第一話 その名も……
「お帰りなさいませ、クラウス様」
豪勢な扉を開いてクラウスが赤いカーペットを踏みしめると同時に、漆黒のメイド服に身を包んだ一人の赤髪の女性が頭を下げた。背でピクリと動く小さな黒い羽を携えたその赤髪メイドは、帰宅した主人のボロボロになった鎧を見つめ、脇に控えさせた別のメイドに指示を飛ばす。
「うむ、アンリエッタ。しかして、サリーナはどこにいる?」
「お嬢様ならば、お部屋に引きこもってございます。何分、クラウス様が生誕祭を祝ってくれぬとへそを曲げておいでですので。実の娘より勇者のほうがお好きなのかとも」
数名のメイドがクラウスのボロボロになった羽織や鎧を取る傍で、アンリエッタと呼ばれた赤髪のメイドが顔を上げる。
漆黒の身軽なスーツに身を包み直したクラウスは、アンリエッタの言葉を受けて背後に置いておいた巨大な箱を指差す。
「すぐにサリーナの部屋へ向かうぞ。誕生日プレゼントは確保できた」
にんまりと笑うクラウスの姿を見て、アンリエッタがクラウスの指差した箱を眺める。
――巨大。
人一人入れそうなほど巨大なピンク色の箱。何やら白いリボンで味気なく装飾をされたそのプレゼントに、アンリエッタは眉をしかめた。
「また随分と巨大なプレゼントですね。ですが、中身は大丈夫でしょうか? 昨年お嬢様にプレゼントされた振動する三角骸骨馬などは、随分と不評だったようですが」
「それよりも素晴らしいものだ。無敵の魔王たる私をもってして、最強のプレゼントと言えよう」
「いえ、プレゼントに最強の二文字などいりませんが……」
控えたメイドたちに箱を預け、クラウスは軽い足取りで屋敷の中を娘の部屋へと向かって歩き始めた。
クラウスに付き従う形でアンリエッタもまた続く。その背後には、四名のメイドによって抱えられたプレゼントも続く。時折プレゼントの中から低い呻きが聞こえ、メイド達の頭に不安がよぎるが、職務に忠実な彼らは黙ってクラウスとアンリエッタに付き従った。
「それで、クラウス様。本日の勇者との決戦は如何でしたでしょうか? 屋敷にも四神将の猛将ベヘルモット様が人間界侵攻状況の進言に来ておりましたが……」
「おお、言い忘れておったな。勇者との決着はついた。私達の戦いももう終わりだ」
背を向けずに答えたクラウスの背後で、アンリエッタが驚きを露わにした。
「まことでございますか!? あのにっくき勇者に勤めていた魔王城を破壊されて、別荘である魔王家で働き始めて早一年。それにしても、どうやってあの化け物勇者が倒れたのですか?」
「倒れてなどおらん。だが、契約をした。アンリエッタ、四神将に伝えよ。人間界への侵略は本日をもってやめとする」
「は?」
突然の言葉に立ち止まってしまったアンリエッタを捨て置き、クラウスは屋敷の二階端に用意された娘の部屋の前に立った。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいクラウス様! 一体どういうことですか!? お嬢様へのプレゼントに人間界を送りになるのではなかったのですか!?」
「心配ないアンリエッタ。これは契約だ。そして、人間界より遥かに価値のあるプレゼントを手に入れてきたのだ」
「いえ、ですからそのプレゼントの中身とは……!」
騒ぎ立てるアンリエッタを無視し、クラウスはそのまま軽く扉を二度ノック。
「サリーナ! 私だ! 魔王様だよ! パパが帰って来たよ!」
すると、部屋の中から怒鳴り声が飛んでくる。
『うっさいのじゃ! なぁにが私だ、魔王様だ――なのじゃ!? ワシの十四回目の誕生日も忘れて、勇者とキャッキャウフフしてた父上殿などしらん! 父上殿など、勇者と一緒に穴でも掘りあっておればよいのじゃ!』
「わ、忘れてなどいないぞ!? パパはお前の誕生日を祝うために、必死こいて勇者と戦い、そしてプレゼントを持って帰ってきたんだよ!」
プレゼントの一言に、扉がガタリと大きく揺れた。どうにも部屋の中から何かを扉に向って投げつけてきているらしい。
『また卑猥なプレゼントに決まっておる! 今までもらったプレゼントで振動がなかったプレゼントなどないのじゃぞ!? またどうせブルブル震えるプレゼントに違いないのじゃ! そんなものはワシはいらん!』
「深い意味なんてないよサリーナ!? ただ、引きこもりがちなお前の身体をほぐそうと、マッサージ機能付きのプレゼントが中心だったばかりなだけじゃないか!」
「クラウス様すみません。このプレゼントの箱なのですが、先ほどから何やらずっとブルブル震えていますが……」
『ほぅらやっぱり卑猥ではないか! 父上殿のあほ! 変態!』
「ちがぁう! 違うぞ!? おいアンリエッタ! なぜ今そんなことを言う!?」
「趣味ですので」
「どんな趣味!? とにもかくにもサリーナ、部屋に入るぞ!」
意外にも鍵のかかっていない扉を開き、クラウスは娘の部屋に入る。
広い部屋だ。軽く見渡すことのできる広間と言っても過言ではない。少女趣味全開の愛らしい魔族人形が辺りに転がり、クラウスはこれを踏まない様に部屋の中を進む。
クラウスの視線の先には、ベッドに備え付けられた真っ白な天蓋で姿を隠す娘がいた。
「プレゼントなどいらんと言ったではないか!」
少女の姿は白い天蓋に映る陰でしか追えない。まるで小さな山のように見える影に、少女がへそを曲げて頭から羽毛布団をかぶっているらしいことが分かった。
「そう捻くれないでくれサリーナ。今回のプレゼントは文字通り、最強のプレゼントなんだよ!?」
「プレゼントに最強も何もないのじゃぞ!」
「ほらだから言ったじゃないですかクラウス様」
「アンリエッタ! お前はもう黙っててくれ!」
傍に控えるしてやったり顔の赤髪メイドを下がらせ、プレゼントを抱えた四人のメイドを前に出す。
「仕方あるまい。サリーナ、せっかくだからここでプレゼントを開けよう。びっくりするぞ?」
「むむっ」
つむじを曲げながらも、やはりプレゼントという言葉に興味はあるのか。純白のカーテンが開かれた。そこからひょっこりと顔を出したのは、愛らしい少女。
クラウスと同じ白髪に、僅かに銀がかかった艶やかな髪。短い前髪からおでこが軽くひかり、頭の左右には目を凝らさないと見えないほどの小さな角が二つ。
真っ赤な双眸は不機嫌に細まっているが、長い睫毛と膨らませた頬が少女の愛くるしさを強める。
「……しょ、しょうがないから見てやるのじゃ。せ、せっかく父上が買ってきた誕生日プレゼントなわけじゃし」
ぷいっとそっぽを向いてしまう少女――サリーナの姿に、魔王クラウスが笑みを浮かべた。
「クラウス様、鼻血です」
「済まないアンリエッタ」
渡されたティッシュを鼻に詰めたクラウスが、メイドたちが床に置いたプレゼントのリボンに手をかけた。
「さぁ、見てごらんサリーナ! お前のためにパパが手に入れた誕生日プレゼントだ!」
そう言って、クラウスが力一杯プレゼントの封をしていたリボンを引っ張った。
「無敵魔王が選び抜いた最強のプレゼント……!」
瞬間――プレゼントの箱が展開された紙箱のように崩れ落ちた。
開いたプレゼントの中からはもくもくと白い煙が立ち上り、目を凝らしていたサリーナやアンリエッタ、そのほかのメイドたちの視界を奪う。
次第に晴れていく煙の中央に、黒い影がよぎった。
その黒い影はすらりとした出で立ちで、二本の足と二本の腕を持っていた。煙の中でも輝く双眸は淡いブルーに輝き、伸びた黒髪が晴れていく煙に揺られる。
「その名も……ッ!」
サリーナやアンリエッタ、そのほかのメイド達も呆然と言葉を失う中で、クラウスとプレゼントの中から現れたその男だけが、胸を張っていた。
そして、クラウスがサリーナに向って威風堂々と宣言する。
「――勇者であるッ!」
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