第二十話 最強の勇者

 動かぬ左腕の拳を握り、アータはサリーナの日記の言葉を瞼の裏に焼き付け、これでもかと言わんばかりに息を吸い込んだ。

 そして、いまだ大地に振り下ろされていた巨大な光の巨神の拳の下で、だらしなくサボるそいつの名を呼ぶ。


「クラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァウスッ!」


 大絶叫。


 一度たりとも呼んだことのなかった魔王のその名を、世界から焼き尽くすつもりの大絶叫。

 もはや空振さえ起こすアータの叫び声に、アータを襲おうとしていたアンリエッタ達はおろか、光の巨神の傍にいるエルニアさえ両手で耳を覆い、苦し気に顔を歪めた。

 そんな彼らの一瞬のスキを突いたアータは、携えていたデッキブラシを地面に突き立て、両腕を自身の棘付きの首輪に伸ばす。


『あーたん!? 待つんですの、一体何をするつもりなんですの!?』


 フラガラッハの声を無視し、アータは再び魔王クラウスに向かって叫ぶ。


、守るんだな!?」


 アータの叫びはクラウスに届かないのか、大地に振り下ろされた巨神の拳はびくともしない。それどころか、憤怒のエルニアが巨神に指示を出し、もう一つの腕が大きく振り被られた。

 だが、アータの視線にもう巨神は映らない。目的はただ一つ。


「守るんだな!?」


 そして、巨神の拳がアータの真上に振り下ろされていくより早く、地面を押し潰していたはずの巨神の拳が、跳ね上がった。

 城よりも巨大なその拳の下で、それこそ蟻のように小さな拳を振り上げていたそいつは、アータに向かって親指を立てる。

 その姿は負け犬のソレじゃない。魔力抵抗、体力ともにゼロ。そんな状況でなお、神の一撃にすら立ち上がって不敵に笑うその男こそが――無敵の魔王。


「いいだろう、この魔王クラウス・フォン・シュヴェルツェンの名において三度宣言しようではないか! 勇者アータ・クリス・クルーレ! お前が、生まれてから未だにキスの経験がないサリーナの執事である限り、私は人間を――」


 ぷちっ――っと。


 三度振り下ろされた拳は、マントを翻しながら振り返った魔王を遠慮なく押し潰した。

 ついで、アータに迫っていたもう一つの拳も、そのまま方向転換して魔王の真上に振り下ろされる。まさに、地面に這う蟻にワンツーパンチの連打。

 よっぽどエルニアの怒りを買っていたのか、起き上がった魔王に向かって光の巨神のやけくそに近い攻撃がげしげしと魔王に向かって振り下ろされる。

 ……エルニアというか、娘のほうの意思かもしれないが。


 揺れる大地と振り下ろされる拳を冷めた目線で見るアータは、手にしていた首輪からだらしなく手を放し、目の前でグラグラ揺れるフラガラッハに問う。


「一応あの巨神って俺と魔王の魔力でできた化け物だし。魔王も俺もこの場の魔法陣のせいで体力ゼロ状態だし、あれなら普通死ぬよな?」

『普通っていうか、普通じゃなくても一撃目で死んであげるのが世界の理ですの』

「でもなぁ、なんていうかな。……たとえるなら、我ながらびっくりだ」

『わたくし様はファッキンなんですの。多分、あーたんはんですの』


 フラガラッハの皮肉の答えにアータは乾いた笑い声をあげながら頷く。

 残念ながら、フラガラッハの言う通り、自分はあれを受けても多分死なない。今のままでは勝てはしないが、多分負けもしない。自分は大丈夫。

 それはすなわち当然の如く、たった今滅多打ちにされているあそこにいる誰かさんも同じことで――。



「ぶっへえぁ!? おいエルニア貴様ぁ! 人が格好つけている時ぐらい空気が読めんのか!? その緑色のすべすべ髪の毛をドロドロスライムでヘドロにしてやろうか!? ぺっぺっ!」

「逃げ出し方が魔王っていうかモグラだなお前……」

「うるさいぞファンタジック勇者。そもそも貴様が私に話しかけるから答えてやろうとしたらこうなったのではないか。後でこの大魔王マントの修繕させるからな」

「黙れノスタルジック魔王。いちいち一言多いお前の発言がそもそもの元凶なんだよ。そっちこそ後で俺の執事服直せよ。あと、娘の個人情報守ってやれよ」


 アータの傍から地面を抉って飛び出してきたクラウスが、口についた泥を吐き出しながらも、空にいるエルニアを指さして怒声を上げ、皮肉を返してくる。アータもクラウスの皮肉に嫌味を返し、ため息をつく。どうにもあのワンツーパンチ状況下で地面を掘って逃げてきたらしい。

 そんな二人の様子を空から見下ろすエルニアは、顔を怒りで真っ赤に染めながらも叫び声をあげた。


「だーからァ! 貴様たちはなぜ巨神の一撃を受けてそんなにぴんぴんしていられる!? 神だぞ、神の化身だぞこれ!?」

「なんでって言ってるぞ魔王」

「なんでなんだ勇者」

「「なんでだ、エルニア」」

「――――ッッ!」


 エルニアの問いにアータとクラウスは、顔を見合わせてエルニアに問いかけ返した。だがそれがきっかけだったのか、エルニアの怒りは憤怒を超え、嘲笑へと変わる。


「いいだろう、ならば仲間の手で死ね」


 そうエルニアが叫ぶと、控えていたアルゴロス、ベヘルモット、アンリエッタやメイドたちがアータとクラウスの周りを囲う。

 彼らの首元で光る隷属の魔紋を睨み付けながらも、アータはとクラウスは互いに背を預けるようにして敵と向かい合った。

 そうしてアータはフラガラッハを手に取り、背中合わせの魔王に提案する。


「魔王、あと十秒もしないうちに深夜を回る。そうすれば、

「奇遇だな勇者。ここにいない私の仲間も、


 そうしてお互いに理解する。どちらも鼻から負けるつもりはなかったらしいと。

 当然だろう。

 自分たちにとって敵と呼べる相手は、背中合わせの勇者まおうしかいないのだから。


「やれ!」


 エルニアの声に、アルゴロスやベヘルモット、アンリエッタやメイドたちがアータとクラウスを目指して飛び込んできた。

 だが、彼らの持つ武器がアータやクラウスたちに触れるよりも早く、大地で光を放ちながら自分たちの体力を奪い続けていた超規模魔法陣が弾けて消える。


「何事だ!?」


 空で狼狽するエルニアをよそに、体力の戻ったアータと魔王は互いに目の前のアルゴロス達を迎え撃つべく、飛び出す。これと同時にクラウスは自身の伝説のアーティファクト雑巾あいぎすを召喚し、その手に構えた。


「――ッ!」


 接触のその瞬間、誰よりも早くアータに接敵していたアンリエッタの首筋の隷属の魔紋が溶けて消えた。アンリエッタのその目に光が戻るのに気づいたアータは笑みを浮かべ、


「お、元に戻ったか。フラガラッハの自動浄化がちゃんと動いたみたいだな」

「あ、アータ様! わ、私なんてことを――ぬごんっ!?」


 デッキブラシの先端でアンリエッタの顔面をひと磨きして、アータはそのまま跳躍。アンリエッタごと自分を狙ってきたアルゴロスとベヘルモットの一撃から、アンリエッタを地面に突き飛ばして躱させる。

 そのまま宙で一回転したアータは、器用にデッキブラシでアルゴロスとベヘルモットの首元の隷属の魔紋を削り飛ばした。

 折り重なるようにして地面に倒れたアルゴロスとベヘルモットは、互いにあたりを見回しながらきょとんとした顔でアータを見上げる。相変わらず、身体だけは頑丈だ。


「あ、あれくそったれ勇者? いったい何――へぶっ!?」

「ぶもおおおお――ぶふぉっ!?」


 その顔がまだ操られてそうな魔族の顔(もとから魔族だが)をしていたので、腹いせに脳天に踵落としを決めて気絶させる。それでもなお歯向かって来ようとしたので、二度三度顔面を踏んで息の根を止めておいた。

 一息ついて振り返ったアータは、背後でメイドたち十数人が魔王の足元で、雑巾で磨かれつくして恍惚に崩れ落ちているのに気づく。あの雑巾――もといアイギスも絶対無敵の盾と名高い伝説のアーティファクト。物理的な攻撃はおろか、呪いの類さえ消し飛ばす盾だ。それこそ、フラガラッハよりも呪いの類を消す浄化作用は上。今は見た目的にも実にそういったものを落としやすい姿だ。さぞかし明日は匂うことだろう。

 呆れた視線を向けていると、背を向けていた魔王はアータの視線に気づき、自慢げに胸を張った。


「どうだ。これだけの超規模魔法陣だ。どこかを崩せばすぐに崩れる。まぁ、のことだ。どこか一部と言わず、大陸中のエルフを今頃狩っているだろうがな」

「……魔王家がはじけ飛んだあとから姿が見えないから、そんなことだろうと思ったよ」


 ゲラゲラと笑う魔王の様子に肩をすくめるアータは、地面に突っ伏しているアンリエッタの額をフラガラッハの柄で小突いた。すると、この中のメンバーでも比較的ダメージの少なかったアンリエッタだけが、地面から這い上がってアータに詰め寄ってくる。


「アータ様!? 今最後! 最後なんで私の顔面に一撃入れましたか!? あのタイミング私完全に元に戻ってましたよね!?」

「いやわかんないだろ。フラガラッハの自動浄化作用ちゃんと働いてないかもしれないし。……さっき一撃くれたからやり返したかったし」

「最後! ぼそっと言っても最後聞こえてますからね私!」

「はいはい、悪いけどそういうのは全部後だ」


 詰め寄るぼろぼろの姿のアンリエッタを、アータはため息交じりに魔王のもとへと突き飛ばす。わきゃっという小さな悲鳴とともに魔王に受け止められたアンリエッタを見て、アータはクラウスに視線を向けた。


「魔王」

「なんだ、勇者」


 アンリエッタの肩を抱いたまま、クラウスはアータの視線を受け止め問いかける。


「約束は守ってくれるんだな?」


 アンリエッタがアータの言葉に何かを返そうとするのをクラウスは片手で制し、頷いた。


「いいだろう。だがその代わり、せいぜい私のサリーナに見せてやってくれ。娘を守れぬ無敵の魔王の姿ではない。誰もを助けるの姿を」


 クラウスの言葉にアータは背を向け、光の巨神とその横に並び立つエルニアを見た。

 相手は神だ。自分と魔王の魔力を持った魔力の集合体だ。だから、たった今からその神を


「すぅ……はぁ……」


 大きく息を吸い込み、吐き出す。

 超規模結界を粉砕されたエルニアは狼狽しながらも、光の巨神の胸に自ら飛び込み、その身を魔力の鎧で守り始める。いうなれば今のあの巨神は、エルニアにとって神の鎧。

 だが、あいにくとそんな短小で小狡賢く薄汚いエルフになど今は眼中にない。



 ――巨神を倒し、サリーナを助ける。



 神を倒す。そしてそのためには、神の作った魔力制限のルールアーティファクトをまずは壊す。


「アータ様……!? っ、おやめください!」


 自分自身の首輪に手を伸ばしたアータを見たアンリエッタが、魔王の腕から顔だけをずらし、叫び声をあげた。だが、もうそんなもの耳には入らない。

 何より、サリーナの願いを見てしまった自分はもう――その瞬間からずっと、はち切れんばかりに本気になってしまっている……!


 次の瞬間、アータは自身の棘付き首輪を引きちぎるべく、全力を込めた。



「っ、おおおおおおおおおおあああああああああああッ!」



 バチィッと、雷が落ちたかの轟音があたりに響き始める。だが、それは音だけではなかった。

 まるで神の怒りを買った裁きの如く、アータが握りしめる首輪が紫電をまとい、アータの身体を蹂躙しながら周囲で激しい火花を散らしていく。そのあまりの魔力量と熱量に、クラウスは正面にアイギスを構えながらもアンリエッタを引き連れて後方に飛びずさった。

 あたりを弾ける雷はさらに激しさを増し、巨神の足元すら焦がしていく。

 当然、紫電の直撃を受けるアータは両腕を血だらけにしながらも、拘束の強まる肉体の悲鳴すら考慮に入れない。


 アータの行動に、巨神の胸元でエルニアは困惑に顔を歪めていた。



「何を馬鹿なことを! 神の作った伝説の代物だぞ!? 人間ごときが抗えるものじゃない! そんなに死にたいか貴様は!?」


 エルニアの声を無視したまま、アータはひたすらに両腕に力を籠め続ける。そこにどんな苦しみや痛みがあろうと、サリーナの願いがひたすらに自分をつき動かす。

 戦う意味がない? 

 冗談じゃない、今の自分にはこれまでにないほど強い戦う理由がある。


「ぐ、ああああ、おおおおおおああああああああああああ!」


 絶命の声とも悲鳴とも聞こえるような雄たけびを上げるアータの真上に、光の巨神の足が迫り、そのままアータごと押しつぶさんと振り下ろされる。

 だが、振り下ろされた巨神のその巨大な脚はアータに届くよりも早く、吹き荒れる嵐の如く紫電に弾かれ、アータに近寄ることさえ許さない。


「は、はは、ははは! みろ魔王! これが貴様らの魔力を縛る神の作りし伝説のアーティファクト! 素晴らしい、巨神さえ寄せ付けぬほどの抵抗力! 勇者や魔王ごときが、この力に抗えるはずなど――」



 ――と。



 それこそ、世界の平行線にひびが入るような異質な音が世界に響いた。

 いまだにあらがい続ける勇者の叫びにかき消されることもなく。吹き荒れるアーティファクトからの紫電に埋もれることもなく。

 その音は確かに、エルニアや魔王を含むこの場の誰もに届く。



 ――ギギギ、ギチッ。



「う、おおおおおおおおおおおおお、ああああああああああああああああああ!」



 ――メギッ……!



 ありえないものを見る目で、エルニアとアンリエッタはそこを見た。

 神の作った伝説のアーティファクト。

 抗えるはずのない完全無欠の品。抗う気すらなくなるほどの、世界の理。


 ありえないはずなのだ。あってはならないはずなのだ。

 だが、



 ――メギッ、メギギギッ……!



「あ、ありえない、ありえない、あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない……ッ、あり得ないッ!」


 現実を直視できずうろたえるエルニアとは違い、アンリエッタは茫然としたまま、吹き荒れる魔力から自分たちをかばう魔王クラウスに震える声で問う。


「あれが――、勇者だというのですか?」



 ――バキンッと。



「おおおあああああああああああッ!」



 焼けただれた両腕で神の作った伝説アーティファクトを引きちぎり、雄たけびを上げるその背を見つめたクラウスは不満げに。

 だが、誰よりも自慢げに、アンリエッタの問に答えた。


 

「違う。あれこそが無敵の魔王たる私をもってして、なのだ!」

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