


 そして就寝時間。由姫はサクラがひとりでは不安だろうと、勇樹の部屋で寝ることにした。

 サクラを寝床で寝かせると、毛布をかける。

「サクラ、おやすみなさい。」

 サクラが寝付くまで体を撫でていると、やがてまぶたが落ちてきて眠りについた。

 由姫はベッドをサクラの居るところまで近づけると、おやすみと言って就寝する。


 夜中の2時が回った頃、由姫は目が覚める。

「きゅーんきゅーん。」

 サクラが寝床からでると、誰かを探すようにうろうろしていたのだ。

 由姫がベッドから降りサクラを抱き締める。


「大丈夫。私はここにいるからね。あなたを置いていったりしないから。安心していいからね。」

 しばらくサクラをあやしていた由姫は、今日だけはという事でベッドに連れていくと、一緒の布団で寝ることにした。

 安心しきったサクラの寝顔を見て、由姫も再び眠りに付く。


 こうして由姫の家族が新たにひとり増えた生活が始まった。

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