語られた真実と実態

 ――ヒノメ村とはその字を直せば緋目ひのめ村。

 その昔、火茨たちのように赤い瞳を持って生まれ、炎を自在に操る力を有した一族が築き上げた村だった。

 彼らは雄々しかったという。

 彼らは猛々しかったという。

 そして猿のように小賢しくも、愚かな者たちの集まりだった。

 今、村に住んでいる只人たちの多くは緋目の一族の子孫にあたる。

 数年置きに生まれ落ちる赤目の忌子は彼らの血に刻まれた力が絶えることなく脈々と受け継がれ続けている証であり……本来なら村に巡るべき力の源流が封じられているが故に発現自体が稀なこととされているが、もしも封印を解く者が現れたなら村の民たちの瞳もすべからく赤く染まり炎を操ることもまた可能となるだろう。

 青目の一族は遙か遠く彼方の地より緋目村を訪れた流れ者の集まりに過ぎなかった。

 祖の手記を振り返るとこのように書かれている。

『どれだけの時を我々は旅路に費やしただろうか。共に里を出た仲間は皆、私も含めて己が力に片手片足あるいは両手両足……四肢のいずれかの自由を奪われて、中には命を落とした者もいる。旅を続けることが困難になりつつあることは誰もが理解していた。辿るべき帰路ももはや分からない。希望よりも絶望が強く胸を占めていた……そんな折のことだった。立ち寄った村には我々と同じように、しかしながら氷ではなく炎を操る力を有した者たちが暮らしており……彼らは凍り付いた我らの四肢に気が付くと幾つかの言葉を交わした後、おもむろに溶かしてみてはどうだろうかと提案してきた。溶けぬからこそ自由が奪われているのであり、あまりに単純な発想に内心では嘲笑を浮かべたものだ。しかし長い長い旅路で疲弊していた我々に論議を交わすような余力は残されておらず――正直に言えば面倒で――試してみよう、と手をかざした相手の好きにさせた。欠片程の期待も抱いてはいなかった。しかし、結果はどうであろうか。予想を裏切り我々の四肢には自由が戻された。凍り付いてから長く、溶け難くなっている者にも彼らは根気強く接し、半日以上の時が掛かっても投げ出すことはなく自由を取り戻してくれた』

 赤目の忌子が炭化を発症するように、青目の一族も許容を超えて能力を行使すれば皮膚が氷へと変化する凍化の症状に見舞われる。

 その治療に緋目の一族の力は有用だったのである。

 ……余談となるが、逆もしかり。炭化は氷の力で治すことが出来る。

 しばらくの間は安静にしていた方がいいだろうと村の隅に建てられた無人の荒屋あばらやではあったが、雨風凌げる屋根まで貸し与えてくれた緋目の一族に青目の祖は感謝した。

 恩を返す為、自分たちに出来ることなら何でもやろうと手を貸した。

 滞在が一日、二日……二年、三年と延び、村の暮らしにも馴染んで久しくなった頃。

 事の発端は祖が村の女と子を成したことだった。

 産まれてきたのは薄墨の髪に黒曜の瞳の赤子。

 氷の力も炎の力も持たない只人の赤子。

 祖は女との間に男児三名、女児二名の子を儲けたが一人として両親の力を継いだ者はいなかった。

 青目の血と緋目の血は互いの力を打ち消し合うらしい。

 村の人間の半数以上がそれを些細なこととして子の誕生を祝ったが、緋目の長だけは一族の力が絶えることを危惧して、以降、青目の者と緋目の者が婚姻を結ぶことを禁じた。

 先に青目の者を虐げたのは緋目の一族なのだ。

 抗議するべく同志を募り、禁止令を出した長をその座から引きずり下ろした祖は、今後、同じような懸念から同胞が差別を受けることがないようにと力の源流を探し出し、これを封じた。

 力を持つが故に恐れるのなら元より持たねば良いと。

 源流を封じているのは氷の力。

 役目を負ってきたのは歴代の青目之彦命。

 只人となった緋目の者たちに代わり今に至るまで村を守ってきたのは青目の一族だ。


「村の者たちと互いをいとうことなく共に暮らせているのは我らが祖のおかげ……そして、皆の安寧の為に封じた力であるのに、それを持って生まれた者をどうして疎まずにいられる?」

「お待ち下さい。それでは彼らは……!」

「そう……力は血に宿る。故に天へと還す他ないのだ」

 水彰神子は青目神の隣に立った。

 さも当然のことを語るような口調に、鈍器で頭を殴られたような思いを抱いて絶句する。

 そうではない。

 そうではないと、心の内で反論を返す。

 赤目の子らの力が古来より存在する村の一族の証であるのならそれは穢れなどではないだろう。

 むしろ余所者の身でありながら源流を封じ、村を治める立場まで取って代わって、それで大大円だと述べる我らの血族の正気を疑うところである。

 身知らずの流れ者だった祖に手を差し伸べ、あまつさえ救ってくれた相手の力を否定して、忌むべきものだと、その力を持って生まれた者の命まで奪う……長きに渡り、祖が受けたそれとは比べるまでもない酷い仕打ちをいてきた我らの何処に正当性があろうか。

 恥ずべきことだ。

 幾ら頭を下げたとて許されることではない。

 薊も火茨も忌子として蔑まれるばかりか既に姉を一人失っているのだから……。

 どうして、この身が許されるなどと思えよう。

「まあ、天還の儀を執り行うことにより緋目の力は我らの糧となり、いては村の助けともなる……知らぬ内とは言え、忌子に生まれたあやつらにとってはこれ以上ない誉れであろう」

「誉れ……?」

 ああそうだ、と神子は頷いた。

 死因を凍化とする者は近年でこそ稀であるが、記録を遡ると一族を存亡の危機に追いやる脅威の一つとして取り上げられ、死者も毎月のように出ていたという時期もあったとされている。

 凍化を解くことができるのは緋目の力。

 その源流を封じている状況下だ。

 問題が浮上したのは当然と言えば当然のことと言えた。

 なればと赤い目の子供を忌子とし、差し出された彼らの力を利用して凍った体を溶かしたことが天還の儀の始まりである。

 全ての真意は、神の名の裏に隠して……。

「どうして、そのように彼らの命を喰らうことを是とできるのです……っ!」

 何が誉れか。

 声を荒げれば神子は眉を顰めた。

 都輝の言いたいことが分からないらしい。

 彼にとって、忌子に天還の儀を受けさせることは疑問を呈するのも馬鹿らしいくらいに正しい行いなのだ。

 だから、分からない。

「お前とて日々その恩恵は受けていよう」

 毎朝行われる修練で忌子のそれを見学することとされているのは天還の儀と同じ理由からだ。

 言われて気付き、再び言葉を失う。

 自身の無知がこれ程までに憎くく、怨めしく、そして呪わしいと思う日が来ようとは……。

 都輝は歯を強く食い縛った。

 知らずにいたからと許されることではない。

 知らずにいたことこそが罪とも言えよう。

 この身に宿る力に誇りさえ抱いて、立場に甘んじ、無知なままに彼らを憐れんでいたのだから……。

 己の何と罪深いことか。

 怒り。後悔。悲しみ。

 入り混じる感情で震える唇をゆっくりと慎重に開く。

「このような方法でなくとも、手を取り合うことは可能な筈です」

「どのようにして?」

 問いを返したのは青目神だった。

 一歩前へと出て都輝との距離を詰める。

 近付いてくる御神の無感情な瞳に思わず後退った。

「真実を語るか? 源流の封印を解くか? 忌子たちは牙を剥き、民の多くは混乱に陥るであろうな」

「それは、」

「赤目の子供が忌むべき存在であることに間違いはないというのに……たった数人の忌子らの為に村の安寧を壊すことがどうして出来ようか」

「しかし! それが彼らを虐げ続けてきた我らの行いを肯定する理由とはなり得ないでしょう」

 真実を直隠ひたかくし偽りを吹聴し、それで保たれる平穏を安寧と呼ぶなど烏滸がましい。

 けれど、吹聴された偽りが今や村における真実であり、一族の為と嘘を貫き通すとしよう。

 それでも天還の儀という悪習は廃止にすべきだ。

 凍化を解く為に彼らの力が必要ならばその旨を話して協力を求めれば良い。

 たったそれだけのことを実行に移せないばかりか、あれやこれやと言い訳を並べる行いの何処に正しさがあろうか。

 都輝が誇りとしてきた一族の姿はそのようなものではけしてない。

「どうやら、話を聞かせるにしても時期尚早だったようだな」

 冷気が滑る。

 後方。左右。足元。

 作り出された氷が四肢に絡み付き――自由を奪われる前にそれを払って壁際に追いやる。

 力は血に宿るという先の神子の言葉の通り、能力の高さは先天的に決まるもので年齢には縛られない。

 主導権を握ることは都輝にとって造作もないことだったが……。

 今まで信じて来た相手にそう簡単に手は上げられない。

 躊躇いが判断を鈍らせたのは仕方ないことだった。

 ゆっくりと詰めていた距離をここに来て一息に縮めた青目神に襟を掴まれそのまま引き倒された。

 咄嗟に作り出した氷の壁に手をついてその場に転がることは避けたが、上から伸し掛かられて結局は無意味となる。

「父上!」

「案ずるな」

 悲鳴に近い声で息子に呼ばれて御神はぴしゃりと返した。

 氷を操る力を除けばただの大人と子供。

 都輝はもがいたが身体的な力で敵う筈もない。

 結い紐が解かれ、はらりと落ちた髪が頰を撫でる。

 後ろ手にまとめられた両腕がその紐で縛られた。

「これ程高い能力を持った娘が生まれることはそうはない……口の利き方がなっていないからと、早計に死刑を言い付けるような真似はしないさ」

 しばらくは隔離の間で大人しくしていてもらうことになるが、と青目神は続けた。

「っ御放し下さい! 私を隔離の間に入れようと事実は覆りますまい」

「覆る必要はどこにも無いだろう」

 荒く腕を引かれて体を仰け反らせる。

 喉を押さえられ軽く入れられた力に思わず呻いた。

 耳元に寄せられた唇がねっとりと言葉を紡ぐ。

「力を持って生まれたことこそが罪。我らはそれを罰しているに過ぎないのだから……それともお前も薊と同じように身を清めてみるか?」

 喉を押さえていた手が襟元に差し込まれ肌をなぞる。

 ゾッとした。

 うなじを這う生温い『何か』に身の危険を感じて息を呑む。

「父上、お待ち下さいっ!」

 都輝たちの元まで駆け寄った神子と目を合わせ青目神は手を止めた。

「……それは私のものです」

 沈黙が落ちる。

 それから数秒。

 ゆっくりと離れていった他人の体温に酷い安堵を覚えた。

「ならばしっかりと躾けることだ。慎みを覚えぬなら、やかましい口は縫い付けることも考えねばならん」

「肝に命じて。今後は父上の御手を煩わせることのないよう言い付けておきます」

「薊の相手をしている禰宜に声を掛けて一人遣わそう……これを隔離の間に運ばせたらそのまま下がれ」

「はい」

 青目神が去る。

 言葉の通り禰宜に声を掛けに向かったのだろう。

 恐怖で竦んだ体で唇を噛み締める。

 震えが止まらない。

 なんて無様。なんて無力。

 大丈夫かと、心配げな様子で尋ねられたが言葉を返す気にはなれなかった。


 水彰神子は都輝より二つ下の本家嫡子である。

 召し上げられてすぐの頃、彼はまだ四つん這いになることも出来ないような赤子で、奥方様の腕に抱かれて心地好さそうに眠る姿をよく眺めさせていただいたものだ。

 将来の夫であると同時にその成長を見守ってきた相手。

 だからこそ余計に、というのもあるのだろう。

 青目神に遣わされてきた禰宜に担がれ、内殿から外殿の隔離の間に運ばれた。

 その部屋の名の通りに隔離される前に、と神子から掛けられた言葉にどうしようもなく腹が立った。

「都輝、忌子たちにまで心を配ってやるお前の優しさは美しく思うが……これからは控えた方がいい。我々には立場というものがあるのだから……次は父上もお許しにはならないだろう」

 あの場で青目神が引いたのは水彰神子が執り成してくれたからこそである。

 分かっている。

 感謝もしよう。

 しかし、私の抱く思いを美しいと述べるなら何故それを控えろと言うのだろう。

 我が身可愛さに媚びて縋り醜く生きろと?

 犯してきた罪に目を瞑り見て見ぬ振りをして業を重ねることを良しとして。

 それで構わない?

 そんな、馬鹿な話があって堪るものか。

 ……お飾りの人形のように静かに暮らせと言った火茨の言葉が蘇る。

 彼はどこまでを理解していたのだろう。

「許されたくもありません」

「都輝」

「お口添えいただきましたことは感謝申し上げ奉ります。……どうぞお下がりくださいまし、水彰様」

 束縛の解かれた腕で三つ指をついて頭を下げる。

 物言いたげな沈黙が流れたが、結局、水彰神子は何も言わずに部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る