嫌疑と捜索

 肌寒さを感じる風に冬の足音が聞こえ始めた霜月の半ば。

 薊の天還の儀の日取りも知らされて、近付く年の暮れにいよいよ実感が胸を過ぎる。

 分かっていたことではあっても湧き上がる苦い感情から口数がどんどん減っていったのは仕方のないことだったろう。

 それでも出来得る限り普段通りの振る舞いで空気が沈まないように努めていた。

 離殿の戸が荒々しく叩かれる音が響き渡ったのはそんな折の、日が落ちて半刻程が経っただろうかという頃のことだった。

 自分たちを呼び付ける声に応じれば戸口には権禰宜ごんねぎの男が太刀を佩いた御社の衛士えじをぞろっと三人は引き連れていて――色々と心当たりがあるだけに肝が冷えたものの、何事かと尋ねた薊に対し相手は急いているのか口早に今すぐ御神楽の間に向かうようにと返して来た。

 何でも昼を過ぎた辺りから都輝姫様の姿の見えなくなり、いまだ御社に戻っていないらしい。

 捜索の為の人手と手掛かりが欲しいと召集が掛かっているそうだ。

 詳しいことは青目神から聞くよう最後に付け足すと踵を返した彼らはその足で村の方へと向かった。

 御神楽の間に急ぐ火茨たちはその背を軽く見送ってから本丸の正門を抜ける。

 常なら灯篭とうろうの明かりのみで薄暗い本丸内はいくつもの松明たいまつに照らされて提灯ちょうちんを必要としない程だった。

 十五、六歩先の囲いと屋根付きの舞台――御神楽の間の上り口には衛士たちに指示を飛ばす宮司の姿が伺える。

 足を進めて声を掛けると尋ねるより前に「御神様は奥だ」と返された。

 礼を伝えてから御神楽の間に上がる。

 舞台は神楽を舞うのに十分な広さが設けられているが平坦で、そこから続く橋の奥……祭壇の最下で奥方と話し込んでいる青目神を見付けることは容易かった。

 橋の手前で立ち止まり膝をつく。

 薊を中心に萍と火茨は左右に分かれて並び、気付いた相手の視線がこちらに向くのを待って口を開いた。

「薊。火茨。萍。ただいま参じました」

「三人ともすまない。事態が事態故、手短に確認させてもらうが都輝の行方に心当たりはないか?」

 青目神の問い掛けにまず答えたのは薊だった。

「申し訳ございません」

 今日は三人とも務めに出ていて内殿にいた火茨と萍は姫様の影さえ見ていない。

 薊に心当たりがなければ二人にもないというのが正直なところだ。

「火茨、お前はどうだ?」

「申し訳ございません」

 名指しで尋ねられ薊と同じ言葉を返す。

 そう答える以外になかったのだが、青目神の側に控えていた少年が火茨の返答を聞くなり声を荒げた。

 名を水彰みずあきとするよわい八つの御神の嫡子。

 彼が都輝姫と将来を約束している神子である。

「嘘を申すでない! お前と都輝が不義を働いておること我が知らぬとでも思うたか。時機を見てどこぞで落ち合う気なのだろう」

 急な言及に驚く。

 理解するのに数秒を要した。

 どこかで落ち合う? 姫様と?

 そんな話は持ち掛けられたことも持ち掛けたこともない。

 しかし普段の行いを思えば根も葉もないものとも言い切れず……。

 見られていたのか。

 何処から何処までを?

 咄嗟に言葉を返せずにいればチラリと神子を見やった青目神が火茨に視線を戻して言った。

「都輝がお前たちとよくしていることは余の耳にも届いているが……火茨、話を聞かせてもらえるか?」

 ハッと我に返る。

 声が強張らないよう、短く息を吐き出しながら頷いた。

 喉が渇いて仕方ない。

「確かに都輝姫様にはよくしていただいておりますが、そのようなことは一切何も。考えたことすらございません」

「しらばっくれる気か!?」

 今度はすぐに「いいえ」と否定した。

「この身、青目神様に捧げ奉りましたものなればどうして不義を働くことが適いましょう。我が身に疾しいことはこの身に宿る穢れ以外にございません」

 神子の都輝姫に対する寵愛っぷりは周知の事実であり、火茨も知るところにある。

 何処まで知られているにしろ……。

 噂が耳に入っただけでも怒りを買うには十分だったに違いない。

「ならば鍵の為とはいえ都輝が離殿を訪ねた際、すぐには蔵に向かわない理由をなんとする。襖を閉め切り人目を憚り……此度の件もお前が拐かしたのであろう!」

 涼しさを越えて空気が冷え込み始めた季節柄、縁側では風邪を引くかと居間の方で温まってもらうのが最近の常となっていた。

 相変わらず目を見せて欲しいとはせがまれるが薄皮饅頭をいただいた日のようなことはあれっきりである。

 疑いを掛けられて非常に不味い現状ではあるものの神子の言い分に少しだけほっとした。

 黙っている理由もなく、おそらく今、言及されている以上のことは知られていない。

 言い訳、と言ってもほとんどが嘘ではない事実を伝えて怒りを鎮めてもらおうと口を開く――が、火茨が言葉を発するより早く青目神が神子の態度を諌めた。

「落ち着かないか、水彰」

「しかし父上!」

「いずれ余の跡を継ぎ神となろう者がそのように感情に振り回されていてどうする。何より今は都輝の無事を祈ることが先決であろう」

 違うか? と尋ねられ神子は反論出来ずにグッと言葉を呑み込んだ。

 苦々しそうな声音で「申し訳ありませんでした」と謝ると勢いのままに一歩前に出ていた足を引く。

 それを確認してから再度火茨に向き直った青目神はさて、と言って話を続けた。

「余としては赤子の頃より可愛がってきたお前を疑いたくはない……だが、だからと不問に出来る状況ではないことも分かってくれるね?」

 言い訳無用ということらしい。

「はい」

「お前の手で都輝を探し出して来なさい。もし日の出までに戻らなければその時は、悲しいが萍の命を天へと返すことにしよう……こちらに来なさい萍」

 どうして、と思うも答えは決まり切っている。

 人質だ。

 火茨だけでなく呼ばれた萍も様子を伺っていた薊も身を強張らせた。

 異を唱えようものなら条件が悪化することは目に見えている。

 従う他ないが、促される前に返事をして立ち上がり青目神の元に向かうべく橋を渡る弟の背に思わず拳を握り締めた。

「父上、それでは奴にみすみす機会を与えているようなものではありませんか!」

 駆け落ちを危惧する神子にとって今、火茨に都輝姫を探させる……社の外へと出る口実を与えることは有り得ないことだった。

 指示を取り下げるよう求めるが青目神は首を横に振る。

「そう心配するな。火茨は兄弟思いの優しい子だ……なぁ火茨?」

 弟の命が惜しくば、ということだろう。

 この神が告げる宣告は柔らかな声音に反して無慈悲なものばかり。

 いつもそうだ。

「必ずや姫様を探し出して戻ります」

 ただでさえ限りの定められた命を八年という短さで天へと還すなどと……。

 そのようなことを認めて堪るものか。

「口だけは達者な忌子めが」

 吐き捨てるような神子の雑言ぞうごんは耳に届いていたが、聞き慣れた罵倒などどうだっていい。

 一秒でも早く散開の合図が出されるのを待った。

 薊には手伝ってやるように、と言い付ける青目神の声を聞いている間さえ惜しく感じる。

 ようように出された合図には返事をするが早いか、踵を返して走り出した。

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