第47話
どのくらい走ったろうか。いつの間にか揺れが収まっているのに僕は気づいた。僕は言った。
「ねえ、もう揺れてないよ」
「ホントだ!入口が近いかもね」
カッコの声には希望があふれていた。ただ、揺れは収まったけれど、僕は奇妙なことに気づいた。
「おかしいな、風が吹いてきたよ」
僕は後頭部に風を感じていた。土管の出口はふさがっているはずだ。それなのに風が吹くなんてどういうことだろう?
「気にしてもしょうがないよ、とにかく入口に行こう」
そう英ちゃんは言ったけど、風はますます強くなり、僕らの背後からはこおおおという音まで聞こえてきた。なにか嫌な予感がする。
「ねえ、ボクさ、昔映画で見たことがあるんだけど」
カッコがはあはあ言いながら、不安いっぱいの声でしゃべりだす。
「なんかね、ハゲの刑事の人と、黒人が二人で土管の中を進んでいるんだ。そのうち、うしろからものすごい勢いで水が迫って来るんだよ。風は、その水に押された空気なんだ」
「その二人はどうなっちゃうの?」
もはや疑いようのない、風と水の音への恐怖をごまかすために、僕は大声で聞いた。
「た、助かるよ。ものすごい勢いで地上に吐き出されるんだ。でも、それは映画の中の話」
もはやその時点で、背後から吹いてくる風は僕らを押したおすような勢いだった。かすかにどおおおっという音までもが遠くから聞こえてくる。恐怖で僕はおかしくなりそうだった。足がもつれて何度もつまずき、危うく転びそうになる。いったい、あれから何回角を曲がったのだろうか。
「あーっ!うわーっ!」
先頭で角を曲がった英ちゃんが大声を上げた。
「出口だ!ううん、入口だ!光が見えるよ!」
僕にも前を走る二人の肩越しから、暗闇の果てに光る小さな円が見えた。
「やった!やった!」
「わああああーあー」
僕らは言葉にならない声を上げて最後の力をふりしぼって走った。同時に僕は背中に風と湿った空気とを感じていた。そして、水の勢いよく流れる音。
あともう少し・・・もう少しだ!
僕は一瞬後ろを振り返った。すると、うす暗い土管の奥の曲がり角から、暴れるような勢いの水がどっと押し寄せてくるのが目に入った。
「水!水!みずがくるよー!カッコ、もっと速く行ってよ!」
「もうこれが限界だよ!」
あと30メートル・・・20メートル・・・
出口はもうすぐそこだ。帰れる。走れ。あと少し。土管の向こうの街。サオリ。さまよい。お母さん。
色々なことがアタマの中を駆けめぐり、出口がすぐそこに見えた瞬間、僕らはものすごい勢いの水流に飲み込まれた。
――ごぼがばへばぶほごばふぉっ!
巨大な手でうしろからゲンコツをくらったような衝撃。僕ら3人はひとかたまりになって押し流された。ぐるぐると水の中で回転する。上も下もわからない。苦しい、苦しい!息ができない!
ドバアッ!
水のカタマリに包まれた僕らはそのまま土管の外へと吐き出された。
さいわい、僕らが投げ出されたのは田植えが終わったばかりの田んぼで、柔らかい泥の床がクッションとなって僕らを優しく受け止めてくれた。
「ごほっ、ごほっ!ぐへえ」
僕はすぐに水を吐き出した。
横を見ると、英ちゃんが正座の形になって、ぼうぜんとしていた。カッコは顔面から田んぼに突っ込んだらしく、顔が泥だらけになっていたけれども、すぐに起き上がり、ゲーゲー言いだした。
僕ら3人は顔を見合わせた。ぼんやりしてしまって、しばらく何も言葉が出なかった。
「帰って・・・きた」
英ちゃんが辺りを見回しながらようやく言った。
土管に入った時と同じようにどんよりとした曇り空だった。土管の口からはいつもどおり勢いよく水が流れている。あんなに向こう側で長いこと過ごしたはずなのに、僕らの団地は、来た時と変わりがない様子だ。
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