愛しきは日常
――そこまで思い出した火茨は萍が落とした器を洗えるよう、
「それで? 会うには会ったがそれがどうかしたのか」
言付けでも預かっていない限り話を聞いただけなら揶揄い混じりにでも確認を取るようなことはしない筈だ。
文句を言われるような態度を取った覚えはない……というよりこちらが苦言を呈したいくらいだったが。
「ん。よろしく御伝え下さいって言っていたから」
牛蒡の笹掻きを中断して竃の番を代わった薊はチラリと視線を寄越すと苦笑を見せた。
そう嫌そうな顔をするな、とでも言いたいのだろう。
「悪い方ではないのよ?」
どうやら本当に姫様のことを気に入っているらしい。
「ああ、随分と良い性格をしていらっしゃったよ」
鼻で笑って皮肉るようにそう返せば苦笑は困り顔に変わった。
目を逸らす。
……薊の言いたいことが分からない訳ではないのだ。
破天荒な振る舞いに困らされはしたが忌子である自分に向けられた視線は真っ直ぐで、村人たちのそれのように侮蔑や軽視の色は一切伺えなかった。蔵に篭っていた際の集中力には舌を巻かされたものであるし、彼女にとっては不要であると同時に理解するには難しい内容のものがほとんどだ。それを読み解いているだけでも日々の努力が知れる。何より薊が信頼を置いているならそれ相応に信ずるに値する人物であることを疑うつもりはなかった。
あの強引さに言い包められて従わざるを得なかったことに悔しさに似た感情から反感を持ってしまうだけで。
「都輝姫様、僕は好きだよ」
姉の視線から逃れて盥の方へ向き直れば、拾い終わった食器を水の中に入れていた弟にニコリと笑い掛けられた。
そういえば萍も書物蔵に同行したことがあったと言っていたか。
数秒無言で見詰めるも浮かべれられた笑みは崩れず、火茨は内心でため息を吐き出し棘のある感情を仕舞った。
代わりに手を伸ばして癖っ毛で柔らかな弟の頭をわしゃわしゃと無遠慮に撫で回す。
この弟は自身の笑みに俺が弱いことをよく分かっている。
「火茨は撫で回すのが本当に好きね」
表情を苦笑に戻した薊がその意味を変えて、火茨たちの様子を見守りながら言った。
萍然り。御社に迷い込んできた猫然り。
気が付けば膝に乗せて撫でて回している火茨の姿は彼女にとって幼い頃より見慣れた光景だ。
仕方がない。可愛いものは愛でなければ。
昔、そう素直に答えたら腹を抱えて笑われたので口には出さない。
けれど、あの頃と変わらない言葉を心の内で並べておいた。
仕方がない。可愛いものは愛でなければ。
大人しく撫でられていた萍がそろそろ止めてくれ、と抵抗を見せ始める前に食事の準備に戻るよう薊から促されて手を止めた。
この他愛ない時間も翌年には終わりを告げる。
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