第三話 伝説の剣とデッキブラシ

 傍観を決め込んでいたアンリエッタが、クラウスを無視してアータに問いかけてくる。


「それで、クソ勇者。どういう状況で私達の敵である貴方がこの魔王家に?」

「……契約だよ。そこで泣きべそかいてる魔王と、平和のための契約を結んだんだ」

「して、その契約の内容とは?」


 いつの間にやらサリーナが腕に抱き着いている。頭をかくアータは、自身が魔王と結んだ契約を語る。


「二十四時間三百六十五日死ぬまで。俺が魔王の娘の執事として働くことを誓えば、魔族は人間界を襲わないと」


 アータの返答に、アンリエッタが納得いったように頷く。


「なるほど。さしずめ勇者御供ということですね。魔族にはない、他人のために自己を犠牲にする人間の考えそうなことです」

「…………」


 アンリエッタの身もふたもない言葉に、アータは二の句を告げられない。そんなアータの様子を見て、アンリエッタが瞳を細めた。


「ですが、本当によろしかったので? 貴方は仮にも勇者。私達魔族は最大の人質を取ったと言っても過言ではありませんよ? その気になれば、貴方をここで消して人間界を襲うことも――」


 彼女の言葉に、アータが目を見開いた。そして、腕に抱き着いているサリーナをそのままに立ち上がり、低い声でアンリエッタを威嚇する。


「やってみろ。その時は俺が魔界を更地に変えてやるぞ」


 パチンと、アータは指を弾く。

 たったそれだけの魔力の余波でアンリエッタの背後に控えていたメイドの四人が音をたてて床に崩れ落ちた。蒼い双眸の奥から洩れる身も気もよだつ極低温の魔力に、下級魔族の彼らは耐えられもしない。

 ガタガタと音をたてて身体を震わせる彼女達の様子と、その横にあったであろうプレゼント箱の凍りつき砕け散った姿を見たアンリエッタは、震える手で自身の唇に触れる。

 そのあまりの冷たさ――否。凍りついてしまった唇に、アンリエッタはアータに向って頭を下げた。


「……さすがです。クラウス様をして最強を言わしめる勇者の力の一片、理解できました。今のはほんの冗談だと思っていただいて構いません。私どもメイドは、クラウス様とお嬢様の指示に従うだけでございます」

「そいつはどうも。こっちも約束を守ってもらえる間は何をするつもりもないから。俺も今日からここで働くんだ。仕事仲間としての良好な関係を作りたいね」

「いやですね」


 差し出したアータの腕をアンリエッタはちらりと見て首を振った。


「……ここは素直に握手に応じるべきじゃないのか?」

「魔族は縦社会。貴方はここの魔王家で最も低い位置につくのです。だというのに、貴方は強すぎます」

「じゃあどうすればいいっていうんだ?」

「クラウス様」


 問いかけると、アンリエッタが崩れ落ちたままのクラウスの肩を軽々しく叩いて呼ぶ。さっきから気付いていたが、魔族の縦社会は本当にこの魔王家にあるのだろうか。

 そんなことを考えていると、アンリエッタが立ちあがったクラウスにひそひそと耳打ちする。彼女の言葉に頷くようにクラウスは笑みを歪めてアータを見た。


「なるほどいいだろう。おいそこのロリコン勇者。貴様の剣を出せ」

「嫌だねモンスターペアレント。それにこの場で剣を抜く意味が本当にわかってるのか?」

「何だと貴様! 私はモンスターではなく魔王だ! それに剣を抜く心配はいらん。私がいる」

「……本当にここで抜くつもりか?」

「もろちん!」


 自信満々に答える魔王クラウスを見て、アータは眉間を揉む。剣を抜く。それはすなわち戦闘態勢を意味し、抜くだけでも大量の魔力を放出する自分の剣は、それだけで周りにいる下級魔族など消し飛ぶ。

 とはいえ、確かに魔王が傍にいるこの状況であれば、魔力の余波を防ぐことは確かに造作もない。


「わしもお主の剣、みてみたいのじゃ」


 それに、傍で袖を引く魔王の娘サリーナの縋る視線は、幼い頃の自分が育った村の子供たちを連想させ、断りきれない。


「……はぁ。分かりましたお嬢様、お望みとあれば」


 そう言ってアータは瞳を閉じ、掌を正面に突きだす。集中していく極低温の魔力は部屋の温度を一気に凍てつかせ、掌に召喚陣を紡いでいく。複雑に絡み合う螺旋が光の陣を編んだところで、空いている片手を陣の中に入れる。

 そうして陣の中にあった馴染む柄を手にし、アータは召喚の祝詞を紡いだ。


「答えよ。応えよ。堪えよ。我が声に、我が意思に、我が願いに。其は応え、紡ぎ、報復する者!」


 輝きを増した召喚陣から、アータは剣を抜いた。瞬間、放たれる衝撃波は魔王家を揺らすが、正面に立つ魔王が己の魔力でこの場にいる者達を庇う。

 その様子に遠慮なく抜き去った剣をアータは振り抜いた。

 身の丈ほどもある長い剣。刃毀れ一つなく、輝きに刀身を煌めかせ、幾千もの魔族を切り伏せ、打倒してきた伝説の剣。

 応える者、報復する者。


 


 その名も――、





『呼ばれて飛び出る俺様登場! フラガラッハ様たぁ、俺様よ!』

「…………」


 剣を抜いた魔力は魔王がその魔力ですべて防いだ。抜く際のアータの魔力で凍てついた部屋は常温だというのに、ここにいる魔王家の面々の間には深刻な寒気が漂う。


「……だから言ったんだよ。本当にここで抜くのかって」

『おいおいおいあーたんよ、呼び出しておいてそれはないんじゃないのってぇの。俺様ショッキン』

「だーっはっは! いつ見ても間抜けな様だな勇者!」

『おうおう! テメェクソ魔王! なんでテメェがこんなのところにいやがる! フラガラッハ様のこの華麗な刀身の前に身を晒すたぁいい度胸だ!』

「貴様の柔肌なんぞ、私に傷一つつけられるものか骨董品め!」

『おいあーたん! あいつを斬らせろ! 俺様ファキン!』


 げらげらと笑い声を上げるクラウスと、掌の中でガタガタと叫ぶ剣。

 文字通り――応える者。人間界の伝説の剣。意思を持った魔剣だ。性格や言葉遣いがアレなのは、この剣を作った刀匠がちょっとばかり頭がアレだったのだろうと納得している。

 傍で目を輝かせて剣を見つめるサリーナのことは、この際頭の片隅に追いやる。


「それでクソ魔王、アンなんとか。俺にこいつを抜かせて何をさせたいんだ」

「そうでした。衝撃的な伝説の迷剣の登場に忘れそうになっていましたが、クラウス様」

「うむ。おいうんこ勇者。貴様の持つ最大の戦力はその剣で間違いないな?」

「……あぁ」


 否定できないのは、いくら性格がアレでも手にしたフラガラッハが相応の力を持つからだ。


『え、なになにあーたん俺様褒められてる? 俺様カッコいい』

「いいから黙っててくれ」


 フラガラッハを下ろし、アータは頭を抱える。


「貴様がここで働く以上、貴様の最大戦力は少なからず自由に使えない状況を作る。ふん!」


 アータが手にしていたフラガラッハに向けて、魔王が魔力を放つ。慌てて臨戦態勢を整えようとしたアータだったが、放たれた魔力の意図を肌で察し、素直に引き下がった。


『ちょ、ちょちょッと待て! 俺様エンディング! ねぇあーたん体が熱いよポカポカするよ! あ、あっ、ああっ、俺様変わっちゃう!? あああああ!? 俺様出番なくなっちゃ――』


 フラガラッハの巨大な刀身が黒い光を放ちながら萎んでいく。手のひらほどもあった刀身は見る見るうちに小さくなり、まるで細長い棒ほどのサイズに。

 十数秒もしないうちに、伝説の剣だったそれはみすぼらしいデッキブラシに姿を変えた。


「はっ、はっ、はっ……ぜぇぜぇ……。よ、ようやく……げほっ、終わった……」


 伝説の剣の姿を変えた当の本人――魔王クラウスは情けなく床に手を突き、げっそりとした顔で荒れる息を整えていた。今ならとどめをさせたかもしれない。

 そう思うが、アータ自身も自らの魔力の枯渇を感じ、床に膝をついてしまう。


「はぁ、はぁ、はぁ……。そういう、ことか……」


 フラガラッハはアータ自身の魔力でその力を維持している。だが、たった今その魔力ごと魔王に封印された・・・・・。即ち、フラガラッハの維持に使う魔力は根こそぎ奪われたのだ。


「クラウス様、これを。アータ様にも」


 フラガラッハの封印中に席を外していたアンリエッタが、無骨な棘付首輪を差し出した。差し出された首輪を受け取ったアータは、首輪の放つ怪訝な気配に首を傾げる。


「……おい、これは一体何の――」


 言葉を告げるより早く、掌の上にあった首輪がひとりでの動き、クラウスとアータの首輪に巻き付き、収まった。魔力を消費しすぎたばかりの身体には、首に巻き付いたこの棘付首輪を引きちぎる力はない。


「魔界にある伝説クラスの品です。その名も『いやーん私もう頑張れない』です」

「伝説クラスの珍名の間違いじゃないのか?」

「げほっ、ごほっ! そんな風にツッコミ入れていられるのも今の内だクソ勇者! このアイテムの真の力! それは、取り付けた相手の魔力に合わせて強靭化し、取り付けた時点で魔力回復を制限する! 即ち、私とお前は今、非常に弱くなったのだ!」


 なるほど、とアータは頷きながらも首輪に触れる。今の自分と魔王は互いに魔力を消費した状態。その状態でこの首輪を取り付けることで互いの力を制限しようというのだ。


「……お前たちが契約を守るのなら、俺もこれを守ろう」

「理解が早くて助かります、クソ勇者」


 そうしてようやく差し出されたアンリエッタの掌に、アータは手にしていた魔剣――だったデッキブラシを脇に置いて握手を交わす。

 魔王クラウスに至っては、よほどフラガラッハの封印で疲れたのか、未だに床に伏せてむせている。

 そんな張りつめた空気の中でなお、サリーナだけが変わらずに笑っているのに気付き、アータは首を傾げた。


「お嬢様? どうかしましたか?」

「にゅっふっふ。お主お主、名を何という? 勇者では味気ないのじゃ。ワシはお主の名前が知りたい!」

「俺の名前は――」

「サリーナ、こんな奴の名前はアーホだアーホ! 勇者アホーで十分――ヌゴッ!?」


 余計なことを言うクラウスの頭を遠慮なく踏みつけたアータは、にんまりと頬を緩めるサリーナに名乗る。


「アータ。アータ・クリス・クルーレでございます、お嬢様」

「うむ! アータじゃな! これからずっと、よろしく頼むのじゃアータ!」


 心底嬉しそうに飛び跳ねるサリーナの様子に、控えるアンリエッタ達が苦笑した。彼女たちの和やかなムードに、アータは胸を締め付けられる思いで頭を下げる。

「……はい、お嬢様」


 納得をしているわけではない。ただ、こうしなければ人間界の平和を守れない。自分は勇者であるのだ。人々の先陣に立って一人で戦い、人々の平和を切り開く存在。


「このアータ・クリス・クルーレ。お嬢様の執事として切磋琢磨し、立派に仕事を成し遂げて見せます」


 今日からはその戦場が変わるだけ。手にする武器が剣からモップに変わるだけ。自分は今までと同じように敵陣でただ一人戦うだけ。仲間もなく、守るべきものもなく、帰るべき場所もなく。

 攻めて来た魔王軍に初めて立ち向かった時と同じように、アータは自問する。




 俺は一体、何のために戦ってるんだ――と。

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