土管の向こうの街
なるかみ音海
土管
第1話
「孝之!宿題は終わったの?」
タイミング悪くお母さんがキッチンのほうから声をかけてきた。
ちょうどその時僕は、玄関で座りながら靴ヒモを結んで、今にも出かけようとしていたところだった。
「終わってるよ!だから出かけるんじゃん!」
僕は大声で怒鳴り返す。
「そう言いながら、こないだはやってなかったでしょ!」
パタパタとスリッパを鳴らし、エプロンで手をふきながらお母さんは玄関までやって来て、ぼくをにらみつけた。
「だからー!こないだはこないだじゃん!今日はちゃんとやったよ!」
「ピアノの練習は?」
それを聞いたぼくは、急にさっきまでの勢いがしぼんでしまった。
「まだだけど・・・」
「やっぱり。どうすんの?来週コンクールでしょ!」
「大丈夫だよ。帰ったらやるよ」
僕は口をとがらせて立ち上がる。これから隣に住んでいる同級生の英ちゃんと近くの田んぼにザリガニを取りに行く約束をしているのだ。お母さんとかかわり合っている場合ではないのだ。
「じゃ帰ったらちゃんとやるのよ!他にも上着は脱ぎっぱなしだし、今日の朝は布団をたたまないで学校に行ったし・・・」
またお母さんの小言が始まった。ぼくはお母さんが好きだけど、これだけは苦手なんだな。僕は一人っ子だから何か買ってもらうときや、ほめられるときはいいんだけど、怒られるときは逃げ場がないからちょっとつらい。
それにしても放っておけば、永遠にしゃべっているんじゃないかと思うくらいの勢いでお母さんの口からは言葉が流れ出す。いつかお母さんの言葉で世界が埋め尽くされちゃうんじゃないかしら。
「まったく、グズなんだから、もう。今日の算数のテストだってどうしてあんな簡単な問題を間違えるのかしら。足し算と引き算を間違えるとか、信じられない。五年生なんだから、もっとちゃんと考えて。それから来週までに終わらせるドリル、全然やってないでしょ。どうすんの?そうじゃなくったって、お母さんが言わなきゃ・・・」
下を向いて我慢して聞いていた僕も、とうとう限界だ。
「もういいよ!うるさいなぁ、ほっといてよ!」
そう言って僕は玄関を飛び出して、力任せにドアをバタンと閉めた。あんまり強く閉めたもんだから、屋根の上にとまっていたハトがびっくりして飛んでいったのが見えた。お母さんはドアの向こうでまだ何か言っているみたいだったけど、構うもんか。
ちょっとやりすぎちゃったかな・・・と僕は一瞬思ったけれど、むしゃくしゃしていたので気にせずに、玄関の脇に置いておいたバケツをつかんでそのまま英ちゃんちに向かった。
坂道を一本はさんだ向こう側の、赤い三角屋根の大きな家に英ちゃんは住んでいる。僕らの住んでいるこの団地は、昔、山だったところを削って造られた。だから、家の周りには坂が多い。
そういえばここは多摩丘陵っていう大きな丘の一部だって学校の先生が昔言っていたっけ。そんなことを考えながら英ちゃんの家のピンポンを押した。
英ちゃんは網を持ってすぐに出てきた。丸坊主で、小柄だけど何かにつけて負けず嫌いの英ちゃん。
英ちゃんとは4歳からのつきあいだ。ものすごい仲良しというわけではないけれど、家がすぐ隣だし、同級生ということもあって、一緒に遊ぶことが多い。ただ、彼は少しやんちゃなところがあって、悪ふざけをすることもあるので僕はそこが少し苦手だった。去年、雪が降ったときもそうだ。
延々と降り続く雪は全てのものをおおいつくし、久しぶりに見る銀世界に僕はワクワクした。学校から帰るとすぐに、雪の羽毛がひらひらと降りしきる中、僕は帽子、マフラー、手袋、ダウンジャケットという完全武装でさっそうと庭に降り立った。そうしてまずは小さな雪のカタマリをつくった。それを庭の端っこから何度もごろごろと転がすとあっという間に大きな雪玉となった。
雪はその時点で10センチは積もっていたから、泥にまみれることもなく、きれいなまま雪玉はそこに落ち着いていた。直径50センチはあったろうか。そいつをスコップで削ったり叩いたりして整えると、つるつるのまん丸になった。
僕はその出来に満足して、もうひとつの雪玉を作り始めた。今度は気持ち小さめのやつを完成させ、どっこいしょ、と最初の球にのっけた。もうこの頃になると、雪が降っているというのに僕は汗だくになっていた。用意していたニンジンで鼻をつくり、目をくり抜いた。庭のミカンの枝を折って両腕にしてそこに軍手をくっつけた。われながら見事な雪だるまが出来たと思った。
昔見たスノーマンの絵本のように、夜中に僕のところへやってくることを期待してその日は布団に入ったんだ。もちろん、なんにもなかったけど。
次の日の朝、すっかり積もった雪は朝日に照らされてキラキラと輝き、その光の中、僕の雪だるまは両手をバンザイして堂々と立っていた。ぼくは昨日の苦労を思い出しながらしばらくそれを見つめたあと、リビングへ入った。
朝ごはんを食べていると、英ちゃんが庭の方にまわって僕を迎えに来た。雪が降ったから少し早目に来たらしい。確かにこれだけ積もれば、学校まで行くには時間がかかるかもしれない。
「ごめん、英ちゃんちょっと待ってて。すぐ食べ終わるからさ。僕の作った雪だるま見てて」
そう言って僕は急いで食べ終え、歯をみがきに洗面所へいった。すると庭の方から
「アーチョォー!うりゃあー」
という声が聞こえてきた。僕はまさかと思いすぐに口をゆすいで庭へ向かうと、ちょうど英ちゃんの飛び蹴りが雪だるまの頭にヒットしているところが目に入った。
「何してんだよ!やめろよ!」
僕は大声で英ちゃんに叫んだ。言われた英ちゃんはきょとんとした様子で僕を見た。
「え、壊しちゃダメだったの?」
「当たり前だろ!なんだよ、もう」
僕は肩を落として無残にくずれた雪だるまをまじまじと見た。雪のカタマリの中から顔を出しているニンジンの先っちょの赤さだけが今でも心に焼きついている。それ以来、僕は雪だるまを作っていない。
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