第六話 アンリエッタ、堕つ

「あー、なるほどそういう感じか」


 森の探索から半刻ほどたった頃、空から見えた不自然な魔物の群れに気づき、アータは乗っていたワイバーンの横腹を軽く蹴った。

 ギャウン、という情けない鳴き声とともにワイバーンは魔物の群れの上空から一気に急降下していく。アータもまた、ぼりぼりと頭をかきながら地面との距離が近づいた時点でひょいっと飛び降りた。

 

「さてっ、と」


 数十メートルはあろうかという高さから音もなく地面に飛び降りたアータは、携えたデッキブラシを肩に乗せながらあたりを見回す。

 上空から見ただけでもわかってはいたが、森の中心部であるこの場所に見渡す限り数え切れないほどの魔物がいた。いずれもまるで餌を求める獣のごとくよだれをたらし、たった今空から落ちてきた自分と、初めからそこにいたソイツを見て歪な笑みを浮かべる。

 

 ――ケルベロス。

 

 懐かしいなと思う。自分自身が空に浮かぶ魔王城に攻め入った際、四神将と名乗った名前も忘れた誰かの部隊に編制されていた伝説の魔獣だ。その巨体はゆうに人間の十数倍はある。紫色の堅い毛に覆われ、それぞれが意思を持った特徴的な三つ首。

 地をかければ森林をなぎ倒し、襲い掛かれば助かる者はいないとまで言われた魔獣だ。

 ……まぁ、攻め入った時に逃げ出した四神将たちの殿として配置され、劣勢を知った四神将が自分もろとも二十匹ほど自爆させてた気がするが。

 感傷に浸りそうになり、アータは頭を振って気持ちを切り替えた。

 

 自分の背で倒れこむようにして地面に座り込み、自分の周囲を囲む魔物たちをにらみつけるケルベロス。その息は荒く、敵をにらみつける眼光の力は弱い。以前自分が対峙したような伝説の魔獣たり得る胆力が見て取れないのだ。

 だが、アータはケルベロスが立ち上がらぬ理由、この場から逃げようともせずに倒れこむ理由をすぐに知る。

 

「なるほど、身籠ってるのか」


 周囲の濃い魔力の流れは渦巻くようにして倒れこんでいるケルベロスの膨れた腹に吸い込まれて行っている。彼女はここで生まれてくる自分の子を守ろうとしているのだ。

 その様子に、記憶に亡き自分の両親の姿を思い浮かべたアータはケルベロスを背に、周囲を囲う魔物たちに向かい合った。

 背後から自分をにらむケルベロスの息遣いを耳にしながらも、地にデッキブラシを突き立て、アータは深く息を吐き出す。

 

 逃げ出したお嬢様のペットのけーちゃん。

 見ればわかると口にしていたアンリエッタの言葉を思い出しながらも、アータはみすぼらしい姿に変わった唯一の仲間に声をかける。

 

「返事ぐらいできる魔力、さっきのワイバーンからドレインしておいたはずだが?」

『あーたん、わたくし様、ふぁっきんですの』


 伝説クラスの珍品(いやーん私もう頑張れない)のせいで、どうにも性格そのままに聞こえてくる声が女性化してしまっている。普段のハイテンションと性格のぶっ壊れ具合を知っているだけに、届く声が若い女の子のそれに切り替わっている様は、頭を盛大に地面にぶつけたいほどにシュール。

 

『もっと早くしゃべりたかったのにぃ、どうして声かけてくれないの、あーたん! わたくし様しょっきん! ですの』

「……ちょっと待っててくれ。我ながらなんでお前みたいな剣しか仲間がいないのか嘆いてるところだから」

『あーたん無愛想だもんね、わたくし様知ってるの。そんなあーたんの唯一無二のラブハート、フラガラッハ様ってわたくし様のことですの』

「……ごめん、俺から話しかけてなんだけどやっぱり黙っててお願い」


 例の伝説の珍品の影響で自分自身の魔力は戻っていないが、ドレインスキルでかすかに回復した魔力をフラガラッハの意思疎通に使ったのは本当に失敗だった。今後はもうこれに魔力を割くのは本気でやめようと頭を抱える。

 

「まぁいい。それより少しの間ここを中心にあそこのケルベロスごと結界は張れるか?」

『ケルベロスって……。あーたん、さっきも思ったけど変なことに首突っ込んでるですの?』

「できるかって聞いてるんだ」

『今の魔力じゃ5分程度が限界ですの。それと、結界使っちゃったらあーたんの魔力、ほんとにすっからかんになるんですのよ?」

「大丈夫、多少はあそこの魔物からドレインしてお前に蓄える」

『ドレインドレインって、元のわたくし様ならともかく、今のわたくし様の状態でドレインを使ってたら、寿命が――』

「よし、それじゃあ後は任せた」

『あ、ちょっとあーたん!? そういうところが仲間ゼロになる理由なんですの!』


 グチグチ言いながらも、跳躍したアータの視線の先で、デッキブラシを中心とした高位結界が構築される。その結界の様子を見つつも、アータは跳躍した姿勢のまま大きく足を振りかぶり、今にも暴れだそうとする魔物の群れの目の前へと、着地と同時に全力の踵落とし。

 ズゴォオオオンッと、火山が噴火したかの如くの轟音を立てながらただの踵落としによる一撃が大地を割り、吃驚に雄たけびを上げる魔物たちを地割れが飲み込んでいく。ついでに、魔物たちの背後の森林もめきめきと折れ、その姿を失っていく。

 

「しまった、やりすぎた」


 目を凝らしても数キロ先まで地割れが続いた。どころか、余波の風圧で蹴りの正面の森林が根こそぎ伐採されてしまっている。


「くそ、魔力がないから制限難しいなもう……!」


 舌打ちしながらも、今度は左右に向けて腕を伸ばす。蹴りの威力だと森が更地に代わる。ならば次はもう少し弱めの攻撃で行く。

 呆然とする魔物たちをよそに、アータは左右に向けて広げた手のひらで、人差し指を親指にかけ、力を溜める。そうして込めた力を左右にいる魔物の群れに向けて一気に開放。

 先ほどの爆音とは違う、ブォオオンッという竜巻が起こす暴風の音と共に、左右にいた魔物たちが風圧で吹き飛ばされていく。

 左右に忽然と現れた二つの竜巻はそのまま魔物達の絶望の叫びを空へとまき散らしながら、再び森林をなぎ倒して奥まで進んでいった。

 

「――はっ」


 思わず口からこぼれた嘲笑に、アータは頭を抱えた。我ながら魔力なしでの力のコントロールが下手すぎる。今の攻撃らしからぬ攻撃だけで、目の前に映っていた絶望の死の森が、毛刈りを始めた羊のようになってしまっている。

 ケルベロスを守るためとはいえ、このペースだと後半刻もしないうちに森がなくなる。それは勇者としてもアータ自身としても本意ではない。

 まいったなどうするかと頭をひねったところで、視線の先で白旗を振るサイクロプスと視線が合った。

 

「ん?」

「アッ」


 目が合っちまったと言わんばかりに、白旗を振っていたサイクロプスが視線を逸らす。

 見ると、サイクロプスの群れは多い。それだけではない。左右にはトレントの群れもいれば、空にはワイバーンの群れも集まってきた。

 アータは更地化し始めた死の森を眺めつつ、魔物たちも視線で追う。

 

 ――我ながら、実にいいことを思いついた。

 

「フラガラッハ、悪いけど追加で2分ほど持ちこたえてくれ」

『ちょっとあーたん、今度はいったい何するんですの!? わたくし様今のこの森の様子にしょっきん! ですの!』

「なぁに、少し伐採が終わったらちょっとだけ植林・・に励むだけだ」


 ニヤリと歪な笑みを浮かべて、アータは高笑いとともに白旗を振るサイクロプスに近づいて行った。

 ――後に生き残った若いサイクロプスは、この日のことをこう語る。

 

 『勇者の前で白旗はふるな、ただ笑ってあきらめろ』と。

 


 

 ◇◆◇◆

 

 


 魔王家専属メイドたちの朝は早い。中でもとりわけ職務に忠実な赤髪のメイド――アンリエッタはすでに身支度と屋敷の掃除を終え、犬小屋の前にやってきていた。

 

「……やはり、いくら魔王様でも冗談が過ぎますね。一晩開けてここにいないということはつまり、勇者は死の森で息絶えたということ」


 ちらりと向けた犬小屋には、昨晩から全く人気は残っていない。自分の主は一晩開けたら死の森は更地に代わると言っていたが、向けた先の森は今もうっそうと闇を蓄えて絶望を広げたままだ。その姿は昨晩見た時と何も変わらない。あえて言うなら、いつもは聞こえてくるウルフたちの雄たけびも蝙蝠たちの金切り声もないだけ。静かだというだけだ。

 

「フフッ。やはりアーティファクトの影響があれば勇者といえどただの人間ですね。ケルベロスに五体を引き裂かれて食われたか、サイクロプスに皮を剥がされ焼き殺されたか。それとも、トレントに引きちぎれるまで絞殺されたか、ワイバーンに空で臓腑をぶちまけられたか。いずれにせよ、いい気味です」


 普段あまり感情を見せないアンリエッタも、勇者の死にざまを想像しながら声を押し殺して笑う。だが、すぐに空から強い羽ばたきの音が聞こえるのに気づき、アンリエッタは笑みを消して現れた主に頭を下げた。

 

「おはようございます魔王様。今朝はお早い目覚めでございますね」

「……はぁ」


 アンリエッタのすぐそばに降り立った魔王クラウスは、娘からプレゼントされたピンク色の寝巻に身を包んだまま、深いため息をついて地面に四つん這いに崩れ落ちた。主のあまりに情けない姿に、慌ててアンリエッタは近寄って声をかける。

 

「い、いかがなさいましたか魔王様。何か問題でも――」

「いったよなアンリエッタ。相手は『最強の勇者』だと」

「え、えぇ。ですが勇者は死の森から帰ってきていません。どうせ森の中で死んで――」

 

 ゆっくりと立ち上がったクラウスが、深いため息をつきながらくいっと顎を死の森に向けた。アンリエッタはその意味に気づき、真っ青になりながら唇を震わせる。

 

「い、いや、そんな。昨晩の魔王様のお話は冗談だとばかり――」

「週末の死の森ピクニック、延期だよ楽しみにしてたのに。サリーナちゃんになんて言えばいいの」


 どこか遠くを見たクラウスの瞳にきらりと光る滴に気づき、アンリエッタはその小さな翼で慌てて死の森の中央に向かっていった。

 空から見る限り、森はいつもと変わりない。しっかりと生い茂っている。しいて言うなら少し大地が荒れている気がしないでもない。なんとはなしに、大地が新しい息吹に生き返っている気がする。

 違和感は確かにある。

 そう思って、死の森の中央の開けた大地にいたケルベロスに気づいたアンリエッタは、すぐさま大地に降り――気づいた。

 

「――――」


 森だと思っていた。

 死の腐臭漂わせる死の森だと思っていた。思っていたのだ。

 更地になっていない――のではない。あちこちにったはずの木々は、すべて根こそぎ倒されている。

 ただ、それでもなおこの死の森が森である理由はただ一つ。

 

 森にいた魔物たちが根こそぎ、頭から地面に突き刺さって木の代わり・・・・・をしているのだ。

 サイクロプスも、トレントも、ワイバーンもウルフもワイトも全部全部、森をかたどるオブジェになっている。拘り抜かれたプロの仕事と言わんばかりに、死の森全体が植林・・・・・・・・されている。

 

 そうして、崩れ落ちるように膝をついたアンリエッタは、ケルベロスのそばで汚れ一つない執事服に身を包む勇者が満面の笑みで手を振っているのに気づき、完全敗北に絶叫した。

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