第五話 死の森に放たれた勇者

「ここが、貴方のために用意された部屋です」

「部屋っていうか、どう見ても小屋なんだが」


 サリーナの誕生日パーティの後、疲れてしまった彼女を部屋で寝かしつけた。規則正しい寝息を聞いていたところ、アンリエッタに呼ばれて屋敷の外に出て案内された場所がここ。

 魔王家を取り囲む漆黒と暗闇に包まれた深い森の傍。鬱蒼と生い茂る森の奥からぎらつく瞳と涎の下たるレクイエムの聞こえる一等地。

 そんな一等地にでかでかとそびえたつ小屋。ゆうにアータの身長の五倍はあろうかという小屋だ。もはやここまで大きいと小屋と言うのもおかしなものだが。


「いえ、違います。そちらの大きな小屋ではなくこちらです」

「そっちはどう見ても犬小屋なんだが……」


 アンリエッタに促された視線の先。巨大な小屋の傍に建てつけられた『ゆうしゃのいえ』と書かれた表札のたった犬小屋。膝を抱えて座れば何とか入れるかどうかと言うサイズだ。


「おい、俺は一応魔王家の執事としてここにいるんだ。この扱いには納得が――」

「言ったはずです。魔界は実力主義の縦社会だと。魔王家は女尊男卑。貴方はここから這い上がってください」

「……分かったよ」


 渋々来ていた黒の執事服のネクタイを緩め、犬小屋ならぬ勇者小屋の表札にネクタイをかける。アンリエッタが満足そうに頷くのを冷めた目で見ながらも、アータは小屋に腰かけて溜息をついた。


「で、俺は明日からどうすればいい? 別に大して疲れもしていないからこのまま仕事をしても問題ないんだが」

「私が何も考えずに貴方の小屋をここにしたとでも?」


 不満そうに瞳を細めたアンリエッタの様子を見て、アータは不穏なものを感じ取った。腰かけたままのアータはそのままアンリエッタに続きを促す。


「直近の貴方の仕事は、この地区に逃げ出したお嬢様のペットの捜索です」

「この地区って、この森の中にか?」

「はい。道も知らずに迷いこめばワイバーンに食われ、サイクロプスに叩き潰され、トレントに捕らわれる死の森の中です」

「ふーん」


 既に夜も遅く。確かにアンリエッタの言うように道も知らぬ腕に覚えのない人間では、夜更けまで生きていることなどできはしないだろう。何より既に、森の奥から感じる気配が早く森に踏み込まないかと、うずうず待っているのを感じる。


「探して頂くのはお嬢様のペットのけーちゃんです。見れば一目でわかります。いかに魔王様をして最強の勇者と呼ばれる貴方でも、魔力制限下の状況で入るには些か危険な森です。特に夜に入るのはよした方がいいでしょう」

「分かった。ちなみに、お前がこの森に夜に入ったらどうなるレベルなんだ?」

「私はサリーナ様の下にいるメイドです。この森の物たちは魔王家の者には手を出しません。逆を言えば、認めてもらえぬ限り貴方は常に命の危険があるものと思っていただいて構いません」

「どうあっても嫌われたもんだ」


 肩を竦めると、アンリエッタがアータのすぐ正面まで近づいてきて、笑顔の張りついた顔を突き付けた。燃える様な赤い髪が揺れ、彼女の額に青筋が浮かぶ。


「えぇ嫌っていますとも。私の生涯を捧げる場として、魔族の憧れ――魔王城で使えていたあの日のことを忘れはしません。空島に立つ難航不落の魔王城。それを覆う六重もの大規模結界を蹴破り、高笑いと共に迎撃に出た四神将たちの師団を次々と壊滅させ、魔王城が縦に大地ごと切り裂かれたあの日。難攻不落の空島が地に落ちていく様を見て、私達魔族が貴方に何も思わないと?」

「……一応いっとくが、人間界で同じことを最初にやったのは魔王だからな? それと、魔王城の立っていた空島が落ちたのは大体あのクソ魔王のせいだ。空島を浮かせていた巨大な魔力炉をあのクソ魔王が爆破したからだぞ」

「……それ、本当ですか?」

「嘘はつかない。ちなみに、魔王城ごと空島の大地まで切ってしまったのだけは謝る」


 顎を突き出し額に青筋を立てるアンリエッタに言葉だけの謝罪を残し、アータは腰を下ろしていた小屋から立ち上がった。


「んじゃ、一通りお仕事の内容も分かったことだし、俺は行く」

「行くって、さんざん言いましたがこの時間のこの森の恐ろしさは――」


 引き留めるアンリエッタに背を向け、軽く手を振ったままアータは森の奥深くに恐れもせず消えていった。




 ◆◇◆◇




「んで、いきなりこれか」


 森の中に足を踏み入れて数分もしないうちに周囲を囲まれた。木々よりさらに大きな身体と特徴的な一つ目。筋肉質な青い身体に棍棒を携えた魔物――サイクロプス。そのどれもが数人がかりで翻弄してようやく討伐できるレベルの魔物だ。

 知能レベルこそ低いものの、こうして群れの形で遭遇してしまうと、常人はまず助かる術はない。


『オイ、ヤッパリゴレ、勇者!』

『勇者! 勇者コロス!』


 一匹二匹と数えていたアータだったが、数えるのも面倒な数に囲まれている。いつもならさっさと氷結魔法で凍り付けにして蹴散らしてしまうのだが、生憎と現在進行形で魔力は枯渇状態。手にしているデッキブラシの召喚だけで魔力は既にすっからかんだ。


「魔法は使えない。けど、んー」

『ジネッ!』 


 顎に手を当てて思案するアータの脳天に向って、突撃してきたサイクロプスの丸太ほどある棍棒が振り下ろされた。遠慮も何もない本気の一撃が、深々と大地に突き刺さる。

 すぐさま起きた轟音と地割れで、辺りの樹にいた野鳥たちが音を立てて散っていく。深々と大地を抉った棍棒を見下ろし、攻撃を仕掛けたサイクロプスは口元を歪めた。


『ガッハッハッ! 勇者ナゾ、一撃デツブレタ! ツブレタ!』


 大きな笑い声を上げるサイクロプスの肩に座っていたアータは、顎に当てていた手を下ろして頷く。


「うん。とりあえず制限されているのは魔力だけだ。魔力で強化した状態ほどじゃないが、肉体的にはいつもと大して変わらない、なっと!」

『ナニッ!?』


 サイクロプスが肩に座るアータの姿に気づいた時には、既に手にしていたデッキブラシはサイクロプスのうなじに全力で叩き付けられていた。

 しかし、遠慮も何もなしに叩き付けたデッキブラシは、サイクロプスに大したダメージも与えられずに根元から折れ、あさっての方向に錐もみしながら飛んでいく。


『…………』

「……まぁ、そりゃそうだよね。デッキブラシだもんね。魔力コーティングせずに振るったらこうなるか」


 自分を捕まえようと手を伸ばしたサイクロプスから跳躍し、そのまま宙で一回転。振り上げた右足をサイクロプスの脳天に無遠慮に振り下ろす。

 ズドンッ、という鈍い音と共に蹴り落としたサイクロプスは地面にめり込み、活動を停止した。魔力も使わない唯の肉弾戦の一撃。

 辛うじて地面に埋もれなかったサイクロプスの頭に着地したアータは、ボリボリと黒髪を掻きながら、サイクロプスの頭から地面に着地する。

 そのまま周囲のサイクロプス達の困惑を無視して、アータは目を凝らして空を見上げた。その先でかすかに見えるワイバーンの姿を確認。夜道も暗い。あのワイバーンを捕まえて背に乗り、空から探そうと考えたのだ。


「いいところにいたな。さてっと」


 先ほどの一撃で粉砕されている岩から、手ごろなサイズの石を手に取る。何度か軽く放り、アータは手にした石の感触を確かめた。そうしてふぅっと息を吐き出したのち、右手に石を掴み、大きく振りかぶる。

 目標は――遥か上空のワイバーン。


「そらよっ――っと!」


 キュインッと、投擲らしからぬ音を立てて一直線に上空のワイバーンへ向かって石が飛んでいく。自身の投げられた速度で熱を帯びて真っ赤に赤熱していく石は、そのままワイバーンの丸々と太った腹に直撃。

 カエルの鳴き声のような酷い呻き声と共に、ワイバーンはそのまま森の奥へと落下していった。


「よし、命中したな。魔力は使えなくてもこれぐらいならなんとでもなる。さて、んで、いい加減ここを通らせてもらうぞサイク――あれ?」


 ワイバーンの落下地域を確認したのち、アータは自分の周囲を確認。

 そこにいたはずの数十匹のサイクロプス達は、小さな白旗を残して綺麗さっぱり消え去っていた――。




 ◆◇◆◇




「して、あのアホ勇者はどうした?」


 自室の書斎で、眼鏡を正す魔王が部屋に入ってきたアンリエッタに問う。魔王の視線に恭しく一礼をしたアンリエッタは、舌なめずりをしながら答えた。


「魔王様と同じアーティファクトで魔力を制限されているのです。死の森傍のケルベロスの小屋に勇者の小屋を用意しました。その上何を考えているのか、自分からこの夜の森の中に入っていきました。朝には死体が見つかるでしょう。あっけないものですね」

「ちょっと待て。勇者をあの庭にはなったのか?」

「何か問題でも?」


 小首をかしげるアンリエッタの前で、魔王は自慢の二本の角を掴みながら机に突っ伏した。そしてまるでこの世の終わりのような絶望の表情でアンリエッタの問いかけに答える。


「お前たちはあのアホ勇者を舐めすぎだ。この無敵の魔王たる私をもってして、『最強の勇者』と言わざるを得ない人間だぞ」

「ですが、魔王様と同じように魔力制限をアーティファクトで――」

「アーティファクトで制限できるのは魔力だけだ。元の肉体能力だけで私と張り合うあの化け物が、そんじょそこらの魔族程度でどうこうできるはずがあるまい……。はぁ、あの森ピクニックに最適だったのに、明日にはきっと更地だよどうするの?」

「い、いえいくらなんでもそれは……。それに、あの森には四神将の知将、ドラゴニス様がお嬢様にプレゼントしたケルベロスがいます。あのケルベロス一匹で人間の一個師団など寄せ付けぬ化け物ですよ?」


 早口になるアンリエッタの言葉に、生温かい笑みを向けて魔王クラウスは首を振った。


「前回魔王城に攻め込まれた時、ケルベロスの部隊も出したのだよ。二十匹ほどね」

「…………。け、結果は……?」

「絶滅危惧種になった。サリーナちゃんのペットで最後の一匹」



 この日初めて、アンリエッタは完全敗北に床に崩れ落ちた――。

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