第86話 79

 

 カヤミ一位。

 兎面と鰐面わにめん


 ランゼツ三位。

 牛面と馬面。


 イチゴミヤ四位。

 鯰面なまずめん海老面えびめん


 ツボミモモ六位。

 猪面と鳩面。


 ネコジャラシ七位。

 蛇面と梟面ふくろうめん




 五人の弓取りと、十人の忍者。

 ――――いや。

 葦原最高の五人の弓取りと、葦原最高の十人の忍者。


 錚々そうそうたる顔ぶれ。

 恐怖にも似た興奮で肝が震える。


 だが俺の口から飛び出したのは、その感情に反する言葉。


「……お待ちください、カヤミ一位」


 既に弦を引いた十弓たちが、目をアキに据えたまま意識だけを俺に向ける。

 餅を食べ終えた一位は空の器を忍者に渡した。


「つまりそれは……今ここで、その子を殺すということですか」


 その子とはもちろん、アキではない。

 その背中に乗る王女、プル。


「いいえ。しいてころすつもりはありません。ただ、きょうりゅうおんなをとらえるうえで、じゃまならしなせる。それだけです」


(……)


 俺はちらとプルを見た。

 ブアンプラーナで助け出した時の無邪気な笑みが思い出される。


 セルディナに説かれるまでもなく、不遇な人生を送って来たであろうことは想像に難くなかった。

 森の奥地で命の危機にさらされているのに、誰も自分を助けに来ない。

 親も、兄も、姉も、叔父や叔母も。

 プルは小さな子供だが、その異常さに気付かないほど幼くはない。


 自分を利用しようとする大人たちと、自分を護ろうとする大人たち。

 そのどちらもこの子の息を詰まらせ、心をすり減らしたに違いない。


 それでも彼女は笑っていた。

 明るく振る舞えば明るい未来が来ると信じているのか。

 それとも、悪意や失意といった汚れが夜毎の夢で洗われるほど心が美しいのか。


 いずれにせよ。


 死んでいい人間などでは決してない。

 たとえ、恩義ある男の妹でなかったとしても。


「この子はまだ子供です……!」


 訴えのむなしさに、俺の顔が情けなく歪む。


「そうですね」


 一位は淡白に告げる。


「だれもがかつてはこどもでした。だれもがだれかのこどもであったように」


 街路を行き交う人々の数は増えている。

 まるでちょっとした見世物だ。

 手を広げた武士や弓取りが茶屋の光景を覆い隠そうとするのだが、人々は屋根の上や川の舟から騒動を見守っている。


「一位。『傘門十弓』は往来で無辜むこの子を殺すような集団ではないはずです……!」


「おうらいでこどもひとりころせない、おくびょうもののしゅうだんでもありません」


 一位は茶碗を手に取り、手の上でゆったりと半回転させた。

 更にもう半回転させて、器に描かれた図柄を眺める。


「すすきにまんげつ。げによきかな」


「カヤミ一位。お考え直しを。俺が――「おい、九位」」


 口を挟んだのはランゼツ三位だった。

 骨の手甲が開かれ、弦が張られている。


「お前、一位にまで噛みつく気か?」


「相手が何位だろうと噛むべき時は噛みます。それは三位もよくご存知でしょう……!」


 それこそ、噛みつくように吠える。

 三位は面白がるように目だけで笑った。


「骨の硬い奴だな。で、どうする気だ?」


「この子は死なせません」


「そっちの鳥は?」


「殺します」


「お前にそれができなかったから、私たちが出張っているんだが?」


「それは分かっています……!」


「分かっているくせにかぶくのか。……そそるな、お前」


 三位が艶めかしい舌を覗かせた。

 そのすぐ横で、イチゴミヤ四位が「九位」と軽く首を振る。


「恐竜人類の存在はまだ明るみにすべきではありません。できれば長引かせず、この場で速やかに処理したい」


「……」


「あなたの気骨には感心します。ですが――」


「気骨、硬骨、反骨、粉骨……。骨は三位の冠す名でしょうに」


 四位に割り込んだツボミモモ六位は呆れているようだった。

 矢を掴む白い手首に、薄く血管が浮いている。


「『死なせない』? そんな間近にいながら子供一人奪い返せない役立たずが、どの口で吠えるの」


 返す言葉がなく、唇を噛む。

 六位の言う通り、俺は半日以上アキ一人に振り回されっぱなしだ。

 しかも十位の逆鱗に触れ、うつぼまで手放している。


「意地を張って良いのは結果を残した者だけよ」


 冷笑。


「これからその子が死ぬのは、あなたの無能さのせいでしょ? 当人であるあなたが何を偉そうに。地に手をついて詫びるのならともかく、一位に諫言とはのぼせ上がったものね」


 まったくもってその通りだ。

 何一つ間違ってはいない。


 ――なら、通すべき筋は一つだ。


「蛇飼い、何か考えでもあるのかい」


 ネコジャラシ七位は剣弓を下げている。

 探るような目はアキにも向けられていた。


「一位がこう言っている以上、そいつが少しでも暴れたら、ボクらはあらゆる犠牲を払ってでもここで息の根を止める」


「……」


「暴れなくとも、少なくとも捕獲はする。その過程でその子が死ぬことになってもだ。今さら君にできることなんてないだろう」


「いや、ある」


「?」


 俺はアキに向き直る。

 アルケオの赤い戦士は、顔に涼し気な笑みを浮かべていた。


「アキ」


「なに?」


「その子を渡せ」


「嫌って言ったら?」


「今この場でお前を殺す」


 ふふ、とアキは薄く笑う。


「渡しても捕まえるつもりなんでしょ? だったら渡さないまま殺された方がマシだよね」


 ま、とアキは軽い口調で続ける。


「殺されるんなら、一人でも多く道連れにするけどね」


 見据えられた一位は、しかし、殺意を受け流した。

 左右の獣面だけが十弓の長を庇うように前へ出る。


「……。その子の代わりに人質を出す」


「へえ。どの子?」


 アキは俺の肩越しにきょろきょろと辺りを見回した。




「俺だ」




 一瞬、時が凍った。

 アキの時も。

 十弓の時も。

 流れる大気の時すらも。


 数秒経って、ようやく風が砂埃を転がす。


「……は?」


「俺が人質になる」


 アキはぱちぱちと目を開いては閉じた。

 続いて目を擦り、頭を振り、俺を見る。


「え、何で?」


「結果を残して意地を張るためだ」


 アキを殺す。

 プルを取り返す。

 確かに、この二つを両立させることはできない。

 ――『同時に』は。


 まずプルを取り返す。

 次に俺がアキを殺す。

 一度、虜囚になった後で。


 つい先ほどまで、この道は無かった。

 俺は自分一人でアキと対峙していたからだ。

 今は違う。十弓がいる。

 彼らがプルを受け止めてくれるのなら、俺は新たな道を拓き進むことができる。


「ワカツ、バカじゃない? 今まで私を殺せなかったのに、私に捕まってどうやって――」


「人質がなければ、やれる」


「……」


 アキの目が、すっと細められる。

 それは己を見くびられたことに対する怒りのようでもあり、俺に対するある種の好意のようでもあった。


「勝手に話を進めるな、九位」


 三位だった。


「人質ならお前である必要がないだろう」


 首を振る。


「こいつはその子の素性を知っています。替えを出そうとすれば、確実に貴人の身柄を要求される」


 アキは俺を欲している。

 肉嫌いの自分が唯一食欲を感じる相手として。

 俺なら、貴人でなくともアキを納得させることができる。


「お前は十弓だ。果たすべき務めがあるだろう。人にも、国にも」


 珍しく、三位が苛立ちを覗かせた。

 予想外のことに俺は困惑を覚える。


「貴人なら掃いて捨てるほどいる。肥え太った役立たずを二、三人――」


「誰にでも務めはあります、三位」


「……」


「俺がやります。俺で済むなら安い」


 何よりこれは、俺の不出来さの結果だ。

 他の誰かに尻ぬぐいを任せるわけにはいかない。


「また自分勝手な思い込みで周りを引っかき回すのね、九位」


 六位がせせら笑う。

 嘲りではなく、苛立ちを込めて。


「ええ。これから皆を引っかき回します」


「……」


「戻ったら地に手をついて詫びを入れるから、大人しく引っかき回されてください、六位」


「……生意気」


 虜囚となった俺がすぐに殺されることはない。

 なぜならアキは俺を弄びたいからだ。


 少なくとも数日、あるいは数週程度の猶予がある。

 食われるとすればそれからだ。


 逃げ出す機会はある。

 こいつを殺す機会も。


「いいの? たぶん、ワカツが思ってるより私、すごいことするよ?」


「やってみろ」


 アキは「んふ」と鼻を鳴らし、一位を見た。


「……な~んてこと言ってますけど? えっと……そこのお姉さん?」


「……」


 カヤミ一位はじっと俺を見つめた。


「九位」


「はい」


「ころすのではなく、いけどりで」


「……。はい」


「よしなに」


 それで決まりだった。

 四位が僅かに困ったような顔をする。


「一位。身柄はともかく、九位の持っている情報はどうします」


「九位ていどのしりえることなら、もとよりもれているもどうぜんです」


 もっとも、と一位は冷めた目でアキを見る。


「ひとじちが九位になったからとて、われらのやはとまりませぬが」


「そこはほら、私がうまく避けちゃいますから」


 アキは爪の先で地面をがりがりと掻いた。


「あ、そうそう。その前にこの手錠外してもらいたいな」


「……待て。その手錠を外したら人質を解放する約束だったよな?」


「んっんー。解放するのはその子であって、ワカツじゃありませんねぇ」


「だったら外せない」


「それは困るなぁ。人質を取り替えた後、逃げられなくて死ぬじゃん。ワカツが」


 アキは「んー」と考え、顔を上げた。


「じゃあこうしよっか。私の手錠を外してくれたら、そっちの裏切り者の名前を教えてあげる」


「裏切り者……?」


「そ。この子を攫う指示を出した人の名前。あなた達と同じ布を着てた」


「……!」


 矢を取る十弓の間を冷たい風が吹き抜けた。

 何人かの額に暗い影が差す。


「『萌黄色の狩衣のやつ』か」


「たぶんそれ。ワカツ、誰かから聞いてたよね?」


「ああ。……」


 とは言え、狩衣は布に過ぎない。

 赤い狩衣だからミョウガヤだと言い切れないように、萌黄色の狩衣だから背後にいるのは何某だ、と断定することはできない。


「ワカツと私、あそこで変なやつをやっつけたじゃん?」


 十弓の疑問の目を受け、俺は説明する。


「国境西の隠し砦で噛山羊かんやぎを仕留めました。両手両足と顎を潰したので、何もできないでしょう」


 ほお、と三位が眉を上げた。


「だったら奴を搾ればいいだけだ。そいつの手は塞いでおけ」


「待った待った。あれも『特別な仕事人』なんでしょ? 搾ったぐらいで秘密を吐くなら、最初から寝返らないんじゃない?」


「……」


「こうしない? まず手錠を外してアキちゃんに情報をもらう。それを駆け引きの材料にして、あの変なやつを上手く搾る。ほら、みんな幸せ」


 十弓は動じず、獣面も動じない。

 だが、脳内で様々な計算が繰り返されていることが俺にも伝わる。


「分かった分かった。じゃあ、もう一つ情報をあげる」


「何……?」


「こっちにも邪魔者がいるの。そいつらの情報をあげちゃう」


(!)


 サギだ。

 サギの与する一派。

 おそらく、アキ達にとって不都合な存在。


「うらぎるのですか、なかまを」


「違うよぉ。私さ、その子たちに騙されてこんなことになってるんだよね。ちょっと仕返ししたいなーって。それは裏切りとは言わないよね」


 はい、とアキが会話を区切る。


「だいぶそっちに旨味が出るようにしてあげたけど、どう? 手錠、外してくれる?」


「……」


 皆の目が一位に集まる。

 各々、思うところはあるだろう。

 だが最終的には一位が決定することだ。


「よいでしょう」


「話が分かるねぇ。誰かさんと違って」


 アキは意地悪な猫のような目で俺を見る。

 もっとも、この場で嘘をついてはいないだろうが。


「あきのあかいあまいなつかしいかぜ」


 一位がアキを見据えた。


「おまえじしんは、あしはらになにようか」


「ワカツの故郷を見に来ただけだよ。別に用事があったわけじゃないの」


「そうですか」


 その言葉を一位は信じてはいないようだった。

 目は相変わらず冷ややかで、表情には笑みの気配すら見えない。


「もし、『あらゆるほうほうでおまえをまもる』といったら、こちらにつきますか」


「付かない」


 逆に、とアキは一位を見返す。


「あなたは身内を裏切る? 命だけは助けてやるから、こっちに来いと言われたとして」


「わたしは一位です」


「立場があるから裏切らないの? 軽いんだね」


「……」


「私は『秋の赤い甘い懐かしい風』。それ以外の誰でもない」


 骨よりも硬い矜持。

 俺は清々しさを覚えた。


 ねえねえ、とアキが語調を和らげる。


「カヤミ、降伏しない?」


「……」


「これ言ったら怒られるかも知れないけど、言うね? ……あなた達、負けるよ」


 十弓と獣面が殺意を膨らませる。

 それは不可視の針となって俺たちの全身を突き刺したが、アキは動じない。


「負けるよ。必ず、負ける」


「あしはらをみてそうおもったのですか」


「ううん。ジャムなんとかに霧の外のことを少し聞いて、それで分かったの」


「それだけで何が分かるの。負けて滅ぶのはそちらよ」


 六位の嘲りに、アキはより悪辣な嘲りを浮かべる。


「何十万年も生きて来た私たちが、ある日突然滅ぶわけないじゃん」


「ひどい驕りだね、アキ」


 七位。

 彼の口元にも皮肉を帯びた笑み。


「何千年、何万年生きてこようと、虫は虫、犬は犬、蜥蜴は蜥蜴だ。見てごらん、文化の違いを。感じただろう、知性の違いを」


「……」


「君らは『駆除』されるんだ。滅ぶんだよ、人間の知性の光によってね」


 ネコジャラシィ、とアキは呆れるような、甘えるような声を上げる。

 顔には憐れみ混じりの失望。


「いつから私たちと戦ってる気になってるの?」


「何?」


「あなた達が怯えて、怖がって、逃げ惑って、備えている相手は私たちじゃない。私たちの『乗り物』とか『食べ物』でしょ?」


 両手を戒められたアルケオは顔を伏せて肩を揺らし、ひくっひくっと嗚咽に似た笑いを漏らす。


「犬、牛、虫。霧の外にも家畜を戦わせる遊びがあるんでしょ? その家畜の片方が、柵の外の観客に吠え始めたらどう思う? 笑っちゃわない?」


 誰も、何も言わない。


「『駆除』? 違うよ。これは『戦争』」


 ゆっくりと、暗い笑みが葦原を見渡す。




「『家畜と家畜の戦争』」




 誰かが唾を呑んだ。

 それは俺なのかも知れなかった。


「私に向かって粋がる前に、もう少し自分たちを見つめ直した方がいいかもね~」


「……」


 もっとも、とアキは続ける。


「あなた達が負けるのは強い弱いの問題じゃない。あなた達が私たちなら、もしかしたら私たちに勝てるかもしれない。でもあなた達はあなた達だから、私たちに負ける」


「?」


「もうすぐ分かるよ。その時に思い知ればいいんじゃない? ……ねえ、ワカツ?」


 くくっとアキは肩を震わせ、俺を見た。

 なぜか、秘密めいた笑みを浮かべて。

 なぜか、仲間を見るような顔をして。


 十位は最後までわたわたと俺とアキを見比べるばかりだった。











 門を出たアキは、しばらく進んだところで脚を止めた。

 御楓の街はずいぶん遠く見える。


「ここにしようか」


「……」


 十弓たちはそのまま付いて来ていた。

 アマイモ十位。ネコジャラシ七位。ツボミモモ六位。

 イチゴミヤ四位。ランゼツ三位。

 それにカヤミ一位。


 それぞれの獣面と、更にその下忍。

 袴姿の武士や弓取りも、五十か六十ほど揃っている。


 俺の手に弓は無い。

 これから虜囚となる以上、持っていても仕方ないからだ。


 俺とアキは集団から二十歩ほど離れた。


「ささ。鍵外して?」


「……」


 きりりり、と弦を引く気配。

 少しでもアキが不審な動きをすれば、矢の雨が降る。

 葦原最強の弓取りたちの矢が。


 鍵を外す。

 がしゃん、と鉄板が地を叩いた。


 アキは背中のプルを地に置き、踏んだ状態で軽く伸びをする。


「んー! すっきり!」


「おい。踏むな」


「ええ~? 堅い事言わないでよ。これからの人生、踏まれるよりつらい目に遭うかもしれないじゃん?」


「いいから足をどかせ」


「はいはい」


 アキは貫頭衣を脱ぎ捨てた。

 現れたのは緑の翼に飾られたアルケオ本来の肉体。

 胸と下腹部だけは布で隠されたままだ。


「カヤミ~! いいよ~!」


 獣面に挟まれたカヤミ一位が近づく。

 彼女は俺とアキから五歩ほどの位置で立ち止まった。


「うらぎりもののなと、じゃまものとやらのことを」


「はーい。じゃ、言うね?」


 まちなさい、と一位が制止する。


「九位、みみをふさぎなさい」


「は?」


「もどったあと、またかってをされてもこまります」


「……」


 俺は耳に指を入れた。


「――――、――――」


「――。――――。――――」


「――――」


 アキと一位が何事かやり取りする。

 やがてアキが俺の肩を叩いた。


「じゃ、この子はここに置いておくから。ワカツはこっち来て」


「……」


 一位はこちらを向いたまま、そろそろと後方へ下がって行く。

 プルを拾うのは一位以外の誰かなのだろう。

 確かにこの位置で一位や一位の獣面がプルを拾うのは危険だ。


 アキに従い、歩き始める。

 プルを残し、五歩、六歩、七歩。


 一位は十弓と合流し、何か指示を出している。

 ややあって、ランゼツ三位が歩き出した。


「慎重すぎでしょ」


 アキは立ち止まり、呆れたように呟いた。


 まだ交渉は果たされていない。

 プルが葦原の誰にも拾われていないからだ。

 だからアキも、俺には触れない。


 三位が、ゆっくりとプルに近づく。

 距離はあと数歩。


 ねえ、とアキが俺の耳に口を寄せる。


「私がどうしてワカツを殺さなかったか、わかる?」


「……」


「もちろん、好きだからってのはあるけどさ。別に腱を切っちゃえば、あの砦でぜんぶ終わらせることもできたわけじゃん?」


「……。その状況で俺の仲間に襲われたらただじゃ済まないからだろ」


「違うよ~。だって負けないし」


 俺は少し考えたが、分からなかった。

 アキは暗い笑みを浮かべる。


「答えはね――――」




 何かが、俺たちの頭上を通り過ぎた。




 雲ではない。

 雲より早い何か。


 陽ざしを遮られたことで、俺たちはいっせいに天を見上げる。




 優に二十を越える怪鳥。

 烏帽子えぼしに似た頭部を持つその生物が、俺たちの頭上を旋回している。




「――――!」


 十弓が一斉に矢を番えたが、放たれることはない。

 高すぎるのだ。


「答えはね――――」


 アキが俺の耳元で、くくっと笑う。




「『私の目的はあの子を攫うことだから』でした」




 天を舞う怪鳥の一部が、急降下する。

 斜め上方に放たれる矢は数匹を射抜いたが、精彩を欠いていた。

 それもそのはず、奴らは太陽を背負っている。


(これは……!!)


 統率された動き。

 太陽を背負う戦法。

 野生の動きではない。


「!」


 びゅお、と大人より遥かに大きな怪鳥が眼前に。

 地を転がってかわすと、数秒前に居た場所で、ばしりという音が聞こえる。


 アキだ。

 アキが怪鳥の両脚を掴んでいる。


「いや~。気付かれたらどうしようかと思ったよ~。その子を盾にされて困るのは私も一緒なんだもん」


 重量で一度だけぐらついた怪鳥が、一気に舞い上がる。

 アキの声も遠ざかっていく。


「ワカツの仲間、何人いるか分からないじゃん? ワカツを仕留めても他の誰かに気付かれたら終「『骨の矢』!!」」


 しなる鞭の音に似た風切り音。

 怪鳥が宙で動きを止める。


「『おすわり』だ、鳥」


 手甲を構える三位が呟くと、ぱあんと怪鳥の頭部、腹部で肉と血が爆ぜた。

 刺さった先で破裂する『骨の矢』。


 落下する怪鳥。落下するアキ。


「うわわわっっ?!」


 アルケオの戦士は爪で巧みに土を踏み、難を逃れた。


 が、既に三位は射撃体勢に入っている。

 致死の間合い。

 致死の呼吸。

 アキが三位を指差す。


「死「いいの? あっちは」」


 急降下した怪鳥がプルを魚のごとく掴み、天へ。

 振り返った三位が吠える。


「六位ッ!!」


 六位の放った矢が宙を離れたばかりの怪鳥の顔を射抜き、翼を射抜く。

 浮かび上がりかけた怪鳥が手足をばたつかせて落下し、顔から地を擦る。

 プル王女もまた、地を転がった。


「ぼうっとするな」


 気づけば七位が傍に。

 ネコジャラシ七位は俺を掴み、忍者そのものの動きで一気に後退した。


 その間も、影が舞う。

 陽光を受けた怪鳥の影が、十と言わず二十と言わず、辺りを飛び回る。

 ほとんどはかなりの高さを飛んでおり、矢が届かない。

 しかも、太陽が後ろ盾。


 俺に弓と靭を押し付ける七位は落ち着いていた。


「飛ぶ奴がいるとはね」


「違う……!」


「何?」


(サギの話と違う……!)


 空を飛ぶ恐竜はいないはず。

 いや、いることにはいるが、霧の外へは出ないはず。

 なぜなら怯えているからだ。空中で突然、五感が入り乱れて墜落することを。


 だが、いる。

 現に目の前に。

 これをどう説明する。


(自分から霧の外に出ないはずのヤツが、外に……。……)


 怪鳥の一匹が僅かに高度を落とし、矢を浴びて落下。

 とどお、という軽い落下音。


 その刹那、閃く。


(『訓練』したのか……?! 怯えずに霧の外へ出せるように……!)


 天に目を凝らす。

 中に一つだけ、明らかに巨大な個体が混じっている。


 大きい。

 人が乗れるほど。


(あれは――――)


 アキから十分に距離を取って着地した途端、誰かが傍に降り立つ。

 猿面の黒装束。


「! 蓑猿……?!」


 蓑猿は息を乱し切っており、半ば倒れ込むようにして草地に膝をつく。

 左右を支えるのは十位の獣面だ。


 ぜえぜえというらしくない呼吸の合間に、「九位」と俺を呼ぶ声。


「お、お早く、お離れを……!」


「何……?!」


「奴が来ます」


「ヤツ?」




 ざざあ、と遠い森で鳥が飛び立つ。

 川面がばしゃばしゃと煮え立つように荒れ、魚が跳ぶ。




 どお、どっ、どおおっと不穏な足音が聞こえる。

 土を踏み砕き、地を揺らす足音。




 地平線に一頭の恐竜が見えた。

 一頭の異竜アロ


「!」


 久しく見なかった肉食恐竜の姿。

 ティラノに比べやや細身だが、象など真上から噛み殺してしまいそうな高さにある頭。

 顔の造りはどこか野卑で、首が少しだけ長い。


 ただ、色が違う。

 俺の知るアロは水色に近い青だった。

 そいつは――――




(銀色……?!)




 地平線に立つアロの鱗は銀色で、隙間から薄い水色が覗いていた。

 銀羽紫ぎんばむらさきと同じ鱗。

 サギの言っていた、『同種の中でも極めて知性の高い恐竜』。

 ――夜光種だ。


 立て続けに放たれる三位の矢をかわし、駆け回るアキが楽しそうに笑った。


「あっはははは!! 来るの遅いよ、『銀斬銀青ぎんぎりぎんじょう』!」


 どうっとアロが地を蹴る。

 速い。

 ティラノよりも、ラプトルよりも。


 津波。

 雪崩。

 土石流。

 それらに例えてもまだ足りない、猛烈な速度で銀色のアロが迫る。


 豆粒のように見える黒馬を振り切り、奴はなおも加速する。

 放たれた矢のごとく、俺たちの元へ。


 どざざざ、と急停止しながら大量の土を巻き上げ、銀の巨竜が吠える。

 轟雷のごとき咆哮が、世界そのものを震わせた。


「じゃあ、始めよっか。――――『家畜戦争』」

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