話さない人聞けない話

 来た道をそのまま抜けて――水路を潜り抜けて池に出る際には姫様が氷の足場を作ってくださったので水に浸からずに済んだ――三人は天還の間へと戻った。

 そこで、動機が動機であるからと洞窟の海へと続く道に関しては秘密にしておこうという薊の提案に従う形で口裏を合わせ、御社に帰還してから青目神に報告した事の顛末てんまつは「森を散策しようとしたところ道に迷って気付けば海に出ていた」というものになった。

 怪しまれることはなく、無事、火茨への疑いも取り下げられて萍は解放された。

 神子には不満顔を向けられたが弟を取り戻せたなら他は瑣末事さまつごとである。

 許可を得て御神楽の間を後にする。

 離殿に戻れば早々に安心しきった様子でさあ寝ようと萍は火茨たちに声を掛けた。

 褥に向かう弟に先に寝ているよう言い付ける。

 洞窟内で後に回した話を薊に尋ね直さねばならない。

 だが、不用意に末弟を立ち合わせることは避けたかった。

「何かあったの?」

 こちらを振り返って首を傾げた萍に「いや」と否定の言葉を返す。

「薊に少し確認したいことがあるだけだ」

「なぁに? 心当たりがないんだけど……とりあえず今日はもう寝かせてくれないかしら」

 疲れたの、とでも言いたげに薊は下駄を脱いで土間から上がった。

 その手を掴んで引き止める。

 心当たりがない? そんな筈はない。

 火茨は「後で聞かせろ」と言ったのだから。

「薊」

「読んでいないものの内容は答えられない」

 振り返りもせずに姉は答えた。

 そんなことを聞いている訳じゃない。

 常の彼女なら分かる筈だ。

「嘘を吐くなら理由を話せ。お前の態度は明らかに可笑しい」

「嘘なんて吐いてない。私の態度が可笑しいって……何をどう見て言ってるのか、まずはそこから教えて欲しいものね」

 背を向けたままハッと鼻で笑われた。

 教えてやらねば口を割らないなら一つ一つ事細かに説明するが、そんなやり取りは幼い頃に嫌という程繰り返している。

 ……昔は喧嘩の絶えない仲だったのだ。

 お互いに生まれ持った性分の反りが合わず、事あるごとに反発し合っては蓮に叱られていた。

 だからこそ、今更口にしなくても構わないくらいには多くの言葉を交わして来たし、無駄な手間を此処で掛けさせようとする言動がまずもって可笑しいと言えた。

 いつになくピリッとした空気を纏う火茨と薊を交互に見やり、しかし事態を呑み込めずおろおろと様子を伺うしか出来ないでいる萍には申し訳なく思うが……。

「俺の性格は知ってるだろう」

「何、その知ってて当たり前みたいな言い方。自意識過剰で気持ち悪い」

「減らず口叩いてばっかりの頑固者よりはマシだ。石頭なのもいい加減にしておけよ」

「石頭はどっちよ。しつこい、うざい、煩わしいの三拍子。昔からそう、鬱陶しいったらない」

「分かってるなら簡単な話をややこしくするな」

「簡単な話……?」

 薊は火茨の言葉を繰り返した。

 掴んでいる手を払われる。

 勢いのままに振り返り憤りを露わにした姉は声を荒げて言った。

「何でそれをお前が決められるのよ!」

 知らない癖に。

 知りもしないで偉そうに。

 そう責める。

 布面の下では炎を揺らすようにその深紅の瞳を光らせて火茨を睨んでいるに違いない。

「……だったら聞くが、話せないなら話せない。整理が付いてないなら付いていない。そう言えばいい。たったそれだけのことの何が難しいんだ」

「それは……」

 言い淀む。

 ようやく冷静さを欠いていることを自覚したらしい。

 素直じゃない口が少し尖った。

「そう単純な話じゃないから、」

「単純じゃないと思うのはお前が意地を張るからだろう」

 こちらは言われた通りに従うと言っている。

 変に誤解して、それを認めないから話がややこしくなるのだ。

 閉口した薊はしばらく黙り込んでいたが、ため息を吐くとかぶりを振った。

「お前のそういうところ、心底嫌い」

 それはお互い様である。

「俺もお前の面倒なところは大嫌いだ」

「憎たらしいったらないんだから」

「隠すだけ隠して他には何も言わないからだろ」

「察しの悪い弟ね」

「有難く思え」

「何を有難がればいいのかさっぱり分からないわ……」

 言葉を待てば彼女は疲れからとも取れる、気まずげな調子で声をひそめて「少し、時間を頂戴」と言った。

 初めからそれを口にしていればこんな押し問答をする必要はなかったというのに……それだけ、彼女を混乱させるだけの内容が洞窟に置かれていた本には書かれていたということだろう。

 頷きを返して火茨もようやく土間から上がる。

 いまだ不安そうにこちらの様子を伺っている末弟を手招いてその頭をいつものようにくしゃくしゃに撫で回してやった。

「心配させただろう。悪かったな」

「えっと、その……」

「今のやり取りは全部忘れてくれ」

 戸惑いを滲ませるばかりだった萍の肩に力が入る。

 火茨が『察しの悪い弟』ならこれは『察しの良過ぎる弟』だ。

「僕は聞かない方が良いってこと?」

 強張った声に苦笑を返す。

「その判断も含めて答えが出てない。必要があれば話すだろうから、待ってやってくれ」

 薊はこのまま火茨にも話さないままでいるかもしれない。

 聞かない方が良いのは萍に限った話ではなかった。

「……分かった」

 不満気ながらも頷いてみせた弟の頭を更に撫で、じゃあいい加減寝るかと褥に促す。

 居間の卓袱台を端に寄せて並べて敷いたそれらに潜り込む際。

「薊、悩んでも答えが出なければその時は全部話せよ」

 話すべきか否かといった部分も含め。

 念の為にと釘を刺せば嫌そうな声が返って来た。

「本当にしつこいわね」

「放っておくと有耶無耶にされかねないからな」

 本の在り処は知っている。

 確認に向かうことも出来る。

 けれどあの部屋に足を運ぶつもりはない。

 それこそ薊が、悩むばかりで口を閉ざし続け、今回のような事態に再び陥らない限りは。

 おやすみ、と声を掛ければため息で返された。


        *


 それからしばらく、気を長くして待ってはいたが薊は普段通りに振る舞うばかりで一向にその気配を見せなかった。

 霜月もそろそろ終わりを迎える。

 師走に入っても口を開かぬようならもう一度こちらから問いかけよう。

 そう決めて月の満ち欠けを数え始めた頃のこと。

 不意に「あ、」と漏らされた声に振り返る。

 務めを終え御神楽の間にて青目神と挨拶を交わし、三人で内殿から離殿に戻る、いつもと変わらない帰路の途中。

 本丸の正門を抜けてから離殿を囲う塀の角までやって来て足を止めた薊が火茨と萍の一歩後ろに立った。

「青目神様にお伝えしなきゃいけないことがあったのにすっかり忘れてたわ。二人とも先に戻っておいてくれる?」

 口早にそう告げながら後ろ向きに進んで距離を広げる。

「薊姉ちゃん……?」

 明らかに様子の可笑しい姉を訝しんで末弟は首を傾げた。

 踵を返そうとしていた彼女の足が地面を擦ってジャリッと音を立てる。

 その口元には張り付けられた笑み。

「急ぎの用だから。大丈夫……ちゃんと離殿に戻っておくのよ?」

 言い含めるような響きがあった。

 意図を探る前に向けられた背が、駆け出して遠ざかる。

 一人、道を戻っていく。

 洞窟でのことをまだ何も話してくれてはいない内から同じ過ちを繰り返すつもりらしい。

 これだから融通の利かない石頭は。

 飽きれに近い憤りを覚えながら黙ったまま姉を見送っていれば下から袖を引かれた。

「火茨兄ちゃん」

「……分かってる」

 言い付けられた言葉に従うか否かで少し悩んでいただけだ。

 不安気な様子を覗かせる末弟の頭を撫でてやり、しゃがんで目線の高さを合わせる。

「いいか、お前は何も知らない。だから言われた通り先に離殿に戻ってろ」

「兄ちゃんは……何か知ってるの?」

「いや」

 萍の声音に僅かながら不満の色が滲んだのを感じ取りながら火茨は首を横に振った。

「何も知らない……お前を巻き込んでやれるだけの勇気がなくて悪いな。心配は掛けるが待っててくれ」

 ふっと口元を緩める。

 ……その笑みは薊が見せたそれとよく似ていて――こういう時、萍は姉と兄の二人は確かに兄弟なのだと実感する。酷く柔らかな態度で反論を拒んで自分を置き去りにしていく――……そんなところばかりがよく似ている。

「……待つのが僕の役目なら」

 不満の色が濃くなった。

 萍の心情が分からない訳ではない火茨は浮かべた笑みを苦笑に変える。

 器用な弟だから、きっと連れて行っても下手を打つような真似はしないだろう。

 軽んじている訳ではない。

 けれど、連れてはいけない。

 大切な弟に死地となるやもしれない場所へついて来いとは言えない。

 一際乱雑にその頭をぐしゃぐしゃと撫でて「いい子だ」と返しながら立ち上がる。

「すぐに戻る」

 笑みを消し、もう遠く、本丸の正門を抜けて姿を消さんとしている姉の後を追うべく気配を殺して駆け出した。

 追えば知ることになるだろう薊の隠している話は無垢に育った弟の耳に入っていいものではないに違いない。

 きっとごまんとある、知らないままでいた方が幸せでいられる話の一つで。だからこそのあの態度なのだという確信が火茨の中にはあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る