都輝と火茨

 都輝姫は血族の分家に産まれた娘の一人だった。

 七五三詣りの慣わしに則り三つの年に青目神への目通りを叶えるとその場で見初められ、神子の――御神の嫡子は都輝より二つ下で、当時はまだ産まれたばかりの赤子だったが――許嫁として召し上げられることが決まった。

 物心が付いてすぐの頃だったが、肌に塗られた化粧の厚みや袿袴と頭に乗せられた冠の重みを彼女は今でも思い出せる。

 父母に別れを告げて分家通り――御社から丘の麓まで続く血族分家の木造二階建ての家々が立ち並んだ通りの坂道を一人で歩んだ。

 呼吸を忘れる程の緊張感にまるで自分が自分でなくなるような錯覚を覚えたものだ。

 神子の許嫁ということは将来、御神の妻となることが定められたと同義であるからその錯覚はあながち間違いとも言い切れなかったが。

 神の血族と言っても分家の出。

 担う役目や見目こそ異なるが人の子という点では只人の民と変わりない身から神の側に仕え、その御子を産まねばならない立場に召し上げられる。

 より神に近しい場所へと身を移すのだ。

 今まで通りの『自分』では居られないことを彼女は幼いながらによく理解していた。

 七年は前のことである。


 火茨は産まれた折より御社に預けられ外殿――本丸の外、囲う二の丸内に建てられた血族本家の住まい――の離れにあたる離殿で暮らす赤目の忌子だった。

 同じように離殿で暮らす薊と萍も同じ。

 数年に一度、村に生れ落ちる忌子。

 赤い瞳の他に炎の力を持って生まれる彼らもまた御社で暮らすことになる。

 御神のお膝元で善行に励み徳を積むことで身の内から湧き上がる穢れを払い、抑えることが目的だ。

 現在、火茨と萍は青目神の。

 薊は青目神の奥方の。

 それぞれ側仕えとして日々の務めを果たしている。

 お互い兄弟のように接している彼らだが血の繋がりはない。


 都輝姫が召し上げられた当時、火茨は五才で二つ上の薊とよく喧嘩しては今は亡きもう一人の姉のはすを困らせていた。

 産まれたばかりだった萍は覚えていないだろうが都輝姫が御社に上がる日、二の丸の正門――分家通りに通じる門から本丸の正門までを繋ぐ石畳の参道の端に並んで彼女を迎える為の列に加わっていた時に彼を抱いていたのは蓮だ。

 血族の者を前列としてその影に隠れてしまっていた彼らのことを内殿で待つ御神と神子の元を目指していた都輝姫は知る由もなかったろう。

 濃紅こきくれないの単衣と袴に白の肩衣を合わせて顔には目元を隠す布面を付けた姿は人垣の隙間からでも大層に目立ったろうが、それに気を向ける程の余裕が彼女にはなかったに違いない。

 前日の夕暮れ時にも薊と口論で騒ぎ拳骨を落とされた火茨はまだ少々痛む頭に内心で唇を尖らせていて、正直に言えば三つの年で見初められた少女の栄転に祝辞を述べる気持ちはさらさらなかった。

 神に仕える道に進むことを周りが口々に言うように誉れ高く、喜ばしいことだとは素直に思えなかったのだ。

 それは同情だったのかもしれない。

 火茨にとって御社での生活は酷く不自由で息の詰まるものだった。

 見えない縄で繋がれて、縛り付けられているような。

 まだ幼子の遊びたい盛りでも、他の子供のように無知で無垢にはしゃいで日々を過ごすことは許されない。

 火茨が年相応の子供のままに振る舞えるのは同じ忌子が集められた離殿の中だけだ。

 とはいえ、御社の外へと出れば向けられるのは侮蔑の視線ばかり。

 ろくに言葉も聞いてもらえなければ石を投げられ罵詈雑言を浴びせられることもある。

 こうして悠々と不満を並べていられるのも青目神の温情あってこそのことだと思えば感謝の念を抱かない訳ではなかった。

 物心が付くより以前に失っていたかもしれないこの命は御神に仕えることで紡ぐことを許されている。

 毎日毎日、許しを乞いながら生きている。

 赤い瞳と炎の力を持って生まれたばっかりに……。

 そうして縋っても、火茨たちは十五の年に至れば次の年を迎える前に天へと還らねばならない。

 その年の頃になると身の内から湧き上がる穢れが高まりを見せ始め抑えることも困難になるからと、魂までもが穢れて地獄へと落ちねばならなくなる前に天へと還る……その為の儀式を受けるよう定められているのだ。

 そんな自分たちとは立場も境遇も全く異なるが求められる振る舞いにそう大きな違いはなく、人よりずっと早くに子供のままではいられなくなった少女の未来から目を背けてどうして手放しで喜べようか。

 ただ立っているだけの参列の時間など早く終われと、それだけを考えていた。

 カラン、カランと石畳を弾く浅沓の音が耳に届く。

 分家通りから二の丸正門にようやく辿り着いたらしい新たな姫君を待っていた宮司が出迎えた。

 参列者が門に近しい者より腰を折る。

 前列の者に倣って頭を下げた火茨は影の隙間からチラリと様子を伺って少女の姿を捉えた。

 短く切り揃えられた血族特有の白い御髪。

 それを飾る花を模した金の冠。

 三歳ながらに袿袴うちきばかまを着せられて能面でも被っているかのような無表情。

 唇に引かれたべにの赤。

 伏せ目がちな瞳は宝玉のように美しい、深く澄んだ海色。

 薊に肩を叩かれてハッと我に返ったのは粛々と宮司の後ろに続いて内殿を目指す少女が立ち去ってから随分と経った後で、立っているだけの参列の時間はとうに終わっていた。

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