軋んで歪む

 以降、特段言葉を交わすこともなく火茨たちは最初の分かれ道まで戻ってきた。

 薊の姿はない。

 長さが長さなら道中で、後を追って来た姉と出会していても可笑しくはない程度の時間は経っている。

 引き返して来る気配すらないところを見ると相当に時間の掛かる道だったらしい。 

 これは追い掛けた方が早いか。

 文字通り此処まで駆け戻って来た火茨が立ち止まってもう一方の通路の先を伺う理由を知らず、どうかしたのかと首を傾げた姫様に薊も来ていることを説明する。

 そういえば話していなかった。

「まだ奥にいるようで、迎えに行こうと思うのですがよろしいですか?」

 姫様は明かりを落としてしまったと言っていたし、火茨の掲げる火の玉は力を使ってのものだ。手元に残せるものがない今、行動を別にすると姫様を暗闇の中で一人っきりにすることになる。

 何かに襲われる心配はないと言ってもそれは憚られた。

 かと言って許可もなく連れ回すことも出来ない。

「そうでしたか……私は構いません。むしろ火茨の方こそ大丈夫ですか?」

 俵担ぎという我ながら無礼な抱き上げ方をしているにも関わらず文句を言うどころか心配をしてくれるらしい。

「大丈夫です。では行きましょうか」

 軽傷とはいえ怪我をしている姫様に治療を受けてもらう為にも早く合流して早く戻ろう。

 引き返して来てくれているところだといいが……。

 残念ながら期待は期待のまま。

 予想も外れ、しばらく歩いてすぐ通路の突き当たりに辿り着いた。

 その短さに思わず眉を顰める。

 途中、二つ程あった扉は、開いて中を覗くとどちらも物置きのように雑多な道具が置かれた場所で奥に続く扉や通路のようなものは見受けられなかった。

 人を探すのに時間が掛かる程は散らかっておらず、また、薊がいるなら彼女の掲げる火の光が伺える筈である。

 暗いばかりの二部屋は中にも入らず後にしてきたが……。

 最後の扉に手を掛ける。

 この先には通路がある?

 それとも何かしらの理由があってすでに洞窟を出ているか。

 予想はやはり外れる結果となった。

 古い木製の扉がギギギという音を立てる。

 自分の作り出しているそれとは別の火の光が視界に入り、探していた姉の姿もあった。

 こちらに気付いて振り返ったらしい姉は中途半端な姿勢で驚いたように目を見開いていた。

 心なしか顔色が悪いように見える。

「薊?」

 体を火茨たちの方にきちんと向けた薊は、しかし何かを隠すように片手を後ろに回している。

 彼女の背後には椅子と机。

「何でもないわ」

 口早な返答は何かあると言っているようなもので……。

 さっと室内に視線を滑らせる。

 先の二部屋同様、続く扉も通路もなく部屋は此処で途切れている。

 広さはない。

 置かれているのはいくつかの古びた棚と薊の背後のそれらのみ。

 この程度の空間に今の今まで時間を掛けた相手の言葉を流石に鵜呑みにはしてやれない。

「それよりお前はいったい何を考えてるの!」

 いきなり叱り付けられて意識を姉に戻す。

「姫様をそんな風に扱うだなんて」

 ……ああ、合流する前に直すべきだった。

 後悔するも後の祭り。

 歩み寄ってくる姉の背に隠されていた場所が見えるようになってそちらを注視する。

 そこには積み重ねられた本があった。

 持ち主は几帳面な性格だったようで角がきちっと揃えられており……上のいくつかだけが手に取られていた痕跡を残すように乱れていた。

 机の上を覆い、本の端にも引っ掛かっている埃からすると一冊目の表紙の色は不自然に鮮やかで、二冊目のそれの方が少々掠れた色合いをしている。

「気にしないでください、私のせいでもありますので」

「しかし……」

 じとり。

 チクチクとした空気が刺さるので言われる前に横抱きに戻した。

 ため息を吐き出した薊は、ついでに肩に入っていた力を抜く。

「ご無事なら何よりですが、お怪我は?」

「大事ありません」

「片足を挫いていて手にも傷を作っていらっしゃる」

「……姫様」

 詳細を口にしなかった都輝姫の代わりに言葉を足せば姉は咎めるように声を低くした。

 布面の下では眉間に皺を寄せていることだろう。

 それに気付いてか、関係なく気持ちがはやっていた為か。

 姫様は話をらした。

「聞いてください薊。この洞窟、海に繋がっているんです」

「海に? ……崖の下、ですか?」

「はい。ですから、此処を使いつつどうにか誤魔化せば」

「だとすると波の打ち付ける岩場で危険だったでしょう。お怪我は本当に先程挙げられたものだけですか?」

「え、ええ。洞窟の先には出ていないから」

 話の流れを戻されて戸惑いを見せる姫様に火茨はまあこうなるだろうな、と落胆にも近い感情を覚える。

 生まれながらの石頭は死ぬまで石頭なのだ。

「どうかこのような無茶は二度となさらないでください」

「でも、村の外に繋がる道を見付けたんです」

「あなた様を危険に曝さねばならないような道なら必要ありません。……もしものことがあってからでは遅いのだと、どうかご理解ください」

 切実な声音で訴えかけられて都輝姫は言葉を呑んだ。

 放っておけば会話は続いただろうが、堂々巡りになることが目に見えている。

 引き結ばれた唇が再び開かれる前に火茨は別の話題を投じた。

「薊、あれは何の本だった?」

 手が塞がっているので顎をしゃくって積み重ねられたそれらを指す。

 薊は振り返らなかった。

 息を呑み身を強張らせる姉に目を細める。

「さあ? 文字が掠れていて読めなかったから内容は分からないわ」

 声は僅かに震えていた。

「……だったら後で聞かせろよ」

「読めなかったって言っているでしょう」

「分かってるだろ」

 嘘なら嘘でもいい。

 話せないなら話せないで、そう言ってくれれば言及はしない。

 ただ必要以上に隠さないでいて欲しいだけなのだ。

 様子が可笑しければ可笑しいだけ、看過は出来ない。

 そういう火茨の性情を知らないとは言わせない。

「なんでしょう、天井に……何か……絵、でしょうか?」

 不意に都輝姫が首を傾げた。

 二人の様子を伺おうとすれば見上げる形となる彼女の視界には当然のように天井も映り込む。

 その声に釣られて頭上を確認しようとした――火茨が視線を天井に移すより先に、焦りを滲ませた薊が大きな声を出してそれを阻んだ。

 手が肩に置かれ退室を促される。

「と、とにかく! 姫様が見付かったのなら戻りましょう。萍も待っていることだし……」

「萍? そういえば彼だけ此処に居ませんね」

 一緒ではないのですか? と天井から視線を下げた姫様に尋ねらた。

 内心で舌打ちを響かせる。

 いずれ伝わることではあるのだが……。

 いや、事前に知らせておいた方が言動に気を付けるよう注意出来て良かったと思うべきか。

「あ。いえ……あー……あー」

 こういう時には言葉が続かない姉にため息を吐き出す。

 言いづらい気持ちはよく分かるが、しっかりしてくれ。

「此処へは来ていません。青目神様の元に留め置かれていますので」

 引き継いだ火茨に都輝姫の視線が薊から移る。

「御神様の元に? どうして萍だけ……」

「私に掛けられた不義の疑いを晴らすまでの、言ってしまえば人質です」

 姫様は目を見開いた。

 その気持ちもよく分かる。

 自身の行動が他の誰かの命を脅かすなどとは考えもしなかったのだろう。

「なっ……! どうしてそのようなことに」

「姫様は構わないでください」

「しかしっ」

「あなた様を連れ帰れば晴れる疑いです。騒ぐ程のことじゃない」

 反論を受け付けない厳しい口調で言えば物言いたげに唇をなわなわと震わせながらも口を閉じ、代わりにきつく睨まれた。

 もっと言い方ってものがあるでしょう、と横から薊にも叱られる。

 だったら俺に口を開かせるな。

「下手に騒いだ方が怪しまれます。大人しくいつも通りにしていてください」

「だからお前はっ」

「……分かりました。けれど、」

「姫様が離殿に通われている以上のことはおそらく知られていません。こちらが口を滑らせない限りは取り糺されることもないかと」

「そうですか……」

 完全にではないがほっとした様子で姫様は肩の力を抜いた。

「私の不手際でご迷惑をお掛けして申し訳ありません。そういうことでしたら急ぎ御社に戻りましょう」

 頷いて部屋を後にする。

 天井を確認出来なかったことに後ろ髪を引かれる思いが残るものの、ひとまずは置いておくべきだろう。

 態度を改めない火茨に口をへの字に曲げている薊の出方次第だ。

「姫様、これがあまりに過ぎた口を利くようでしたらきちんと言ってくださいね」

「はい。でも、格式張った常套句を並べられるよりはずっといいですから」

「そう、ですか……? 腹が立ちません?」

「確かに心には刺さります」

 ……早く戻ろう。

 遠回しに文句を連ねる二人に今度は火茨が口をへの字に曲げる番だった。

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