第八話 魔族の癇癪に勇者の手のひらを

「はぁ……」


 ため息をついて地面に座り込むアータは、小屋の中に顔を突っ込んでゲロゲロいっているケルベロスの巨大な尻と、哀愁漂う尻尾を見つめて乾いた笑い声をあげる。出産直後にあんなに錐もみ回転しながら空を飛んで、重力を無視するような着地をしたのだ。地面への直撃を避けるように何とかケルベロスの身体は支え切ったが、全力落下からの急停止はしんどかったらしい。

 ちなみに、アータの頭にかみついたままのケルベロスの子もまた、母親と同じように小屋の中に頭を突っ込んで現在進行形でリバース中。

 

「魔王、お前なぁ……。俺やお前ならいいが、普通の生物に今いみたいなのはしんどいはずだぞ」

「ばぁかめ甘く見るな! 魔物や魔族ならあの程度大したものでもあるまいさ。人間のような貧弱な生物とは違うのだよ、人間とは!」


 そういって魔王クラウスは身支度を終えた黒スーツにマントを羽織った魔王服姿にて、ケルベロスから視線をそらしている。というか、わずかに前のめりになったかと思うと、

 

「ウボォエええええ……」

「お前が吐くのかよ」


 小屋に頭を突っ込んでゲロゲロやってる尻が三つに増えた。何をやってるんだと呆れていると、空からパタパタと小さな羽を羽ばたかせてアンリエッタがようやく追いついてくる。

 

「クラウス様、アータ様! 何をとんでもないことをやらかしちゃっておられるのですか!?」

「そこに俺を入れるな。さっきのはどう見ても俺に非はないだろうに」

「魔王様を止められなかったあなたにも責任が五割はあります」

「いや、なんで俺が止めなきゃならないんだよ。アン、お前だってメイドだろ?」

「魔王様を止められるのはあなたしかいないじゃないですか」

「……おっしゃる通りで」


 アンリエッタの強い視線の前に、アータは両手を上げて降参のポーズ。どうせこれから一緒に暮らさなきゃならないだ。何度もわざわざ突っかかって関係性を悪くする必要もない。

 

「それで、そうまでして急ぐ理由があったんじゃないのか?」

「えぇそうです。クラウス様、そんなところで馬鹿してないでお嬢様の部屋に向かいます」


 小屋から飛び出している魔王の尻を、アンリエッタは容赦なく蹴り飛ばした。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

「それで、なんでこうしてみんなでサリーナの部屋に集まってるんだ?」


 そういってサリーナの部屋の扉の前に立つアータは、振り返って周りを見渡す。

 魔王を筆頭に、アンリエッタ。給仕長、そして屋敷で働くメイド十数名と、昨晩顔合わせをした魔王家の一員たちが皆そろっている。

 

「なんだよ、朝は魔王家全員でサリーナに目覚めのあいさつでもする習慣があったりするのか、アン?」

「何を勘違いなさっているのかわかりませんが、今からすぐにわかります。そしてできるだけ、クラウス様とアータ様はわたくし共の前に出てください」

「おい、おすな!」


 背中を押してゴリゴリと扉に押し付けてくるアンリエッタを恨みがましくにらみつけていると、そばで並び立つ魔王は扉に耳を寄せ、額に流れる一筋の冷や汗をぬぐってアータに声をかける。


「えぇい何をドタバタしているかクソ勇者! いいから、目いっぱい魔力を溜めておけ! そして、合図と同時に私とともにサリーナの部屋に突入後、即相殺魔法を出すのだ!」

「魔力って。っていうか相殺魔法って、いや待て、そもそもが今の俺たちは――」

「いくぞ、皆の者!」


 おぉ!と勢いよく掛け声を上げる魔王家の一員の様子に不安を感じたアータは、扉をけ破るようにしてサリーナの部屋に突撃した魔王と、背中を押してくるアンリエッタ達メイド勢に突き飛ばされるようにしてサリーナの部屋に突入した。

 そしてそこで目にしたのは、天幕を揺らせながら宙に浮く寝間着姿のサリーナだ。

 

「ん?」

「しまった、わずかに遅――」


 ベッドの周囲に収束される高密度の魔力に不安を感じたアータと、あきらめの境地に至った魔王クラウスの目の前で、唐突にサリーナの目が見開いた。その真っ赤な双眸は自分たちのはるか先を見つめたままだ。わずかに銀がかった白髪は魔力をともし発光している。

 何が起きているのかとアータが眉を顰めたその瞬間、サリーナの瞳に目いっぱいの涙がたまり――、

 



『AhAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』





 耳を劈くような悲鳴と、全てを拒絶するような暴力的な魔力が嵐のようにその場にいる者たちを襲った。そのまりの高周波の悲鳴に、アータの後ろに控えていたアンリエッタ達は耳をふさいで床に付し、苦しみに喘ぐ。

 余波として襲ってくる魔力も濃く、この部屋一帯が一瞬にして呪いの類に犯されたように変化してしまった。

 その中でも、魔王は魔力の余波と悲鳴から身を守ることもせず、いつの間にか顕現させていた雑巾アイギスをアンリエッタ達の前に展開し、彼女たちを守るようにしてサリーナの前にその身をさらしていた。

 

「サリーナぁ! すぐに、パパが封印する! 待ってるんだよ!」


 部屋の中のものが荒れ狂う嵐のように魔王の身体を蹂躙していくが、魔王はその無敵の肉体でびくともしないままに、サリーナへと言葉を紡ぎ続けている。だが、悲鳴を上げ続け、魔力を放出し続けるサリーナに魔王の声は届かない。

 

「アン、どういうことだこれは?」

「っ、見ての、とおりです……! お嬢、さまは幼いころに、奥様を亡くしてからずっと……! こうやっ、て、毎朝……!」


 苦し気に喘ぎながらも問いかけに答えたアンリエッタの姿を見て、アータはサリーナの悲鳴に耳を傾ける。

 

「いつもはどうやって止めてる?」

「魔王様の……アイギスによる、封印で……! こんな、アーティファクトにも匹敵、する、呪いの類なんて、魔王様でなくては……!」

「そうか、知らないのかお前らは……。なら」


 頭を抱えて倒れこんでいるアンリエッタをその場に、アータもまた立ち上がり、魔王を押しのけるように前に出た。

 

「っ、何をするかクソ勇者! 私のサリーナちゃんに――」


 不思議と、サリーナの悲鳴に近い鳴き声も、あたりを蹂躙する魔力の余波もアータ自身はまるで影響がなかった。というより、魔王たちと自分では、彼女のこの叫びに対する認識が決定的に違うのだと理解した。


 アンリエッタや魔王は、彼女の叫びを呪いだという。

 だが自分は、彼女の叫びを寒さだと感じた。

 これまで同様の封印という手段では、彼女のこの『寂しさからくる癇癪』は永遠に収まることなく続く。

 だからこそ、不思議とアータの身体は、ベッドの上で体を小さく丸める彼女に近づき、手のひらを伸ばした。

 

 彼女の――サリーナのソレは、魔界という世界にはなくとも、人間界という世界には在り来たりのことだった。

 だからだろう。

 アータは自分が生まれた町でいつのときか、誰かが自分にそうしてくれたように、彼女の頭をそっと撫で、応えた。

 


「おはようございます、サリーナお嬢様」


 

 瞬間、宙に浮いていた彼女はすとんとベッドの上に座り込むようにして落ちた。

 それまで上げていた呪いの絶叫に近い悲鳴は止み、魔力によって渦巻いていた部屋の中の家具やぬいぐるみたちも床に落ちていく。

 余波と絶叫の前で床に付すようにして呻いていたアンリエッタやメイドたちも、呆然と顔を上げた。魔王クラウスもまた、目の前で起きたことを理解できないままに伸ばした腕を下ろす。

 

「ほへ?」

「何を寝ぼけているんですかサリーナお嬢様。ほら、朝食の支度が出来ていますよ」


 何が起きていたのか理解できていない様子のサリーナは、寝ぼけ眼で目をこすりながら、自分の目の前にいるアータの顔を見て、ボッと顔を赤く染める。そうして彼女は慌てて近くにあった布団に潜り込み、顔だけ出して恨みがましくアータとクラウスやアンリエッタを睨み付けた。

 

「な、なんじゃなんじゃ皆そろって! 年頃の娘の部屋にみんなで入ってくるなんて、信じられないのじゃ!」

「それはサリーナお嬢様が寝坊なさるからですよ。それに俺、執事ですから。さぁ、急がないと着替えさせますよ」

「お、おおぉ、それは私もドキドキなのじゃ! あぁでも、朝はアンリエッタが――」


 そういってちらりとアータの背後に視線を向けるサリーナに、アータもまた隣に出てきたアンリエッタの姿を見て頷いた。


「アータ様、ここは私アンリエッタがお嬢様のお召し物の対応をさせていただきますので、あなたはクラウス様たちとともに食卓の場へ」

「わかった」


 呆然とする魔王とほかのメイドたちの様子にアータは肩をすくめながらも、アンリエッタに「詳しい話はあとで」と耳打ちされ頷いた。

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