第十九話 巨神の叫びと少女の願い
「魔王!」
足元の超規模大魔法陣によって呼び出される巨神の位置は自分たちの真上。そのことに一瞬で気づいたアータとクラウスは互いの近くにいたメイドやアンリエッタ、サリーナたちに向かって飛ぶ。
魔王はサリーナのもとへ、アータはアンリエッタのもとへ。
それぞれが二人のもとへ腕を伸ばしたその瞬間、アンリエッタとサリーナの足元に小さな召喚陣が浮かび上がり、
「サリー……!」
二人の手が届くその瞬間に、アンリエッタやサリーナを含むアータとクラウス以外の全員がこの場から転送される。
空を切った手にクラウスは憤怒に顔を怒りに歪めた。
アータもまたアンリエッタに届かなかった掌を忌々しくにらみつけながらも、森の奥から魔法を唱えていた一人のエルフの姿を見つける。
そのエルフの口元が愉悦に歪み、アータとクラウスは自分たちの真上に召喚された――神の足に踏みつぶされた。
地割れなんて生易しいものではない。
轟音どころか、世界さえ揺るがすほどの大地の悲鳴。
振り下ろされたその足はケルベロスさえ踏みつぶさんほどの巨大さ。その足は大地を一踏みしただけで大陸全土を大きく揺るがした。大地もまた、自分に振り下ろされた鉄槌ともいえる巨躯に震えるようにして波打っていく。
――巨神。
魔王家の跡地だった抉れた大地に立つのは、光の巨神だった。
巨人など比ではない。神のごとく巨大な光の肉体は、大陸の端からでもその姿を認識できるほどの巨大さだ。
山一つを跨がんばかりに現れたその巨神は、いびつに太い両腕を振り上げ、声にならない雄たけびを上げた。
『Ahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』
人の言葉に聞こえぬその神の叫びを耳にしながら、荒れた森の奥から一人のエルフが姿を現した。そのエルフは黒い魔法衣を翻しながらも巨神の傍に浮かび上がる。そのまま彼は、手にした杖で深々とかぶっていたフードを拭い、濃い深緑の長髪を風に靡かせながら恍惚とした表情で笑った。
「はは、ははははは! 最高じゃないかこの力! 最強じゃないかこの巨神の力は! そう――これこそが神の力、それこそ貴様ら野蛮な魔族と人間の手にするべきものではないのだがなァ、魔王! そして勇者よ!」
満悦の笑みは憤怒へと変わり、そのエルフは鋭い視線で巨神の足元をにらみつけた。
忌々しく下唇をかむエルフの視線の先で、最初の一撃を躱していたクラウスとアータは並び立つようにして空を見上げている。
「嫌われてるな魔王」
「お互いさまだ勇者」
軽口を互いに叩くが、その足元はふら付いている。魔王は既に額から血を流し、アータ自身も左腕の感覚が鈍い。気を緩めていたつもりはないが、想像以上に最悪な状況だった。
『あーたん、わかってるんですの!?』
「わかってる。今の俺たちには相性最悪だってんだろ」
フラガラッハの叫びにアータは眉を顰めながらも答えた。
たった今召喚されたこの巨神には肉体がない。
正確には魔力だけで構成された化け物だ。実態を持たない魔力だけで構成されたその巨神の一撃は、魔王やアータたちの物理的な肉体の強さに関係なくダメージを与えてくる。その最大の原因は当然――アーティファクトによる魔力ゼロ。
要は、魔法抵抗力ゼロの極端に魔法使いに弱い今の自分達を倒すべく用意された、超魔法特化の巨神。
「森の王エルニア。冗談で済ますなら、まだ私も笑って済ませるぞ?」
「随分な物言いだな魔界の王。私は貴様の首を取りに来たのだよ」
思案するアータの隣で、魔王がゆっくりと空に浮かびながら笑う。だが、幾度となく魔王クラウスと剣を合わせたアータにはわかる。当然、今の魔王は止まらない。
だが、巨神の隣で浮かぶエルニアと呼ばれた深緑のエルフはそんな魔王の姿に微動だにしない。その堂々とした姿とクラウスの呼んだ名に聞き覚えのあったアータは、その名が魔族と人間に次ぐ第三勢力――エルフの王のものであることを思い出す。
魔界と人間界に隣り合う深き暗き森に住まう、純粋なる魔法の継承者。アーティファクトを生み出したといわれる種族の末裔――エルフ。
「私が魔王家を留守にしている間にも、随分とちょっかいを出していたようではないか、エルニア」
「ふん。結界で近寄ることすら許さなかった狡賢いだけの魔族が何を」
宙でにらみ合う魔王とエルフの王の様子を見上げながらも、アータは先ほど消されたサリーナやアンリエッタ、四神将たちの姿を探す。かすかに残った転送陣の魔力の流れをフラガラッハを介して読み取り――その先の結果を知って怒りに唇をかむ。
何より、耳に残っているその叫び声と魔力の流れは紛れもなく、自分達の天敵に向いており――、
「その私が張った結界が消えたからこそ、こうして自慢げにおもちゃを持ってきたのだろう?」
「ははっ、おもちゃか! そういえばどこぞの哀れな魔族が家族ごっこに勤しんでいたな! だが、自分を守れもしない父親にはいい加減、娘もうんざりしてたんじゃないのか?」
エルニアの言葉に、すぐさま上空で怒りが膨れ上がるのに気づいたアータは声を荒げた。
「魔王ッ! そいつに手を出すな! そいつの目的は――」
「エルニアァ!」
クラウスがエルニアへと一瞬で距離を詰め、その顔面に拳を叩きつけようとしたその瞬間、アータとクラウスの首についた首輪がその力を増した。引きちぎらんがごとく締め付ける首輪は、魔力どころか二人の体力ごと根こそぎ無慈悲なドレインを開始し、苦しみにクラウスの翼の羽ばたきも力を失っていく。
だが、
「っぐ!?」
地に落ちるより早く、魔王クラウスはそんな痛みすら無視して目の前のエルニアの眼前に拳を振った。空さえ切ったが、その余波は余裕の表情を崩さなかったエルニアの鼻先を裂く。驚愕に目を開くエルニアに魔王は白い歯を見せつけて笑った。
「ははっ、自慢の長鼻に傷の一つぐらいあったほうがもてるぞ、万年独身のひょろながエルフ!」
「貴様はァ!」
力なく地に落ちかけた魔王の身体を、巨神の巨大な拳が捉えた。それこそ、屋敷ほどの巨大な魔力で固められた拳は魔王クラウスごと、地面で膝をつくアータに向かって振り下ろされる。
次の瞬間には、振り下ろされた拳が大地にめり込むようにして地面が轟音とともに隆起した。隕石でも落ちたかのような巨大な拳のあとを残すその一撃を見て、エルニアは乾いた笑い声をあげながら、拳の先でつぶれているアータたちに語る。
「は、ははは! どうだ、自分たちの魔力が自分たちを傷つける気分は!? 万単位のエルフによってこの大陸は既に我らエルフの作る超大規模魔法陣の中! アーティファクトで封印された貴様らの魔力を魔法陣を介して肉体へと昇華して生み出した巨神! その名も――うおっ!?」
地面から飛んできた岩を寸前で躱したエルニアは、額に流れた一筋の冷や汗を拭いながら忌々しく地面をにらむ。そこでいまだ健在の魔王と勇者の姿に、エルニアはむき出しの牙をかみしめて叫んだ。
「いいだろう、そこまでして巨神の力を見たければ存分に見るがいい! ティルタニアッ!」
『Ahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』
巨神が空を見上げて声にならぬ雄たけびを上げる。もはやその巨大さに物理的な圧力すら感じるほどの雄たけび。
そんな雄たけびを聞きながらも、岩を投げつけた態勢で肩で息をする魔王クラウスに、同じく膝をついて呼吸を整えるアータは呟く。
「魔王、挑発に乗るな。わかってるだろ、そう何発も食らってられないぞ」
「指図するな勇者! 奴を今すぐここに引きずり下ろし、五臓六腑を焼き尽くしながらサリーナの居場所を問うのだ!」
「居場所なら――見ろ」
「何を――ッ!?」
アータの指さした先。
自分達へと拳を振り下ろす光の巨神の頭部に、彼女は膝を抱えて――居た。
「――――」
握っていた拳を解くように脱力したクラウスの様子に気づいたアータは、震える膝に力を込めて立ち上がった。目の前に迫ってくる光の拳の速度を超えるべく大地を蹴りつけ、アータは茫然としたままのクラウスを突き飛ばすようにして、拳が大地を抉る余波に吹き飛ばされる。
嵐なんて生易しいものではない。大陸ごと揺らされる一撃に蹂躙されながらも、アータは魔王を近くの岩場に投げ捨てながら木々をなぎ倒すようにして何とか衝撃を殺す。
「なに、やってんだクソ魔王……!」
「……っ」
困惑に揺れる魔王クラウスの様子に、アータは再び光の巨人の頭を見る。
そこにいたのは、クラウスとよく似た白銀の紙を持つ少女――サリーナであった。意識などないのか、彼女はただただそこで喚く様に叫び声をあげている。その余波のどれもが、木々をなぎ倒すほどの呪いの声。
「は、ははは! どうだ、気に入ったか魔王!? 一日にして世界の変わる気分は!? 娘が暴れるさまは! ははははは! 手を出してみろ、娘にどんな影響があるか知らんがな! とはいえ、これだけだと思うなよ魔王、そして勇者よ」
次の瞬間には、アータの目の前で転送召喚陣が形成された。
そこから姿を現したのは――四神将のアルゴロス、ベヘルモット、アンリエッタ。そして、魔王家のメイドや給仕長たちだった。
誰もかれもの目はこちらを見ておらず、その首元に特殊な呪文が輝いているのに気づいたアータは、フラガラッハの声に耳を貸す。
『あーたん、あれ、隷属の魔紋ですの!』
「解呪できるか?」
『魔力、今、ぜろ!』
奴隷の印とさえ呼ばれる隷属の魔紋。術者の魔力によって対象者のすべての自由を奪い、意のままに操る魔法。万全状態なら消し飛ばすことができるが、今の魔力制限下の状況じゃ何一つ手立てがない。
はっきり言って、エルフという魔法特化の相手に対する対抗手段が何一つない。
「魔王!」
エルニアの言葉に、魔王は下唇を噛んだまま耐えている。その姿を見てアータは怒りのままに叫んだ。
その叫び声に、顔を伏せていた魔王はアータを睨み付ける。だが、その視線はこれまでに感じた悪意を感じさせないものだった。
それはまるで、嫉妬に似た羨望のような感情で。その視線の意味を知るよりも早く、魔王は何か口にしようとして――振り下ろされた巨神の拳の前に押しつぶされた。
「おい、魔王!?」
余波を気にせずに魔王のもとへ飛び出そうとするが、そんなアータの目の前にアンリエッタとアルゴロスが飛び込んでくる。
――速い。
振り下ろされた棍棒を仰け反って躱すと、素早くしゃがみ込んだアンリエッタの蹴りが腹に叩き込まれる。めり込む一撃に耐え、アータは体を起こしてアルゴロスの腕を取り、投げ飛ばす。
そのまま接敵してきたアンリエッタの拳を躱し、手首を掴んでそのまま飛び込んできていたほかのメイドたちに投げ飛ばした。
一瞬の攻防。されど、速く、一撃が重い。
何より、自分の身体が先ほどからとんでもなく重い。
理由は明白だ。先ほどのアーティファクトのドレインで、体力までもがほとんど持っていかれたのだ。
『あーたん、これやばいんですの、本当にやばい状況ですのよ!?』
腰に差したデッキブラシ姿のフラガラッハの声に応える気力もなく、アータは荒れる息を整える。だが、ちらりと巨神の振り下ろした拳の先に視線を移した瞬間、背後から飛び込んできたベヘルモットの屈強な両拳のガントレットが背中に叩き込まれた。
息が止まるが、それでもなお一撃に耐えたアータは振り返り、ベヘルモットの頭を掴んだまま顔面に膝蹴りを決めて蹴り飛ばす。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
呼吸の暇がない。それに、アルゴロスもベヘルモットも、アンリエッタさえもが、あの光の巨神の加護で爆発的な強化を受けている。魔力的なアドバンテージがあちらにある以上、出せる手は少ない。操られている魔王家の面々を救いつつ、捕らわれているサリーナも助け出してあの巨神を倒さなくてはならない。
そう思った瞬間、頭の中で魔王家に来た時に浮かんだ問いが反芻された。
(なんで、戦ってんだ)
魔王が死ねば、人間界は平和になる。
もともと、自分と魔王の決着がつかなかったからこその執事契約。なら、今ここで魔王が討たれるのであれば、わざわざ抗う必要も叩く必要もないではないか。
アンリエッタやアルゴロス達四神将に至っても、せいぜい二日程度の付き合いだ。敵だ。殺し合いをすべき敵だ。
それこそ、勇者御供なんて揶揄された自分自身だ。世界のために犠牲になるならそれでいいだろう。
(助ける義理なんてないだろう)
脳裏を浮かぶ言葉を肯定しようとしたとき、足元にあったソレに気づく。
『AHaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』
光の巨人の雄たけびが、アータの目の前に転がっていた小さな日記のページを捲った。
そこにあったのは、拙い字だった。
幼い子の幼い願いだった。
魔族も人もない、少女サリーナの願いだった。
――みんなを助けて笑顔にしてくれる、勇者の執事が欲しい――
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