赤目の子

 昼間は内殿の一角で神子を始めとした青目の子供たち向けに塾が開かれていることもあり、用あって出入りする大人たちも含めると其処彼処から話し声が聞こえる。賑やかとは言わないが何処に足を運んでも活気付いた空間が広がっている本丸内も、務めに励む刻限を過ぎ、人払いがなされると静けさが肌に痛い。

 足を進めれば進めるだけ自分一人がこの場に取り残されたかのような錯覚を覚えさせられた。

 慣れ親しんでいる筈なのに、全く知らない別の場所に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われる。

 先を進む薊の姿が見えないせいで余計に……。

 彼女は既に内殿の中に入った後なのだろう。

 御神楽の間から続く橋を渡って祭壇を上る。

 閉ざされた扉には青目の一族の家紋が掲げられており、観音開きとなっているそれの奥には内殿二階の廊下が続いている。

 まず耳を澄ませたが何も聞こえてはこなかった。

 慎重に音を立てぬよう隙間を作って様子を伺う。

 人の影は見当たらない。

 真っ直ぐに伸びる廊下の左右に構えられた障子の中で開け放たれているものもなく、隙間を広げて体を滑り込ませた。

 きっちり元のように閉め直してから突き当たりの階段を目指す。

 二階は塾の為の広間や会計庶務の仕事の場。各種の道具に書物、村の民からの献上品の一部を仕舞う物置部屋など。日中に必要とされる部屋が揃えられており、青目神の生活の場として誂えられているのは一階だ。

 姿が見えないばかりか話し声も届いて来ないとなれば階下と考えるのが妥当だろう。

 足音を殺して進む。

 予想の通りに姉と御神の話す声が火茨の耳に届いたのは突き当たりに辿り着く少し前のことだった。

 丁度、階段を下りてすぐの場所で話しているらしい。

 途切れ途切れの会話を拾う為、身を屈めて耳を床に近付ける。

「――しは――――様を信じております。けれど、けれど……私たち、赤目の忌子は本当にこの身に穢れを宿しているのでしょうか」

 震える声で紡がれた姉の言葉を聞き取って、その内容に驚いた火茨は目を見開いた。

 息を呑んで勢い良く立ち上がり掛け、物音を立てる前にすんでの所で思い止まる。

 保身に走ったことを否定はしない。

 ただ、考え無しにそのような言動を取る姉ではなく、言い付けを無視して彼女を追い掛けて来ただけの自分が何も知らないままに飛び出して行くことは躊躇われた。

 わざわざ人払いのなされている内殿に引き返し、今更、青目神相手に尋ねるような内容ではない――下手をすれば蓮と同じ末路を歩むことになりかねない質問を投げ掛けたのには理由がある筈なのだ。

 知りたいとも思った。

 おそらく洞窟で知り得た『何か』と関係している理由を。

 ……嫌な予感と共に湧き上がった感情に名前を付けるとするなら好奇心、だろうか。

 聞きたかった。

 大人しく天還の儀を待つばかりだった姉が、このような暴挙を働くに至った理由を。

 ……青目神の非情さを知りながら俺たちはまだ、そこに慈愛が残されていることを疑わず心の何処かで信じていたのだろう。

「でなければ何故お前たちは私の元にいるというのだね」

 苛立ちと呆れを含んだ声音から侮蔑の色を宿した視線を想像することは容易かった。

 青目神の返答に薊は「それは……」と言い淀む。

 屈んでいる火茨の位置から彼らの様子は見えないが。 

「まるで鬼子のように火を生み出し操るその力だけでも十分な穢れの証と言えよう」

 昔から誰に言わせても一字一句違わない。

 耳にタコが出来るくらい聞かされてきた言葉だ。

 相手も言い飽きていることだろう。

 だから、簡単に想像することが出来る。

 今にも追い返されそうな勢いの中で意を決して口を開いた薊の声はやはり震えていた。

「その昔、この地には私たちのように炎の力を宿した者が多く暮らしており、そして、よく治めていたと記された書を読みました」

 ……それで?

 言葉は途切れて続く様子もない。

 姉の言わんとしていることが分からず眉間の皺を深めた。

 まさかと思うがそんな夢物語を鵜吞みにして、渡る必要のない橋を渡り自ら危険を呼び込んだ……なんてことはないだろう。

 ――薊の口から聞くと決めて洞窟に隠されていた本を確かめに向かわなかった火茨には知る由のないことだが……そこに記されていたのは日々の生活の記録で、夢物語とするには淡々とし過ぎており……先の言葉はかなり簡潔に要約されたものとなっている。

 何も知らなかった。

 故に青目神の反応には驚かされた。

「いったいどこで?」 

 淡々とした受け答えで投げやりな態度とも言えたそれが一変し、散漫だった意識が薊へと向けられる。

 普段の取って付けたような物腰の柔らかささえない。

 じわりと広がる緊張感に、禁忌に触れたことを知る。

 ただの夢物語に対してどうして……そう考えてから、ハッとした。

 漸く姉の意図を理解し、引いていく血の気に動揺を覚える。

 もしそれが夢物語などではなく、実在した過去の話であるならば忌子に宿る炎の力を穢れの証とは言えなくなるのではないか。

 散々切り捨てられるばかりだった問いの答えを求めて、確かめに来た。

 我々は本当に穢れているのかと。

 そして、返ってきたのが先程の反応……。

「否定なさらないのですか」

「そのような世迷い事、否定するまでもない。けれど間違った知識を与える書は早々に処分しなければ……いったいどこでそのような書を読んだんだい?」

 問いに問いで返した薊に、それを咎めることもせず御座なりに答える御神の声を聞きながら何かが崩れ去っていくのを感じた。

 ……世迷い事だと言うなら何故、鼻で笑い飛ばさない。

 今までそうして来たように。

 蓮を人形にして笑ったあの時と同じように。

「青目神様、私はこのまま信じ続けても良いのでしょうか。御神様を、御神様にいただいた言葉の数々を」

「当然だろう。だから早く書の在り処を」

 執拗に本を求める言葉が答えを示しているも同然だった。

 悩んだ末に青目神の元を訪ね、対峙している薊は火茨よりずっとそれを痛感していることだろう。

「燃やしました」

「……燃やした?」

「はい。だって、有り得ない夢物語でしたから」

 笑うように軽い調子で紡がれたそれが嘘であることは考えなくても分かった。

 洞窟に足を運ぶ暇があったとして、再び本を手に取る機会があったとして、燃やす理由はない。

 訝しむような沈黙が落ちる。

 固唾を呑む。

 このまま牢に入るよう命ぜられても可笑しくはない雰囲気がそこには漂っていた。

「そうか……」

 青目神の相槌が厭に響いて聞こえた。

「聞きたいことは他になかったかな」

「はい。くだらないことでお引止めして申し訳ありませんでした」

「そうだね、そんなくだらない話はもうこれ以上誰にも話してはいけないよ……火茨や萍には?」

「一切何も」

 釘を刺しながらもどうやら見逃してくれるらしい。

 続いた言葉で退席を促されるのを聞き取ってひとまず安堵する。

 それからすぐ、来た時と同様に足音を殺してその場から離れた。

 廊下を戻る。

 祭壇に続く扉の前で足を止めて振り返る。

 階段を上った姉が自分の姿を見付けて驚きに目を見張ってから般若の形相を浮かべるだろうと……生憎、予想が的中していたとしても布面に隠されていて確認することは出来ない訳だが。視界に入った彼女は唯一伺える口元をへの字に曲げて、足取りだけは平常を装いながらもどんどんと距離を詰めてきた。

 そのまま火茨を追い越し扉を開いて外へと出る。

 ここで言葉を交わして御神に見付かっては元も子もないからだ。

 場所を移すことを優先し、御神楽の間を抜けて本丸の正門も通り過ぎる。

 離殿への帰路を辿りながら周囲に人がいないのを確かめた上で、道中に植えられた木々の木陰に二人は身を隠した。

「先に戻ってるよう言ったじゃない」

 声は潜めつつ、まず真っ先に言い付けを破ったことを叱ってきた。

 姉は厳しい口調で言う。

 仕方がないだろう。

「まさかとは思うけど」

「聞いてなかったと思うか?」

 木の幹にもたれかかって腕を組む。

 額を押さえた薊は頭が痛いと言わんばかりにため息を吐き出した。

「ある程度の予想はしてんたでしょう」

「……萍が心配してた」

「馬鹿。それで自分の首を絞めてたら世話ないじゃない」

 救いようのない馬鹿ね。

 そう言葉を続けられたが、馬鹿はお互い様である。

 一人で抱え込んだまま何も告げずに危険を犯しに向かって……。

 火茨たちを巻き込まないようにと考えたその気持ちは分からなくもない。だからこそあの時、意思を尊重するかを悩み、萍に促されるまで黙って背を見送っていたのだ。

「お前は忘れなさい」

「薊」

「天還の儀を受けるつもりでいることに変わりはないわ……分かっているでしょう?」

 置かれている状況が変わった訳ではない。

 逃げ果せられる可能性の低さも、失敗すれば待ち受けている罰も。

 変わらないのであれば知らなければ良かった、余計な話を一つ知ってしまっただけ。

 開いた口を火茨は何も言えないままに一度閉じた。

 拳を強く強く握り締める。

 ……どうしてと繰り返す傍らで、この身は穢れているのだと、天還の儀を受けることで救われるのだと言われ続けて来た言葉を信じていた部分も確かにあった。それは火茨だけではなく薊にも言えることだろう。だからこそ無理矢理にでも納得することが出来ていた。それが覆ろうとしているというのに今まで通りに死を受け入れられる筈がない。

 今までに受けた仕打ちを許せる筈がない。

 なのに、何事もなかったかのように大人しく従っていなければならないのか?

 おそらく……少なくとも青目神だけは、全てを知った上で赤目の子を忌子としたまま天還の儀を強いている。

 冷たい冬の空気を肺いっぱいに吸い込んで、それからゆっくりと吐き出した。

 言葉にすべきではないと、ずっと呑み込んできたそれであるから少しだけ躊躇いが胸を過ぎる。

「……逃げ出したければ、俺は手を貸す」

 伝えた瞬間、ふるりと薊は唇を震わせた。

 返す言葉を悩むように、慎重に開かれていく。

 その口が火茨の話を肯定することがないことは残念ながらよく分かっていた。

「駄目よ」

 予想通りの否定にそっと嘆息する。

「私と青目神様の会話をお前は何も聞いていない……そうでしょう?」

「……ああ、何も聞いちゃいないよ」

 それが姉の答えであるなら、そう返すしかない。

 ただ生きていたいだけで、多くを望んでいる訳でもないのに……。

 力があれば良かったのだろうか。

 俺が、無茶をもやってのける勇猛な人間だったなら助けられたのだろうか。

 考えたところでやはり何も変わらず、世界は無情なままだ。

 二度目の嘆息。

 預けていた背を木から離して一歩前へと進む。

「離殿に戻ろう。萍が待っている」

「ええ」

 頷いた姉は、しかしその場から動かなかった。

 振り返る。

 顔に掛かる布面が揺れて俯いたのが見て取れた。

 薊、と彼女の名を呼ぶ前に「ねぇ」と声を掛けられて、しばらくの間、静けさに包まれながら続かない彼女の言葉を待った。

 どれくらいそうしていただろうか。

 見回りの足音が近付いてくるのを聞き取って急ぎ木陰に隠れ直した。

 気付かれた様子はなく、そう経たない内に遠退いた気配に安堵してほっと息を吐き出した時だ。

 脈略はなかった。

 蚊の鳴くような小さな声を耐え兼ねたように、縋るように、泣いていても可笑しくはない不安定さで響かせた。

「どうして、許されないのかなぁ」

 姉は逃げ出したいとは言わなかった。

 火茨や萍の存在が邪魔をして言えないでいる。

 全ての感情が込められた嘆きを聞いて、ごちゃごちゃとしていた思考が全て白に染まった。

 馬鹿で、石頭で、けれど気遣い屋のお人好し。

 蓮のような強さは持ち得ていない癖に意地だけは張る。

 泣けばいいのに、泣いて喚いて構わないのに、それもしない。

 この姉が弱音を吐いたのなんていつ以来だろうか。

「逃げよう、萍も連れて三人で」

 決意を固めるには十分だった。

「火茨……だけど、」

「どうせ死ぬなら場所くらい自分たちで決めないか?」

 逃げ出した先で捕まれば否応なく辱められる。

 そうなる可能性の方が高いが、それならそれで掴まる前に薊の命はこの手で絶てばいい。

 萍だけは何としても逃して……。

 準備に時間を要するかもはしれないが、天還の儀を迎えるまでには間に合う筈だ。

 大人しくしている理由がもはやないなら死に様くらいは選びたい。

 これは我儘だから、許しを得る必要だってない。

 許されなくったっていいのだ。

「……蓮姉さんの二の舞になるのは御免よ」

「当然だ」

「それと姫様のことを忘れてる」

「……別に、構わないだろう」

 口をへの字に曲げた火茨に「駄目よ」と返して薊はほんの僅かながら声を弾ませた。

「残していくには色々と心配になる面の多いお方だもの」

「連れて行く気か?」

「きっと頷いて下さるわ」

 いや、それはさすがに……。

 どんなに破天荒でも彼女は青目の一族の姫で、その立場を捨てて村から出るなどと考えたこともない筈だ。

 順当にいけば神の妻の座に就くことが出来る。

 何不自由ない暮らしや約束された将来を棒に振ってまで危険を犯す必要はなく……同意を得られるにしても二つ返事とはいかないだろう。

 脳裏に描き出した相手の姿に、洞窟でのやり取りを思い出せば肯定も否定も憚られて無言を返す形となる。

「蓮姉さん、怒るかしら」

 ぽつりと落とされた言葉が沈黙を阻んだ。

「まあ、怒るだろうな」

 逃げ果せたらの話だが。

 自分に出来なかったことを俺たちが成し遂げればそれを悔しがって怒るに違いない。

「けどそれを根に持つ人でもなかっただろう?」

「そうね……良くも悪くも後には引きずらない人だったわ」

 だからこそというのもあって印象に強く残ったのかもしれない。

 話題に上がって思い起こすのは、やはり牢に繋がれた最期の姿で、過去とするにはまだ時間を要する。

 この地で眠った姉を思えば残していくのは心苦しいが……。

 まずは姫様に話をしよう。

 結局、薊を口説き落としたのは火茨となったが約束は約束である。

 今回の件を耳に入れて、それからどうするかは彼女の判断に任せるしかない。

 遺骨すらなく連れ立てない姉が、飽くことなく青目の一族を怨み呪い続けているとすれば、それは赤目の子らにとっての加護へと変わるだろう。

 話している内にその気になっていた俺たちはあのようなやり取りをした後で、まだ自分たちに時間は残されているものだと錯覚していたのだ。


 離殿の戸が荒々しく叩かれ、薊に内殿入ないでんいりの命が下されたのは翌朝のことだった。

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