第四話 囲む食卓は騒々しく

「さぁ皆の者! 今宵は我が最愛の娘サリーナ十四の生誕祭! そして人間界との戦が終わった日でもある! 存分に宴を楽しみたまえ!」


 屋敷の地下に広がる巨大な広間に、魔王クラウスの声が響き渡る。クラウスの雇う二十名強のメイドと彼らを率いるアンリエッタ。そして、一際豪華な席で居心地悪く座るサリーナのおよそ三十名ほどのパーティがここに開催された。

 真っ赤なカーペットの上には白いテーブルが用意され、メイド達によって運び込まれた豪勢な料理がこれでもかと並ぶ。鼻孔を擽る匂いは食欲をそそり、見た目にも配慮されたその料理の数々は、魔王をして感嘆をあげさせる。


「……おえっ」


 だが、それはあくまで魔族視点の料理。出てくるゲテモノぎりぎりラインの見た目の悪い料理の前に、アータは思わず口を覆う。サリーナの傍でひっそりと立つアータの目の前には、彼女のために用意された一際巨大な料理が出てきた。

 見たこともない謎の甲殻類で装飾され、紫色の煮え立つクリームの中から飛び出す蝙蝠のから揚げ。煮つけにされてしまった蛇がドグロを撒いて天を見上げるそのさまは、さながら最後の晩餐。


「いや、魔王の晩餐で間違っちゃいないか……」

「どうかしたのかの、アータ?」

「いえ、何でもありませんお嬢様。少々、この熱気に充てられてしまっただけでございます」

「うにゅ?」


 椅子に座ったまま両手で甲殻類にかぶりつくサリーナの姿に軽く眩暈を覚える。頬一杯に目の前の料理なるものを頬張るサリーナの隣で、アータはどうしたものかと頭を抱える。


 ――正直言って、甘かった。


 魔王の娘の執事をするだけで人間界の平和が守れるならと。単身で魔王家に寝泊まりする事には別に心配はしていなかった。少なくとも魔王以外にどうこうされるほど軟な人間でない自負はあったし、最悪魔王の娘を人質にすればと。


「アータ。これこれ、これがおいしいのじゃぞ! お主も食べてみるのじゃ!」


 差し出された蛇。そこから延びる鋭い牙をぎょっと見つめたアータの額を、冷や汗が垂れる。


「……あ、ありがとうございますお嬢様。俺はお嬢様のそのお気持ちだけで十分でございます」

「食べてくれんのかの……? せっかくワシがアンリエッタに頼んで用意してもらったお主の歓迎料理だったのじゃが……食べて、くれんのかの……?」

「…………」


 これは新手の精神攻撃か何かだろうかと、アータは身体を震わせた。

 煮つけにされた蛇を、そのままこちらに差し出してくれたサリーナの瞳がうるっと涙ぐむ。身長差のあるサリーナはぐいっと蛇の頭をアータに向って伸ばしたまま、鼻を鳴らした。

 周囲を見渡すと、歌を歌って騒いでいたメイド達の視線が自分に集中していることに気づく。興味本位などではない。圧倒的な強制力を持つメイド達の瞳が訴えていた。

 今すぐ喰えと。


「――今すぐ喰え」


 いつの間にやら自分の背後でナイフを突きつけるアンリエッタの姿も。その燃える様な赤い髪の毛と満面の笑みが、アータの背筋に寒いものを忍ばせる。

 目の前で今にも泣きだしそうなサリーナに気づかれぬよう、アータは小さな溜息をつく。


「……お嬢様。俺はこのような豪華な料理を見たこともありません。できればもう少々小さなものをいただいてもよろしいでしょうか?」

「おぉ! もちろんじゃアータ! それではワシが食べやすいように小さくするのじゃ!」


 再び料理の用意されたテーブルに戻るサリーナ。その背を眺め、アータは背後で笑顔を崩さないアンリエッタを睨み付けた。


「……これはなんの嫌がらせですか、アンリエッタさん?」

「嫌がらせとは失敬な。本日はお嬢様の生誕祭であるとともに貴方の歓迎会でもあるのです。貴方にご自分の立場を理解していただこうという、粋な計らいでございます」

「……ご親切にどうも」

「アータ! ほれほれ、食べるのじゃ!」


 アンリエッタと互いの腹を探りあっていると、執事服の裾を引かれ、アータは振り返る。

 そこで再び満面の笑みと共に差し出された蛇の頭に、アータは再び言葉を失った。


「ほれほれ、食べやすいように蛇の頭だけ切り取ったのじゃ! 食べてくれるかの、の?」


 フォークに刺された蛇の頭をサリーナがアータの顔に近づける。

 本当に、これはなんていう精神攻撃だろう。なまじ、魔王やアンリエッタなどの他の魔族と違い、彼女サリーナの無垢な笑顔には抗い難い魔力がある。


「い、ただき、ます……!」


 意を決して、サリーナが差し出してくれている蛇の頭に向って口を開いた。

 そして――、


「はむっ!」


 アータの目の前で、サリーナの差し出した蛇の頭に魔王クラウスが食らいついた。


「…………」

「ふっはっはっはっは! ゆうひゃアータよ! 貴様ごときが私のサリーナちゃんにあーんしてもらおう何ぞ百年早い! 貴様にくれてやる飯など、ケルベロスの糞で十分なのだ――ノフッ!?」


 蛇の頭を咥えたまま高笑いをするクラウスの股間に、サリーナの細い足が鋭く振り上がった。そのあまりに綺麗な金的に思わず腰を引くアータだったが、泡を吹いて崩れ落ちるクラウスの背をサリーナが涙目で踏みつける。


「何をするか父上殿! せっかくワシが愛情込めてアータにあーんをしようと思ったのに!」

「な、何を言ってるんだぃサリーナ! 勇者なんかに愛情なんて上げる必要ないよ!? むしろパパが愛情欲しいな!」

「うっさいのじゃ!」


 白銀の髪を振りながら嫌々をするサリーナと彼女にしがみ付くクラウスの様子に、アータは傍で控えていたアンリエッタに問う。


「……いつもこんな感じなんですか、魔王って」

「えぇ、大体こんな感じでございます。家族を顧みない魔族としては異例と言っても良いでしょう。人間の家族は、クラスウ様やお嬢様のような付き合いが多いと聞いたことがありますが?」

「俺は身寄りがないのでわかりませんね」

「そうでございますか」


 特に興味もないと言った風に、アンリエッタが暴れ出したクラウスとサリーナの仲介に入っていった。


 

 ◆◇◆◇



 アータは目の前で繰り広げられる親子喧嘩をただただ眺める。下手をすれば、人間より人間らしい魔王とその娘の姿に、アータは言葉を失ったのだ。

 家族のいない自分には知らない世界がそこにある。それは別に羨ましいものだというわけではない。自分でもどう例えていいかわからない感情にアータが呆然としていると、顔面にベチャッと何かが張り付いた。


「…………」


 ぬめっとしたそれを掌で拭うと、それが用意されたスライムスープであることに気づく。


「はっはっは! ざまぁみろ勇者貴様! 私のサリーナちゃんとベタベタしようとしたバツだ!」

「にょわっ!? だ、大丈夫かのアータ!?」

「…………」


 自身も料理でベタベタになった銀色の髪を靡かせ、クラウスが高笑いをする。

 顔を伏せて震えるアータの傍に近寄ってきたサリーナが慌ててアータの顔をナプキンで拭う。そんな彼女に軽く笑顔を見せたアータは、握った拳を背に隠してサリーナに尋ねる。


「お嬢様、一つお仕事をいただいてもよろしいでしょうか?」

「んむ?」


 アータの頬にナプキンを伸ばしたままのサリーナが小首をかしげる。短い前髪におでこがちらっと光を増した。


「汚れて参りましたこの広間にある巨大なゴミの掃除をしたいのですが……」

「じゃが、お主はまだまともに料理も食べておらぬではないか」

「いえいえ。俺は仕事中毒気味な勇者でありますので。食卓は常にきれいに掃除したうえで、お嬢様から歓迎の料理をいただきたいと思います」

「お、おぉ! うむ、それならうむ! すぐに掃除して一緒に料理を食べるのじゃ!」

「では、少し離れていてくださいませ」



 瞳を輝かせながら離れていったサリーナに笑顔を返し、アータは掌をげらげらと笑う魔王に向けた。そして、今一度抜くために魔力を高める。だが、集中していく魔力の高まりに、アータの首元の棘付首輪の締め付けが強くなった。


(なるほど、こうやって魔力量の絶対量が強制的に制限されるってわけか。唯のアーティファクトなら力押しで壊せたけど、あのクソ魔王のふざけた魔力のせいで、半無敵化してるな)


 仕方ないと舌打ちし、アータは唱える。


「答えよ、応えよ、堪えよ。我が声に、我が意思に、我が願いに。其は応え、紡ぎ、報復する者!」


 掌に生じたちっぽけな魔法陣に腕を伸ばし、一気に引き抜く。


「デッキ……ッ、ブラァシィッ!」


 すぽん、と言う間抜けな音と共に抜いた相棒。刃を失いみすぼらしいヒノキの棒になった、伝説の剣。元フラガラッハ。

 妙にしっくりくる肌触りと、応える魔力すらなくなった俺様キャラの切なさに涙を流しそうになるが、アータはデッキブラシを床に当てて構えた。


「おいこらこのクソ魔王! この名剣デッキ・ブラァシでお前のその頭の上の蝋燭に火をつけてやるから頭差し出せ!」

「だぁれがアホ勇者如きに私の自慢の二本角を差し出すものか! この角はなぁ、いつかサリーナが嫁に行く時まで私の頭の上で燦然と輝くのだ! この角で婿のケツの穴掘ってやるのだ!」


 そう言って、魔王クラウスが背で舞う真紅のマントを手にした。この所作に、アータはデッキブラシを構えた掌に力が籠るのを感じる。何せあの魔王のマントこそ、数々の自分自身のあらゆる攻撃を防ぎ切った伝説の楯なのだ。


 その名も――、


「括目せよ、喝采せよ、誉れ讃えよ! 其は灰塵一切をよせつけぬ魔王の羽衣!」


 魔王の背で靡く真紅のマントが、魔王の目の前で激しく燃え上がり、魔法陣と共にその身を縮めていき――、



「顕現せよ、アイギ――、あり?」



 べちょっという慣れない効果音と共に、魔王の前に薄汚い雑巾が落ちてきた。デッキブラシを構えたアータは目を凝らし、目の前に落ちた雑巾の魔力の流れを見る。

 見た目は確かに雑巾だが、内に秘めた魔力は確かに覚えているアーティファクトの物。

 というか、雑巾の端に小さな文字で『あいぎす』と書いてあった。


「あぁ、やっぱりクラウス様へも『いやーん私もう頑張れない』の魔力制限の効果がでているのですね」

「あぁんりえった! 私それキイテナイヨ!? 私のもつ絶対無敵の楯、アイギスさんが酷い姿なんだけど!?」

「言ってませんから」


 涙ながらの訴えは無視され、魔王は雑巾を手にしてアータに向かい合い、指をさした。


「貴様のせいだぞアホ勇者! 折角のサリーナちゃんのパーティを台無しにするつもりか!?」

「うるさいこのクソ魔王! 何かとつけては、イチイチいちゃもんつけてきやがって! こっちはちゃんと契約守って仕事しようとしてるのに、お前が一番場を乱してるだろうが!」

「何を!? 貴様が私のサリーナちゃんに色目を使うのがそもそもの原因だろう! おまけで歓迎会を開かれている身で偉そうにしおって! そのスカした態度を煮付けてヘラヘラ顔にしてやろうか!?」

「なんだと!? お前の娘離れできてないその性格が一番の問題だろうが! そっちこそ、そのヘラヘラした顔をフライパンで焼いてカリッカリにしてやろうか!?」


 顔を突き付けあった魔王と勇者は、鼻息荒く互いに対角の部屋隅に移動した。そうして二人は互いに戦闘態勢を整える。


「いいかアホ勇者! よーいどん、で私はここから、貴様はそこからスタートだ!」

「望むところだ! 奥義デッキブラッシングスケーターの速度をなめるなよ、クソ魔王!」

「貴様こそ、私の四つん這い超高速雑巾掛けを甘く見るなよ、アホ勇者!」

「いざ!」

「尋常に!」

「私が言いますね、よーいどん」


 アンリエッタの掛け声とともに、魔王と勇者が互いに伝説の武器を構えて駆け出した。

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