第56話 51

 

 逆の立場なら、という考えが抜け落ちていた。


 もしもこちらが貧弱な軍勢で、敵が一射必殺の弓兵なら。

 もしもこちらが武器を持つ手も火を噴くすべも持たないのなら。

 そして、もしもこちらに『知恵』と呼ばれるものがあったら。


 ――当然、頼るべきは地の利だ。


「……!」


 みききき、と。

 岩場の悲鳴がはっきりと聞こえた。


 滝に突き出した手の平状の岩場は、ある種の奇跡によってその形を留めている。

 複数人の子供が落下しただけで、『手の平状の岩場』史上、最も強烈な衝撃を受けたに違いない。

 そこに、怪鳥の死体が積み上がったら。


 キキッ、キキイッ、とさかしらな猿のごとき鳴き声。

 トロオたちは俺の『毒矢』の強さを知り、それを逆手に取ったのだ。

 寒気が背を走る。


(こいつら、足場ごと俺たちを――――!)


 考えてみれば何もおかしなことはない。

 岩場ごと滝壺に落ちた俺はおそらく死ぬか重傷を負い、そのまま魚に食い散らかされる。

 トロオは小柄だ。胃袋も当然小さい。

 岸に漂着した俺の肉片を掬って食べるだけでも十分満足できるだろう。


「っ」


 白滝の向こうを怪鳥が飛び交う。

 相当数を殺したはずだが、数は一向に減る様子がない。

 いや、それどころか増え続けているように思われる。


 一体、二体、また一体。

 水を破る怪物は『獺祭』で一射の元に絶命するが、その度に岩場に死体が積み上がっていく。

 みしし、ぴしい、と。

 そこかしこで岩が軋む。悲鳴を上げる。


(ど、どうする……?!)


 矢を止めなければ重量に耐えかね、岩場が崩落する。

 さりとて射る手を止めれば怪鳥はこちらに襲――


「っ!」


 鋭い嘴が俺の肩を掠めた。

 思考に耽るうちに一体の接近を許してしまったらしい。


 引くが早いか再び突き込まれ、危ういところで身を捻る。

 怪鳥は首を前後させ、啄木鳥キツツキが歩くように激しく攻め立てる。

 射程も相まって槍兵と殺し合っているかのように錯覚する。


「このっ!!」


 胴に矢が立つ。

 俺の側頭部を掠めた嘴が宙を穿ち、怪鳥の巨体が前のめりに倒れる。

 勝利の余韻に浸る間もなく、みしりという不吉な音を聞く。


(まずい……!!)


 岩場の縁に集まる怪鳥を射殺し、滝の水を浴びて濡れた死体を蹴落とす。

 巨体の割に軽いのが救いだった。

 一体、二体、三体と続けざまに蹴落とし、合間を縫って襲い来る怪鳥目がけて矢を放つ。


 みきき、と嘲笑にも似た音が響いた。


(!)


 岩場には既に亀裂が入っている。

 多少重石をどかしたところで焼け石に水だ。


 ならば、岩場に辿り着く前に射殺す。

 そう思って宙へ鏃を向けるが、降り注ぐ滝が壁となって俺の矢を阻んだ。


「クソ!!」


 怪鳥は滝を越えなければ射殺せない。

 滝を越えた先には岩場がある。

 岩場で殺せば俺の命が縮む。

 キキ、キキキ、と安全地帯のトロオ達が俺を囃す。


 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 目がちかちかする。

 心拍が速度を上げ、指先が冷える。


 ちゃりんちゃりんちゃりん、ちゃりんちゃりんちゃりん、と。

 ルーヴェが鎖を引いている。


 ちゃりんちゃりんちゃりん。


 数、三回。

 ――『逃げろ』の合図。


 獺祭の強さを知り、『蛇の矢』の強さを知り、冒涜大陸を生き延びた野性の持ち主が、『逃走』を促している。

 彼女はおそらく正しい。

 だが不幸なことに、俺は正しい道とは縁が無い。

 正しい道を進むべき時にこそ、正しからぬ道を進まねばならない状況に陥る。


「おい! 出ろ! 出て来い!」


 穴倉へ向かって叫ぶ。

 俺の放った声は狭い穴の中を乱反射し、子供たちの悲鳴と混じり合った。


「出て来いって言ってるんだよ! チビ共!!」


 出て来た。

 蝸牛かたつむり並みの素晴らしい速度で、もたもたと。

 利発そうな少女が両手を腰に当て、精一杯の虚勢を張る。


「さっきはそこにいろってったのに!」


「うるせえ! 状況が変わったんだよ、それぐらい分かれ、バカ!!」


「バカじゃないもん!」


「バカじゃないなら頭と身体のどっちかを使え! その穴の奥、抜け道はあるか?!」


 大人げないと分かりつつも、怒鳴り返す。


「無い!」


「じゃあ出て来い! そこのちゃりちゃり言ってる鎖を掴んで登れ!」


「むりだよ!」

「むり!」

「たすけて!」

「おかあさんよんで!!」


 めぢん、と。

 こめかみで何かが切れた。


「やかましいっっ!! 俺はお前らのお母さんじゃない!」


 かかっ、こかかっと滝を破った怪鳥の脚が軽やかに岩場を叩く。

 みしみしと悲鳴が応じ、俺自身の心拍が速度を増す。


「っ!」


 振り返り、左右から迫る怪鳥の姿を目視する。

 下手に穴まで後退したせいで、奴らの侵入路が広がってしまったらしい。

 二度、弦を鳴らす。

 死体が増え、いよいよ危険な音が岩場の付け根から聞こえ始める。

 キキ、キキッと紫色の小さな恐竜がはしゃぐ。


 この集中攻撃、トロオが焚きつけているせいかも知れない。

 奴らへ目線をやるが、「え、僕らを攻撃するの? 矢の無駄じゃないかな?」とでも言わんばかりに小首を傾げられる。

 その通りだ。

 俺の矢は「対多数」の戦いに適していない。

 更にトロオは小柄で、岩襞を自由自在に逃げ回ることができる。

 一匹仕留めた時点で距離を取られ、それでおしまいだ。


「出ろ! 出なきゃ全員死ぬぞ!」


 キキ、キキ、とトロオが囃す。

 そちらへ鏃を向けるが、奴らは素早く遠い足場に避難した。


「クソ!」


「くそってったらだめなんだよ!」


 元気の良い男の子が飛び出した。

 まるで「一番最初に出て来たから褒めて」とでも言わんばかりの笑顔。

 俺はその子を殴ってやろうかと思い――――その通りにした。


 ぼぐんと裏拳で顔を殴られ、子供が頬を抑える。 


「痛い!」


「痛くしたからな! 死んだらもっと痛いぞ! 早く掴め!」


 ルーヴェの鎖は岸壁を斜めに走り、滝をかわしながら穴倉へ伸びている。

 一度に一人だけだなんて悠長なことを言っている場合ではない。

 運べるだけ運ぶ。


 ぎりぎりと子供の手首に鎖を巻き付けている内に他の子も集まって来た。


「離すな! 離したら死ぬぞ!」


「お、落ちるだけじゃないの?!」


「今ここに落ちたら足場が崩れて全員死――」


 びゅっと矢を放ち、岩場に脚を掛ける寸前だった怪鳥を射殺す。

 ぎゃひっと巨大な姿が水幕の向こうへ消える。


「全員死ぬんだよ! 分かったらさっさと掴まれ! おら次!」


 漁網に絡む魚のごとく、恐竜人類の子供達が三人、鎖に繋がれた。

 細い鎖だ。どこまで持つかは分からない。

 鎖を引き、ルーヴェに引き上げを要求する。

 すぐさま、ずるずると鎖が動き始めた。


 網に絡む魚以外に例えるとすれば、芋の蔓だ。

 子供たちはぎゅっと鎖にしがみつき、身を丸め、引き揚げられるに任せている。


「目は閉じるか、上を見ろ! サギは上にいる!」


 キ、キキッとトロオが騒ぎ出す。

 身軽な奴らのことだ、鎖に飛び移り、子供達の喉笛を食い破ることもできるだろう。

 だがトロオに岸壁をよじ登るほどの膂力は無い。つまり岩襞の上を駆け回り、最も近い場所から飛び移るしか鎖に接近する方法は無い。

 方法が限定されているのなら、こちらにも打つ手はある。


「死ね」


 蛇の矢が弧を描き、トロオと鎖を結ぶ岩襞を掠めた。

 鎖に飛びかかろうとしていた一匹が足を滑らせ、数匹を巻き添えに岩襞から落下する。

 キキキ、と残る連中が俺を見た。


「やらせねえよ。小賢しいことやってないで、来るならこっちに来いよ」


 キキ、キキキっとトロオが次々に跳ねた。

 その顔は俺ではなく、空中へ向けられている。


(!)


 ふと、気づく。

 いつの間にか、滝を破る音が聞こえなくなっている。

 先ほどまで白滝の向こうに見えていた黒い影も数を減らしている。

 殺し尽くしたわけではない。

 これは――――




 耳をつんざく子供たちの悲鳴が響く。




 はっと顔を上げる。

 黒い影が岸壁を這い回り、時折鎖や、それにしがみつく子供達を覆い隠していた。

 怪鳥が俺ではなく、狙いやすく食べやすい子供の方を標的にしたのだ。

 そこに連携があったのかは分からないが、トロオ達が一層嬉しそうに欣喜雀躍する。


「……ッ!」


 俺は腰を落とし、引き揚げられる子供たちの周囲に狙いを定めた。


 獺祭は使えない。

 うっかり子供達に掠めれば殺してしまうし、仕留めた怪鳥が落下すれば岩場が崩れ、こちらも死ぬ。


「――――」


 正射。

 俺が最も苦手とするものの一つだ。

 だが苦手だからとて、できないわけではない。


「しっ!!」


 しゃおおお、と空中を迂回した矢が子供を庇う軌道で飛ぶ。

 今まさに飛びかかろうとしていた怪鳥が目元を掠られ、怒りに吠える。

 続く矢が別の一体を牽制し、更に続く矢が三体目の胴に突き刺さる。


 怒れる二体が俺目がけて飛来する。

 すかさず獺祭を塗った矢に切り替え、続けざまに二射を放つ。

 かすり、かする。

 二体は中心から裂けた一体の生物のごとく、俺の視界の右端と左端に落下し、消えた。


 見上げれば、また別の怪鳥が子供達に迫っていた。

 引き揚げが遅い。

 何をやっているんだ、と怒鳴りたくなる。


 壁に飛びつき、家守ヤモリのごとく子供達へ這い寄る怪鳥を射る。

 翼の片方を射貫かれた怪鳥はでたらめな飛翔へ空を飛び、滝に飲まれて消える。


(まだかよ、ルーヴェ……!)


 今度は左右から二体の怪鳥が迫る。

 岩場を走った俺は『蛇の矢』で奴らの目を掠める。


 ぎっと空中で飛び退いた怪鳥を次の一射、その次の一射で射殺す。

 そこでようやく、怪鳥たちが狙撃手の危険性を認識した。

 知能が低いとは言え生物だ。

 これだけ仲間を殺されれば、捕食衝動より身を護る本能が先に出るのだろう。

 次々に滝を破る怪鳥目がけ、俺は矢の雨を降らせた。


 途中、毒矢とただの矢を掴み間違えたせいで、二体の怪鳥が生殺しのまま岩場にふわりと着地した。

 長い首を射貫かれた二体は前のめりに倒れ、苦し気に呻いている。肺が傷つけられでもしたのだろう。


 視界の端で、三人の子供が陸へ引き揚げられる。

 長い鎖が生物の尾のごとくちゅるんと頂上へ消えた。


(良し……!)


 問題はここから。 

 じわりと手に汗が滲む。


「おい! お前ら大丈夫か?」


 穴倉の中には怪我人が三人、残されていた。

 一人は額を割り、顔を真っ赤に染めている。一人は打ちどころが悪かったのか手をだらりと垂らし、一人はうずくまっている。


「だいじょうぶ……です!」


 俺の声に反応したのは額を割った子だけだった。

 他の二人はおそらく手足の骨を傷めているのだろう。

 骨が折れれば心も折れる。


「いい子だ。すぐ助けるから動くなよ」


 ひゅっと矢を射、すぐ近くまで迫っていた怪鳥を射貫く。

 当たりどころの問題か、怪鳥は数歩歩み、穴の中へ転がり込んだ。

 うひゃああ、と子供達が悲鳴を上げる。


「触るな! 触らずに待ってろ!」


 キキ、キキ、とトロオが不穏な鳴き声を上げていた。

 振り返ると滝の向こうに大量の影が見える。

 数は五、六、七――いや、もっと多い。十を超えている。


(まだあんなに……!)


 矢を構える。

 ――――が。


(……?)


 怪鳥がなかなか滝を破ろうとしない。

 そうしている間にも別の怪鳥が合流し、徐々にその数は増えていく。

 滝に斑点を作るがごとく、奴らは宙を羽ばたき、飛翔し、行き交う。

 半殺しの二体がじたばたと地を掻く音だけが耳につく。


 妙だ。

 今までは次々に襲い掛かって来たはずだ。

 なのにどうして、と考えたところで悪寒を覚える。


(まさか――)


 ちらと見れば、トロオ達がキ、キ、キ、と短い鳴き声を連ねていた。

 先ほどまでとは違う声音。

 すなわち、発せられる指示も先ほどまでとは違う。


 今まで怪鳥は集まるそばから俺に襲い掛かって来た。

 それと違う行動とはつまり――――




(一斉攻撃……!!)




 思わず矢を放つが、滝が壁となって矢を弾いた。

 舌打ちし、滝に映る斑点を数える。

 既に怪鳥の数は二十を超えている。

 あの数が一斉に岩場に乗ったら、もうそれだけで足場は崩落だ。


(クソ……! よりによって『数』か!)


 俺は速射を得意としていない。

 一度に複数の矢を放つ技術も習得していない。

 獺祭は一射必殺だが、あの数を殺すためにはその回数だけ矢を射る必要がある。

 到底間に合わない。


「おにいちゃん?」


 穴倉の子供が不安そうに問う。


「大丈夫だ。任せろ!」


 間に合わないなら、間に合わせる。

 矢で駄目なら、矢以外のものを使うまでだ。


 俺は穴倉に放り込んだ縄束の中で、最も長く、丈夫な一つを掴んだ。

 そして狭い岩場を駆け、死にかけている二体の怪鳥に飛びつく。


 ぜひゅー、こひゅー、と荒い呼吸を繰り返す二体は俺に近づかれてもろくに抵抗しなかった。

 縄を一体の首に巻き付け、反対側を別の一体に巻き付ける。


 滝の向こうでは既に怪鳥が陣形を整えている。

 未熟な俺に奴らを一度に殺す術は無い。


 なら、こいつら自身に殺してもらう。


「喰らえ」


 一体の尻穴に短剣を突き刺し、手首を捻る。

 びりり、と肉が裂け、臭い血が飛び散った。


 ギイイエエエ、と濁った声で鳴いた怪鳥が飛び上がった。

 一体が滝の向こうへ飛び立つと、ぴんと紐が伸び、残された一体が尾を引きずられる。

 両手で地面にしがみつくような動きを見せた怪鳥が滝の向こうへ消えた。


 尾を結ばれた蜻蛉とんぼのごとく、一対の怪鳥が群れの中を出鱈目に飛び回る。

 数体が紐に巻き込まれ、数体が胴に嘴を喰らい、数体が頭突きを喰らう。

 密集していた怪鳥が鳴き、吠え、散り散りになる。


 ――『紐で結ばれた二体が敵の策略で自分達に突撃した』。

 そんな高度な思考はできなかったらしい。

 コロロ、コロロロ、ギギャアアア、と。

 愛嬌のある鳴き声が一瞬で濁った咆哮へと変わる。


 数を揃えたことが仇となった。

 仲間に襲われたと錯覚した怪鳥が互いの身を突き、噛みつき、絡み、もつれ合い、散り、落下する。

 酒場もかくやの大乱闘を始めた怪鳥はもはやトロオも俺も眼中にない様子だった。


 キケッ、キケッと。トロオ達が騒ぎ始めた。

 さすがに予想外なのだろう。


 三体の恐竜人類を回収したルーヴェの鎖が、再びするすると降りて来た。

 怪鳥がいないのなら、もう恐れるものは何も無い。


 俺は小柄な恐竜共に嘲笑を向ける。


「悪いな。俺の勝――」




 足場が、ばきんと割れた。




「!!」


 飛び退く。

 半歩前に倒れていた怪鳥たちが、割れる足場ごと遥か遠方へ消える。

 数秒後、だぶんと小さな音が聞こえた。


「!」


 めきき、みきん、と。

 我も我もといった調子で足場が割れ、崩落する。


「ぐっ?!」


 後退。

 後退。また後退。

 穴倉の縁まで後退した俺は、完全に失われた足場を呆然と見つめていた。

 もはや当初面積の三十分の一ほども残されていない。


 身じろぎしただけで、ぼろりと石の粒が落ちた。

 それは遥か遠方に見える湖並みの滝壺へ向かって、ゆっくりと吸い込まれていく。


「おにいちゃん、いまの……」


「――――」


 首を巡らす。

 トロオ達が立つ足場、つまり俺がこちらへ来るのに使った足場は遠い。距離にして十数歩といったところだ。

 かなり頑張れば飛び移れないこともないが、怪我人を抱いて飛べるとは思えない。

 飛んだところで着地点はトロオの山だ。それに足場は濡れている。

 待っているのは滑落死。


「――――」


 鎖はトロオ達と俺を結ぶ線のちょうど中間あたりをぶらぶらと揺れている。

 手を伸ばして届く距離ではないし、掴んでルーヴェに危険を知らせたところで、彼女は助けに来ることができない。


 トロオが小躍りしている。

 後は俺たちが餓死するか、やぶれかぶれの行動で滑落死するか、我に返った怪鳥の襲撃で死ぬのを待つだけ。

 額を割られた子供が俺のズボンをぎゅっと掴む。


「おにいちゃん?」


「……」




 万策、尽きた。




 ――と、考えるのだろう。

 俺以外の弓兵なら。




「……」


 俺は縄束の中から最も細い紐を選び、矢に結んだ。

 反対側は別の太い紐に結ぶ。


 俺の矢は殺しの矢だ。

 そこに芸術は無いし、哲学も無い。

 作法も品性も知ったことではない。


 だが、殺す以外の用途が無いわけでもない。


 鏃を真上へ向ける。

 トロオをちらと見、奴らの位置と逆側へ僅かに矢を傾ける。

 きりり、と弦が静かに鳴る。


「『蛇の矢』」


 しゃおおおお、と。

 弧を描いた矢が文を携えた鳩のごとく飛ぶ。

 細い紐が引っ張られ、太い縄が引っ張られる。


 一秒待つ。

 二秒待つ。

 三秒後、するすると縄が引き揚げられる。

 トロオのすぐ傍に垂れていた鎖が引き揚げられ、縄の代わりに下ろされる。


 キキッ、キキッとトロオが騒ぐが、もう遅い。 

 怪鳥は散った。トロオ達は遠すぎる。

 もう邪魔する者はいない。

 負傷した子供たちを慎重に、しかし素早く鎖に巻き付け、引き揚げさせる。


 ――一人。


 ――二人。


 ――三人。


 その間、トロオ達は互いを責めるように吠えていた。

 やがて、誰も居なくなった穴倉の縁に鎖が垂れた。

 俺が帰還するための鎖だ。


 すぐには掴まない。

 トロオ達を真正面から見据える。


「……どうしたらいいか分からないって顔してるな?」


 キキ、とトロオが俺を見る。


 俺は穴倉に引きずり込まれた怪鳥の嘴を折り、翼膜を胴体から引き裂いた。

 二枚の翼は座布団より遥かに大きく、しなやかで丈夫だ。

 おまけに水を弾く。


 つまり――――傘を作ることができる。


「名案がある。……お前らは死ね」


 嘴で貫いた翼膜を、そっと滝の傍流に翳す。

 俺とトロオ達はほんの十数歩しか離れていない。

 その間に落ちる滝の水が翼膜に弾かれ、奴らの立つ足場に流れ込んだ。


 竹筒を流れる水のごとく、細い足場を水が奔った。

 キ、キキ、とトロオ達は逃げ出そうとしたが、それが裏目に出た。

 将棋の駒を倒すように奴らは次々に転び、互いを巻き込みながら足場を滑り――――そのまま滝壺へ消える。



 いくらか溜飲を下げたところで鎖を掴む。

 ゆっくりと、鎖が持ち上げられる。




 下を見るわけにもいかず、濡れた壁をじっと見る。

 喫水線が上がるように視界が開ける。




「ワカ」


 ルーヴェは神妙な顔をしていた。


「……ごめん。私の体、一つしかない」


 サギは俺に背を向けていた。

 助けた子供は六人だったが、立っているのは四人だ。



 サギの向こうでは。

 アブラオとアワノが子供を一人ずつ抱え、喉に刃物を突き付けている。




 得物を血に濡らしたウズサダが近づいて来る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る