調べ物の先
その日の夜。
どうにか宥めてお帰りいただいた姫様から預かった、あの後一つも数を減らさなかった薄皮饅頭を全て薊と萍に渡したらその内の三つは火茨の手元に戻された。
昼にもういただいた、と伝えても配分は変わらず幸せそうに舌鼓を打ち始めた二人の様子を卓袱台に頬杖をついて眺める。
味を知れば意見も変わるかと、頃を見て再度勧めてみたが断られて結局その数が変わることはなかった。
良いから、と薊に言われてようやく手を伸ばす。
歯を立てて二つに割って咀嚼する。
何度食べてもやはり美味い。
こんなに美味いのだから、二人だって食べられるだけ食べたいだろうし遠慮ならしなくても構わないのに。
思いながら口の中に残る余韻まで噛み締めるようにして味わい最後にお茶を流し込んで一息つく。
二個目に手を伸ばしそれを口に運ぶ前に、ふと過ぎった疑問を火茨は少し悩んでから声に出して尋ねた。
「なぁ薊、都輝姫様はいったい何を調べていらっしゃるんだ?」
詮索はしないでいるのが基本であるから度重なる蔵への同伴の中でも手に取る本や内容は今日の今日まで気に留めないで来た。
しかし、だ。
昼間の言動を思うと少々気にかかる。
いったい何に執心して時間と労力を割き、書物を漁り知識を集めているのか。
姫様が『あなた方』と言って指した相手が自分と薊であるならば『諦められないもの』と『蔵に通う理由』は同じで、天還の儀や忌子の穢れに関することと無関係ではない可能性もある。
饅頭の美味さについて萍と感想を述べ合っていた薊は唐突な質問に目を瞬かせるときょとんとした顔で火茨を振り返った。
そしてすぐにニヤリといやらしい笑みを浮かべて揶揄う気でいることが厭になるくらいはっきりと伝わってくる表情を作る。
尋ねる相手を間違った。
そう一瞬、後悔が胸を過ぎるも口に出してしまった言葉は戻らない。
何より他に尋ねられる相手もいないのだから間違ったと言ったところで姉を頼る以外にないのだ。
「あら、どうしたの火茨。とうとう姫様に惚れちゃった?」
分かっていてにやにやと笑うその顔が憎たらしい。
思わず顔をしかめて反論しようと口を開くも、それよりも先に驚いた萍が声を上げた。
「えっ火茨兄ちゃん!?」
疑いの眼差しを向けられて即座に「違う」と否定を返す。
素直が過ぎる弟にはそろそろ姉の言葉を全て真に受けて冗談も本気と捉える癖をどうにかして欲しいものだ。
……姉以外が相手ならそう鵜呑みにもしないのだが。
「でも今日は一段と姫様の香りが移ってるわよ」
お茶に手を伸ばしながら軽い口調のままにそう述べた、この食えない姉は――火茨とは違った方向に――捻くれた口しか持ってはいない。
「……言っても聞いて下さらないんだ。俺が気を付けててもどうしようもない」
「手を出してしまうもまた一興……なーんて」
「馬鹿を言うな」
首を傾げもせず揶揄ってきたということは知っている上でとぼけている。
根気強く問い詰めれば逸らされて有耶無耶になった質問の答えを教えてくれた可能性もあるにはあったが敢えて話を戻すことはしなかった。
例え知ったところで、だから何かが変わるという訳でもない。
未来も何も。
変わらないと思っていた。
*
都輝姫が書物蔵に通う日々はまだまだ続くようで火茨の非番が彼女の為に費やされる日々も同じように続いた。
何をそうも熱心に読み耽っておいでなのか。
折を見て直接、尋ねることも勿論できた。
手に取る書物の内容も知ろうと思えば知れただろう。
けれど火茨が浮かんだ疑問を口に出したのは薊に尋ねたあの一回きりで、今まで通り詮索はせず、蔵の鍵の管理にだけ携わった。
もしも懸念した通りに天還の儀や忌子の穢れに関することを調べていて、自分たちが儀式を受けずに済む道を探ってくれているのだとしても結果は見えている。
――忌子として生まれ落ちたからといって言われるがままに未来を諦め、ただただ徳を積む日々に身を費やすのではなく、天へと還る以外の道をいつか見出せるように、と。個々に許された時間はあまりに短いけれど代を重ねることで補える……信じて、希望を残そうとした先人たちの手記。試行錯誤を繰り返した日々の記録。今まさに都輝姫が通っている蔵の、全ての書物の内容を要約し、表題と共に棚の位置まで記している目録。
天還の儀を受ける際には日記や衣服などの私物は全て自身の身と共に燃やしてしまうのが習わしとなっているが、床下や屋根裏にこっそり隠していたり写本することで引き継いだり。離殿には歴代の忌子たちが記し、残して逝った文献がいくつかあった。
それらにいくら目を通しても、認められないと足掻いても、最後には天還の儀を避けることはできないという事実を突き付けられるばかり。
そうでなければ薊が天還の儀を控えている筈もない。
ただ同時に、諦観の念は他人に言われて覚えられるものでもないことを知っているから「無駄だ」などと言って彼女を止めようとは思わないし、そもそも懸念から外れた内容だったとしたら自分たちとは無関係で、口を挟む必要性が欠片もなくなる。
どちらにしても取るべき態度に変わりがないなら知らないままでも構わない、と考えてのことだった。
限られた月日を全て賭けても絶望の二文字にしか辿り着けない結末を彼女が覆せるのだとしても、それはきっと薊や火茨が天へと還った後になる。
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