忌子の決意と答えを求める者

 ここでいう内殿入りとは青目の者からすれば人払いのなされる刻限を過ぎても御神と共に過ごすことを許される大変名誉なことであるが、赤目の子らにとっては死刑宣告と同義である。

 穢れを抑える為と内殿の地下牢に繋がれて……蓮が受けた仕打ちと同じ行為を強いられることになるのだ。

 加えて、年明け後とされていた天還の儀の日取りも早められ、数週と経たない師走も半ばの内に執り行われることになるという。

 理由を問えば「薊の穢れが急速に高まっているが故の処置である」と返されたが、それがただの名目にすぎないことを火茨たちはもう知っていた。

 逃亡の企てを聞かれていたか。

 いや、それなら火茨にも内殿入りの命が下るだろう。

 ともかく、ここで連れて行かれては逃げ出す以前の問題だ。

 決定を告げに来た宮司や衛士を前に青褪め、身を強張らせた姉を背に庇って異を唱える。

 あれやこれやと反論の言葉を並べてみたが聞き入れられることはなく、御神の命に逆らわんとする態度を咎められて別の牢に繋がれることとなってしまった。

 連行される二人に慌てた萍が弁明しようと口を開き、火茨と同じ失態を犯しかけたのを止めることだけは叶ったが……。

 どんなに訴え掛けても全て折檻となって返ってくる。

 牢から出ることを優先しようと、思ってもない謝罪を繰り返し反省の色を示してみても鼻で笑われて終わる。

 逸るばかりの気持ちに火茨は歯噛みした。

 くそっ……!

 二の舞になるのは御免だと言った姉に当然だと返しながらこのざまか。

 助けに行くことさえままならない。

「まったく……都輝姫様も、このような奴らの何を気に入っておいでなのか」

「青目神様に直訴に向かったって話だろう?」

「ああ。その上過ぎた口の利き方をしたというんで隔離の間に入るようにと下知されたらしい」

「忌子なぞに関わるから……本当に、生きているだけで事を碌な方向に運ばんな」

 薊とは別の、外殿の地下牢に入れられてから何日が経った頃のことだろう。

 鞭打ちや水責めなどを受け、飛んでいた意識が不意に戻った時のことだった。

 隔離の間とは外殿の三階に誂えられた御神と近しい間柄……つまり位の高い者が入れられる独房である。

 火茨が今いる、剥き出しの冷たい地面に申し訳程度に藁が敷かれただけの此処とは比べ物にならないくらい整えられた一室で、食事や外出の制限こそ受けるが処分としては軽く、謹慎程度のものと言える。

 ……何をやっておられるのか、あの姫様は。

 目を覚ましたことが知られれば折檻が再開される為、そっと細くため息を吐きだして開きかけた瞼はそのまま閉じておく。

 言い掛かりも甚だしい火茨たちへの不満を漏らす見張りの男たちの声を聞くともなしに聞きながら、ぼんやりとする思考で今後について色々と考えを巡らせてみた。

 もはや望みを叶えるには天地がひっくり返るくらいの事が起こらなければ不可能だろう。

 上手く牢から出られたとして内殿から薊を助け出すだけでも無謀なことであるのに、そこに姫様が加わるなどと……どんな手を打てば逃げ果せられるというのか。

 青目神の元を訪ねた薊が本のことを口にするより先に話に割って入るべきだった?

 しかしそれでは確信は得られなかっただろう。

 洞窟から出てすぐ、理由を話すまで問い詰め続けたとしても同じこと。

 二人の進んだ道が違っていれば。

 洞窟の奥になど進まなければ。

 姫様と、関わりを持たなければ。

 ……何処で何をやり直しても、天還の儀は避けられない。

 過去を振り返り未来を思えば思うだけ、憤るより、嘆くより、笑い出したい気分に駆られた。

 赤い目を持って生まれたばっかりに……。

「……すまない、薊」

 口から滑り落ちた呟きが聞かれたらしい。

 見張りの煩わしい声が止んでこちらに近付いてくる足音が静寂の中に響いた。

 浴びせられる罵声も嘲笑も、もうどうだっていい。

 どうせ助け出せないならこの命、此処で落とす訳にはいかないだろう。

 あと三年……年が変われば二年だけ、共に眠ることを待ってくれ。


        *


 都輝が牢に繋がれた二人のことを知ったのは、内殿入りの命が下された日から三日は経った後のことだった。

 三日の間、修練の時間は神子に促されて彼らの到着を待たずに席を外しており、外殿にて、一日目は顔を覗かせなかった薊のことを非番だろうと考えて気には止めなかった。

 二日目は体調でも崩したのと――今まで彼らに連続した非番が与えられたことがなかったからだ――首を傾げ、通り掛かった禰宜を何人か捕まえて尋ねてみたが誰も彼も知らぬ存ぜぬ。書物蔵の解錠依頼を名目に直接離殿へ足を運ぼうとすれば、いつもは何も言わずに見送ってくれる巫女たちに「そろそろ花嫁修業に本腰を入れられては」と苦言を呈された上でやれ茶道だ、やれ花道だ、と手を引かれて気付けば夕餉の時刻を迎えていた。

 三日目も同じ調子で、周囲の変化を訝しんだ都輝は務めの終わる時刻を見計らって外殿を抜け出し離殿を訪ねた。

 そうして萍と会い、ようやく事のあらましを知ることが出来たのである。

 話を聞いた瞬間は愕然とした思いが胸を占めた。

 まさか自分の行いが影響して?

 血の気が引き、不安に涙ぐむ萍を宥めるのもそこそこに離殿を後にした。

 その足で御神様の元に急いだ。

 人払いがなされる刻限はとっくに過ぎていたが本丸の正門を越え、御神楽の間を抜ける。

 ――そこで、内殿に通じる扉の前に幾人かの禰宜たちの姿が伺えることに気付いた都輝は咄嗟に橋の下に身を隠した。

 広がる池の水を凍らせて足場を作る。

 見付かれば御神様に会うより前に外殿に戻されてしまうだろう。

 しかし、人払いがなされる時刻は過ぎているのに何故……。

 自分のように薊に下されためいの取り下げを願いに来た者たちとは思えない。

 忌子の彼らが疎まれることはあっても、好意的な目で見てもらえるのは極めて稀なことである……酷く口惜しいことではあるが。

 他の用向きと言われても残念ながら思い当たるものがない。

 いや、薊が内殿入りを申し付けられたのは高まっている穢れを抑える為と言われている。

 その任に就くのは青目神であるが、天還の儀を迎えるまで休みなく……という訳にもいかないだろう。

 休憩を取る間の代わりを務める為に呼ばれた者たちかもしれない。

 もしそうなら拝謁を望む自分にとってはこれ以上ない好機だ。

 扉の開閉音をしっかりと聞き届け、気配が去ったのを確かめてから橋の上に戻る。

 禰宜たちが二階の廊下を通って一階に下りるのに十分な時間を数えてから後を追う。

 内殿に入る前に、念を入れて少し開いた隙間から二階に留まっている者がいないか伺ったが階段に足を掛ける影の一つも見えなくなった後だった。

 引き返して来られても面倒なので音を立てないよう気を張りつつ、気配も殺して御神様の元を目指す。

 一階に辿り着き柱の影に隠れながら左右に視線を走らせる。

 ……誰もいない。

 何処に向かえば御神様にお会いできるだろうか。

 部屋の間取りを思い出しつつ、まずは無難なところから当たってみようと寝室に足を向ける。

 右手に進み角を曲がった先の突き当たり。

 真っ直ぐな廊下に単調な造りは迷う必要がない代わりに身を隠す場所に困る。

 慎重に、けれど早足に進む。

 寝室に続く襖の前で声を掛ける為に息を吸い込んだ――直後、背後で別の部屋の襖が開かれるシャッという音が響いた。

 振り返る。

 そこに立っていたのは御神様で、はだけ気味の白衣に崩れた御髪、気怠げな横顔が疲労を滲ませていた。

 現れたのが目的の相手だったことに都輝はほっと安堵した。

 呑んだ息に音を乗せて吐き出す。

「御神様!」

 突然声を掛けたことで驚かせてしまったらしい。

 こちらを捕縛せんと迫り来た氷を慌てて退しりぞける。

「……都輝?」

 気付いてもらえたようだ。

「はい」

「外殿に戻るべき時間は過ぎている筈だが……いったいどうしたんだい?」

 攻撃の手は止んだものの胡乱気な目を向けられる。

 都輝は単刀直入に薊の名を出し、命の取り下げを願い出た。

「彼女は日頃からよく務めを果たしてくださっていました。穢れが高まっていたようには思えません……何かの間違いでは」

 御神様は首を横に振った。

 命の取り下げは叶わないらしい。

 ……洞窟より戻って以降、火茨から出された条件のことも含めて薊には何度か声を掛けていた。しかし、話が途中ですり替えられて本題のほの字も口に出来なかったり、前置きなく切り出そうとすればその前に別の話題を振られたり。ようようにして話を聞いてもらえたかと思えば心ここに在らずといった調子でのらりくらりと躱されて……是か非か、その答えすらも聞かせてもらえてはいない。それなのに。

「間違いであったなら私も嬉しく思う……だが、事実は事実。薊自身の為にも決定を覆す訳にはいかない」

「御神様……」

「都輝、お前は賢い娘だ。分かってくれるね?」

 分かりたくない。

 喉まで出掛かった言葉を都輝は呑み込んだ。

 謀ろうとしていた相手にその算段を話せる訳がない。

「……薊の様子は」

「今は私の代わりに禰宜たちが穢れを払ってくれている。安心していなさい」

「会うことは叶いませんか? 一目だけでも良いのです」

「それは……難しいね。お前の身を思えばこそ、頷いてはやれぬ願いだ」

 薊から生じている穢れに都輝では耐えられないだろうとのことだった。

 ……穢れとは何なのか。

 体に害を与えるものなのか。

 不幸を呼び込むものなのか。

「身を案じて下さることは有り難く思います……しかし彼らは私にとって無二の友なのです。穢れが払えるものであるならばその方法を知りたい。答えが目の前にあると知りながらどうして引くことが出来ましょう」

 薊に会わせて欲しい。

 頭を下げて乞い願う。

 御神様からの返事はなかった。

 代わりに、耳に届いたのはこの場に居る筈のない相手の声で……。

「教えてやれば良いではありませんか、父上」

 それは我が妻となるべく迎え入れられた娘なのですから、と何処か鼻に笑いを掛けたような調子で水彰神子は言った。

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