第16話 15

 


 三年もの間、唐に拘束される。


 そのバカバカしい話に、俺は言葉を尽くして抵抗した。



 俺はまったくの健康体だし、胃の中身なんてとっくに消化されている。

 体はあちこち傷だらけだが湯浴ゆあみした時にきちんと消毒したから平気だ。

 唐軍だってこれから冒涜大陸に打って出るのだから、俺一人を軟禁したところで疫病を防ぐことはできない。

 そもそも三年という期間の根拠がない。


 まくしたてた俺は最終的に息を切らす始末だった。

 が、シャク=シャカは首を横に振るばかりだった。


「ンなこと俺に言われてもなァ」


 唐の戦士はぼりぼりと頭を掻く。


「俺ァ医者じゃねえから良いとも悪いとも言えねえ。分かるだろ?」


 分かる。

 俺やシャク=シャカは「兵士」であり、それ以上でも以下でもない。

 専門外のことに対しては口をつぐむしかないのだ。

 まして相手は『医者』。


「下手に断って本当に病気が流行りでもしたら、責任……取れねえからなァ」


「ぅ……」


「そうそう。泣く子と医者には逆らうなって言うでしょ?」


(?!)


 突如として聞こえた女の声。

 ぎょっとして振り向く。


 声の主はハンリ=バンリだった。

 彼女は俺に宛がわれた寝室からのっそりと姿を現す。


「ごきげんよう。ワカツ九位?」


 唐の軍服は統一感が無い。

 彩色した革鎧を着込む者もいれば、軽装で済ませる者もいる。

 俺を助けた二人は後者だ。


 ハンリ=バンリとシャク=シャカが纏うのは、袖と裾の長い浴衣ゆかたに似た軍服だ。

 シャク=シャカの下衣は俺と同じズボンだが、ハンリ=バンリは腿から下を露出させている。

 すらりと伸びた褐色の足は鹿の脚にも似ており、その先端はサンダルに包まれていた。


「い、いつからそこに……?!」


「お前が汁物をこうやって啜ってる時だ」


 シャク=シャカは碗を傾ける仕草を見せた。


「何だ。気づいてなかったのか」


(……)


 気づかなかった。

 いや、気づけなかった。

 気配を察知することには長けている自信があったのだが。


 褐色の女は左右に身をくねらせながら俺に近づき、隣の椅子に腰かけた。

 艶めかしい足が組まれ、黒髪がふわりと揺れる。

 外見に反して体臭はほとんど感じられない。


「バンリ。恐竜はどうだ?」


 彼女は俺の湯呑をひったくり、白湯さゆで唇を湿らせた。


「やっぱり夜は活動が鈍るみたい。ラプトルも出て来なくなった」


「……。次はでけえ波が来るぞ。恐竜女もきっと出てくる」


 シャク=シャカが舌なめずりすると、ハンリ=バンリもくすぐったそうに笑う。


「でしょうね。とは言え、規模は目的によりけりよね」


「だなァ」


「?」


「ああ、あなたは気にしないで。それより医者の話なんだけど、あれは『唐』の法典に則った処置だから拒否権は無いの。あしからず」


「ここはゆうだろ」


「そうだね。それが?」


「……」


 ここに『唐』の厄介さがある。

 既に滅びた国であるにも関わらず、かの国の法典はいまだ唐全土で効力を有しているのだ。

 それでいて、各国ごとの法典も存在している。

 つまり司法に関わる争いが起きた場合、唐の民は各国法と唐の法典両方を引き合いに出すのだ。

 文字通りの二枚舌。

 普段は無法を是として生きているくせに、こうした場面では平然と正義を盾にする。


 シャク=シャカと同じ二十代と思しき女が小さく笑う。


「弁護人、呼んであげよっか?」


「……時間だけじゃなく金まで毟る気か」


「あっはは。冗談だよ、冗談」


 唐の法典はすべての条項にただ目を通すだけで三か月かかると言われている。

 そのすべてを暗記し、正しく読み解くことができるのは宦官かんがんと呼ばれる選りすぐりの知識人だけだ。

 彼らがいれば確かに司法の場でハンリ=バンリ達と争うこともできるが、宦官は唐の王宮に勤めている。

 俺のような外国人が雇おうものなら、目玉が飛び出るほどの金を要求されるだろう。


「ま、大人しくしてれば悪いようにはしないからさ」


 ハンリ=バンリは気安い調子で俺の肩に手を置いた。

 つん、と嫌な臭いが鼻を掠める。尿に似た刺激臭。


(! こいつ……)


 女の口元に嫌らしい笑みが浮かんだ。


「手紙、出すんだっけ? いいよ。すぐに手配してあげる」


「……」


「大丈夫。葦原から手紙が来たらちゃんと渡してあげるし、差し入れだって届けてあげるから」


 投げかけられる肯定的な言葉。

 優しい声音。

 だが俺は自分の顔が引きつるのを感じていた。


 賭けてもいい。

 この女、ハンリ=バンリは俺に利するようなことは何一つしない。

 犬が猫を産むことはあっても、この女が俺を助けることは絶対にありえない。

 それが直感できる程度には彼女の悪意は露骨だった。


(抜け抜けと……!)


 こいつ、俺が手紙を書いたら確実に改竄するつもりだ。

 葦原から俺に届く書状ならともかく、俺が葦原に出す手紙を書き換えられたら確実に面倒なことになる。

 筆跡や印を覚えられでもしたら一大事だ。


「だからさ、三年間どうぞよろし――」


 伸ばされた手をぴしゃりと叩く。


「あら? なんか嫌われてる?」


 ハンリ=バンリが顔を近づけて来た。

 その肉体は豊満で、赤い瞳は熟れた柘榴ざくろのように潤んでいる。

 なかなかの色香の持ち主だが、毒香の方が強い。


 経験上、言える。

 打算や下心といった毒香を隠さない女は危険だ。


「おかしいな~。私、こんなに親切にしてあげてるのに」


 ハンリ=バンリは椅子を離れると、一枚の布のごとくシャク=シャカに絡みついた。

 唐最強の男は嫌がるでも喜ぶでもなく、軽く肩をすくめた。


「こんな良い部屋も用意してあげたし、弓も補修してあげたし、あなたのお友達も無事だし」


「弓……?!」


 思わず立ち上がった俺を見、シャク=シャカがくっくと笑う。


「はは。良い顔だ。戦士はそうじゃねえとなァ」


「ほら、そこ」


 ハンリ=バンリが指さしたのは部屋の隅だった。

 見れば山水画を描いた掛け軸の傍に、俺の弓が立てかけられていた。


「!」


 俺は落とした金を拾うような勢いで弓に飛びついた。

 弦はしっかりと張られており、矢筒には唐製の矢がたっぷりと詰まっている。

 ぎゅっと握ると、堅く確かな手触り。

 水や飯を与えられた時よりも俺の心は幸福感に満たされた。


「ありがとう!」


「……ど、どういたしまして」


 嫌味でも予想していたのか、ハンリ=バンリは反応に困っているようだった。

 俺は弓をしっかりと握り、その確かな重みに何度も頷く。


「おいおい。いいのかバンリ。『十弓』に弓を渡しちまってよ」


「いいのいいの」


 ハンリ=バンリはシャク=シャカの肩に顎を乗せていた。

 その余裕の態度を目の当たりにした俺は一気に現実に引き戻される。


(……)


 弓兵にとって圧倒的に不利な環境の一つが、屋内だ。

 的が絞りやすいと言う者もいるが、相手もどこから矢が飛んでくるのか分かりやすい。つまり、盾や遮蔽物で防ぎやすい。

 例外はあるものの、弓兵は基本的に真正面から誰かと戦う兵種ではない。

 奇襲できず、逃走すらおぼつかない屋内での戦闘は避けるべきなのだ。


 それを知っての行動だろうか。

 俺に弓を与えても屋内なら何もできないと高をくくっているのか。


 矢筒を腰に吊るした俺が目を向けると、ハンリ=バンリは蛇じみた笑みを浮かべた。


「贈り物した相手にそんな顔、する?」


 三年と言う期間を提示した後にわざわざ武器を返す。

 ――――嫌な予感がした。

 ゆっくりと唇を開く。


「……シャク=シャカ」


「おう」


「あんたのことは武人として信用してる」


「そりゃ嬉しいね」


「だがそいつのことは信用できない」


「気が合うな。俺もバンリの事は信用してるが信頼はしてねえ」


「えぇ~! ひどぉ~い!」


 ハンリ=バンリは溶けた粘土のごとくシャク=シャカに絡みつく。

 乳房を顔に当てられ、胸を指先でいじられながらもシャク=シャカは平然としていた。


「……何が目的だ?」


「……」


 ハンリ=バンリは油断ならない目で俺を見返していた。


 三年ここに残れという医者の指示。

 あれはおそらく彼女の差し金だ。

 人跡未踏の地で遭難したとは言え、他国の精鋭を三年も自国に留め置くなど、やはりどう考えてもおかしい。

 エーデルホルンや葦原なら、むしろさっさと国外に追放してしまうだろう。

 彼女が医者にそう言えと告げ、それをシャク=シャカが鵜呑みにしたのだとしか思えない。


 問題は、ハンリ=バンリがそんなことを考えた理由。


(……)


 冒涜大陸の内情は確かに価値ある情報だ。

 俺とシアとルーヴェをここに留めておけばそれを独占することができ、他国に対する優位性を保つことができる。

 だが俺やシアが体験したのは広大な冒涜大陸のごく僅かな土地での出来事に過ぎない。

 水際を駆け回ったところで大海のすべてを知ることはできないように、俺たちの見聞きしたことで冒涜大陸の全容が見えてくるわけではない。


 霧は薄れ、恐竜は続々とこちら側に出没している。

 情報は更新と刷新を繰り返し、優位性は瞬く間に失われる。

 唐軍が冒涜大陸へ乗り込めば、いよいよ俺やシアを拘禁する意味はなくなる。

 たった数週、あるいは数か月間、冒涜大陸内部の情報を先取りするためだけに精鋭である俺やシアを拘禁するのは割に合わないだろう。


 葦原やエーデルホルンに対する嫌がらせ、あるいは駆け引きという可能性も低い。

 彼女たちは身代金について何ら言及していない。

 それにエーデルホルンは冒涜大陸を挟んで反対側にあるため、唐との間で直接的な利害関係が発生することはほぼ無く、葦原は残念ながら唐の敵ではない。


 第一、シアはともかく俺は『九位』だ。

 俺ごときを拘束したところで葦原の軍に波が立つことは無い。


(だとしたら何でだ……?)


 まさか本当に防疫だろうか。

 ありえない。唐はそんな繊細な国ではない。


 情報の独占でなく、妨害工作でなく、防疫でない。

 ならハンリ=バンリの目的は何だ。


「……」


「ふふっ。そんなに見つめられると照れちゃいそう」


 今すぐ射殺してやりたいという衝動に駆られたが、そんなことをすれば俺の首がシャク=シャカに切り飛ばされる。


「これで少しは私を好きになってくれるかしら?」


 ナメクジを見下すような目で告げたハンリ=バンリはぱちんと指を鳴らした。


「入っていいよ」


「?」


 唐の女が声を投げると、きいい、と扉が開いた。


 現れたのは赤みがかった鳶色の髪の女だった。

 肌はつるつるの白。唐人ではない。


 身に纏うのは筒状にも見える細身のドレス。

 色は深紅で、ブドウの蔓を模した銀刺繍が入っている。

 特徴的なのは大腿部だ。腿から裾にかけてスリットが入っており、白い足が覗いている。

 確か馬に乗る際、脚を大きく開くための造りだ。


 結い上げた髪は銀色のかんざしに彩られている。

 眉はきりりと細長く、目つきは鋭い。

 鷹を思わせる表情だが、顔の造りそのものにはまだ子供らしさが残っていた。


 腰に吊るした喧嘩剣は長靴ロングブーツの脛を叩き、槍ほどに長大な波刃諸手剣を背負っている。


「……」


「……?」


 身の回りの世話をする女、ということだろうか。

 別に必要ないのだが。


 俺と女はじっと見つめ合った。


「……」


「……」


 俺との身長差は柿一つ分ほどだ。

 女にしては背が高い。

 それにこの雰囲気。どこかで――――




「ワカ」




「!」


 女の発した声に俺はぎょっとした。

 そしてその目をまじまじと見つめる。

 ――――茶色の瞳。


「ルーヴェか?!」


「うん」


 俺の知っているルーヴェは使い古した箒を思わせる頭に、獣の匂いを漂わせた女だ。

 目の前にいるのは茘枝ライチじみたつやつやの白肌に紅のドレスを纏う少女。

 あまりの変貌ぶりに眩暈がした。


「十年洗ってない牛小屋の掃除みたいだったってさ」


 ハンリ=バンリが苦笑いを浮かべていた。


「垢は落ちるけど匂いがなかなか落ちないの。しまいには五人がかりで洗い流したんだって。おかげで浴槽がドッロドロ」


(風呂に入れたのか……)


 冒涜大陸育ちのルーヴェにとって風呂は生まれて初めての経験だろう。

 ほんのりと肌を上気させたルーヴェは自分の肌に指を置き、満足そうに頬を緩めた。


「わたし、つるつる」


 初めて見る表情だった。

 俺はようやく、ハンリ=バンリに謝意らしきものを抱きかける。


 ルーヴェはひょこひょこと俺の傍まで歩み、椅子に腰かけた。

 塗り込んだ石鹸の匂いがぷわりと漂う。


「さーて。これで返すべきものは返したし。私たちはお暇しようか、シャク=シャカ」


「だな。ぼちぼち眠い」


「……待て」


「んー?」


「何でルーヴェをここに置いていく?」


「さあ。何でかしらね」


(……)


 こいつは俺を外に出したくはないはずだ。

 なら脱走の機会を潰すためにも俺、ルーヴェ、シアの三人は別々に幽閉しておく方が――――


「!」


 分かった。

 ハンリ=バンリの狙いはルーヴェだ。


 聴取の終わりに、俺は「霧の中を闇雲に走っているうちに外へ出られた」と答えた。

 おそらくシアも同じように答えている。

 だが、ルーヴェは違う。

 自らが霧の中でも感覚を維持できると漏らしたに違いない。

 そこにハンリ=バンリが目を付けた。


「ねえ、ルーヴェちゃん」


「?」


「さっきの話、もう一度聞かせてもらいたいんだけど」


「ん」


 ルーヴェは俺をちらと見た。

 答えても良いのか問うているらしい。


「何の話だ、ハンリ=バンリ」


「とぼけないでよ。音が見えるんでしょ、その子。だからあなた達は霧の中を無事に抜けられた」


「ほお」


 シャク=シャカは眉を上げた。

 ルーヴェはなおもじっと俺を見つめている。


(……。なるほど)


 ルーヴェは嘘をついている。

 あの霧の中を何の抵抗もなく歩ききった彼女の特異体質は「音を見る」などという生易しいものではない。


 おそらくルーヴェは五感が完全統合されている。

 外界の刺激を受け取る際、目、耳、鼻、舌、肌の感覚が一斉に反応する体質なのだ。

 だから霧の中を平然と歩める。

 視覚と聴覚が入れ替わっても、嗅覚と視覚が入れ替わっても、彼女にとっては何ら問題ではないのだろう。


 彼女がハンリ=バンリに嘘をついたのは、おそらく俺と同じ理由からだ。

 手に死臭の染みついたこの女にルーヴェ警戒心を抱いたに違いない。

 聴取の最中、自らの体質が特異なものであることに気付いたルーヴェは危険を察知し、その一部を伏せた。


 だがハンリ=バンリも間抜けではない。

 ルーヴェが自らの体質について何かを隠していることに気付いた。

 さしものハンリ=バンリもルーヴェの行動すべてを見て来たわけではないので、五感統合体質などという突飛な発想には至らなかったらしい。


 言動に稚気のあるルーヴェが何かを「隠す」理由についてハンリ=バンリは思惟を巡らせた。

 そしてルーヴェが誰かに義理立てしているのではないかという結論に至った。

 その相手は俺とシア。

 だからこうして引き合わせたのだ。


「……オリューシアよりあなたの方を好いてるのね、その子」


 ハンリ=バンリがすっと目を細めた。


「そう見えるか?」


「見える」


 今でこそ薄らいでいるが、冒涜大陸周辺の霧はいつ復活するとも限らない。

 そうなった時、ルーヴェの体質は冒涜大陸攻略の鍵となる。

 恐竜人類たちですら、霧には不用意に踏み込まなかったのだからその優位性は明らかだ。


 ハンリ=バンリの目的はルーヴェの体質の解明と彼女を手勢に引き入れることだろう。

 拷問して吐かせてもルーヴェは唐に従わないし、彼女を傷つけたり死なせては本末転倒だ。


「ルーヴェちゃん」


「?」


「ワカツ九位と仲良しなのね」


「……。うん」


 ルーヴェは俺の服を掴んだ。

 怯えているようには見えない。

 いざ殺し合いになった時、俺を引き倒せるように掴んでいるらしい。


「ふうん……」


 ハンリ=バンリの目が告げていた。

 そいつの秘密を差し出せば、お前は無事に帰してやってもいい、と。


(……)



 俺は沈黙した。

 ルーヴェは俺の言葉を待っていた。

 シャク=シャカは事態が飲み込めていないらしく、ぼりぼりと豆を食っている。



「……また、来るから」


 ハンリ=バンリは立ち上がり、颯爽と扉へ向かった。

 碗の底まで浚ったシャク=シャカも立ち上がり、俺の肩を叩く。


「まあ気ぃ落とすな。せっかくだから唐の弓でも習って、良い三年間にしようや」


「……どうも」


 二人の姿が消えた後、扉が僅かに開いた。

 覗いたのはハンリ=バンリの赤い目だった。


「大丈夫だとは思うけど、逃げ出そうだなんて思わないでね」


「……ああ」


「扉の鍵は開けてるし、武器もちゃんと返したけど、逃げ出さないでね?」


 つまり、逃げるように促している。

 俺がこの場を逃げ出せばシャク=シャカを含めた唐の軍が完全に俺の敵に回る。

 そうなれば俺を煮るも焼くもハンリ=バンリの胸次第。

 ルーヴェの秘密などたちどころに彼女のものになる。


「良い夜を。唐の夜空は星が素敵よ?」


 ハンリ=バンリはわざとらしく告げ、部屋を去った。

 後には俺とルーヴェの浅い呼吸だけが残された。






「ルーヴェ」


 ルーヴェはぼうっとしていた。

 様子がおかしいことに気付いた俺は彼女の顔を覗き込む。


「どうした?」


「ん。なんか、ここうるさい」


「うるさい?」


「ざわざわする。色々、ざわざわしてる」


(人が多いせいか……)


 俺は念のため彼女に問うた。


「お前、目と耳と鼻と舌と肌、全部くっついてるか?」


 彼女の答えは明快だった。


「うん。ワカは違うの?」


「ああ。それは普通の体質じゃない」


「……バンリには言わなかったよ」


「それでいい。正しい判断だ」


 俺は何となく彼女の頭を撫でた。

 猫のように目を細め、ルーヴェが俺に身を預ける。


(どうする……)


 鍵は開いている。窓に格子もはまっていない。

 弓があり、ルーヴェがいる。

 力ずくで脱走することもできなくはない。

 だが、それをやれば確実にシャク=シャカが敵に回る。それは死を意味する。


 それに――――


「ルーヴェ。……シアの居場所、分かるか」


「うん。ずーっとあっちにいる」


「……。この部屋の近くに誰かいるか?」


「いる。一人だけど、強い人がいる」


 ルーヴェは音を見、色を聞いている。

 範囲は不明だが、この探知能力があればある程度ハンリ=バンリより優位に立てるだろう。

 だがこうして挑発した以上、向こうも脱走した俺たちを捕獲する手はずを整えているはずだ。


 逃げ出せば一巻の終わり。

 逃げ出さなければ永遠に檻の中。


 いずれハンリ=バンリは真綿で首を絞めるように俺を痛めつけるか、懐柔しようとするだろう。

 しかも明日になれば万を超える唐軍が到着する。

 逃げ出す隙間も見つけづらくなる。


 決断は急がなければならない。


(……シアと話せたらな……)


 俺はそんなことを考えながら、ふっと目を閉じた。

 そしてそのまま、眠りに落ちた。






 夜中に揺り起こされた俺は、闇の中にルーヴェの目を見ていた。


 ハンリ=バンリの言う通り、窓の向こうには満天の星空が広がっていた。

 ルーヴェの茶色の瞳にも白い光が瞬いてる。


「ワカ」


 彼女は俺にがっしりとしがみついており、ぽかぽかと温かかった。

 俺は布団をかぶりなおし、抗議の唸り声をあげる。

 どうやら彼女が俺を寝台まで運んだらしい。


「……ま、て。おきたらかんがえる、から……」


 枕を掴むと、するんと腕からすり抜けた。

 ルーヴェが取り上げたらしい。


「ワカ。おきて」


「ぅぅ~!」


 抗議の唸り声を上げると、ルーヴェが耳元で囁いた。




「このいえ、恐竜がいる」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る