忌子の歌
兎にも角にも都輝姫様を見付け出し連れ戻さなければ。
不安に思っているだろう萍を安心させてやれる方法はそれ以外にない。
……だが、社内は他の者が探しているだろうし、忌子である火茨たちが民たちからの協力を得ることは難しい。足を踏み入れる機会からして少ない為、地理にも疎い村での捜索は不向きだった。
他と言えば社の周りに広がる森の中ということになるが……。
森に入らなければならないような用があの姫様にあると?
「クッソ、いったい何処に……なあ薊、本当に何も思い当たらないのか?」
二の丸の門を抜けて前に進めば村に繋がる道の左右に視線を巡らせながら一旦立ち止まった火茨は後ろから続き門を抜けた薊に尋ねた。
正直、森に居るとは思えない。
もし居たとしても闇雲に走り回って一人の人間を探し出すには範囲が広過ぎて明朝の刻限に間に合う気がしない。
方角だけでも絞れたら、と逸る気持ちを抑えられないままに姉を頼った……のだが。
投げ掛けた問いに薊は何の反応も示さなかった。
声はひそめてもいなければ聞こえなかったということはないだろう。
疑問を抱きながら周囲に視線を巡らせるのを止めて振り返る。
半月の弱い光に照らされた姉は眉間に皺を寄せていて……。
考え込んでいる、というよりは思い悩んでいるように見えた。
名を呼べば一度は口を開いたものの、そのまま閉じて辺りに目を走らせる。
人目を気にしているらしい。
僅かに開いている距離さえ詰めて、おもむろに腕を掴んできた姉は小さく囁くような声で言った。
「私を信じてついて来てくれる?」
迷いながらも真っ直ぐな視線から姫様の行方を知っていることを察するのは容易かった。
先程問われた時にそれを答えなかったのは、つまりはそういう類いの話だからだろう。
あの姫様は本当に……。
頷けば確かな足取りで左の道を選び先導を買って出た薊の後を追う。
社の塀に沿って進むようだ。
角を曲がり、森に向かう衛士たちの姿が手にしている松明の明かりと共に伺えると距離のある内から茂みに隠れて彼らが去るのを待った。
足音を殺しつつ二の丸の右門を越える。
この先にあるのは天還の間――天還の儀の際に使用される祭壇のみが置かれた場所――を有する洞窟以外には裏手の森と海に続く切り立った崖のみだ。
何処に向かおうとしている?
森の中を彷徨っているならまだ分かるが、崖も洞窟も入り組んではおらず、探して見付けられないような地形はしていない。
特に社からそう離れてはいない洞窟内は捜索に駆り出された衛士の誰かが既に確かめた後だろう。
だが、薊が足を止めたのはそんな洞窟に続く階段の前だった。
周囲に人の気配がいないことを確認してから石造りの階段を最下まで下りる。
「奥は天還の間があるだけで行き止まりだろう。どうして此処なんだ」
入り口から天還の間までを繋ぐ、大人二人が並んで通れる幅の、しかし三人となると手狭な道は脇道一つない真っ直ぐな一本道である。
隠れられる岩陰がない訳ではないものの……。
天還の間も広さこそそれなりだが奥は湧水で覆われ、先を照らしても武骨な岩肌が伺えるばかり。
文字通りの行き止まりだ。
先に述べた通り衛士の誰かが一度は確かめに来ているだろうし、此処に姫様が居たとして、見付け出せなかったのだとしたらその誰かとやらはとんだ節穴な目の持ち主だったということになる。
力を使って火の玉を作り出し足を止めないまま速度だけを落とした薊は反響を気にしてか奥に人がいた場合を危惧してか、火茨にギリギリ届く程度の小さな声で答えた。
「都輝姫様は愚かと言えるくらいお優しい方だから……来年、天還の儀を受けることになる私を此処から逃がして下さるおつもりでいるのよ」
カツンと不意に弾いた石がカラカラと転がってその音を反響させた。
直後に辿り着いた開けた空間――天還の間に先客の姿は伺えない。
姉の肩を掴んだ火茨は彼女を振り返らせて詰め寄った。
「蓮のことを忘れた訳じゃないだろう」
逃げることは許されない。
天還の儀は身の穢れを浄化して天へと還る為の儀式である。
「当然よ」
間髪入れずに頷いた薊の声には棘が混じった。
蓮の最期を思えば火茨とて同じ反応を返すこととなるのだから仕方がない。
顔を背けた薊はため息に似た吐息を零すと諦め切って弱々しく、どこか泣き出しそうにも思える口調で続けた。
「だけど、だからこそ思わずにはいられないじゃない……どうして、私たちが生きることは許されないの? 望むことを咎められなきゃいけないの?」
忌子だからと、それが定めだからと十五の年を迎えれば告げられた通りに天へと還される。
何をもって穢れとするかも教えられぬまま。
救いの道は他にないと、異を唱えることすらも許されてはいない。
「薊……」
それでも、失敗すればどうなるか火茨たちは
だから諦めたのだ。
逆らわず従順に定められた道を歩むと決めたのだ。
あの時のことを覚えていて、なお逃げる気なのか。
……声に出して尋ねることはできなかった。
けれど薊とて姉である。
火茨が彼女のことを察せるように、言葉にせずともその疑問を汲み取るくらいは容易いことだった。
「分かってる」
ただただ柔らかな声音で薊は言った。
「……俺たちは忌子だ」
「ええ、分かってるわ」
天還の儀ではまず初めに四肢が炭化し動かせなくなるまで御神楽の間で舞を踊ることとなっている。
そこから青目神の手を借りて天還の間の祭壇に寝かされて、これまでに着ていた衣服や日記などの私物と共に命尽きるまで全身を燃やし続ける。
儀式が始まってからでは逃げる暇などないし、それまでに社から逃げ出すとなれば配備されている衛士の目と追手を全て搔い潜った上で追手を撒かなければならない。
一番成功の可能性が高いのは薊だけで社を出ることだろうが、逃亡の成否に関わらず残された火茨と萍が厳しい立場に置かれることは間違いないだろう。
だから、と三人揃って逃げ出すのは安直が過ぎて余程念入りに精巧な計画を立てなければ愚策である。
望むなら火茨だけが残って時間を稼いでも構わないが……薊がそれを良しとできる性格でないことはよく知っていた。
都輝姫の手を借りるとしても同じことである。
天還の儀を受けずに済む方法を書物蔵に籠って模索し、目処が立たなければ逃亡の手引きまで視野に入れる。
愚かと言いたくなる程に、自身のことを思ってくれている相手を放って、犠牲にして我が身大事と逃げ出すことの出来る姉ではない。
……三歳の頃よりその身に宿る力を見初められて召し上げられ、神子からの寵愛を受ける姫様と言えどただで済まされる筈はないのだから。
逃げ出すことは、酷く難しい。
「儀式はきちんと受ける。姫様には悪いけど……此処で眠った蓮姉さんを余所に外へは行けないもの」
それにどうしてと問い掛ける傍らで、頭の片隅で信じてもいるのだ。
産まれた折より蔑まれ続けた通りに自分たちは罪深く穢れた存在で、天還の儀を受けることで救われるのだと。
信じていたい、だけだとしても……。
薊の断言にほっと安堵すると同時に複雑な心境を覚えながら掴んでいた彼女の肩から手を離した。
血の繋がりこそないとはいえ同じ境遇で長年一つ屋根の下で共に暮らして来た相手だ。
思わず咎めるような物言いになってしまったが死別を避けられない儀式に肯定的な感情を持っているとは言い難く……逃げ出すつもりでいると、吐露してくれるのを期待していた部分があったのかもしれない。
それを伝えて掟を破るよう示唆する訳にもいかず、目を逸らすように天還の間の奥へと視線を向けた。
少々無理矢理、此処に来た目的へと話を戻す。
「それで、それがどう繋がるんだ?」
体の向きを直した薊も奥へと目を凝らしながら答えた。
「蓮姉さんが教えてくれた歌の一つに此処を歌ったものがあるでしょう?」
忌子の間で口伝されている歌だ。
対になる話と共に寝物語によく聞かされたもので、普段、萍に語り聞かせている火茨は記憶を辿って思い起こすまでもなく
「ああ。天へと還る
昔、一人の忌子が天還の儀を前にこう望んだらしい。
『どうか儀式は御社の側の洞窟の中で行わせて下さい。洞窟の奥にある池の側にこれまでに私にお与え下さったものを並べて躍らせて下さい』
それが元となり洞窟には天還の間が置かれ、儀式を執り行う為の祭壇も造られたという。
全ての忌子の還るべき地。先人たちの眠る場所。
故に天還の儀を恐れる必要はない。
……といった慰めの意味を含んだ歌と物語だ。
骨の髄まで炭となり墓標の一つも建てられない忌子たちにとっての心の寄りべとも言える。
「その歌を姫様は耳にしたことがなかったらしいんだけど……意味を説明したら難しい顔をなさって……」
それが昨日のことで、午前の修練を終えてから姫様の姿が見えなくなった今日。
出掛ける直前にもう一度歌を聞かせて欲しいと頼まれて、聞かせてやれば一つ頷いた彼女は確かめたいことが出来たと言っていたのだとか。
もしかしたら希望が見付かるかもしれない、とも。
だから今日、姫様は此処を訪れている筈で……。
手掛かりがあるとするなら他にない、ということらしい。
ただ、昼間から数えれば随分な時間が経っている。
辺りを見回してみても二人のそれ以外に動く影も気配もない。
岩の隙間を見て回っても結果は同じで、姫様の装具が落ちているだとか彼女が此処にいたという形跡さえ見当たらなかった。
「他には何か仰っていなかったのか? 此処以外を示すような言葉とか」
「いいえ。歌の内容が腑に落ちない、とは仰られていただけど……」
「腑に落ちない? 別に可笑しなところなんて」
そこまで言って頭の中で歌を繰り返した火茨は説明するには難しい、直感に従って奥の池を振り返った。
湧水は天還の間の三分の一を覆っているだろうか。
手前の祭壇に歩み寄りながら直感を紐解いて確信に変える。
そうだ、水だ。
足の着く岩場ばかりに目を向けていたがあの歌の指している場所は洞の奥。
そして水辺である。
閃けば自然と足は池の中に向いた。
「同胞の御霊は水に沈みて、の一節を……って、火茨!?」
深さを確認しつつ、しかし躊躇うことなくザブザブと水の中を突き進む。
何の前置きも声掛けもしなかったので驚かせてしまったらしい薊にぎょっとした様子で呼び止められたが返事はしなかった。
奥に進むにつれて深くなっているらしい。
池の突き当りに辿り着く頃には膝下だった水位は腰の辺りまで増した。
岸に居る姉の作り出した火の玉の光では距離が開いている為に見え辛い。
仕方がないので自ら光源を作り出し、水中に目を凝らす。
「ちょっと火茨」
ほんの僅かに声が張り上げられる。
「天ってのは何を指す言葉だ、薊」
「え?」
碌に反応も示さないのに唐突に投げかけられた質問だ。
こちらの言動を訝しみつつも薊は「そりゃあ空でしょう」と答えた。
そう、空なのだ。
太陽と月とが巡り雲を浮かべて星々を瞬かせる空は頭上に広がっている。
「なら天へと還る洞で御霊は沈むのではなく昇るべきだろう。なのにどうして水に沈みと歌うのか……ってことを姫様は疑問に思ったんじゃないか」
御霊が天に還っていない。
けれど同胞は導く。
聞き慣れ過ぎて何の疑問も抱いていなかったが、考え直せばどうして中々不可思議な歌だ。
不意に足元を泳いだ魚が数歩先の岩の影に入って姿を消す。
岸から見るとただの凹凸にしか見えなかったそこには――大半が水に浸かってはいるものの――人が通れるだけの隙間があった。
元々の壁に、落盤によって落ちた岩が被さってそれらしい形を作り上げていたようだ。
近付いてようように伺えば影の先。
明らかに人為的な加工の施された水路が深い闇を更に奥へと繋げていた。
大人が通るには手狭だが子供の体躯なら難無く潜り抜けられるだけの高さと幅。
底は池のそれより高い位置にある。
水に沈み切ってはいない。
仰向けになれば呼吸は問題なく確保できるだろう。
岩と水路、水面の隙間を縫うように火で照らし中を覗き込んでみる。
どれだけの長さが続いているのか、先は見えないが……やはり人為的に整えられた、通路、だろうか……そう進まない内に天井が高くなって、横の陸地へと上がれそうだ。
「……これか」
立ち尽くしている薊を呼べば何故と聞き返されたが、いいから来いと説明は省く。
見れば分かる。
眉を顰めながらも渋々同じように池に入ってやって来た姉に場所を譲って水路を指す。
その先が存在することを知らせて顔を見合わせた。
「どう見る?」
「どうって……とりあえず進んでみる他ないでしょう」
都輝姫が此処を通り先に進んだ可能性は十分にある。
意見が揃えば後は行動に移すのみで、まずは火茨が潜った。
安全を確認してから合図を送る。
姉を待つ間、水路を抜けた先で視線を巡らせて感嘆を小さく漏らした。
洞窟の中とは思えない程に整備され、荒廃しつつも人の営みを匂わせる空間が広がっている。
肌寒い空気。土と埃の香り。
覗き込んだ際に見えた水路横の通路に上がり天還の間の方向を振り返れば、繋がっていた筈の道が落盤によって塞がれてしまったのだということがありありと分かった。
滑らかな表面の壁が途切れて急に無骨な岩肌に変わっている。
……こんな場所があったとは。
炎の力で水気を飛ばして服を乾かしつつ水路を抜けて来た薊がそこから上がるのに手を貸した。
進行方向に向き直る。
道は二手に分かれており一方は水路沿いに続いている。
どちらも緩やかに曲がって見通しが悪く、奥の様子までは分からない。
「どっちに進む?」
尋ねれば薊は二つの道を見比べて思案顔を覗かせた。
どこまで続いているかも定かではないが方角的に言えば水路沿いの道は海に向かっている。
双方の長さが変わらないものと仮定して、余程入り組み、曲がりくねっていない限り往復に掛かる時間は崖を目指した時とおおよそ同じだろう。
片方に絞った時に怖いのは、それが間違っていた場合である。
無駄に出来る時間はない。
「別れて進んだ方が効率的ね。火茨は水路沿いを進んで」
探しているのが小指の爪程もない小さな石ころか何かならまだしも相手は人。
生活感の残る場所と言っても随分と荒廃していて生物の気配は一つも感じられないし、誰かや何かに襲われる危険を考慮する必要性が低いのであれば行動を共にする利点は少ない。
問題が発生するとすれば進んだ先で再び道が分かれた場合だが……。
「だったら
落盤が起こった場所の近くにごろごろと転がっている石の中から適当なものを拾い上げる。
火茨は分かれ道の手前でしゃがみ込んだ。
ただ整えられただけの岩肌の地面なら固くて削ることなど到底出来ないが、
何らかの理由で引き返し相手を追うことになっても、こうして印を残しておけば入れ違いになる心配はない。
「何もないとは思うが気を付けろよ」
「ええ、火茨も」
立ち上がって拳を突き出す。
薊も同じように突き出して、コツと軽くぶつけ合った。
進むと決めた道に向かって走り出す。
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