『あれ』の正体とは何ぞや?(シン・ネタバレ)

『牧悟郎の目的』は『ゴジラ第五形態』を利用した『人類の抹殺計画』である。

 それが前回の結論です。


 つまり、『第五形態の正体』とは『人類を滅ぼすために進化させられた生命体』であると考えられます。この場合、『ゴジラ』から出てきた『天叢雲剣』の所有者は『牧悟郎』という構図になるでしょう。


『シン・ゴジラ』という作品は、


『牧悟郎が人類を滅ぼすため、新たな天叢雲剣を誕生させようとした物語』


 という言い方もできるかもしれません。

『モンテ・クリスト伯』もびっくりするような『復讐計画』だったのです。 


 ですが、『牧悟郎』の心にも良心が残されており、それが船に残されていた『研究成果』と『あの言葉』だったのでしょう。


『復讐と良心に苛まれた一人の男の物語』

 それが『シン・ゴジラ』という作品の、もう一つの姿だったのです。

 







 ――果たしてそうなのでしょうか?



『ゴジラを利用した復讐計画』と書けば、何となく理解できような気もしますが、何かがおかしい。違和感がある。


 小生も最初に『シン・ゴジラ』を見たときは、この『復讐説』に近い感想でした。ですが、考えていくうちに自分の中の違和感が膨れ上がっていきました。


 何だろう、この違和感は。

 分からないので、もう一度頭をフル回転させました。


 ぐるぐるぐるぐる、自分の体と一緒に頭を回す。

 ぐるぐるぐるぐる、物語と一緒に頭を回す。


 違和感の正体。

 それは一つの文章でした。


『私は好きにした。君らも好きにしろ』


 どうもこれが復讐する相手に告げる言葉ではないような気がする。

 

 これが『私は復讐する。君らも好きにしろ』なら理解できます。

 もしくは『私は好きにした。君らが止めてみせろ』でも通じます。


 ですが、『私は好きにした。君らも好きにしろ』という言葉になった途端に何かがぼやけます。この言葉からは『牧悟郎の怨念』のようなモノが感じられません。彼が何を言いたいのか、ということが曖昧になってしまうのです。


 いや、曖昧ではありませんね。

 彼が復讐よりも恐ろしい『ナニカ』を選んだような……気がします。

 

 ぐるぐるぐるぐる。

 違和感の正体が少しずつ形になっていきます。


 発見された『第0形態(仮称)』に、『ゴジラ』と命名したのは『牧悟郎』です。

『(荒ぶる?)神の化身』という意味になります。化身というのは『神が姿を変えた存在』なので、『神(そのもの)』であると言えるでしょう。


 ですが、最初の『第0形態』に『神』という名前を付けるでしょうか? 

『ゴジラ』という名前は『コードネーム(暗号名)』であり、共通の呼び名として研究の初期段階に設定されたものである、と推測できます。『ゴジラ』と名付けた段階では、まだあまり研究が進んでいなかったと考えられるわけです。


 その段階で、『牧悟郎』は『第0形態』に何を見出したのでしょうか?


 ヒントはあります。

『第0形態』は『放射線に耐性を持つ生物』であること。

『牧悟郎』は『放射性物質を憎んでいる』ということ。


 この二つを組み合わせて考えると、一つの結論が導き出せます。


『牧悟郎』は『第0形態』に『放射性物質』を無害化する可能性をを見出したのではないでしょうか。だからこそ、彼はその生物に『神(ゴジラ)』と名付けた。ゴジラの存在は彼にとって『救いの神』だったのです。

 

 最初は人類(もしくは自分)のために研究を続けていたのだと思います。

 少なくとも、『アメリカ』は『牧悟郎』を危険人物と認識していなかったという事実(研究に参加させたこと)から考えると、この時点での彼の目的は『放射性物質を無害化(克服)すること』だったと推測できます。


 ですが、彼は気付いてしまったのでしょう。


『自分の研究が軍事利用されるかもしれない』という可能性に。

『(人類が)放射性物質を克服するため』に研究していたことが、ただ『アメリカ』という一つの国の利益になってしまう危険性を自覚したのかもしれません。


 作中では『アメリカ』と『牧悟郎』の関係はあまり掘り下げられていません。ただ彼は最終データだけを隠匿して、日本へと帰国します。帰国できたことを考えると、少なくとも直前までは危険人物として監視されていなかった、と推測できます。


『牧悟郎』が自分の考えを変えたのは、おそらく最近のことだったのでしょう。ゴジラの研究が進んだことにより、皮肉にも彼は追い詰められてしまった。


 このまま『アメリカ(人類)』に『ゴジラ』という未来を委ねるべきか?

 それとも『別の道』を行くべきか?

 

 そこで『牧悟郎』は諦めたのだと思います。

 ゴジラが齎す『福音』は『人類が制御できる技術では無い』と考えてしまった。彼はそこまで人間という生き物を信じていなかったのでしょう。妻を救えなかった人類を。自分自身も含めて、信じることができなかったのです。


 そして、彼は別の可能性を考えてしまった。

 

『人類』が『放射性物質を克服する』のではない。

『放射性物質を克服した存在』を『人類』にすればいい。


 不完全な生命体に技術を授けるのではなく、完全な生命体を更に進化させる。

 すなわち『ゴジラ』から『新しい人類』を誕生させればいい。

 

『ゴジラを祖とした新人類』 

 

 それが『第五形態の正体』だと、小生は考えます。

 それこそが『牧悟郎』が求めた『放射性物質を克服する理想の人類』なのです。

 

 それは逆転の発想でしょう。

 それと同時に恐ろしい計画です。


『牧悟郎』の心は複雑に揺れ動いたであろう、と推測できます。

 自分にそんな権利があるのだろうか、と悩んだはずです。


 それゆえに彼は言葉を残したのでしょう。


『私は好きにした。君らも好きにしろ』

 

 その言葉を残して『牧悟郎』は好きにしたのです。

『二つの未来』を人類に残して、彼は姿を消しました。

 

『牧悟郎』が本当に憎んでいたモノは、『日本』でも『人類』でも無いような気がします。彼がゴジラを目覚めさせた本当の理由は、『妻を殺した放射性物質』に対する彼なりの『復讐』だったのかもしれません。


『シン・ゴジラ』という物語は『ゴジラから誕生しようとしていた新人類』と『ゴジラを利用して更に発展しようとする現人類』の『生存競争』だったのです。


 その結末は『ヤシオリ作戦』の成功により、『現人類』が勝利を収めます。

 ですが、『牧悟郎』が危惧していた未来はこれから訪れるのです。


 螺旋のように物語は巡り、『牧悟郎』の手に握られていた未来への選択肢は、人類へと託されます。ゴジラという『福音』を手に入れた『人類』が次に歩む道こそが、『真に試されている』ということなのです。


 未知との遭遇は終わりを迎え、繁栄と滅亡の扉は開かれました。

 ここから先は無数の未来が広がっていることでしょう。


『牧悟郎』は『ゴジラを進化させる』という未来を一人で決めました。

 果たして次の『未来』は一体誰が決めるのでしょうか?


 大統領でしょうか?

 総理大臣でしょうか?

 それとも――――。 

   

 それが小生の考えた『シン・ゴジラ』という作品の結末です。

 もしかすると、これが人類にとっての『幼年期の終り』なのかもしれません。


 データが世界中に共有された以上、人類はもう『ゴジラ』がいなかった時代には戻れないのです。もしかすると、遠い未来では人類が『ゴジラ化』しているかもしれませんね。


 ま、それも『好きにすれば』ということで。

 そろそろこの企画も終わりが近づいて来ました。


 では、次回は『ゴジラの目的地』で会いましょう。


<第十五回 完>

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