第九話 オルトロスのその名は
「アータ、はい、あーんなのじゃ」
「あぁいえお嬢様、俺の朝ご飯は――」
「食べてくれんのかの……?」
「……食べます」
食卓に着くサリーナの隣に立つアータに死の視線が集中し、フォークとともにサリーナが差し出した蛇の頭の丸焼きを諦めの境地で一口。
実に名状しがたい歯ごたえが口の中に広がるが、味付け自体は思いのほか人間好み。思わず数度租借しながらも頷くアータの様子を、そばで見ていたサリーナと給仕長が満足げに頷く。
「サリーナちゃん、パパもあーんしてほしいなー」
「いやなのじゃ。なんか臭いし」
「臭くないよ!? アンリエッタ!」
サリーナの言葉にひどく動揺したクラウスが、震える声でアータとともに控えていたアンリエッタを呼びつけた。アンリエッタは表情ひとつ変えずにクラウスの隣に立つと、クラウスの自慢の角二本に顔を寄せ、すんっとひと嗅ぎ。
自信満々に瞳を閉じて笑みを浮かべるクラウスの見えない位置で、アンリエッタが顔面にケルベロスの糞を投げつけられたような衝撃的な表情を一瞬だけ見せ、いつものクールビューティに戻った。
視線があったが、涼しい顔でなんですかと言わんばかりにアンリエッタは再びアータの隣に並び立つ。
「ふふっ、さぁアンリエッタ。私のダンディでフレバーな香りについてサリーナちゃんとそこのあー、なんだっけかなー、突っ立ってるヒノキの棒的な執事にも語ってやってくれ」
「臭いです」
「あぁアンりぃえったぁあ!?」
一言で切り捨てるアンリエッタも大したものだったが、よくよく考えれば先ほどケルベロスと一緒に並んで吐いていたのだ。においの一つや二つ染みついていて間違いない。
絶望の叫びとともに蝙蝠のソテーを口にした魔王は、サリーナのそばに駆け寄ってしがみつき、泣き言を叫び始めた。
サリーナもサリーナでそんな魔王を足蹴にするので、一瞬でこの食卓の騒がしさは増していく。
並ぶ料理こそ人の理解の及ばない世界だが、この食卓の明るさは自分の暮らしていた町のそれに似ていて、思わずアータの頬も緩む。
だが、そんなアータの脇腹をつつくアンリエッタが小声で問いかけてきた。
「先ほどはいったいどうやってお嬢様を?」
「あんなの、生まれたばかりの子供の夜泣きと同じだ。寂しいから泣いた。それだけのことだろう?」
「そんなはずは……。あれは奥様がなくなられた時から続く呪いの類で――」
「そうやって、呪いだと決めつけて封印なんて繰り返すから、そのたびに積もり積もった魔力の余波が持って行き場を失ってるんだろ」
強めの口調で言い返すと、アンリエッタは不満そうに眉を顰め、首を振った。
「私たち魔族にとっては伝説の呪いに近いあの泣き声も、勇者であるあなたにとっては子供の夜泣きですか」
「ちがう」
「何が違うと?」
「人間である俺にとっては、子供の夜泣きなんだよ」
「……だから、人間は理解の及ばない生き物なのです」
考え込むように瞳を伏せたアンリエッタは、アータから視線を外してサリーナとクラウスの間に入っていった。
◇◆◇◆
「にょほおぉ、けーちゃんなのじゃ!」
食後、ケルベロスが死の森から戻ってきたと聞いたサリーナは、控えていたアータとアンリエッタを連れて即座にケルベロス小屋に向かった。クラウスもサリーナに引っ付いて来ようとしたが、今日は四神将たちの集まる人間界侵攻取りやめ総会があるとかで、ほかのメイドや、魔王家にやってきた部下達に連れられて行った。
そんなこんなで、小屋の外で昼寝をいていたケルベロスにサリーナが飛びつき、その固い毛に頬ずりをしているのを、アンリエッタが窘めている。
魔族は縦社会。
アンリエッタがいうには、ケルベロスの地位は魔王家の魔族たちよりも下にあるそうで、サリーナやアンリエッタには従順とのこと。
ちなみに、小屋に戻ってきた瞬間に、小屋の屋根からとびかかってきたケルベロスの子は、アータの頭にかみついたままだ。
ひとしきりケルベロスに頬ずりをしたサリーナは、そのまま深紅のドレスを翻し、アータのそばに満面の笑みで駆け寄ってくる。そうして彼女はアータの両手を握ると、その手をぶんぶんと上下にふりながら破顔する。
「アータがけーちゃんを見つけてきてくれたのかの!?」
「えぇ、まぁ」
サリーナの喜びようにアータが混乱していると、サリーナはそのままぎゅっとアータに抱き着いてにへっとほほ笑む。
「ありがとうなのじゃ! 大事な友達を見つけてくれて」
友達か、と。魔族とは思えないようなサリーナの言葉に、アータは一瞬だけ驚きをあらわにし、首を振ってこたえる。
「どうってことないですよ、これぐらい」
「そうですね。一晩で死の森を伐採し、斬新な植林をしなおすぐらいに余裕ですねアータ様は」
「……悪かったって、今度ちゃんとなぎ倒した木を植えなおしてくるからさ」
「当たり前です。やったことの責任はとる。これ魔王家の約束事なので」
どこまで面倒くさい家なんだ、と思わなくもないが、小躍りしているサリーナの様子を見ればバカバカしくなる。しばらくそうしていると、離れたサリーナがアータの頭にかみついたままのケルベロスの子に視線を向けて小首をかしげた。
「あ、そうじゃそうじゃ。のぅのぅアータ、おぬしの頭におるそやつなんじゃが……」
「あぁそうでした。お嬢様、こいつがそこのケルベロスの子です。ただ、ちょっとした事情で俺の魔力を取り込んでるみたいで、顔が二つしかないみたいで……」
「じー」
「……あの、お嬢様?」
背伸びをして自分の頭にかみついているケルベロスの子を訝しげに見つめるサリーナに、アータは困惑しながらも腰を折って視線を合わせてやる。頭の上のケルベロスの子とサリーナは見つめ合い、しばらくして大きくサリーナが頷いた。
「うむ。なんとなーく確かに流れておる魔力がアータに似ているきがするのじゃ! ケルベロスというより、オルトロスに似ているのじゃ!」
「
「決めた! そやつの名は、オルトロスからとってオッサンにするのじゃ!」
ぼてっと、頭にかみついていたオルトロス――オッサンは地面に転げ落ちた。
そのあと必死になって小さい尻尾を振りながらオッサンはサリーナの周りを走り回り、そのあだ名はやめてくれと言わんばかりにきゃうんきゃん吠え続ける。
本当に随分と酷い名前が付けられた。ケルベロスでけーちゃんだったので、名付けに期待はしていなかったが。それに、オッサンなんて名前は付けられるが、残念なことにこのケルベロスの子はメスだ(出産時に確認した)。
「アンリエッタ、アンリエッタ。早速伝説魔獣保護組合に連絡してオッサンのペット保護登録をお願いするのじゃ!」
「かしこまりました。主はお嬢様でよろしいですか?」
「アータで!」
「では、この子の名前はアータ様のファーストネームをつけた、『アータ・オッサン』で登録しておきます」
「おいちょと待て」
小さな羽で飛び立とうとしていたアンリエッタの首元をむんずとつかみ、地面に引きずり下ろす。
「なんですか、人の邪魔をしないでください」
「いやなんでファーストネームをつけることになった!?」
「なんでって、魔界法で伝説級の魔獣の管理が義務づけられているんです。それにケルベロスは誰かさんのせいで絶滅危惧種。それが子を産んだのであれば、管理は必然です」
「いやそこにファーストネームの必要性は――」
「アータアータ、いやなのかの?」
近づいてきて執事服の裾をつかむ上目遣いのサリーナに、アータはアンリエッタに向かっていた口を閉じ、頭を振る。どうにも魔族らしからぬサリーナには弱い。ここはもうあきらめるしかないかとアータがため息をつく。
だが、足元で執事服の裾を噛みながら、『ここであきらめんなよ本気を見せろよ』と言わんばかりの目でオッサン(仮)が訴えているのに気づき、アータは渋々ながらサリーナに懇願した。
「お嬢様、ぜひもう一度だけこいつの名前に一考を」
アータの言葉に、サリーナは少しだけ唇を尖らせながらも、顎に手をてて数秒思考。そうして彼女はぽんっと手を打って、満面の笑みでアータに告げた。
「じゃあ、おっちゃん!」
「……だめだったよ、おっちゃん」
『ぎゃふん!?』
崩れ落ちたおっちゃんを抱きかかえたアータは、そばで声を押し殺して笑うアンリエッタをにらみつけ、二度とサリーナに名づけは任せまいと固く誓った。
なお、その後アンリエッタを捕まえておっちゃんの名前は正式に『ルト』に決まったのは別の話。
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