第十一話
この村にも、梅雨の訪れを告げる雨が灰色の空からしとしとと降り注いでいた。舗装をされることなく、土をむき出したままの道を雨が黒く染めていく。すべてを洗い流すほどの激しい雨ではない。地表を優しく撫でて、少しだけ背丈が伸び始めた稲たちに恵みをもたらすような雨だった。
私はビニール傘を閉じて「山の食堂」に入る。
「こんにちは、鮫島さん」
「はい、こんにちは」
鮫島さんの声の調子は梅雨になっても変わることはない。おだやかでもあり、溌溂ともしている。
「ちゃんと揃ってるよ」
そしてバスケットの中の品物も、変わらず完璧に揃っている。その中には食材ではないものも見える。
「めずらしいね、ノートと鉛筆を頼むなんて。勉強でも始める気かい」
「えぇ、まぁ」
「この前はいろんな国の辞書を揃えたり、なにやら始めようとしているのかな」
鮫島さんの灰色の瞳が私に向けられる。
「まぁ、こんな村だと娯楽も何もないからね。教養を深めるしかやることはなさそうだ」
鮫島さんは快活に笑う。
「産まれて初めてかもしれないんです、こんなに自分から何かをやろうとするのが」
私は傘を持っている手をもじもじと動かしながら言う。
「今までは大した目的意識もなく生きて、学校の勉強だって人生でなんの役にも立たないものを培わなきゃいけないんだろうって思いながら適当に済ませてたし、大学受験だって消極的な理由しかありませんでした」
鮫島さんは黙って私の言葉を聴く。二つの瞳の灰色は、広い曇り空を思わせる深さを湛えている。
「このままなんとなく生きて、なんとなく死んでいくんだと思っていたんです。でも、そうじゃないかもしれない。何かのために生きていけるかもしれない。そんな風に思えてきたんです。そのためには、行動をしなきゃいけないんです」
「そうかい」
鮫島さんの笑顔には優しさが溢れていた。私の目からは不意に涙が出そうになった。
「ま、あたしができることは」
「なんでも揃えてくれること、ですよね」
私が言うと、一瞬鮫島さんは驚いたような顔を見せて、それからにっかりと笑った。
その笑顔を見て、私の顔もつい綻んだ。
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