小生とシン・ゴジラ(閉幕ネタバレ)
『シン・ゴジラ』は面白いという意見を聞く。
『うん、そうだろう』と頷く。
『シン・ゴジラ』は面白くないという意見を聞く。
『ふむ、そうだろう』と頷く。
小生は『シン・ゴジラ』を楽しんだ人間だが、『シン・ゴジラ』を楽しめなかった視聴者を馬鹿にしようという気持ちは一切無い。小生の態度はいつも同じである。
楽しめた人には『良かったね』
楽しめなかった人には『残念だったね』
それだけである。基本的に自分が面白いなら、後はあまり興味が無いです。
むしろ、この映画を面白いと絶賛する人の数に驚いたぐらいデスよー。
確かに『シン・ゴジラ』という映画は面白いと思います。
ですが、その半分ぐらいは『提供される面白さ』ではないように感じられました。
映像作品の世界では、視聴者にも大なり小なり『読み取る力』が必要とされます。多くの名作映画も、視聴者の『読み取る力』を利用した作品が多いです。
例えば『ローマの休日』のラストシーン。
あのシーンに込められた多くの事実(情報)が人々の心を鷲掴みにしました。これは(誰かに)説明されるべきモノではなく、視聴者がそのシーンを見たときに感じなくてはならないモノなのです。
他にも『椿三十郎』のラストシーンも同じです。
『あの場面』に何を感じるか、というのが重要になってきます。ネタバレになるのであまり語れませんが、個人的には映画表現に置ける頂点の一つかなーと感じました。
『説明しない、説明されない』
というのは、本来『日本映画』の得意分野だった気がします。
視聴者は『役者の表情』『台詞の深読み』『場の雰囲気』などから、その作品を読み解いていく(感じていく)という面白さがありました。
ですが、時代の流れと共に『娯楽小説』のような映画が増えていきました。それらの映画は視聴者の『読み解く力』を(あまり)必要としなくなった映画でした。ライトノベル(初期)というジャンルに近い映画、と言えば分かり易いかもしれません。
『分かり易く面白い映画』
それを否定する言葉を小生は持ち合わせていません。
なぜなら、小生は今もそのような映画を楽しんでいるからです。
でも、『それはそれ。これはこれ』です。
『分かり易く面白い映画』を楽しんでいるからといって、『分かり難く面白い映画』を楽しめないわけではありません。それぞれ違った楽しみ方あり、楽しむための作法があるわけです。
映像作品には『間を楽しむ』というような言葉があります。
簡単に説明すると、『映像作品の沈黙ですら楽しめ』というような意味なのですが、映像作品を作る手法としては廃れ始めています。
『何でこいつら沈黙してんだ?』
『誰か何か喋れよ』
『眠くなる』
というような意見が多くなり、『間』という表現方法が次第に通用しなくなってきてしまったのだと思います。
全ての映像作品を『1.5倍速』で視聴するという方もいます。『間』というのが映像作品にとって邪魔になってきてしまった時代なのでしょう。
そのため『シン・ゴジラ』でも、この『間』という手法はあまり使われていません。その代わり逆のことをやったわけです。
『説明しない、説明されない』という要素を維持したまま、『間を作らない、ひたすら詰め込む』という頭のおかしい作業を行ないました。『間』が無いわけですから、次から次へと情報が押し寄せてきます。
ですが、その全てを視聴者が理解しなくても良いのです。
詰め込まれた情報の多くは物語を楽しむうえで必須ではありません。
あくまでも物語の本質は『日本対ゴジラ』の怪獣映画です。情報を詰め込みながらも、本質の邪魔になるような展開はカットされています。そのため、『複雑なのに分かり易い』というハイブリット型の作品となりました。
『読み解く必要が無いけれど、読み解くこともできる』
それが大勢の視聴者に受け入れられた理由なのでしょう。
ただ一つだけ例外なのは、あの『ラストシーン』です。
あの場面だけは視聴者に『読み解く』ことを強制しています。
それでも『シン・ゴジラ』という作品を最後まで見続けた視聴者ならば、『そのシーン』から何かを感じ取れるのではないでしょうか?
『ローマの休日』のラストシーンのように。
『椿三十郎』のラストシーンのように。
そこに自分なりの『結末』を見出せると思います。
小生が『シン・ゴジラ』を見て感じたこと。
それがこの企画で書いてきた文章の数々です。
感想もあります。
考察もあります。
妄想もあります。
でも、それだけ小生が『シン・ゴジラ』という映画を楽しんだ証でもあるのです。
そして、それは決して作品から押し付けられたことではありません。
小生は『シン・ゴジラ』という映画を四回見ましたが、それでも毎回見るたびに面白いと感じます。
はっきり言ってこれは『異常』です。
小生は飽き易いので、通常は『二回』が限度です。
後は面白かったシーンだけを見直したくなります。
それがもう『四回』です。
不思議過ぎて自分でも意味が分かりません(汗)
おそらく『シン・ゴジラ』という映画が『面白さの押し付け』ではないからだと推測しました。
『私は好きにした。君らも好きにしろ』
小生たち『視聴者』にも好きにするだけの選択肢がある。
それが『シン・ゴジラ』という映画の『本当の価値』なのかなーと考えたところで、終わりにしましょう。
予定より長くなりましたが、小生の感想にお付き合い頂き有難うございます(ぺこり) ええ、『シン・ゴジラ』の魅力を伝えて見て貰いたいという気持ちは、ほぼ無い企画でした(笑)
これも小生が楽しむためにやったことです。
まだまだですが、少しは自分の中で消化できたような気がします。
では、これでお開きにします。
これにて『小生とシン・ゴジラ』――本編の終わりでございます。
……はい、本編です。
次回から番外編が始まります(てへっ)
更に酷い内容を予定してますので、お楽しまずに。
たぶんここで分かれるのが一番いいでしょう。
さようなら、読者。
また会う日まで。
<良い映画でした>
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