第十五話 魔王家執事対決 VS ??????編

「で、第三戦はどうするんだ、アン?」

「……」


 サリーナとちょっとした散歩を終え、エントランスに戻ってきたアータは、アルゴロスとともに無言で俯くアンリエッタに問いかけたが反応はない。心なしか、背中の小さな羽の元気もない。

 我ながら少々やりすぎたかとアータは頭をかきながらも、肩をすくめた。だが、そんなアンリエッタ達の傍にいたナクアが、舌なめずりをしながらこちらに近寄ってくるのに気づき、アータは再びサリーナを背後に隠したままナクアの前に立つ。


「連戦連勝の勇者様は、次はどんな勝負をご希望なのかしら?」

「……そもそもが、挑んできたのはお前らのほうで、俺に希望なんてない。勝とうが負けようが、俺がお嬢様の執事であることに変わりはないしな」

「あら模範解答。なら、気晴らしに私と勝負しない?」

「お前と?」


 四神将たちの中でも最もこちらに敵意のなかったナクアの提案に、アータは軽く驚きながらもナクアに続きを促した。


「そうねぇ、魔王家執事のその三。魔王家執事たるもの常日頃から清潔にあるべし――ってことで、お風呂場で洗いっこ対決、なんてどうかしら?」

「――――はっ?」


 この日、初めてアータは言葉を失った。言葉の意味を二回三回反芻したうえで、確認の意味を込めてもう一度ナクアに問う。


「すまない、改めて聞くけどなんだって?」

「貴方と私、どっちがお互いの身体をきれいにできるか、勝負、す、る、の」


 耳元に口を寄せ、吐息とともに語るナクアを、サリーナが顔を真っ赤に染めたまま割って入って押しのけた。そのままナクアの後ろに回って腰に抱きつき、ナクアをアータに近づけまいと後ろに引っ張りながらサリーナは叫ぶ。


「いかん、それだけはいかんのじゃ! アータと一緒に二人っきりお風呂なんてわし絶対許さんのじゃもん!」

「あらサリーナ様、じゃあ代わりにサリーナ様が勇者様と一緒に入っちゃう?」

「ひょっ、そ、それはその……」

「いやそこで赤くならないでくださいお嬢様、入らないですって一緒には俺――っぉお!?」


 すんでのところで顔面すれすれを横切って行った雑巾ブーメランを交わし、アータはとびかかってきたクラウスの両腕をつかみ取り、押し返す。


「この発情勇者貴様ぁああ! サリーナちゃんだけで飽き足らず、魔族すべてその手でこね上げるつもりか!? その小奇麗なネクタイ頭に巻いて酔っ払いにしてやろうか!?」

「いつもいつも唐突なんだよこの万年酔っ払い魔王! お前こそまず俺に突っかかってくる前に、その鼻から垂れた真っ赤な血潮を雑巾でふいてやろうか!?」


 互いに力押しをしながら額をぶつけ合ったアータとクラウスの間に、あきれ顔のナクアがサリーナを引きずるようにして止めに入った。クラウスもアータも、サリーナを巻き込むわけにはいかないとしぶしぶ離れ、互いにそっぽを向いて鼻息を鳴らす。


「まぁ、さすがに私とあなたの洗いっこは絵面的にもサリーナ様的にもお気に召さないみたいだし、ここは公平に洗う相手はくじ引きで決めるってのはいかがかしら?」

「いやちょっと待てよ。そもそもまだその洗いっこ勝負っていうのに俺は納得がだな……」


 勘弁してくれと訴えようとしたアータの口元を、いつの間にか近寄ってきていたアンリエッタが手のひらでふさいだ。その瞳は何やら邪悪にきらめいており、またろくでもないことを考え付いたんだなとアータはげんなりする。


「アータ様、残念ですがこれは四本勝負。お題はすべてこちらが指定したものを受けてもらうという後出し魔界ルール制です。拒否は受け付けません」

「いやけどさ」

「簡単な話じゃないですか。アータ様が、ナクア様より洗う相手をきれいにしてあげればよいだけのことです。それに――」


 アータの耳元に口元を近づけたアンリエッタは渋々とした声で語る。


(魔界の男性魔族はお風呂に入る習慣が少ないんです。この機会にアルゴロス様ベヘルモット様を湯船に突き落としておいてもらえませんか?)

(ここでそういう事情突っ込んでくるのかよ、勝負はどこに行った、勝負は)

(洗いっこ対決ーなんてふざけた対決で何が変わるはずないでしょう馬鹿ですか貴方は)


 そういって絶対零度の視線で見つめてくるアンリエッタに半笑いを返しながら、アータ頷いた。


「わかった。そこまで言うなら仕方ないよな。それで、具体的にはどうすればいい?」

「アルゴロス様、ベヘルモット様、私と一緒に屋敷の湯船の準備のお手伝いをお願いします。ナクア様はアラクネリー様と一緒にくじ引きの準備を」

「わかったッス!」

「ぶふぉおおん!」

「わかったわ」


 アルゴロスとベヘルモットを連れて屋敷の中に入っていくアンリエッタを見送ったアータとナクアは、互いに顔を見合わせ苦笑い。


「……どう考えてもろくな事しにいってないだろあれ」

「いいんじゃないかしら、どうせ貴方、何とかするでしょう?」

「敵だった四神将からのそんな信頼いらないよ俺は……」

「それより、くじを用意しておかないとね。アラクネリー」


 我関せずとマフラーづくりにいそしんでいたアラクネリーは、ナクアの呼び声にあくびを返しながらもてこてこと近寄ってきた。そのままナクアにひと撫でされた後、アラクネリーはアータを見上げ、


「こんにちわ、パパ」

「想定してなかったー、この呼ばれ方はさすがの勇者の俺も想像してなかったー」

「あらごめんなさい、アラクネリ―には貴方のことをパパと思いなさいっていっつも言ってたから」

「だっから、お前のその俺への執着はいったいどこから――いやもういい。すまないネリ―、サリーナ様と一緒にくじ引きを作っておいてもらえるか?」

「わぱっぱ」

「わかった的なその省略はやめてくれ」


 こっちの話に耳を傾けてくれたかわからないが、アラクネリーはナクアの腰元にしがみついていたサリーナと共に、くじ引きつくりにいそしみ始めた。


「あれ、なんか最近本当のパパの私、影薄くないかな? 魔王なんだけど私」


 クラウスの問いを無視したアータは、あることを閃き、サリーナにそっと耳打ちをした――。


 

 ◆◇◆◇


 

 一方その頃、魔王家備え付け大浴場に入ったアンリエッタ、アルゴロス、ベヘルモットの三人は浴場入口で並び立ち、ふんぞり返っていた。


「それでアンリエッタさん、勢いよく連れてこられた俺たちは何すればいいんスか?」

「ぶもぉ」

「いいですか。風呂、それすなわちアクシデントを起こしやすい舞台なんです」


 アンリエッタの言葉に、アルゴロスとベヘルモットは互いに向き合い腕を組んで小首をかしげる。


「つまりは、偶然を装って勇者にぎゃふんといわせるチャンスが多い場所なのです」

「おぉ、それならわかるッス!」

「ぶっふぉ、ぶふぉん!」

「いいですか、まずは湯船の湯をすべて抜き、ベヘルモット様の溶解性の高い涎にすべて変えます」


 とんでもないことを言い出すアンリエッタに、さすがのアルゴロスも狼狽しながら問いかけた。


「いやあの、アンリエッタさん。下手したら溶けます、溶けますよってそれ」

「心配いりません。どうせ選ばれるのはアルゴロス様かベヘルモット様かクラウス様です。先手を打ってアータ様には皆さまを選びやすいよう耳打ちしておきました。お三方なら溶けないでしょう?」

「いや、そりゃ溶けないっスけど、相当ひりひりするッス。それに、溶けないって言ってもベヘルモットの涎船に入るってのは精神的にこう……」

「続いてですが、お三方の誰かが選ばれた場合、アータ様を湯船側に立たせつつ、身体を洗わせます。そしてアータ様が油断したところで立つふりをしつつ、そのまま巨体を生かしてアータ様もろとも湯船にドボン」

「ふもっふ……」

「すっごい雑っすけど、本当に大丈夫っスかね、アンリエッタさん……」


 不安げなアルゴロスとベヘルモットの様子に、アンリエッタは瞳を細めて力強く答える。


「仮にも魔王様直属の選ばれし四神将が何を負け犬のようなことを。あなた方は魔王様が数億という魔族たちの中から選び抜いた精鋭中の精鋭、替えの利かぬ四方の将ですよ?」

「……! 俺が間違ってたッス! そうっすよ、俺もベヘルモットもドラゴニスもナクアも、クラウス様に選ばれた四神将の一員! 魔族の未来のためならどんな無茶無謀な戦いにさえ挑む誇りがあるんす……!」

「ぶっふぉおおおおおおおおおおおおおお!」

「今度こそ……勝ちますよ、皆様!」


 おおぉっと、三人は互いの手を取り合い、勝利を信じた叫びをあげた――。


 


 ◇◆◇◆


 

 準備ができたと呼ばれたアータとナクアは、サリーナやクラウス、アラクネリーを連れて屋敷の中にある大浴場へとやってきた。すでにスタンバイしていたアルゴロスとベヘルモットは鎧を脱ぎ去り、腰布一枚の完全装備。なぜかベヘルモットは干からびたようにげっそりしていたが、アータは特に気にもせず、脱衣場で控えたままのアンリエッタに問いかけた。


「それで、どっちから先に行けばいいんだ?」

「ではアータ様からで。くじ引きはどちらにありますか?」

「はーい、わしが持っておるのじゃアンリエッタ!」


 サリーナの差し出したくじ引きの入った箱を受け取ったアンリエッタは、満足そうに頷く。そうしてほほ笑みながらサリーナの頭を撫でたアンリエッタは、渡された箱をアータに向かって差し出した。

 その顔がわずかに愉悦にゆがんでいるのに気づいたアータは、また何かやろうとしているんだなと呆れた気持ちでため息をつく。


「ありがとうございますサリーナ様。それでは、アータ様、どうぞお引きください。ゆっくりしっかり選び抜いてくださいませ。あなたの運命を握っているのです」

「運命ね。わかった」


 箱の中に手を突っ込んだ先で、アータは気づいた。箱の中身が、どでかい紙一枚と、小さい紙数枚であることに。ちらりとサリーナに目を向けると、キラキラと輝く瞳でこっちを見ている。

 あぁそうか、サリーナはこのでかい紙を引いてほしいんだなと気づいたアータは、迷うことなくその紙を手に取り、箱から取り出す。

 アータの取り出したで大きな紙にアンリエッタは慄きながらも、今度はナクアに向かって箱を差し出す。


「アータ様、まだ中身は空けないでくださいませ。それではナクア様、お引き下さい」

「えぇわかったわ」


 迷うことなく箱に手を入れたナクアは、小さな紙を一枚取り出した。

 ここに、アータとナクア。お互いの洗うべき相手を記した紙が用意されたのだ。


「それではお二人とも、くじに書かれた名前を読み上げてください」


 アンリエッタの言葉に場が静まり返る。

 アータとナクアは互いに頷き合いながらも、息を飲んで折りたたまれたそのくじ引きの紙を開き――、


「私の相手は、アルゴロス&ベヘルモットね」

「俺の相手は、アンだな」



 ……。



「へっ? す、すみませんお二人とも、私としたことが耳が遠くなっていました。もう一度お願いしま――」

「私の相手は、アルゴロス&ベヘルモットね」

「俺の相手は、アンだな」



 ぎょっと目を見開いてアータを見つめたアンリエッタは、慌ててアータの傍で嬉しそうに笑うサリーナのもとに駆け寄ってしがみつく。


「さ、さささささ、サリーナ様!? なぜ、なぜ私の名前が入っちゃってたりするのですか!?」

「だってアンリエッタ、さっきけーちゃんの糞に顔面から突っ込んじゃってたから、お風呂入りたいだろうなって思ったのじゃ。アータが任せてくれっていったから入れておいたんじゃ! よかったの、アンリエッタ!」

「アータ様ぁああああ!? 何してくれちゃってんですか貴方!? 私の身体をあなたが洗うって、誰得ですか!」


 目が飛び出す勢いでしがみついてくるアンリエッタの様子に、アータはあからさまにわざとらしく答え返す。


「いやぁだってぇー、お前が糞臭いのは俺のせいだしさー。それにー、俺のフラガラッハは今洗いやすい形してるしぃー、フラガラッハの加護があれば臭いもきれいに取れるしー。……ついでにお前にお灸すえられるし」

「最後、ぼそっと言ったつもりでも聞こえてますよ最後! い、いやですよ私、殿方の前で……あまつさえにっくき勇者に柔肌をさらすなんて……!」


 髪の色ほどに真っ赤に染まった顔で、アンリエッタは胸を抱くようにしてアータから距離を取る。だが、それよりも早くアータはアンリエッタの腕をつかみ、浴室に向かってアンリエッタを引きずっていく。


「心配ない。これでもフラガラッハは伝説のアーティファクト。メイド服の上から洗ってもちゃんと汚れ取れるから脱がさないって」

「そ、そういう問題じゃないです! それにそれに、濡れたら溶け――透けるじゃないですか!?」

「それぐらいは我慢しろ。お前が問題ないって言い始めた対決なんだし。それに、たかが透けるだけでだろ?」

「ぐ、ぬ……あ、あぁぁ……!」


 湯船から漂ってくる独特な酸性のにおいに気づいているアータは、それこそ何も知らないふりをしながら床に爪を立てて逃げようとするアンリエッタをずるずると引きずり、浴室の扉を開いた。

 これから自分の身に起きる惨劇を察したアンリエッタは、神にも願う勢いで呆然とするアルゴロスとベヘルモットへ手を伸ばすが、


「アンリエッタさん……ごめんなさい」

「ぶもぉ……」


 アンリエッタの後ろで射殺さんばかりのアータの視線から逃れるようにして、二人はアンリエッタを生贄に差し出した。


「さて、じゃあ後は任せろアン。隅から隅までこのフラ――デッキブラシで懇切丁寧に磨いてやるよ。尻尾の付け根からその愛らしく小さな羽の先まで念入りに、な」

「アータアータ、わしもお手伝いなのじゃぁ!」

「どうぞどうぞお嬢様。二人で日ごろのアンリエッタの苦労をねぎらって差し上げましょう。えぇそれはもう存分に」

「いっそ殺してええええええええええええええええええええええええええええ!」



 第三戦、お風呂場洗いっこ対決――勇者側対象者の活動沈黙に伴い引き分け。

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