第8話

「ぼく、もう帰るよ」

 カッコはすっかりつかれきった様子で言った。帰りたいのは僕も同じだ。でも、帰ったら帰ったで、またお母さんに怒られるかもな・・・。

 「まあ、でもみんなに自慢できるんじゃない?だって、あの土管を通り抜けたら、調整池に出るなんて誰も知らなかったんだから」

 懐中電灯をもてあそびながら英ちゃんは言った。

 「そうだね、今度はもっと人集めて行こうよ」

 僕はそう言って空を見上げた。あんなに曇っていた空は、なぜか抜けるような青空に変わっていた。不思議なこともあるもんだ。

「ねえ、なんかおかしくない?」

 僕らの団地に向かって歩いていると、突然カッコが口をひらいた。英ちゃんが聞き返す。

「おかしいって、何が?」

「だって、さっきからさ、車が一台も通らないよ」

 そう言われてみれば、そのとおりだ。ここは大通りだから、いつもは車が沢山走っている。それなのに、あたりは不自然に静まり返っているんだ。

「それに、誰も人がいないみたいなんだけど・・・」

 カッコは辺りを見回した。実は、僕もそれはうすうす感じていたんだ。ここは知っているはずの街なのに、知らない土地に来たみたいな気がしてならなかった。

「何かあったのかなあ」

 英ちゃんも心細そうにつぶやいた。だんだん不安になってきた僕らは、走り出した。早く家に帰りたい。みんなそう思っていたんだ。だから、普段はあまり通らない、ぼくらの団地への近道を通ることにした。この近道は、場所によっては人ん家の庭を横切ることになるので、よほど急いでいるとき以外は使わなかった。でも、今はその時だ。

 三人ともしゃべらなかった。ようやく英ちゃんの家の三角屋根が見えた時には、僕らは久しぶりに声を上げた。十字路でバイバイ、と言って3人はそれぞれの家に向かった。

 「ただいま!」

 鍵は、開いていた。でも家の中はしいんと静まり返っている。

 「おかあさーん!」

 返事はない。なんだかいやな予感がする。僕の家のはずなのに、よその家におじゃましているみたいな感じがしていた。テレビをつけてみたけれど、なぜかどのチャンネルも映らない。冷蔵庫を開けると、空っぽだった。電話の受話器を取ってみたけれど、いつものツーという音も聞こえない。

 えたいの知れない不安が僕をつつむ。妙に心臓がドキドキしてきた。

 ――なにかが、おかしい。どうなってるんだろう。ワケがわからない・・・。お母さんはどこなんだろう?ここは本当に僕の家なのか?

 いろんな考えが頭をぐるぐるとめぐって、クラクラしてきた。

 気持ちを落ち着けるために、僕はピアノのある2階へ昇った。アップライトピアノのふたを開いて鍵盤に指を当てる。ポーンとドの音が飛び出た。よかった、ピアノは弾けそうだ。

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