第38話 35


 緑の大海へ身を投げ出すように、藪の中を駆ける。


 草が、枝が、左右に流れていく。

 ぽつりぽつりと視界に赤い斑点が生まれる。


 視界を汚す雨粒じみた赤い斑点が徐々に増えていく。

 血の匂いが濃くなっていく。

 びょうびょうという風の吹く音。

 局所的な嵐でも起きたのか。



 藪を抜けた瞬間、俺は藍色の竜巻を目撃する。



 四十、いや五十。

 ――いや、六十。

 途方もない数の怪鳥が藍色の竜巻となって野営地を飛び回っている。


 鳥のように、ではない。

 ましらか、ムササビのように飛び回っている。

 前傾姿勢で枝から枝を飛び、翼に生える爪を閃かせ、斜めに地へ飛びかかっている。

 地に降りたものは木の幹に張り付き、更に別の木の幹へ跳び、そして枝へ飛び上がる。

 そしてまた、びょうと舞う。


 怪鳥の数はほんの五十か六十だったが、翼を広げた彼らの姿は成人男性より遥かに大きい。

 千ものかりが行き交うように視界は塞がれ、翼がバタバタと葉や木を叩く音で耳すら塞がれる。


「――! ――!」

「――――!」

「――――、――、――!」


 藍色の風に見え隠れする駆除隊は雄々しく戦っていた。


 太刀が閃き、傘が振り下ろされ、矢が放たれる。

 怪鳥の爪が空を切り、唐兵の顔を引き裂く。

 布のように切断された翼がひらひらと舞い、噴き出した血が辺りを汚す。

 黄色い嘴が誰かの頬を噛み、目玉を突く。


 泥が跳ね、真横に跳ぶ。

 繋がれた騾馬が足をばたつかせ、嘶く。

 散った葉が俺の濡れた頬に張り付く。


 一瞬、俺も老兵も言葉を失っていた。 


 ぶぱっと血を吐いた怪鳥が俺の足元で跳ねる。

 矢をこちらに向けていた唐兵を仲間が慌てて制止する。


「射るな! 葦原の奴だ!」


「な、何なんだ……」


 俺はようやく言葉を絞り出した。

 隣に立つフデフサは気付け薬を鼻に突っ込んでいる。


「いきり立ち過ぎだな、こいつら」


 飛びかかる怪鳥を盾で叩き落し、老兵が唸った。


「食うに困っていたようには見えんが。……おい! 誰か説明しろ!」


 答える者は居ない。

 今この場で戦いに参加していない者は一人としていないからだ。


 ナーガフラと呼ばれた少年は三つ爪を振るい、怪鳥を追うように枝から枝へ跳んでいた。

 兜で頭を護るアンヘルダートが剣を振り抜き、国民番号7731が槍を振り回している。

 セルディナですら飛びかかる怪鳥を拳で打ち抜き、その首をへし折っている。


「シア! シャカ! 無事か!」


「無事じゃな――返事しねえよ! ――」


 すぱん、と真っ二つにされた鳥の向こうに褐色の顔が見える。

 シャク=シャカとシアは木の幹を背にしており、戦況を見極めようとしていた。


「ワカツ! 動ける――ら、殺せ! もうちょい数――減らさ――えと味方を斬っ――!」


「分かってる!」


 俺は既にうつぼの蓋を開け、矢を掴んでいた。

 怪鳥は縦横無尽に飛び回り、空振りした武器がぶおんと情けない音を発している。


「聞け、射手ッッ!!」


 腹の底から声を上げる。


「真横じゃない。上だ! 斜め上を射ろ!!」


 しゅぱ、と一射を放つ。

 斜め上方に放たれた矢はそこら中を飛び回る怪鳥を勝手に射貫く。

 間を空けず番えた矢を引き、また弦を鳴らす。

 矢は面白いように怪鳥を射貫く。


「剣士は射手を庇え!」


 フデフサ翁が俺を庇い立つ。


「今はまともにやり合うな! 体力を残せ!」


 どぱん、と飛来する怪鳥が盾で打ち落とされる。


「射ろ! いいから射手は射ろ!」


 既に女弓兵は斜め上方へ向けて連射する体勢に入っていた。

 ひゅぱっ、ひゅぱっ、ひゅぱっと鞭がしなるがごとき音と共に矢が天へ飛ぶ。

 射貫かれた怪鳥が見えない壁に激突でもするかのように空中でぴんと身を反らし、地へ落ちる。

 

 俺は特製の矢を手にした。

 きりりり、と奥歯と弦が軋る。


 『蛇の矢』。

 心の中でそう呟く。


 しゅぱう、と一際強い音と共に放たれた矢が一頭の羽を噛み破り、別の一頭の視界を横切り、更に別の一頭に突き刺さる。

 残心など必要ない。

 俺は既に次の矢を番えている。


 しゅおお、と毒蛇さながらに飛ぶ矢が斜め上方から襲来する鳥の目を掠め、真横に跳ぶ一頭を射殺す。

 身を傾がせて放った矢が怒れる猫のごとく唸り、木の股に乗ったばかりの一頭の尻を射貫く。

 目と同じ高さで放った矢が真上にぐんと伸び上がり、無防備な腹を射貫く。


 曲直入り混じる矢の雨が地から天へ降り注ぐ。

 射落とされた怪鳥がバタバタと木の幹や枝を叩き、血は霞のごとく漂い始める。

 

 怪鳥の数は既に当初の半分ほどにまで減っていた。

 小さな胴体は強靭な鱗にも筋肉にも覆われておらず、食い込んだ鏃はすぐに内臓へ至るのだろう。

 地に落ちた怪鳥はそこら中で痛み悶えていた。


(そろそろか)


 これだけ視界が開ければシャク=シャカ達に任せられる。

 俺は彼の名を呼ぼうと口を開き――――


「!」


 ひゅお、と長い鞭らしきものが視界を過ぎった。

 すんでのところでフデフサ翁がそれを防ぎ、掴む。


「ォ、おおらっっ!!」


 老人は、漁師が網を引くようにぐいんと尾を引いた。

 振り回された怪鳥が屈む俺の頭頂部を掠め、木の幹にびたんと叩き付ける。

 ぐげえ、と血を吐いたそこに俺の放った矢が立つ。


(……!)


 尾だ。

 怪鳥は長い尾を振り回している。

 先端は黄色い瘤状こぶじょうに膨らんでおり、遠心力で振り抜かれるらしい。


 直撃するとどうなるかは少し離れた場所で証明されていた。


「ぐぎっ!」


 唐兵の一人が顔面を撃ち抜かれ、よろめいた。

 そこへ怪鳥が飛びかかり、あっという間に喉笛を噛み破る。

 頭を上げた怪鳥は血に濡れた嘴を天へ向け、こここ、と嬉しそうに吠えた。


「偶然じゃないな、これは。こいつら元々こういう『狩り』をしやがるのか」


 数が減った今、心置きなく本来の武器を振るえるということか。

 どうやらこいつらも仲間を気にしながら戦っていたらしい。


 ひゅお、ひゅん、ひゅお、と。

 徐々に、羽ばたく音より尾を振る音の方が増えてきた。

 空振りした尾が木の幹を撃ち抜き、騾馬の胴にめり込む。


 俺たちの被害も深刻化していく。

 散開していた血腿団があちこちで尾に撃ち抜かれ、喉笛を噛み千切られている。

  

「お前ら独りになるな! 誰かと背中を合わせろ!」


 フデフサが吠えた瞬間、ぎゃっと誰かが顔を撃ち抜かれた。

 シャク=シャカが吠える。


「組め! 誰でもいいから組め! こいつら『連携』してやがるぞ!」


 アンヘルダートが国民番号7731に背を預け、アメヒサが野放図に暴れるナーガフラにくっつく。

 セルディナは既に女弓兵に背を預けており、血腿団は素早く仲間と身を寄せた。

 シャク=シャカはシアに背を任せていた。


 ひゅ、ひゅ、ひゅおん、と振り抜かれる尾と突き出される嘴に気を取られた番傘女が背後からの一撃でうっと呻き、よろめいたところを押し倒された。

 あっと叫ぶ間もなく鳥がのしかかり、嘴を突き立てる。

 ぶしっと血がしぶき、命が一つ消える。


「斬れ! 叩っ斬れ!」


 シャク=シャカの咆哮を合図に、背中合わせの戦士たちが飛び出す。






 閃いた太刀が翼を切り落とし、それを踏んだ老兵が別の一頭に盾を突き出した。

 頭蓋のひしゃげた怪鳥の首を白衣の槍兵が引っ掴み、盾として振り回す。


 槍兵に妨害された怪鳥がうろたえ、その顔面を騎士の剣が斬り飛ばし、ごろんごろんと瓜形の頭が回る。

 それを足で止めた武士が蹴り上げ、目の前の鳥に蹴り飛ばす。


 ごづんと生首をぶつけられ、振り返った怪鳥の顔面に太刀が突き刺さる。

 だらりと両翼が垂れさがり、そこへ別の怪鳥に追われるシアが飛び込む。

 ずぼ、ずぼ、と嘴が翼を叩くが、シアは冷静に剣を薙ぎ払った。

 すぱっと足首を切り落とされた鳥が一瞬浮く。

 そこにシャク=シャカの蹴りが入る。


 蹴り飛ばされた怪鳥がセルディナの鼻先を掠め、樹に叩き付けられる。

 己と獲物の間に思わぬものが飛び込んだことで二の足を踏んだ怪鳥の顔面にセルディナの裏拳が叩き込まれる。

 べぐんと嘴がへし折られ、目玉が飛び出す。

 眼球はあらぬ方向を向き、別の一頭と視線がぶつかる。

 ころろ、と鳴いたそいつの眉間に女弓兵の矢が直撃する。


 よろめいた怪鳥の首を三つ爪の少年が斬り飛ばし、もはや不要な胴体を突き飛ばす。

 まだ生きているかのように数歩歩んだ胴体が俺と怪鳥の間に乱入する。


 俺は死体を迂回する蛇の矢を放つ。

 すかん、と頭を射貫かれた怪鳥が嘴を閉じ、そのままゆっくりと後方へ倒れていく。





 そして、最後の怪鳥が切り伏せられた。




「ハッ……ハッ……!」

 

 辺りは、血みどろだった。

 土の上には赤黒い血だまりがいくつも生まれ、湿気と相まって凄まじい異臭を放っている。

 嗅ぎたくもない匂いが荒い呼吸のたびに肺を汚す。


 樹にも枝にもべったりと血と脂が張り付いていた。

 射貫かれた怪鳥が幹に血痕を残しながらずりずりとずり落ち、土に頭を埋める。

 死体の山で地面が見えないほどだった。

 手足を投げ出した人間と翼を投げ出した怪鳥の姿は、どことなく似ていた。


 水筒を傾ける者、呼吸を整える者。

 笑う者。泣く者。

 怪鳥にとどめを刺して回る者。

 俺達は思い思いの方法で戦いの熱を鎮めていた。

 

「何だったんだ、今のは」


 血だらけの武士が呻くと、セルディナが汗を拭う。


「そんなに美味そうに見えたのかな、我々が」


「いえ、異常です」


 血まみれのシアが樹に身を預ける。


「この大きさの生物が真正面から私たちを襲うだなんて……」


「確かに」


 兜を脱いだアンヘルダートは事切れたヒシン=ビシンの手首を斬り落とし、その爪を剥いでいた。

 紅く塗られた爪が気に入ったのか、彼はニコニコと微笑んでいる。


「一般的な肉食動物なら弱い個体を『分断』に持ち込みそうなところですね。なのに彼らは正面衝突を選んだ」


「……誰か、恨まれるようなことをしたのか?」


 穏やかな声が聞こえた。

 声の主は赤い鉢巻を巻いていたが、いかにも聡明な顔立ちの若い男だ。

 衣服は裾が長く、手には書物を持っている。

 彼が血腿団の長なのだろう。


「彼らの餌を横取りしたとか、子供を殺したとか」


「そんな話は聞かないな、ガクキ=ガクシ」


「……?」


 俺は血だまりの中に何かを認めた。

 目を凝らす。


 波紋だった。

 雨でも降っているのかと天を仰ぐが、そこにあるのは昼下がりの青空だけだ。


「――」


 また、波紋が立った。

 




 ずどん、と。


 その足音が聞こえた時にはもう遅かった。





「ォ、ァァああっっ?!」


 手足を振り回しながら持ち上げられたのは武士だった。

 おそらく人生で初めて味わう『宙へ持ち上げられる』感覚に、さしもの彼も反応できずにいた。


 彼の姿を目で追った俺たちは、斜め上方を見上げることとなった。

 

 現れたそいつは四つ足で地を踏みしめていた。

 ティラノすら凌ぐ巨躯は銀に見紛う緑灰色。

 背中からは体色よりやや濃い色の帆が扇さながらに広がっている。


 顔はバリオに似ていたが、ぎょろりと大きな目は俺達の知るどの生物よりも大きい。

 象どころかくじらの大きさだ。


 そいつが現れた瞬間、フデフサまでもが身を強張らせた。


(こいつ――――!)


 見覚えがある。

 川で見かけた帆立野郎だ。

 

 その姿を冒涜大陸で目にしていたことで、俺の反応は一瞬、シャク=シャカにすら先んじた。

 放たれた矢は奴の目元を過ぎり、噛み殺されかけた武士が地に落ちる。

 代わりに、怒声が放たれる。

 ゴロロロ、という雷鳴じみた咆哮が空気を震わせる。

 

 唐兵が絶句し、身を強張らせる。

 ゆらりと巨体が動く。

 踵を返すような動作の後――――

  

「! 伏せ――」


 残る言葉は轟音にかき消された。

 次の瞬間、俺と帆立恐竜の間に立つ兵の数割が、いなくなっていた。


 どぱん、どぱん、という水音。

 砂利を箒で払うようにして尾で人間を打ち払ったのだ、と気づく。


(何だ……?! さっきから……)


 おかしい。

 さっきの鳥もそうだが、こいつも妙だ。

 こいつらはこうも積極的に人間を襲うのか。

 俺達は集中攻撃を受けてはいないか。


「シッ!」


 びゅ、と赤い風と化したシャク=シャカが走る。

 その眼前に飛び込むものがあった。


 白銀の盗竜ラプトル

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