素直な口は持っていない

 それから半月。

 都輝に許しが下りたのは薊の天還の儀が執り行われた後のことだった。


 時を同じくして牢から解放された火茨は萍の迎えを受け、自分の帰還を涙ながらに喜ぶ弟の頭をいつものように撫でてやった。

 知り得た知識と対応の早さから考えれば末の弟も詰問の対象に数えられる可能性は十二分にあったが、巡らせていた心配は杞憂に終わったようである。

 顔色や体調を伺っても問題なく健康そうで心底ほっとした。

 しかし、天還の儀を執り行うにあたって薊の荷物をまとめる為と離殿内を改められたらしい。

 室内は勿論のこと庭先から何からぐちゃぐちゃに荒らされて、普段通りに務めにも出ねばならない中。弟一人で手が回り切る筈もなく……戻って早々目にしたそれらはもう凄惨な有様だった。

 聞けば褥の布を裂かれて中身まで掻き出されたという。

 障子は破れ、物は散らかり、食器の幾つかは割れたりヒビが入ったり。

 本当に青目の者らは俺たちのことを何だと思っているのか。

 非の無い萍が申し訳なさそうな顔をするので「気にしなくていい」と再度、頭を撫でて宥めておいた。

 時刻は夕暮れ時。

 今日のところは夕餉を取ってそのまま寝ようと食事を済ませた後はいびつながらもしっかりと繕われた褥を敷いて横になった。

 ……薊のことはお互い口には出さなかった。

 粗く扱われて建て付けの悪くなった雨戸が隙間風を通してカタカタと音を立てる。

 牢では休むことなど碌に出来なかった為、目を閉じればすぐにでも深い眠りの中へと沈んだ。

 夢を見ることもなく、どれだけの時間を寝ていたのかは分からない。

 煩わしい星明かりが夜空に浮かんで久しく、行燈あんどんの灯っていない室内では夜目ばかりが頼りとなるような頃合いだった。

 不意に体を揺すられて起床を促された。

 潜められた声で誰かに呼び掛けられている。

 冬の冷えた空気が頰を撫でて身震いを覚えながら瞼を持ち上げると室内は月明かりに照らされており、向かい合って眠る萍の寝顔が良く見えた。

 チリリと燃える炎の気配もかすかに感じられる。

「火茨」

 変わらず呼び掛けてくる声は背後から聞こえた。

 縁側の方角からだ。

 回転の鈍い頭で特段疑問も抱かずに寝返りをうつ。

 横になったまま声を振り返れば、月明かりだけでなく側に置かれた提灯の光も溶かし込んで煌めく白髪が目に留まった。

 暗闇の中でなお美しい海色の瞳と視線が絡む。

 次第に覚醒していく頭で相手が都輝姫であることに気付き……思わず飛び起きた。

「っ都輝姫様!?」

 折檻を名目に痛め付けらた体の傷に響いて、息を呑もうとした喉から無理に名前を押し出すと意図せずかすれて小声となった。

 おかげで萍を起こさずに済んだが……。

「いったいどうして。このような時間に此処を訪れるなど何を考えておいでなのですか」

 女が男の、忌子の部屋を訪ねて良い時刻ではない。

 焦る火茨を余所に彼女はいやにはっきりした口調で思考を塗り潰すには十分な言葉を落とした。

「逃げましょう」

 何処に。何から。

 問い返す前に理解して驚く。

 自分や薊の為に隔離の間に入るよう下知されたことは耳にした。元より薊を逃がそうとしていたお方であるから、そのような発想に至ることを不思議には思わない。けれど、どうして今? ……直訴に向かった際に何かあったのか。

 返答に悩んでいれば、続けられた言葉におおよその事は察せられた。

 萍が眠ったままで本当に良かったと思う。

「あなた方が天還の儀を受ける必要はどこにも無かったのです。そもそも穢れを持って生まれたという話が事実無根。ですから、萍も起こして……」

 立ち上がって弟の元へ向かおうとした都輝姫の腕を掴んでそれを阻む。

「お止め下さい」

「火茨、」

「あなた様は薊を説得することが叶わなかった……で、あるならば私の答えは既にお伝えしてある通り」

「唐突な話を信じろと言う方が無茶であることは理解していますが」

「関係ありません」

 きっぱりと言い切って海色の瞳を真っ直ぐに見詰め返せば困惑するように揺れた。

 関係ない。

 そう、関係ないのだ。

 薊はもう天へと還った。

 火茨の体も万全な状態ではない。

 もし万全な状態だったとしても逃走の計画を決行に移せば失敗に終わるだろう。

 ……離殿を改められたことを思えば青目神は薊の言葉を信じてはおらず、解放された火茨がのこのこと本の在り処に足を運ぶのを待っている可能性もある。普段以上に監視の目が向けられているだろう中だ。夜更けであることも構わずにこの場に都輝姫が訪れたことは、後日警告を受けるかもしれないが……そうまで執拗に本を求めているのならおそらく、自分を泳がせていたい筈であるから咎められるまでには至らない。

 そういったこと全てを差し引いても薊が居ない今、萍や都輝姫を逃すのに火茨だけでは時間を稼ぎ切れない。

 時間を稼ぐだけの条件を揃えられていない。

 大切な弟を引き連れて無謀なだけの賭けに出る訳にはいかなかった。

「姉は眠りに就いた。他でもないこの土地で。私にとって重要な事実はそれだけです」

「しかしあなた方はっ!」

「あなたに我々の何が分かる!」

 思わずと言った調子で張り上げられた声を、同じだけの声量で返して遮った。

 二人分の大声だ。

 流石に煩かったのだろう、並べた褥に横になっていた萍が背後で身動ぎ衣擦れの音を響かせる。

「火茨兄ちゃん……?」

 寝惚け声で名前を呼ばれて一瞬、躊躇いを覚えた。

 姫様の腕を掴む手に力が籠もる。

 それでも、中途半端に話を切り上げる訳にもいかず、声を抑えるに留まって喉まで迫り上がっている汚い言葉を繕うことなく吐き出した。

「言ったでしょう。迷惑だって。あなたに関わらなければ薊はただ儀式を受けるだけで済んだ。日取りを早められることもなく、内殿入りを命ぜられることもなく……それとも腹の内では楽しんでおられるとか? 大人しく死ぬしかない我々の尊厳さえズタズタににじって。虫螻むしけらのように扱って」

「そのようなことは断じてありません!」

 泣きそうに顔を歪める都輝姫を鼻で笑い飛ばす。

 ……正直なことを言えば、少しだけ憎いのだ。

 彼女の体に流れる青目の血が憎くて堪らない。

「どうだか」

「火茨、私は」

「申し訳ないが内殿へお戻り下さい」

「ただあなた方に生きて欲しくて!」

「私は、あなた様のお顔を見たくもない。お声さえ聞いていたくない」

 腕を離す。

 唇を引き結んで震わせた彼女の頰を瞳から溢れた涙が濡らした。

 あの日、あの夜に同じ言葉を持って自分たちの元へ訪れてくれていたなら……いや、よそう。考えたところで時が巻き戻ることはない。

 お戻り下さいと、火茨はただ繰り返した。

 身を引くしかなくなった都輝姫は縁側から庭先へ。

 草履を履いて走り出す。

 彼女が持って来たのだろう提灯を置き去りに……。

 これは、仕方がないので明日の朝にでも届けるか。

 適当に理由を付けて内殿の誰かに預ければ良いように計らってくれるだろう。

 灯っている火を消そうと手を伸ばした時だった。

 不穏な気配が背後に迫り、咄嗟に前へと転がった。

 縁側に出て膝をつく。

 傷に響かない訳もなく、痛みに声にならない声を上げながら気配の正体に視線をやる。

 先程まで火茨が居た場所には何かを蹴り飛ばそうと足を振り抜いた姿勢の萍が立っていた。

 怒声が耳朶を叩く。

「何考えてるんだよ火茨兄ちゃんの馬鹿!」

 温厚な性格の弟にしては珍しい。

 何時いつにない蛮行にこんな態度も取れたのかと妙な感心を覚えた。

 真剣に怒っている弟には悪いが。

「薊姉ちゃんはもういないんだぞっ!」

 提灯を掴んで踵を返した萍は履物のある土間を経由して離殿を飛び出す。

 姫様を追い掛けるつもりらしい。

 ……薊はもういない、か。

 火茨の真意を汲み取って、言葉を変えて仲を取り持ってくれる姉はもういない。

「……だから、だろう馬鹿」

 そんなことは痛い程よく分かってる。

 腹の奥底から湧き上がる衝動のままに自棄を起こすなら、今すぐにでも御社を燃やし尽くしてこの命が絶えるまで暴れて回ってやりたいくらいだ。

 叶うなら青目の血を根絶やしに。

 そんな考えさえ浮かぶ。

 けれど、まだ全てを失った訳ではない。

 大切なものも守らなければならないものもある。

 姫様のことだって、多少憎らしくとも薊が気に掛けていた相手だ。

 下手に扱って危険に晒すような真似は出来ない。

 順当にいけば神の妻として崇め奉られる立場におられる方なのだから……。

 その立場を完全に捨てさせて、取り返しのつかない事態に陥入ることだけは避けるべきだろう。

 その為なら幾らだって酷い言葉で傷付ける。

 嫌われても恨まれても構わない。

 ただ、そうやって遠ざけても、立場を捨てて村から出たいと彼女が望むのであれば……他力本願で申し訳なくは思うが萍に託すだけだ。

 ため息を吐き出して火鉢の用意に取り掛かる。

 外に出た弟は体を冷やして帰ってくることだろう。

 炎の力で芯から冷えることはないとはいえ、部屋が温まっているに越したことはない。

 開けっぱなしにされた雨戸も襖もきっちり締め直し、火茨は布団に入り直した。

 眠るつもりはないが起きて待つつもりもない。


 その後、随分と経ってから戻ってきた萍を寝たふりで出迎えればしばらくチクチクと刺さるような視線を向けられた。

 都輝姫たちの後を追いもせず、それどころかさっさと床に就いていたことに余程腹が立ったのだろう。

 翌朝以降も弟の機嫌は損なわれたままで口も碌に利いてもらえないような有様だった。

 考えあってのことであるから謝るつもりはない。

 だからと言って心の内を語るつもりもなく、取り合わないでいれば火に油を注ぐ結果となったことは言うまでもないだろう。

 以前なら見兼ねた薊が仲裁に入ってくれていたところだが、天へと還った相手に頼れる筈もない。

 ギスギスとした関係は数日と言わず数ヶ月続き、お互いが譲らないまま、それが当たり前となる頃を迎えても修復されることはなかった。

 しかし、そのような中でも何かを言い付ければ素直に聞くのだからまったくもって可愛らしい弟である。

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