第十六話 魔王家の受難と勇者の提案
「アンリエッタはどうしたのだ?」
「洗い始めの前に湯船をぶっかけたらメイド服が溶けたんで、そのままデッキブラシで隅々まで磨いてたら気絶した」
「お前……私より鬼畜な時があるな。そういう外道っぷり私好きだぞ。ほれぼれする魔族の才能だな貴様」
「気持ち悪いわ! それに俺は人間だ。魔族の才能なんているか」
感心するように腕を組んで頷く魔王クラウスの顔面にデッキブラシを叩きつけながらも、アータは渋い顔でため息をつく。
実際のところ、風呂に入った時点でアンリエッタを気絶させたのち、湯船とは別に用意したお湯でサリーナに身体を洗ってもらったのだが。お嬢様に仕事を押し付けることに多少ながらも罪悪感はあったが、『年頃の娘が肌を見られるのは恥ずかしいだろうから』という理由に、サリーナもまたしっかりと頷いてくれた。
それに、いうほどアータ自身、アンリエッタのことを嫌っているわけでもない。多少なりとも自分と魔王のせいで迷惑はかけている自覚もあるので、フラガラッハに溜めておいたドレインのなけなしの魔力を使ってもらい、彼女自身についている臭いを含めてすべて浄化してもらっている。
しばらくの間は風呂に入らずとも、その身の汚れは翌日には自動的に浄化されていくだろう。
「それで、むしろアルゴロスとベヘルモットはどうなってるんだよ。こちとら気絶したアンを部屋に寝かせてきてたせいでどうなってるかわからないんだが」
「ふむ。先ほど浴室から大絶叫は聞こえたが、それ以降音沙汰もないな」
アータとクラウスは顔を見合わせ、浴室の扉を開く。
その先にいたのはポリポリと頭をかくナクアの背中とアラクネリーの姿。そして、異臭漂う湯船から突き出たアルゴロスのピンと伸びた足と、ベヘルモットの腕だけだった。
無言で浴室の扉を閉めたアータとクラウスは、深い溜息をついて脱衣所を出た。
「第四戦は……さすがにお開きでいいだろう。もう十分お嬢様も楽しんだだろうし、あいつらも諦めただろう」
「サリーナが楽しんだということだけには同意しておいてやるぞポンコツ勇者。だが残念かな、四神将とアンリエッタはあれしきのことで諦めたりはしまい」
「……わかってたが、嫌われてるなとことん俺は」
「何をいまさら」
クラウスとアータは並び歩きながらもエントランスを抜け、屋敷前の広い庭園に出て魔王家を見上げる。
「貴様が魔王城に攻め込んできて早一年。人間の若者が一人で攻め込んでくるなど何の冗談かと、心底笑ったのも長い生涯であの日だけだ」
「それはこっちのセリフだ魔王」
「そう、あれはサリーナ十三回目の生誕祭を祝った翌日のことだった――」
瞳を閉じたクラウスは、自慢の角に触れながら風に長い白髪をなびかせ、語り始めた――。
◇◆◇◆
『魔王様! 魔王城内に侵入者が表れました!』
「回想やめろキック」
「おぶっ!?」
◇◆◇◆
脛にけりを決め込んだアータは、倒れこんで足を抑える魔王に冷ややかな視線を向けた。その先でクラウスは脛をさすりながらも立ち上がり、アータに向かって顔面を突き付け怒りをあらわに。
「何をするか空気読まない勇者貴様ァ!? この私がせっかくこうして貴様との時間を用意し、腹を割って話し合える時間を作ろうと過去回想を始めた瞬間に蹴り入れてくるとは何だこの野郎!?」
「流れ考えて空気読め白髪魔王! そもそも、俺とお前の契約は互いの世界の不可侵だ。俺はお嬢様の執事として仕え、お前は人間界侵攻をやめる。この約束さえ守られれば、俺にとってはそのほかなんてどうでもいいんだよ」
「あぁ、約束だけは私は守る。だが……」
「なんだよ? 何か不満でもあるってのか?」
アータの答えに、クラウスは眉を寄せながら腕を組む。そのままアータのきつい視線を受け流すクラウスは、一息を吐き出し、小さな声でつぶやいた。
「つまらん生き方だな、勇者アータ。アンリエッタが貴様を勇者御供と例えた意味、今になって私も同じ意見を持った」
「…………」
「なぁに、もとより人間などそんな生き物でしかないのだろうさ。私たち欲望の塊でもある魔族にとって到底理解できるものではないがな、世界のための自己犠牲など」
クラウスの指摘に、アータは答えを持たなかった。そもそも、アータ自身魔王と戦い始めた理由は至極単純だった。
自分の住んでた町が魔族に襲われたから。
そういう理由がなければ剣を取るつもりはなかったし、自分が魔王に匹敵する化け物だという自覚も得ることはなかっただろう。
最初は守るためだった。それがいつしか、自分を勇み立つもの――勇者と呼び始める者たちが表れ、フラガラッハを手にすることになり、誰もの期待を背負って戦わなければならなくなった。
自分が勝たねばならない。
自分が守られねばならない。
勇者がいれば何とかなる。今度の戦いも勇者さえいれば負けはしない。そう兵士たちが口にするたび、自分は一人で戦場に置かれるようになった。
守るための戦いはいつしか、意味を失った戦いにしかならなくなった。
そうして一年の時を魔王と戦い続け、今自分はさらに理解不能な状況下で生きている。
憎んでいた敵、人間の敵、倒すべき敵――魔王クラウスの屋敷。
目の前にあるこの巨大で豪華な魔王家で――、
ッ、パーン! パンパン!
「え?」
「へ?」
次の瞬間、超絶軽快な破裂音とともに、クラウスとともに見上げていた魔王家が、風船よろしく膨れ上がって割れた。
エントランスが割れたかと思うと、連鎖的に魔王家の屋敷が軽快なリズムを立てながら膨れ上がって割れていく。さながら笑うピエロに針で穴をあけられたバルーンの如く、こぎみ良いリズムでパンパンパンと割れていく魔王家。
思わず手拍子しそうなリズムとともに、屋敷内にいたメイドたちがドスンドスンと悲鳴を上げながら地面に落ちていく。高音リズムに手拍子を重ね、落ちる音は打楽器の如く。
唖然と屋敷を見上げていたアータとクラウスは、最後の部屋――サリーナの部屋がパーンと割れてはじけたのを見送り、互いに顔を見合わせる。
そうしてアータは、意図的にいい忘れていたある事実を思い出した。
「あ、やばい忘れてた」
「なぁあああああにをだクソ勇者貴様ァ!? まさかこの惨状が貴様が原因なんて言い出さないよないや言い出せ消し炭にしてやるぞ!」
「惨状っていうか軽い劇場気分だったけど、俺じゃないからその拳下げろ天然魔王」
襟元をつかんでガシガシとゆすってくるクラウスに、アータは自分の首元とクラウスの首元にあるとげ付き首輪をつついた。
「俺とお前、今こうして魔力封じられてるだろ?」
「それがどうしたというのだあ! 魔王城のみならず、貴様は魔王家まで、魔王家までェ!」
「アンリエッタが構成魔法で作った屋敷の消費期限、今日までだったんだろ?」
「そうだ! 毎月一回この私の魔力を投入して屋敷の消費期限の延長を――」
クラウスの表情が固まった。ついで、クラウスはぎぎぎっと音を立てて背後で消え去った魔王家のカスを目にし、もう一度勇者に視線を合わす。
「おい勇者」
「なんだ魔王」
「貴様、魔力ひねり出せるか?」
「無理だな」
「貴様ら人間の勇気や努力や友情的な三位一体奇跡でも無理か?」
「俺は友達が少ないから無理だ。っていうか、ふざけた名前だけど腐ってもこの首輪もアーティファクト。魔力は完全に封印されたままだ。ドレインでフラガラッハに魔力を溜めることができるが、魔法陣も用意できない状況じゃ小鳥の涙以下しか溜まらない」
魔王の瞳にきらりと光る何かがたまった。しきりに目をぱちくりする魔王クラウスの切なさに、アータも罰悪く顔を逸らす。いや、今回は全面的にこっちに責任はないのだが。
だが、視線をそらした先で呆然と空を見上げる赤髪メイドと、彼女とともに呆然とする白銀の少女を見つけ、アータはさすがにどうしたもんかと頭を抱えた。
「魔王、ちなみにどの程度の魔力があれば再構築はできるんだ?」
「構成魔法は知ってのとおり、構成していられる期間に大きく影響される。私とお前が全魔力を注ぎ込めばそれこそ永久に不滅な家でも建てられようが……」
「現実的には無理ってことだなわかった」
力なく地面に膝を抱えて座りこんだクラウスをよそに、アータは仕方ないなと一息ついてアンリエッタやサリーナの傍に向かった。
足音に気が付いたのか、アンリエッタが振り返ってアータに顔を向け、小首を傾げた。
「あぁ、アータ様。いかがなさいましたか?」
「……」
痛ましい笑みを浮かべるアンリエッタの様子に、さすがに心が痛む。だが、そんなアータの心の内が顔に出てしまったのか、アンリエッタは苦笑しながらそばで呆然としているサリーナの傍に近寄った。
そんなアンリエッタに気づいたサリーナが、慌ててアンリエッタのメイド服にしがみついて目一杯溜まった涙とともに訴えてくる。
「のぉのぉアンリエッタ! 魔王家なくなっちゃったのかの!?」
「申し訳ありませんお嬢様。それはわたしのせいで――」
「お嬢様」
アンリエッタがサリーナに言葉を継げようとしたその口を、アータは近寄って掌で遮った。恨みがましく見上げてくるアンリエッタを無視し、アータはサリーナの前で膝をついて視線を合わせる。
そして涙目のサリーナに向かって、アータは口端を緩めたほんのり邪悪な笑顔を見せた。
「ドッキリしましたか?」
「へっ?」
ぼけっと泣き顔を固めるサリーナの様子にアータは頷き、視線だけでアンリエッタに黙ってろと訴え、話を続けていく。
「実は、さっきまでの茶番も含めて全てお嬢様を驚かせるドッキリだったんです。ほら、昨晩はお嬢様の生誕祭。傘下の間に合わなかった四神将の皆さまがお嬢様への出し物を計画しているとのことで、魔王もアンも俺も、屋敷の全員がお嬢様に内緒で仕掛けたドッキリです」
「ど、どどど、ドッキリじゃとぉおおお!?」
両掌を頬に押し付けて大絶叫するサリーナに笑いそうになるが、隣で何を言い出したんだ貴様は的な目線を送ってくるアンリエッタに、うるさい責任とって口合わせしろという視線を向ける。
この視線に気づくアンリエッタは渋々と言わんばかりに、口裏を合わせた。
「アータ様と私や四神将の皆さまの対戦、サリーナ様はお気に召しましたでしょうか?」
「めしっためしっためしったのだ! やられてもやられても恥じなく挑むアンリエッタの姿は感動ものだったのじゃ! それにそれに、全部返り討ちにするアータの凄さも想像以上でドキドキしまくっておったのじゃ! 最後の洗いっこ勝負など、アンリエッタの裸を張った演技、感服したのじゃぞぃ!」
「恥じなく裸を張った演技……いえ、甘んじて受け入れます」
微妙そうな笑みを浮かべるアンリエッタに助け舟を出すべく、アータは立ち上がって両手を広げた。
「そして最後のドッキリは、魔王家風船ドッキリ! ご覧の通りきれいさっぱり消え去って見えますが、実はこれお嬢様のためなのです」
「え、え、え?」
「あんな広い屋敷では、皆で集まってわいわいするという機会は少ないと思います。なので、不肖勇者の俺が、勇者の誇る最大の奥義を行うべく魔王に協力してもらい、一時的に魔王家を別の場所に消してもらいました」
「おおおおおお、その勇者の誇る最大の奥義とは何なのじゃ!?」
食いついてくれた、とアータは内心でほくそ笑み、大きく頷いてサリーナに再び顔を近づけ、
「お金も仲間も泊まる場所もない勇者の最大の奥義――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます