核でゴジラを倒せるのか?(ちょーネタバレ)

 現実的に考えれば倒せるらしいです。

 むしろ『核』で倒せない方が、設定としてはおかしいという話みたいです。


 なので、作中で『核』を使用すれば倒せると信じている反応は正しい。

 正しいのですが、作中の表現を考えると疑問は残ります。


 映画の中で『核』はこう呼ばれます。


『人類の叡智の炎』


 そして、『ゴジラ』の呼び方の一つにこれがあります。


『人知を超えた完全生物』


 この二つを対比させた場合、人類の知恵の結晶である『核』と、人類の知恵を凌駕している『ゴジラ』では、後者の方がより優れていると考えられます。


 もちろんこれは根拠の無い言葉遊びのようなものです。

 ですが、物語の登場人物が全て『核』という力に自信を持っているということに、小生は違和感を感じていました。被害は出るが『ゴジラ』は倒せると。


 あるシーンで『ゴジラは死をも克服しているかもしれない』というような台詞があります。そして、その結論がこうです。


『核で滅却するか、矢口プラン(ヤシオリ作戦)で凍結するか、その二択しかない』


 小生はこの台詞を聞いたとき、ふつーに違和感を感じました。

 凍結というのは殺すことではないため、死を克服していても通用する可能性はあります。『ゴジラ』が凍結後も死なないかもしれない、という可能性は作中でも指摘されていました。


 では、滅却はどうでしょう。完全に消滅させるという意味です。

 死をも克服している(かもしれない)生物を滅却することは可能でしょうか? 

 うーん、どうもしっくり来ません。


 これが『ゴジラを殺すことは難しい』なら理解できます。

 難しいだけで、滅却することも、凍結することも可能でしょう。

 

 ですが、わざわざ『死を克服しているかもしれない』という台詞を言わせた後に、『核で滅却できる』という台詞を言わせるでしょうか?


 小生はこの場面に引っかかりを覚え、もしかすると『核』では『ゴジラ』を殺すことができないのではないか、と考えました。


『ハッピーエンド・バットエンド論争』で『核』の使用という言葉を入れたのはこれが原因です。


『ヤシオリ作戦』と『核』は対の選択肢であるため、物語的に考えるとするならば、片方が『成功』した場合、もう片方は『失敗』する選択肢であると考えられます。二つの選択肢が共に『正解』というのは違和感がありますので。


『ヤシオリ作戦』(の成功が)がバットエンドへの道だった場合、『核』で『ゴジラ』を完全に滅却することが『正解』です(現実エンド)。


 逆に『ヤシオリ作戦』(の成功が)がハッピーエンドへの道だった場合、『核』を『ゴジラ』に使用してしまえば、破滅的な未来が訪れる(虚構エンド)。

 つまり、『失敗』するわけです。


 結末としては、それぞれの『失敗』の選択肢を選んだ場合、『第五形態』が誕生すると考えられるでしょう。


 では、この『第五形態』が何を意味するのか?

 と言う話はまた別の機会に。

 ばいびー。


<第十回 完>

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